18 地下研究所 Ⅱ
「これは……」
俺は今までにない絶望を感じていた。
魔法生物との戦闘は基本的に魔法。魔法無しの戦技に自信は無い。
「ふははっ、お前もそんな顔をするんだな」
マレードの沈んだ表情を見てトーホーは吹き出して笑った。その態度にマレードは苛立ち、思わず彼の顔を鋭く睨みつけた。
「いや、悪い。
ただ、まだ希望はある。その事を言おうと思ったらさ」
トーホーは手を合わせて謝罪の気持ちを伝えたが、マレードの不貞腐れた子供の様な表情は変わらない。
「まぁ、聞けよ。こいつらはこの通り狂暴性を増し、魔法封じの結界の下でも活動できるがそれによって失われたものがある。まぁ、見ておけ」
そう言うとトーホーはポケットから一枚のコインを取り出し、マレードに見せる。それは一般的な大陸共通通貨であり、何の変哲もない。マレードに確認の時間を与えた後、トーホーは勢いよくそれを鉄格子奥の壁に投げつけた。
コインは“キイーン”と甲高い音を立てると、“カンカン”と地面に落下し跳ねた。そして物欲しげに鉄格子にかぶりついていた魔法生物達はその音に瞬時に反応し、そちらへと勢いよく向かって行った。
「奴らは強化の過程で視力の大半を失っている。その内退化して眼球が無くなるんじゃないかな。
という事で奴らにも弱点がある。音を利用して戦闘を避けるんだ」
トーホーがマレードに魔法生物の弱点について説明していると、奴らはコインに興味を失ったようにこちらに戻って来る。それはトーホーの声という音に反応しての行動であり、奴らの音に対する異常な執着を示していた。
「こいつをお前に預けておく」
そう言ってトーホーはマレードに10枚のコインを手渡した。緊急時に身を護る貴重な10枚だ。
「やはりここ以外に道は無いのか……」
「残念だがここだけだ。他の道は完全に封鎖されている」
通らなければならない茨の道にマレードは震えた。思ってみれば第二皇女とのふれあい以外でこれほどの命の危険を感じた事は無かった。そしてこのような誰の眼にも触れない場所で死す可能性に恐怖を感じた。
「これは言っておかなきゃな宰相。
今俺達に武器は無い。だがここから2ブロック程進んだところに職員用保管庫がある。あそこにはまだ武器があるはずだ」
マレードの肩に手を置き、話されたトーホーの言葉はマレードを多少勇気づけるものであり、そして疑念を抱かせた。即ち、何故彼はそんな事まで知っているのかという事である。
「あぁ、お前が言いたい事は分かる。“俺がやけに色々知っている”そういう事だろう?」
トーホーはマレードの面に書かれたメッセージを読み取ると、マレードが何も言わずとも、威嚇する魔法生物を見つめて話し始めた。
「俺は一度失敗した。俺は脱出を試みた者は帰って来なかったといったが、すまん、あれは嘘だ。実際は俺一人があの安全地帯に帰ってきた。惨めで恥知らずなものだ。仲間を失い俺だけが生き残っちまった訳さ。
そんな訳で俺達が進めたところまでの情報はあるのさ。倉庫、セーフルーム、そして危険地帯。聞きたい事があれば言ってくれ。まぁ、その先の事は俺も知らんがな」
トーホーは吐きだすようにそう言った後大きな溜息をついた。そして魔法生物から目を外し、マレードの顔を見てから“彼が知る全て”を話した。その中にあった“魔法生物には縄張りがあり、それらの間隙には安全な空間が存在する”という情報は少なからず彼に希望の光を与えるものだった。
「行きましょう」
漢宰相は意を決し、トーホーに告げる。目前にある暗がりの部屋、そのすぐ奥にある部屋がその“安全な空間”であり、そこに向かう事を示したのだ。
「あぁ、だが油断するなよ」
そして男二人VS魔法生物集団の命を賭けたゲームが始まった。
