12 浅広き世界書(ナロウ・ブック) Ⅺ
煌びやかな都市は光の粒となって崩壊する。いや、崩壊ではなく昇天と言った方が正しいか。
都市を構成するあらゆるものが粒子となって魂のように天へと昇る。そして星々の輝きに混じったかと思えば、光を失い、暗闇へと消えていく。
都市を構成するのは建物だけではない。そこで生活してきた人々もまたその重要な構成要素だ。つまり彼らも例外なく都市と運命を共にする事になる。
人と的が溶け合ってできた光の泡を浴びつつ、二人の戦士はまるでストロボのようにゆっくりと降下する。
(僕は何故こんな選択をしたのだろう?
僕は勝利していた。それは確かな事実だ。
なのに何故僕は負けという屈辱な選択を栄光を捨ててまでしたのだろう?)
人の形を成していた光が通り過ぎると共に別れを告げる市民たちの言葉を聞きながら、こうなる事を選んでしまった自分にZIREは苦悩する。
「ありがとう」
営業スマイルではない純粋な笑顔を見せ、バアルの隣に座るみりあは彼らにそう呟いた。そして満足そうな表情で光に包まれると、主の元へと浮上する。
「みんなZIRE様に感謝しています。楽しい時間をありがとう。
私達は満足しました。だから、ZIRE様を貴方にお返しします。
それと――」
みりあは苦悩するZIREの耳元で優しく呟き、その全てを終えるとついに人の形を崩して光の点へと分解した。
「僕は……」
蜃気楼が消え去り、泡となった光を砂上から仰向けに見上げ、ZIREはジレット・バルバドスへと移り変わる。
苦悩と共に記憶は失われ、ただ最後に言葉をくれた女の事だけが彼に残留した。
「くっそぉーー!!
時間かけすぎぃ!! 時間が時間がぁ!!」
アキハの主は敗れた事により、着ていたコスプレ衣装はメイド喫茶に預けていたはずの武具へと変わり、皆の能力も元に戻ると、星空の下、地面を殴り、土煙を立たせてイルマが叫び散らした。
「大丈夫ですか? ジレットさん」
そして鬱憤を物言わぬ砂に晴らすイルマを横目に俺達は今にも目覚めようとしているアキハの元主の元に駆け寄ると、二人で彼の端正な顔を覗きこんだ。
「……ここはどこでござる?
えっと、拙者、確か本に飲み込まれて、それで……」
目覚めたジレットは先ず辺りを確認し、状況を確認する。
「ヴァサーゴ殿と貴女は…… 確かジーマの……」
そして目の前にある二つの顔を見つめ返し、少し考えると首を傾げた。
「あっ、俺です。マレード・バアルです
って言っても分からないですよね。ちょっと長くなるのですが、実は――」
姿が変わっている事を始めとして、寝起きの仲間に俺はいきさつ、ヴァサーゴの事、勇者の仲間との一時共闘の事、役割の事、等々全てを話した。
「なるほど。それは大変だったね。
でも、次はもっと大変だろうな。だって残っているのは――」
ジレットさんは瞬時に全てを理解してくれた。そしてそれに続く言葉で俺達に絶望を与える。
ここまで俺は勇者として、イルマは従者として、ナナミさんは第一の関門の主として、ジレットさんは第二の関門の主として役割を演じた。そしてここでこの世界が終わらないという事は続きがあるという事で、アスタロトさんは良いにしても、ドS女王のカーチェさんが残っているのはとてつもなく不安である。
「あっ、来た!!」
そしてタイミングを狙ったかのように、俺に勇者の天啓が下る。
「目的地は北の端。魔王が住まう欲望にまみえた魔の巨城」
「もう魔王ですか?」
天啓の内容を原文ママで口にすると、ヴァサーゴは不思議そうにそう呟いた。俺も同感だ。俺達の行方不明の仲間が後二人いる事を考えると、もう一つ関門があると思うのは別に不思議ではない。
「そういやアンタたちの仲間は後二人何だっけ?
