第八章ー12
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黒江は必死に狼を振り払い、殴りつけ、首から上を吹き飛ばす。
氷の狼は首と胴体が分裂し、黒江の後方へごろごろと転がっていった。
「……くそ」
改造制服のおかげで大したダメージを負わずに済んだのは不幸中の幸いだが、そんなことは何の足しにもならない。
透香との実力差を痛感する。
どれだけ接近し、拳をぶつけても、ただの一発も通らなかった。
身体強化でスピード、筋力ともに上回っているにも関わらず、完璧に防がれ、歯が立たなかった。
次第に、マイナス思考へと落ちていく。
ほんの数週間程ではあったが、生き残るために数分、数秒を惜しんで特訓を重ねて来た。
忙しいはずの樋春に、何時間もの間、特訓に付き合ってもらった。
だというのに、まるで通用しない。
樋春は最後まで、黒江の身を案じた。
黒江を守るために危険を顧みず、体を起こして大仏を操った。
敵討ちとか、そんな大それたことは考えていない。
ただただ、情けなかった。
「もういいや」
小さく、透香がそう呟くのが聞こえる。
これまでの、ふざけた口調が嘘のような、殺意レベルが急上昇した、本気の声音だった。
ぞくりと緊張が走り、その直後、
「噛みちぎれ」
「痛っ!?」
背後から、ナニカが腹に食いついてきた。
新しく氷を生成する音は聞こえなかった。
透香自身も、氷を操る素振りを見せていない。
慌てて自身の腹に視線を落とすと、氷の狼――の、頭が目に飛び込んでくる。
「氷でできてるんだから、頭を吹き飛ばしただけで動きが止まるわけないでしょ。ボクの氷牙狼はそこまで甘くないよ」
先ほど、黒江自身が首から上を吹き飛ばし、胴体と分離させていた狼の頭だけが、動いていた。
ぐぐぐと力が込められ、鋭い牙が腹に食い込んでくる。
いくら防刃、防弾の改造制服でも、直接噛みつかれたらどうしようもない。牙が食い込み、制服に穴が開く。
「しぶどい、なっ」
黒江は狼の口に手をかけ、無理やり引きはがそうと試みるが、狼の力が半端ではない。
「自分の体勢を考えなよ。締め上げる力と引きはがそうとする力、普通、締め上げる方が勝つんだよ? しかも、その狼だってボクの能力だ。……君の身体強化は凄いけど、限界があることを知った方が――」
「ぬ、おおおお!!」
透香の言葉は途中で途切れた。
黒江は牙の隙間に手を突っ込み、僅かに空間を作り出すと、気合いと共に体を回転させ、狼を強引に振り払った。
「無茶をするな~……」
透香の呆れ声が耳に届くが知ったことではなかった。
これ以外に、振り払う方法を思い付かなかった。
腹部周辺の改造制服がびりびりに破れ、噛みつかれた脇腹から血が滴る。激痛が走った。
「なにか策があるのかもしれないけど、そんな隙は作ってあげないからね」
透香は喋りながら、二体の狼を生成し始める。
一呼吸つく間すら与えてくれない。
薄青の彩粒子と白い煙が立ち込め、一見、幻想的な光景にも見えるが、黒江にとっては、死へのカウントダウンだ。
放置すれば、今度こそやられる。
「させるか」
黒江は痛む脇腹を無視し、阻止するために透香のもとへ走る。
狼二体を相手にできる自信はない。
生成される前に接近戦で潰すしかなかった。
黒江は最大加速で接近し、
「はい、おしまい」
見事に迎撃された。
彩粒子と煙で視界が悪くなっていたこともあったが、一番の原因は、無暗に突っ込んでしまったこと。
黒江が突き出した正拳突きは簡単に防がれ、逆にカウンターをくらってしまう。
透香は自身の拳に氷を纏わせ、手甲を作り出していた。
飛び込んだ黒江の腹へ、堅く、重い拳が突き立てられる。
「お疲れ様。ぐっばい」
地面に倒れ伏す黒江から少し距離を取って。
透香は最後の一手を繰り出す。
「氷槍乱舞」
黒江の頭上に、数十にも及ぶ氷の槍が生成される。
樋春に大ダメージを与えた、透香の必殺技の一つだ。




