第八章ー15
「……ふぅ」
それを見届け、黒江は膝に手をつく。
さすがに、限界だった。
「クロ!」
綾乃が駆け寄って来た。
「大丈夫?」
「そっちもね」
黒江は腹部に大きな傷を負い、綾乃は体育館の時と同じく、あちこち改造制服が破れ、ボロボロの姿を晒していた。
「龍海は?」
「分からない。思いっきり蹴り抜いたから、無事ではないと思うけど……」
龍海が消えていった方向へ視線を向けるが、濛々と砂煙が舞い上がっており、姿が見えない。
確認できなかった。
前回の選定式でスナイパーを殺した時は、無我夢中で殴りつけたから感触など分からなかったし、どのくらい力を込めたのかも黒江自身、曖昧だった。
今回は、持てる力の全てをぶつけたと言って良い。
助走十分の体勢から踏み切り、体を回転させて思いっ切り、龍海の胴体を蹴り抜いている。
即死とはいかないかもしれないが、少なくとも、戦闘続行不可能なくらいには、ダメージを入れられたと思う。
というより、そうでなくては困る。
虹沢透香の『鉄壁の守護者』たる彼を引きはがさなければ、勝ち目がない。
透香たちを倒すためには、龍海を撃退することが第一条件なのだ。
最初から、これを狙っていた。
茜にもこうするよう策を授けられていた。
これが決まらなければ、もはや詰んだも同然だった。
茜のダミー爆弾投下だって、二度、同じことはできないだろう。
殺せないまでも、ここで龍海が退場してくれないと、勝ち筋が見えない。
こんなボロボロの状態で、また一から二人を相手にすることなど、できるはずがない。
「あれ? クロ、その足に付いてるのって……?」
綾乃が、今しがた龍海を蹴り抜いた右足を指さす。
え、と黒江も視線を落とすと、
バラバラに砕け散った氷が、ズボンに張り付いていた。
「……」
ちょっと待て、と黒江は思案する。
なんの氷だろうか。
龍海を蹴り抜く前までだって、透香とずっと戦っていた。
何度も氷と接触したし、なにより、こちらへ突進する前、氷の槍をいくつも蹴り飛ばしている。
その時についた可能性だって十分ある――
「……いや」
そこまで考えて、首を振る。
今の思考は、明らかに現実逃避だった。
攻撃を仕掛けていた時、透香の氷はどこまでも堅く、黒江の攻撃など物ともしていなかった。大仏の攻撃を止めていた氷が、ちょっとの攻撃で砕けるはずがない。
多少、付着していてもおかしくはないが、バラバラになった氷が沢山ついているのはおかしい。
これはおそらく……。
「前言撤回するよ」
不意に、砂煙の中から声がした。
樋春に向けられていた、挑発するような軽い口調でもなく、先ほどまでの、苛立ち混じりの口調でもなかった。
その声は、ひりつくような殺気と、凍えるような冷たさを含んでいた。
「追い詰めても追い詰めても這い上がって来るその強さ……やっぱり樋春の弟子だね」
姿を現したのは、虹沢透香。
砂煙の中を全力疾走した黒江よりも、服装が乱れ、髪の毛もぼさぼさになっていた。
龍海を蹴り抜いたあの瞬間。
黒江の足に、なにか堅いモノが当たった感触があった。
初めて人体を全力で蹴り抜いた黒江は骨かなにかだと思ったし、特別、変なことだとも思わなかった。むしろ、堅いモノをしっかり蹴り抜いたという感触は、手応えの表れだと感じた。
「ええ、実際、危なかったですよ。透香が駆け付けてくれなかったら、やられるところでした。腕一本で済んで良かったと思いましょう。……ここからは、『本来の仕事』をさせてもらいます」
続いて現れた龍海を見て、確信する。
龍海は、服装こそ乱れているものの、致命傷はないように見える。片腕が変な方向へ曲がっているが、それ以上の傷はない。
黒江の全力を受けて、その程度で済むはずがなかった。
おそらく、黒江の足と龍海の体の間に、透香が氷を挟み込み、ダメージを緩和したのだ。
黒江の攻撃を何度も完璧に防ぎ切っている透香が防ぎ切れなかったのだから、ぎりぎりのタイミングではあったはずだ。
黒江の身体強化に追いつけるスピードが出せたとすれば、『神速』しかない。全速力で駆け付け、紙一重で氷を挟み込んだのだ。
透香たちにとってもあわや、という事態ではあったのだろうが、ここで決めきれなかったのは黒江たちにとって、痛恨どころか最悪だ。
龍海を上手く倒せていても、透香が無傷で残るのだから、それでもキツイというのに……龍海を倒し切れなかった。
「クロ」
「ん?」
「これ、ヤバいよね」
「最悪だろうね」
綾乃と視線を合わせ、互いに状況を確認し合う。
ここから先の作戦はない。
《……》
茜から、新たな作戦指示もなかった。
諦めようとは思わない。
勝つ覚悟とは、どんな状況でも諦めない覚悟だと、樋春は言っていた。
ここで折れることこそ、負けへの第一歩だ。
「綾乃」
「なに?」
「ここで逃げても文句は言わないけど――」
「馬鹿言わないで。怒るよ」
「……悪い」
冗談半分で言った言葉は、怒り声で返される。
覆せない力量差があって、茜から授かった作戦も不発に終わった。
千載一遇のチャンスを逃し、ここからなにができるのか。
痛む腹を抑えて黒江は構える。
逃げても良いと言ったのは、半分は冗談だが、半分は本気だ。
――こうなったら、最悪、綾乃だけでも生き残らせる。
二人で生き残れるならそうしたいが、そんなに甘くないだろう。
相手は樋春を破った手練れ中の手練れだ。
勝つことができないならば、せめて、年下の女の子一人くらい守り通したかった。
黒江は、並び立つ少女をちらりと見やり、透香たちへ突進した。