まぁ、キャスト不足なんだからしょうがないでしょ」
そう言って話に割り込んできたのは勇者の仲間イルマ。身体に二体の人形がしがみついており、俺が事情を話している隙に彼らと下らない諍いがあった事を物語っている。
「浅広き世界書には上限はないけど、下限の定員は七人と決まっている。それは物語が成立するための条件――のはずだったのだけど」
俺達が浅広き世界書の世界に吸い込まれたのは極めてイレギュラー。スタッフが少ない中で繰り広げられる物語には相応の綻びや欠落があると彼女は示した。
「でも考えていても仕方ないですよね」
ヴァサーゴは不安な表情を浮かべながら立ち上がり、その言葉と共に向かうべき北へと視線を向けた。
確かに、悩んでもここから出られるわけではない。俺は彼女に頷き立ち上がると座り込んでいるバルバドスに手を差し出した。
「さぁ、一緒に行きましょう」
ヴァサーゴと同様、昨日の敵は今日の友達感覚で差し伸べられた手。
バルバドスはそれを丁寧に払いのけると首を横に振った。
「感謝感激の至りにござるが、遠慮するでござる」
「ふぇえ? 何故ですか?」
断ると思わなかった俺はすぐにその理由を彼に問うた。
「女性三人のパーティー。そんな百合パーティーに男の拙者が入るなんて無粋な真似は出来ないでござる。拙者、百合の営みを観測する傍観者にて候」
「???」
バルバドスの意味不明の発言に俺は絶句する。
ここでそんな言葉が出るのも理解しがたいが、そもそも俺は男で百合パーティーではない。
「何言っているんですか! 時間もたんまりあるわけじゃないんですからさっさと行きますよ。ほら」
俺は年甲斐もなくイヤイヤする美少年を無理やり引き上げようとしたが、彼の身体はまるで砂上に根を張っているかのように動かない。
「悪いけど誰にだって譲れないものはあるのでござるよ」
あまりに固い決意。俺は目の前の駄々っ子に溜息をついた。
「別にいいじゃないの。本人が行きたくないって言っているわけだし。それにその様子じゃついてきても役には立たないでしょ」
呆れた眼差しでドワフの女は青年を見下し、バアルを彼から引き離した。そして青年が「ほらさっさと行ってくれ。時間が無いのだろう」と言葉でもバアルを引き離した所で、場は彼を置いていくという雰囲気に包まれる。
「もう…… 後でついてきてくださいよ」
バアルは呆れた顔でそう言うと手を振り、見送るバルバドスを幾度と見返しながら砂漠のオアシスを後にした。
そして向かうは最後の戦い、未知の脅威。仲間だった二人は魔王と女王として俺達を待っているかもしれないし、もしかしたら双頭の竜になっているかもしれない。どのみち仲間は多い方が良かったわけだが、バルバドスはあの様子。
「にしても不親切な世界だな。敵の情報を伝えるものはいない。街は最初のやつだけ。そして俺達の行先は天啓頼り」
先の不安から俺は一人愚痴をついた。
確かに、この世界は物語として破綻している。まるでかけている部分を継ぎ接ぎして無理やり接合させているみたいだ。
「ああ、それはさっきも言ったけど、この世界は人員不足なわけよ。無理やり少人数で回している訳。本来七人以上でやる事を六人で回しているの。にしても、なんで六人で発動したのかしら。建国以来数千年こんな事は無かったのに」
回答を求めているわけではなかったが、この呪道具の専門家から納得のできる回答を得た。だが、その専門家様にも少人数でこの世界に吸い込まれた事は不可解らしい。
「出てきたらどうだい? そこにいるのだろう?」
茫漠たる砂漠を超える三人を見送り、そしてその姿が見えなくなるとバルバドスは立ち上がり、口調を普通にしてオアシスに生えるヤシの木に向かって叫んだ。
「…………」
回答はない。ただ風が葉を揺らすだけ。
「取って食う気はない。それとも僕の方からそちらに向かうかい?」
バルバドスは追い打ちをかけるように再度声を放つと、わざと大きな音を立て、ヤシの木に向かって歩みだした。
“ザッ”
“ザザッ”
「……はぁ。とうとう見つかっちゃいましたねぇ」
足音に煽られ、とうとうヤシの影に潜むものが姿を現した。
地味な顔立ちに修道女と魔導士を足して二で割った服装の女。
「ヌンティウス……」
その姿は紛れもなくバルバドスにとって憎き女。すぐにでも殴りかかりたいところであるが、彼は拳を固めてじっとこらえた。
「あらあらぁ。貴方とどこかで会ったかしら?」
隠れる事を止めた女は、先程とはうってかわって人懐っこいドードーのようにバルバドスに近寄ると興味津々に顔を覗き込む。
「簡単な事です。僕たち以外にこの世界に閉じ込められる者がいるとしたら、ホクトの地に来るきっかけを作った者。即ちヌンティウス・デイ」
行動には至らないが、バルバドスは侮蔑と憎悪を目に宿して彼女を睨みながらそう言った。
「ふぅん。なるほどなるほど。納得しました。
そ・れ・とぉ~ もう一つ! どうして私がここにいるってわかったのです?」
周囲を回りながら喋るヌンティウスは彼をさらに苛立たせる。
「僕が目を覚ました時。頭に刻み付けられた女性の言葉があった。
彼女曰く“勇者が来る前にこの地に訪れた者がいる。勇者一派と警戒し、街に入れたがその者は街に順応し、まるで最初からそこの住人の如く振舞った。警戒せよ”と」
「クク…… フフフハハハハハハハ!!
