第八章ー17
「……は?」
警戒を強めていたからこそ、その言葉は博也の中に、深く沈み込んだ。
――こんな無茶苦茶な世界に来ることが夢だった、だと……?
驚く博也を気にした様子もなく、秋奈は語り始める。
「見た目でなんとなく分かると思いますけど。わたしは本が好きで、異世界への転移、転生って、夢があって良いなーって思っていました。……実際、選定式が始まっても驚きませんでした。あ、いえ、驚かなかったと言えば嘘になります。けどたぶん、人よりは驚かなかったです。すぐに、何人か殺しましたし」
ふふっと少女は笑う。
つい数秒前まで、博也に怯えていたはず少女が、不気味な笑顔を浮かべ始める。
「もちろん、そちらの生徒会長さんを始め、先輩方には逆立ちしたって勝てません。覚悟も経験も、何もかも負けています」
でも、と秋奈は口角を上げる。
「でも、殺せました。わたしは、わたしより強いはずの人を、殺せたんです。これ、凄いことだと思いませんか?」
ぞわりと、鳥肌が立った。
秋奈は変わらず前を向いている。
にも関わず、突き刺すような、強烈な殺気を感じた。
――コイツは……。
この感覚には、覚えがあった。
体育館で透香に吹き飛ばされる直前、背後から強烈な殺気を感じ、身動き一つできなかった。
吹き飛ばされた一番の要因は、透香の『神速』に対応できなかったことだが、無防備にくらってしまった一番の要因はそうじゃない。
博也が全く反応できずに吹き飛ばされたのは、冷たく圧し掛かる異様なほどの殺気に身がすくんだからだ。
秋奈は、それを継承している。
本人にその自覚があるかは分からない。
だが博也は、確かに、この少女に透香と近いものを感じた。
「黙ってそのまま進め」
これ以上喋らせてはならないと、本能が告げていた。
グラウンドから少し外れて、東側へ。
売店や寮がある方向へと進んでいく。
「……」
博也の言葉を聞き入れたのか、秋奈は暫くの間、何も喋らなかった。
博也は彩粒子を前方へ送り続け、秋奈から注意を逸らさないよう気を付ける。
ある程度、検討がついているとはいえ、少女の能力は不明瞭な点も多い。この得体の知れない少女が、なにをしでかすか分かったものではなかった。
できればさっさと殺してしまいたいところだったが、周囲への注意を疎かにするわけにもいかない。茜が監視してくれてはいるが、死角だってあるだろう。
この少女を殺そうとしている間に背後から刺されました、では話にならない。
敵が集まって来ているグラウンドから逃げることが先決だった。
「そういえば」
校舎の角を曲がり、グラウンドの影まで来た頃。
秋奈がまた、口を開く。
「黙れ」
すかさず口を閉ざすよう注意するが、少女は聞く耳を持たなかった。
博也の制止を無視して、
「好きな人って、いますか?」
今度は、そんなことを言う。
あからさまに、揺さぶりに来ていた。
「『恋』なんて大層なものじゃなくても構いません。好意を持っている人っているますか?」
「……」
無視する。
秋奈の能力は視覚に作用するものではないと茜は言っていた。
この話術がこちらの意識を逸らす作戦なら、少女の話に乗って、心を揺らさない方が良い――
「実は、透香さんと龍海さん、両想いなんですよ」
なんて思っていても、入って来る情報が衝撃的であれば、勝手に意識が引き寄せられる。
「知ってました?」
少女はまた、ふふっと笑う。
「選定式なんていう物騒なものがある世界だからこそ、わたしは『好き合うこと』って凄く大切で、素敵だと思うんです」
「……知るか」
博也は、なるべく素っ気ない返事をする。
考えてはならないと頭では分かっていても、気にならないと言えば嘘になる。
今まさに相対し、戦っている相手の情報というのも大きかった。
あの二人がそうか、なるほどな……などと、意識したくなくても、勝手に思ってしまう。罠であると理解していても、思考に歯止めがかからない。
少女は、そんな博也の心を見透かしているように、にこにこと微笑み、言葉を紡ぐ。
「もう一度、お聞きします」
「……」
「好き、とまでいかなくても構いません。周囲に、気になる人はいますか?」
秋奈の声には、不思議な力があった。
語り掛けるテンポなのか、単純な声質なのか、それとも別種のなにかか……。
この状況で、こんな馬鹿げた話を続けるつもりも、真面目に回答する気も博也にはなかった。
罠であることも重々承知していた。
なのに、
顔が、浮かんでしまった。
白髪の、米粉パンを愛した少女――。
「いるんですね?」
秋奈はやはり、にこにこと柔らかい笑みを浮かべる。
「黙れ」
その笑顔は、不快でしかない。
「いいじゃないですか。素敵だと思いますよ」
「うるせえよ」
綾乃に指摘された時は、余計なお世話だと言い切ったけれど。
事実、あの時、そんなことは考えていなかったけれど。
「その子、今、近くにいますか?」
「黙れよ」
ずっとずっと、心の中に突き刺さっている、後悔の気持ち。
あの時、こうしていれば――。
こんなことになるのなら――。
幾度となくそんな風に考えて。
今でも割り切れていない、マイナスなままの、辛いだけの記憶。
「もし、その子がまだ近くにいるのなら――」
「黙れ!」
さらに続けようとした言葉を、博也は大声を出して遮った。
これ以上、一言も喋らせたくなかった。
その、直後だった。
「あっ」
「あ?」
秋奈が不意に、博也の後方、グラウンド方面へ目を向け、ナニカに驚いた表情をした。
つられて、博也は後方へ視線をやる。
「……?」
が、特別、何も起こっていない。
不審に思い、視線を前方へ戻すと――
「――っ!!」
秋奈の姿が消えていた。
――阿呆!
しまったと思った時には手遅れだった。
こうなることは分かっていた。
最初から罠だと気付いていた。
だというのに、引っかかった。
「茜さん!」
《なにをしているのですか。あなたのすぐ後ろです》
博也の能力は姿が見えなくても作用する。
振り向き、即座に能力を発動させる。
《いえ、右前方――》
「ここかっ」
《もっと右です》
茜の指示に従い、何度も能力を発動させるが、捕まえられない。
相手も移動しているのだ。
校舎内で双子を捕らえた時とはわけが違う。
範囲が限定されない場所で、ひたすら逃げている相手を捕らえるのは容易なことではなかった。
そうこうしている内に。
《早く追いかけてください! 範囲から出ます!》
博也の彩粒子圏外まで逃走を許してしまう。
――くそっ! なにやってんだ俺は!
ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、博也は追跡を開始する。
『あの少女を止めることができなければ、仮に、透香たちに勝てたとしても、誰かが必ず死にます』
茜の言葉が、脳裏によぎった。