最初にトーホーがコインを部屋の対極に投げ、敵の注意を向けると、二人は身を屈めて音を立てずにゆっくりと鉄格子の戸を開ける。そしてそのままの姿勢でゆっくりと前進を開始した。
最も注意しなくてはいけないのは暗い足元だ。何かを蹴飛ばしたり、踏んづけたりして音を出さないよう、二人は蟻の触角のように手で床を払いながら前へ前へと進む。
(よし。頃合いか)
部屋の四分の三ほどの前進に成功し、トーホーは先ほどまで自分たちが居た鉄格子に向かって勢いよくコインを投げた。
コインはボールのように回転しながらまっすぐ進むと、鉄の格子に直撃し、数回にわたって高い音を出しながらコンクリートの地面に落下した。魔法生物がそれを無視するはずはなく、水面に餌が投じられた鯉の如く獰猛に鉄格子方面へと突進した。
その様子を確認したトーホーは親指を立ててマレードに見せ、暗がりの中、うっすらとそれを確認したマレードも同様のサインを返した。
第一の関門を突破し、部屋の奥の通路を左折したところで突然の光が二人を歓迎する。それは変哲の無い蛍光灯であったが、先程まで一寸先も覚束なかった二人には強すぎる光だった。
(うおっ! 眩し!)
マレードは思わず手で光を遮る。
しかしその行動は彼の足元に対する注意を一時的に外す結果を生んだ。明るいはずの足元、そこにあった鉄片を弾いてしまったのだ。
そして一瞬の静寂。二人は心臓の音すらかき消すように制止し、状況を見守る。だが、奴らはやはり反応した。魔法生物が一頭通路に顔を出すと、わらわらと他の個体もそれに続く。
マレードがズボンのポケットにしまったコインに手をかけ、トーホーもまたコインの塔的体勢に入ったところで先頭の一頭がバネを弾いたような跳躍でマレードに飛び掛かった。
「くっ!!」
もはや黙ってはおれず、マレードは声を放つ。魔法生物は仰向けになったマレードに対して馬乗りになると、首に噛みつこうと長細い頭部をしきりに前後した。
一方その頃、ジーマ帝国首都マーバスでも上弦同盟が面倒事を持ち込んでいた。
「おい。このホテルの…… その…… アレについて知っているか?」
「ん? 何でしょうか先輩?」
「やっぱり知らなかったか。いや、でも知らぬが仏というしなぁ」
「もったいぶらないで下さいよ。一体何だっていうんです?」
マーバスのホテルの一区画を守護する兵士二人が暇のあまり会話を交わす。彼らはジーマの者ではない。いや、そもそも本来軍人ですらない。だが彼らが纏う軍服の様なコートには上弦同盟軍などと書かれたワッペンが付けられていた。
「いやなぁ。ここ“出る”んだよ」
「出るってまさか!」
「そのまさかさ。実際見たってやつが多くてな。しかもその内容まで一致している」
「薄気味悪いですねぇ…… で?どんな霊が出るんです?」
トチノキから来た使者は大使館ではなくこのホテルを拠点としていた。彼らは大統領を排除し政権を得たものの未だ国内、及び国外の組織の掌握には至っておらず、対立関係が顕在化していた。
「心霊“半裸女”だ」
「え? 半裸? ふふふ。それは一度お目にかかりたいですねぇ」
「あぁ。聞く事によるとネグリジェ姿の妙齢美人らしいが、不敵な笑みを浮かべて不思議な事に壁をすり抜けていったらしい。一体何の霊なのやら」
「あぁ。壁を…… ちょっとなんか寒いっすね」
いくら美女と言えど霊は霊。異国の地でそんな話が出れば身震いするのも無理はない。
だが実のところこれは霊の仕業ではない。上弦同盟に関する不穏な情報を察知したジーマ政府は秘密裏に彼らを偵察していたのだ。
「残念ですけど本当でしたわね」
そして、ここ謁見の間に隣接するインクのにおいが漂う“休息の間”に偵察者と政府関係者が集まっていた。