別に隠れていたつもりはなかったけど、勇者様たち間抜けの間抜けで全然私に気が付かなかった。ほんっと、君の街は最高だったわ」
ヌンティウスはアキハもメイド喫茶に潜伏していた。一人のメイド店員として、先に進むでもなく、退くでもなく、ただそこにいて、来訪者の行動を見て笑っていた。
「今度は僕から質問させてもらおう。
僕らがこの本に近づいた時、お前はそこにいなかった。どうやってここに入った?
それと、どうせ答えてはくれないだろうけど、お前の目的を知りたい」
「初対面のレディーを“お前”呼ばわりする人に返す答えはありませーん。悩んで悩んで悶々としていて下さーい」
無論、どのような態度をとろうがヌンティウスは答えるつもりなど無かった。
「それで。もう話は終わりですか? 本当にしょうもないですね」
ヌンティウスはただ姿を見せただけでバルバドスの問いには何一つ答えない。ヌンティウスは得るものの無かったバルバドスを嘲笑い。下卑た笑みを見せた。
「しょうもなくはないさ。お前がここにいるという事が分かった。そして今僕は敵対者であるお前をここに留め置いている」
「何を言っているの?」
「わからないかい? 僕は敢えて仲間たちがここを離れてからお前を呼んだ。それは彼らと君を合わす時間が無駄だと思ったからさ。僕達には時間が無いからね」
「――ふふふふふ。ヒヒヒアハハハハハハ!!
何を仰るかと思えば、全く的外れ!! 貴方、見た目に反して頭は良くないみたいですね。彼らの邪魔をしようと思えば既にやっていますよ。そもそも邪魔する気なんてさらさらない」
ヌンティウスは我慢の限界とばかりに大笑いし、ぺらぺらと舌をまわした。だが、バルバドスは怒るどころか「ふふっ」と笑い、笑顔を彼女に示した。
「お前の口から聞けて良かったよ。“邪魔するつもりは無い”ってね。
じゃあ、お前の目的は何かと言えば、この本に僕たちを閉じ込める事ではなく、ここに入れる事。そこに利益があるわけだ」
「何を言って……」
「おっと、お前の言葉はいらないよ。目は口ほどにものを語るってね。お前の眼球は明らかに動揺を示しているよ」
バルバドスの指摘にヌンティウスは歯を食い縛る。
「人を過剰に罵倒し、罵詈雑言を浴びせる者は自分がそうしないと上に立てないと知っている者だ。つまり、自分が如何に安く、程度の低い人間であるか心の根底で理解しているという事」
「黙れ……」
「人をさんざん馬鹿にしたんだ。馬鹿にされる覚悟はあるんだろう?」
怒りに身を任せ、冷静を失ったヌンティウスはバルバドスを掴みかかろうと突進するが、彼はそれを容易に躱し、言葉をぶつけた。
「お前たちに何が分かるというの! 所詮は神に作られた駒に過ぎないくせに!!」
「ふーん。ならその駒にも馬鹿にされる君は何なのだろうな。盤上の塵、埃かなにかかな?」
言葉の応酬。そしてそれは口先だけではなく、ヌンティウスの苛烈の攻撃も伴う。
だが、彼女の攻撃は口ほどには鋭くなく、バルバドスにとって肩透かしもいいところであった。
(なんだコイツは。
弱い、遅い、分かりやすいの三拍子じゃないか。これが散々人を弄び、害を与え、呪道具を奪う女の力量なのか)
あまりに単調な四肢の動きは、バルバドスに観察の余裕さえ与えていた。
(本の世界に来た者は理想の姿が与えられる。容姿、能力、そして身体。それら全てを叶えてくれる世界だ。だからこそ、僕は彼女の攻撃を容易に躱しているのかもしれない。
いや、違うな。それは違う。それはあいつも同条件の筈で、ここまでの差は生まれるはずがない)
「攻撃魔法・閃光」
単調な戦闘に少しの刺激を加えようと、バルバドスは魔法の光を放った。
