7 脳筋皇女 Ⅰ
帝都マーバスまで、飛空艇で半日の空の旅。
液晶などの娯楽の無い機内では、自然と睡魔が襲うもので、機内食を食べた後、皆眠りについていた。プロペラ機に苦言を呈していた『サディスティック・クィーン』ことエカテリーナ・フラウロスも幼気な少女の様にすやすやと眠っている。
(眠顔は天使なんだけどねぇ……)
同志たちが眠りにつく中。マレードだけが視界に幕を下ろさず、皆の顔を見ていた。
夢は時として、夢見人の深層心理を映すことがある。喜び、不安、恐怖、期待、恋慕など、個人の抱える感情が鏡の様に夢の中で投影されるのだ。
マレードは夢を実現させ、栄光の凱旋の帰路にあるはずだった。だが、そのために未来に課した責め苦の事が脳にしがみついて離れないのだ。栄光は未来に課したコストによって得たものであり、そのコストが払われて、初めて栄光を純粋なものとして甘受する事ができるのである。
だからこそ、今寝たら悪夢を見るであろうと、しかも、今朝と同様、フィーナ姫に関わるものとなるであろうと警戒していたのである。
そして、皆の寝顔を鑑賞できたという副産物も得て、彼はこの選択に満足していた。
“本日はジーマ・エアライン航空をお選びいただき、ありがとうございます。
本機は間もなく、帝都国際空港に到着いたします“
(お選びっつっても、テルカ空港に離発着するのジーマ・エアラインだけだからな。がはは)
俺はアナウンスの後、皆に声をかけて、起こすと共に、到着が間近である事を伝えた。そして、窓から下を見ると、帝都の建物の明かりが宝石の様に瞬いており、帰って来た事を実感した。
帝都国際空港はジーマ最大の空港であり、同国が持つ二つの国際空港の内の一つである。
王都中心部に電車で一時間。到着予定時刻は、桜月の四番目の日、酉の時。明日の仕事は何とかなりそうだ。俺は、脳筋姫の事を忘れるため、明日の仕事の事を考える。
俺たちは、帝都国際空港で別れを告げ、それぞれの帰路に就いた。俺以外の三人は、旅券を手に、国際線ターミナルに向かっていく。
そして、俺は完璧な変装をしたまま電車に乗り、マーバス中心へと繰り出す。夢の時間は終わり、現実が始まる。きっと今名刺を出したら宰相と表示されるであろう。
ガランド家の邸宅は、マーバス官庁街の端に位置している。ガランド家と共に歴史を過ごした伝統深き邸宅は、帝国が定める『文化遺産』にも登録され、赤レンガ造りの荘厳な佇まいは見る者に歴史を感じさせた。
父は軍の仕事でジーマ北部の人工湖、アカーヤ湖にいる。また、母は、特別駐在員としてスータマ共和国に赴任しており、妹は全寮制の皇立マーバス学園で学業に励んでいる。故に、この歴史的邸宅は、俺一人の居城であり、自由と、ちょっとばかしの寂しさを独占していた。
「ただいまぁ……↓
………………
…………おかえり↑(裏声)
ウェルカムトゥーザ♪ ガランドハウス♪」
そう、使用人も雇っていないし、何をしても咎める者はいないのである。
流石にはっちゃけずにはいられない。俺は定期的にこうやってストレスを発散させ、精神を落ち着かせているのだ。
「よし、先ずは荷物を置いて、シャワーを浴びよう」
沈静の儀を終え、俺は風呂場に向かう。
脱衣所の電気を点け、身にまとった布を一枚一枚丁寧にキャストオフする。そして、一糸まとわぬ肉体が曝け出され、鏡の前でポーズを取った。
無論、風呂場で女性と思わぬ裸の出会いなんてない。ここにいるのは俺一人。機械的に身体を清め、機械的に寝るだけだ。
そして、あっけなく、休暇は終わる……
「おぅ、マレードよ。休暇は楽しめたか?」
仕事に復帰し、俺は王の前でひざを折る。
「陛下の慈悲におきまして、実りある休息を得る事が出来ました。
その恩に報い、このマレード・フォン・ガランド。帝国と陛下に全てを捧げる所存でございます」
「そのような事はどうでもよい。
わかっているのだろう? 重要なのはあっちだ。全部読んだのであろう?」
皇帝は立ち上がり、俺の元に近寄って来た。そして、凄まじいプレッシャーと共に言葉を打ち下ろす。
(ここの選択肢は間違っちゃだめだ!!