「それで。奴めは生きているのだろうな?」
「まーちゃんの身柄を取引材料にすると記されていましたし、生きているでしょう」
「なんでもできる君が簡単に死ぬなんてありえません!! あー、もう腹の中のマグマが噴出しそうですわ! 殴り込みですわ!」
「姫様、どうか、どうか御静まり下さい」
国王ジャール一世、第二皇女フィーナ、ジーマ大使館特別駐員マレーナ・フォン・ガランド、憲兵総監ジーノ・フォン・カタル、そして大臣達やマクシミリアン・フォン・ガランド将軍含む軍上層部たち。錚々たるメンバーがインクのにおいをものともせず、言葉を交わした。
第二皇女フィーナは冷静さを欠き、今にも全てを破壊セントの勢いであるが、それを何とかカタルが言葉で抑えようとしている。だが、ここにいる全ての者が抑えようのない憤りを感じ、何とか理性で抑えているのが実情であり、何かあれば一線を越えかねない状況にあった。
この様な状態になった一因。それは何ともふてぶてしい上弦同盟の使者が我儘な要求を一方的に押し付けた日の数日後、突如としてマレード・フォン・ガランド拉致という情報が王の元に入ってきたのだ。王以外にとってそれは眉唾な情報であった。何故ならこの件に全く関係の無いキト法国の使者によってその情報がもたらされたからだ。これは深い事情によりマレードがキトの要人と面会するという事を王以外が知らなかった事による。
「問題は何処に王家に次いで偉大なる宰相閣下が監禁されているか。それが問題である」
「まーちゃんの居場所については資料の中にもなかった。あそこの人間が知っているかもしれないけれど……」
マレードの母であるマレーナはそのタレントを用いて情報収集に当たっていた。それによってキトからもたらされた情報が事実であると分かり、かくも皆の怒りを増長させているのである。
「艦砲射撃、艦砲射撃だ。それしかあるまい。息子を害した以上仕方のない処置だ」
「もうパパったら。そんな事をしたらまーちゃんの立場が余計悪くなるでしょう! それにあそこからだとホテルは狙えないわよ」
マレードの父マクシミリアンも明らかに冷静を欠いている。それを何とかマレーナが収めたが、今度はフィーナが震えだし、飛び出しそうになった時、カタルが大きく手を挙げて宣言した。
「私、ジーノ・フォン・カタルが宰相閣下のご所在を突き止めて参ります。奴らの尋問ならお任せください!」
「待ちたまえ憲兵総監。あれでも奴らは使者。下手に扱うとこちらの立場がまずくなる」
「いえ陛下。私にお任せを。彼らに利されない秘策があるのです」
カタルの自信は身から溢れんばかりであった。彼には確かに秘策があった。だが彼はそれを酷く嫌い、願わくは一生利用したくはなかったが、背に腹は代えられない思いで名乗り出たのであった。
カタルのお陰でフィーナの震えが止まると、皆は一時安堵した。そして筋肉隆々の大男に“マレードの居場所の特定”を一任するとひとまずこの日の密会は解散と相成った。
そしてマレードは命の危機にあった。
迫る凶牙。滴り方に触れる涎。そして更に飛びつかんとする後列の魔法生物の群れたち。全てが死に直結していた。もはやコインによる誘導など意味がない。万事休す。そう思われた時、近くから“カンカン”と金属同士が接触する音が鳴り響いた。
それはコインの様な軽い音ではない。重厚という訳ではないが、どこか力強く。そう、言うなれば夕食時を連想するような音であった。
「おうバケモノども覚悟しやがれ」
マレードが何とか首を横に向けるとそこには何故か大釜が鎮座し、その奥で右手に“おたま”、左手に“ターナー”を持ったトーホーの姿があった。彼はその二つの調理器具を打ち鳴らし、魔法生物を挑発する。