それは牽制の筈であったが、ヌンティウスはその光弾をもろに食らうと、地面を転がる。
(躱さないのか。本当に予想外だ。トロ過ぎんだけどマジで……)
前進砂まみれで睨むヌンティウスの姿にバルバドスは驚きを隠せない。もはや憐みの感情さえ湧いてくる。
(姿は聖職者、或いは魔導士。にもかかわらずこいつは魔法を使わない。この世界では勇者パーティーの魔法担当とは違った役割が与えられているのか。
いや、それを抜きにしても、こちらが魔法を使用しているのに、魔法で返さないのは不可解だ。これではまるで最初から魔法なんて知らないみたいな――)
「このぉーー!!」
冷静さを欠いたヌンティウスの右ストレート。バルバドスはそれを少しの動きで回避し、ローブの袖に覆われた彼女の細腕を掴むと、それを背にやり拘束した。
「ぐぐぐ……」
動きを封じられたヌンティウスは痛みと屈辱の声を上げ、拘束を逃れようと身体を捩る。だが、却って痛みを強くし、ついにはぐったりと身体の力を抜き、バルバドスと重力に委ねた。
「いくらでも勝ち誇るといいわ。どうせここから出れば全ては忘却の彼方。貴方の愉悦も、私の屈辱も――」
そこには忌むべき強敵、のらりくらりと逃げおおせてきたヌンティウスの姿は無かった。
「お前…… 本当にあのヌンティウスなのか? 肩透かしもいいところだ」
神出鬼没の怪人の体たらくに、バルバドスは疑問の言葉を投げかける。
「ふぅん…… 貴方よほど私にひどい目にあわされたみたいね。いい気味。
どうせ全て忘れちゃうんだし、話してあげるわ。
私は浅広き世界書の中では力を制限される。そういう存在なの。つまり、100%の力は出していない。ノーカウントなのよ! ノーカウント!」
「で? そういう存在ってどういう存在なんだ?」
見苦しい言い訳にしか聞こえないヌンティウスの言葉を鼻で笑い、バルバドスは彼女の拘束を強めると、耳元で囁くように言った。
「ぐっ……
残念だけど、そんなの話さないわ。私は軽い女じゃないの。それにもし貴方のタレントがこことで口にした事を外にまで持ち越すものであったら、愚の極みだもの。
でも、意味のない事だけど私をここまで追い詰めた貴方に一つ答えてあげるわ。ここでの私の目的は貴方の言う通り、貴方方魔界の幹部さんたちをここに誘い込む事。
という訳で、私の目的は既に達成されている。ヌンティウスちゃんの勝ちぃ」
自由を奪われながらも、ヌンティウスの減らず口は衰えない。その様子にバルバドスは完全に萎え、乱暴に冷たい砂に彼女を放ると汚いものを見るような目で見下した。
「勝利の余韻で涙目になっている所恐縮だが、これだけは再度聞いておかなくてはならない。お前はどうやってこの世界に入った? この世界がうたかたの夢ですぐに忘れてしまうものなら、これくらいは教えてくれてもいいだろう?」
優しい口調でバルバドスは口にするが、右手には光の玉を浮かべ、いつでも魔法で攻撃できる準備をしていた。
「ここでの目的を話したのだから、もう譲歩はしませーん」
ヌンティウスは砂から体を起こすと、その場に胡坐を掻き、手を大げさにふって答える事を拒否した。
そしてその瞬間、バルバドスの掌上の光は輝きを強くし、弾丸となってヌンティウスの組んだ足の手前に放たれる。
「きゃあ!!」
舞い上がる砂煙と鈍い音にヌンティウスは悲鳴を上げる。煙は一時彼女の身体を覆い隠すとすぐに風に流され、砂にまみれ、伏した彼女が残る。
「お前が言うように、僕は賢い人間じゃないからこういう手段しか思いつかないんだ。
けど魔法の授業では割と優等生でね。お前の身体に風穴を開けるなんて造作もないんだよ。次は右足か、それとも左足か」