俺の今後に関わる重大な決断だ!)
「……ふ、フォリオ姫と……ウッ! ムード宰相の…… れ、恋愛模様と、ウッ!……
あ、愛が形になった時の…… その、い、営みが…… 素晴らしく……
私も、不肖ながら…… 感が動くのを、し、沈める事ができませんでした」
(ヴォエェェェェェエエエエ!!! つれぇ…… 言ってて気がおかしくなるぅ!)
「ふーむ……
まぁ、本来であれば、一時間ほど感想を述べて欲しい所であるが、お前の感涙をもって、よしとしよう。
話は終わりだ! すぐに仕事に戻るが良い。私も暇ではないのでな。締め切r…… じゃなくて、時間が無いのだ!」
皇帝はそう言うと、ずかずかと衛兵を伴って謁見の間を後にした。その後作業場に戻るのであろう。
精神が削られたが、俺は難行を一つ越えた。これは祝福するべきところだろう。
因みに、当たり前の事だが、俺はあの魔本『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』を読んでいない。あらすじを読んだだけで、頭痛と吐き気に襲われたのだ。中身を読んだら謎の死を遂げる事になるだろう。今回述べた感想は、あの魔本に寄せられたいくつかの感想、レビューを切って繋いだものだ。あんなものでもファンがいる。世も末だ。だが、今回はその殊勝なファンたちに救われた。感謝の至りである。
「あ、これはこれは、ムード宰相殿。
貴方がいぬ間に、銀山のペン入れと、帝都南部の鉄道トーン貼り、そして、吹き出しの予算についての書類が完成しました。どうか、ベタ塗りをお願いします」
執務室に行く道中、痩せこけ、目の下に濃い隈を付けた財務大臣ジーナ・アドリアが声をかけてきた。言動から分かる様に、彼女は壊れてしまった。皇帝ジャール一世と魔本『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』によって壊されてしまったのだ。
アシスタントとしての自分と財務大臣としての自分がどろどろと溶けて混ざり合い、もはや救う事も難しい状態になっている。
「財務大臣殿。委細分かりました。後はお任せください。
それと、私の名はムードではなくマレードですので、お間違えの無いよう」
俺は彼女の現状を憐れみ、先の言動の異常なる事を指摘しなかった。ただし、私をムードと呼ぶのは、大陸より広い心を持つ私にも我慢の出来ぬことだ。
ムードとはあのレメゲトン級の魔本に登場する人物だ。彼は、王国の美しき姫フォリオに恋をし、王の目を盗んで子を宿す。そんな男と間違われるのは心外甚だしい。
複雑な感情を巡らせながら、俺は執務室の皮椅子に座る。
「何でも宰相閣下。財務大臣より、預かりました書類はデスクの上に。
それと、今週のスケジュールですが……」
「あぁ、おっけー。それと明日の…………アンナ君!?
…えっ? ちょっ? お前!皮だけ乗っ取られて中身地球外生命体なんだろ?!
返せ! うちの秘書を返せぇぇぇえ!!!」
俺は錯乱し、跳ねるように立ち上がった。彼女が俺をふざけた名で呼んだ事ではなく、ぐうたらな彼女が、俺より前にこの執務室に来ていた事によってだ。
「何言っているんですか? できる君宰相閣下。
自分の秘書も分からないなんて、落ちぶれましたねぇ」
「なら、俺たちが最初に行った店の名前を言ってみろ!!
言えんよな? 知らないもんな?
正体を現せ!?」
「……私たちが最初に行った店は創作料理店『レッセフェール』。マーバス国立公園の近くにある店です。
私が頼んだのは、ジーマ特産の蒟蒻とネギのポトフ。閣下が頼んだのは蒟蒻カレー。
これでいいですか? 全く疲れるなぁ……」
彼女は二人しか知らない事をつらつらと並べた。
俺は少し冷静となって、彼女をまじまじと観察し、ゆっくりと、椅子に座る。
「アンナ君…… 今日はえらく真面目だね……
何かあったのかい?」
「真面目なのは良い事じゃないですか。
全く…… あ、そう言えばアレ、アレ下さいよ! さぁ!」
アンナ君は嬉しそうな顔で、俺に両の手を差し出し何かを求める。
(ん? 何だ? 給料か? 今月はまだだぞ。 それとも慰謝料か? こっちが貰いたいわ。 じゃあ、何だ……)
「え? ないんですか? お土産ですよ。お土産。 魔界饅頭とかあるのでしょう?」
沈黙に耐えかね、アンナ君は呆れて項垂れた。
魔界で商店に寄る時間なんて無かったし、村は寂れを極めて、土産物屋すらなかった。そして、空港はシャッターが並び、もはや観光客が来ることを想定していない土地だ。
(お土産って言われてもなぁ…… 空気とか、土、草でも持って帰れば良かったか?)