だが魔法生物は獲物に牙をかける直前だ。これだけの音を出しても動じない。
「ん? んんんん?」
しかしその時不思議な事が起きた。マレードに乗っていた魔法生物の身体が何かに吸い込まれるように浮き上がったのだ。そしてその後ろで他の魔法生物が次々と浮き上がりどこかに飛んでいくのが見えた。
その様子はまさにキャトルミューティレーション。マレードの上で踏ん張っていた一匹もとうとう力尽き、宙を舞う。そして奴らの向かった先はあの大釜であった。
“キャウン”
その哀れな声が魔法生物の最期の叫びとなった。奴は大釜の上辺でゆっくりと一周するとそのまま沈み、姿が見えなくなる。
「大漁だぁ!」
そしてトーホーはそう言うと再度調理器具を打ち鳴らし始めた。その様子はまるで何かの儀式の様であった。その数秒の後、鍋からヒョイっと何かが飛び出した。マレードは思わずビクッと反応し、身を屈めたが、そこに出てきたのは熱々のオムライス。しかもご丁寧に皿の上に盛りつけられ、ケチャップでハートマークまで書かれている。それをマレードが怪訝の表情で見つめていると次に出てきたのはカリッと揚げたてのとんかつだ。キャベツもシャキシャキしていてとてもおいしそうだ。
「はぁ……」
とんかつの後にカレーライス、寿司、パフェが地面に並ぶと、トーホーは疲弊した表情で座り込み、それと同時に調理器具と大釜が霧と消えた。
「コックカ〇サキ。コックカワ〇キですか?」
摩訶不思議な現象に思わずマレードはピンクの球体の出てくる“アレ”に登場するキャラクターの名を口にした。
「カワサキ? 誰だそりゃ。まぁ、コックと言う所は間違っちゃいねぇけどな」
へたれ込んだトーホーはそう言いながら綺麗に手入れされたカトラリー2セットをどこからともなく取り出し、その片方を「ほら」という声と共にマレードに差し出した。
「これが“俺が飢えなかった理由”だ。
タレント《魔力変換》。何か凄そうに聞こえるが、単に魔法生物を食いもんに変える程度の能力さ。まぁ、こいつに助けられるなんてゆめゆめ思わなかったけどな」
一通りの説明の後、トーホーは手を合わせ、そして寿司に上からフォークを刺しこんでそれを口に運んだ。それはマレードに対し、“この食べ物が安全である”という意味も込めていた。
「いや、凄い能力だ。しかし、これがあれば魔法生物なんて怖くないだろうに何故貴方は?」
敵を一網打尽にし、そして食料まで得る。それはサバイバルにおいて究極ともいえる力であった。それを持っているにも拘らずトーホーが安全地帯に引きこもっているのはマレードには不思議に思えた。
「見ての通りさ。一度使えば酷く消耗する。一日一度、それがこのタレントの限界だ。くくく、神っていうやつはとことん完全を嫌うらしい」
寿司を平らげたトーホーは次にオムライスに手を出した。そして「さっさと食わないと俺が食うぞ」という言葉と共にマレードに食事を促した。その誘いを受け、マレードも手を合わせると、とんかつの皿をこちらに引き込んだ。
「…………」
味は普通。決して不味くは無いが口の肥えたマレードには別に驚きも無い。だが疲れとこの名状しがたいシチュエーションが甘美なエッセンスとなり、多幸感によって涙が溢れそうになった。人前で涙を見せたくないマレードはぼわっと光る無機質な天井を向き、そして涙が溢れ出るのが収まったところでトーホーを流し見る。
「…………」
マレードの行為は無駄であった。トーホーは空になった皿を抱えたまま泥のように眠っていたのだ。彼の言った事に嘘偽りなく、タレントの発動は体力を消耗し、酷い睡魔が襲う。それをマレードは疑ったわけではないが、今の彼の姿がそれを証明していた。