「ヒィッ」
脅し文句と光を強くする白い球にヌンティウスは怖気づく。
「……簡単な事。貴方たちに私が視認されなかった。ただそれだけの事」
「視認?」
ヌンティウスの震える唇から放たれる言葉にバルバドスは神殿の最奥の間に着いた時の記憶を反芻する。
(僕らが入った時、最奥の間にあったものは石の土台と浅広き世界書
代々の守り人の名が刻まれた壁に不審な箇所は無く、高さはあるが、くびれたデザインの石の台座の後ろに人が隠れる余裕は無い。だとしたら――)
「光が通り抜けるステルスか、それとも影に同化したのか」
バルバドスがボソッと零した言葉にヌンティウスはクスクスと笑う。
「まぁ、どうでもいいか。それじゃあ、答えを教えてもらおう」
その様なヌンティウスの態度に少しイラっとし、バルバドスは脅しかけるように光球の輝きを強くして彼女の右足に視線を向けた。
「教えてなんてあげませーん」
不遜な態度を崩さぬヌンティウスにバルバドスは一種の敬意すら抱いた。そしてその態度に報いるべく、光の行先を彼女の右足太ももに設定し小さな声で詠唱する。
「では、少し痛みを受けてもらうとしよう」
その言葉と共に放たれた光の弾丸はふらりと立ち上がったヌンティウスの右太ももを貫通し、地面に着弾すると、彼女の叫び声と共に砂を舞い上げ、先程と同様に彼女の姿を覆い隠した。
「僕の趣味じゃないのですけどね。
次は左足を潰します」
砂煙の中にいるヌンティウスにバルバドスは冷たく言ったが、そのすぐ後何かがおかしい事に気が付いた。
風と重力に従順な砂はすぐに落ちた。だがそこにいる――いや、いたはずの女の姿が無い。
「消えた…… のか……」
月下の砂上には魔法によって抉れた穴だけが残され、人は愚か何かがそこにあった形跡すらない。
光球は確かにヌンティウスの右足を貫き、彼女の体勢を崩した。もはや走ることはおろか、歩く事すら叶わない筈にも拘らず、足跡すら残さずヌンティウスはいつものようにさらりと姿を消して見せたのだ。
「影に隠れるも、透明もハズレという訳か」
もし、透明になっても身についた砂によってその位置は可視化される。また、夜と言っても月明かりはしっかりと砂の大地を照らしており、少し距離のある位置に生えるオアシスの樹木以外に影は無く、影に潜れるタレントを有していたとしてもここでは意味がない。
「拙者も熱くなり過ぎたでござるな」
ヌンティウスを逃したという事実を前にバルバドスは反省した。そして前へ進んでいる仲間がいる北に目をやり申し訳なさそうに後頭部を掻いた。
「うりゃりゃりゃりゃ!!!」
「うひゃー 弱すぎんだけどマジでー」
一方北へと向かう勇者たちは道中現れた魔獣どもを狂ったように虐殺していた。
無害――有害、凶暴――おとなしい。その様な物は彼女たちにとって関係なく、力を揮えないストレスから解放された彼女たちの前に現れてしまった事、それだけが死する理由だった。
「やっぱりこうでなくっちゃねー」
魔獣の体液にまみれた拳を振り、それを落とすと、イルマはドロップアイテムのフラスコを拾い上げる。
フラスコの中にはいかにも怪しいと言った色の液体が入っており、イルマはそれをゆらゆらと揺らした後躊躇なく口に運んだ。
「ぷはー 生き返るぅ― って言ってもダメージなんて受けてないけどね」
見敵必殺たる怒涛の進軍は敵に攻撃の機会すら与えなかった。それ故に拾った回復薬等のアイテムはその本来の意味ではなく、清涼飲料水として彼女たちを癒していた。
「やっぱり緑色のは回復薬みたいですね」
ドロップするフラスコ入り液体は大体緑と青の二種類。明るく楽しい人体実験により緑が体力の回復、青色のが魔法力の回復である事が判明していた。