「はぁ、無いんですか? もし、民間企業だったら村八分にされてますよ」
(いつの時代の民間企業だよ……
でも、この面倒臭さ。確かに、間違えなく目の前にいるのはアンナ君だ)
「また、魔界には行く事になるだろうから、その時は土産も買って来るよ」
「まぁ、いいです。
それと、明日の予定なのですけど、フィーナ皇女殿下とのご朝食、ご歓談、ご昼食、ご歓談、ご夕食、そして、ご歓談となってますが、よろしいですね。
まったく、あの美姫と一日を過ごせるなんて、世の男たちに羨ましがられますね」
(……ちょっと待て。共に食事とは聞いたが、一日中なのか? え?ちょっと待ってよ)
俺は背に冷たい液体が背骨に沿って垂れてくるのを感じた。
そして、財務大臣が残した資料を手にしながらも、明日をどうするか考えた。
「アンナ君? もしベヒーモス級の怪物と一緒の檻に入れられて、そこで一日を過ごせと言われたらどうする?」
考えがどん詰まりになり、俺は目前に立つスーツの女に助言を求めた。そして、彼女は俺の質問の故が分からず、不審そうな目で俺を見る。
「あり得ない状況を言われても困りますが、そうですね……
私なら、怪物をおだてて、おだてて、おだてまわして、時間を稼ぎ、相手の不快や怒りを買わないようにしますかね」
「参考にさせてもらうよ。
……これは生死をかけた戦いなのだ」
この日、殆ど仕事に手が付かなかった。決戦前夜というやつだ。今の俺には一年、二年後への準備より、明日の生死が重要だった。まったく、宰相失格だ。
俺は酉の刻に仕事を切り上げ、不気味なほどに仕事熱心な秘書に後を任せると、家路についた。
日課である奇声と戯言を終え、俺は脱衣所に向かう。そこで、床に落ちてある紙切れが目に入った。俺はそれをゴミであると判断し、拾い上げると、Mチューブのアドレスが目に入った。
「あ、忘れてた。ナナミさんの動画見なきゃ……」
畳まれ、しわしわになった紙を広げ、生放送の時間を確認すると、今日の戌の時と記されており、俺は間に合った事を神に感謝した。
そして、時が満ちる……
俺は寝室に入ると、デスクの上にあるノートMCを開け、紙に書かれたアドレスを入力した。すると、生放送の入場が開始しており、30人ほどがコメント欄を賑わせていた。
(結構人気なのかな。えっと、投稿者ネームは…… 『Nyamu game』ってやつか。ナナミさんだからNyamuなのかな)
慣れない手つきで、動画の情報を眺めていると、凄まじい勢いでコメントを付けているファンがいるのが目に入った。『ほわほわ』という名のユーザーが数秒ごとにコメントを残しているのだ。これは怖い。
そして、暗闇だった動画窓に少女が映し出されると、コメント欄も滝の様に動き始めた。時間になったのだ。それに合わせ、動画の中の、不似合いなサングラスをかけたゴスロリ球体少女がカメラの位置をチェックし、ついに彼女は口を開いた。
「うぃいいいいいいいいいいい↑↑↑↑↑↑っすぅぅう!!
どうも! ニャムでーーーっす!!!
アッアッアッアッアッ!!!
今日はですね…… えっと今日は、あ、これ…… この、えっと、このアイスクリーム、えっと、アイスクリームをですね。今日は」
俺はノートMCを閉じた。
これ以上の視聴に精神が耐えられなかったのだ。
きっと、特異な趣向な人間だけがこれを見る事を許される。俺はニャムに選ばれなかったのだ。
記憶を消して、何も見なかった事にしたいと、そう願った。
そして、手のひらを返し、動画に間に合わせた神を呪い、俺はベッドのに吸い込まれていった。