「じゃあ、あれは……」
だがその二種の薬品が手に入る前、勇者たちは赤い色の薬品を入手していた。つまり初めてのドロップアイテムは赤の薬だったわけだが、それに関しては治験数が乏しく、効果は判明していない。というか一度しかドロップしていない。
「…………」
そしてその液体が何処にあるかと言うと、ヴァサーゴの体内にあった。
最初に出現したモンスターは所謂スライム型という軟体生物であり、イルマの拳やバアルの剣では効果が薄く、結局ヴァサーゴが魔法によって焼却する事になった。彼女は戦利品としてそれを入手すると、イルマの勧めによって半ば強制的にそれを飲まされた。
「きっと魔法力回復薬でしょ」
イルマが適当に言ったこの言葉は後に間違いであったことが判明するが、これはいち早く魔法を使用したヴァサーゴへの労いの言葉であった。
かくして、ヴァサーゴの体内では赤の薬が巡り始める訳であるが、その効果は未だに発現せず、心配だけが募っていった。
「前進前進大ぜんしーん!!」
その様な少女の思いなど露知らず、バーサーカーと化した女格闘家は北へと先陣を切って驀進する。
そして彼女たちの前進を邪魔する哀れな魔獣たちを100程倒し、ようやくイルマに飽きが訪れたあたりで彼女たちの前に奇妙なものが現れる。
「あれは一体……」
まず、目に映るのは高級馬車。魔界の貴族たちが使うような煌びやかなものだ。
そしてその傍に侍るは埃一つも付着していないタキシードのオーク型魔獣二匹。
「とりあえず、抹殺!滅殺!大勝利ね!」
魔獣狩りのデザートとして二体の魔獣に目を付けると、拳を前にし、涎を垂らしてイルマは獣のように奴らに近づく。
「ようこそいらっしゃいました勇者御一行様。支配人がお待ちです」
流暢で丁寧な言葉。それがあろう事か目前のオークから放たれ、一行は少し動きを止める。
「お車をご用意いたしましたので、どうぞお乗りください」
(…………)
俺達が言葉を失っている間に、紳士オークは言葉を挟み、頭を下げる。
「はぁ…… はぁ…… どうする? 処す? 処す?」
イルマの殺意は迷子になり、目を泳がせながら俺にオークたちの処遇を問う。これではどちらが魔獣か分からない。
「あなたたちは一体?」
俺は野獣と化した仲間を制止すると、剣を収め、腰が低くも堂々とした魔獣たちに言葉をかけた。こんな事をしたのはうちのバカ犬に対して以来だ。
「これはこれは申し訳ありません。
私たち、MAOリゾートよりあなた方をお迎えに上がった者でございます」
「「「MAOリゾート……」」」
“MAOリゾート”その言葉を耳にし、俺達はAKIHAの既視感に襲われる。
「魔界の連中ってこんなネーミングセンスのやつばっかなの?」
冷静さを取り戻し、人に戻ったイルマが俺に問うが、俺にも分からない。たまたまじゃないかな。
「と、とりあえず車に乗るとしよう。敵の本拠地に連れて行ってくれるようだし好都合じゃないか」
「はい! そうしましょう!! 早く行きましょう!!」
車に乗る事を提案した俺にいち早く反応を示したのは、少し前までやたらと静かであったヴァサーゴであった。
「うう……」
そして彼女は腹を抱えて車にねじ込むと、外に手だけだして俺達を車に誘う。
「まぁ、変な気を起したらねじり潰せばいいしね」
首を振って肩を鳴らし、イルマはオークたちを睨みつけると、ヴァサーゴの手招きに従って車へと乗り込んだ。
そして俺も従う他なく勇者一行は最終ダンジョンに向け、都合よく得られた車輪の足を進ませたのだった。
その時、俺は知らなかった。
ヴァサーゴの体内に潜んだ赤き悪魔が、彼女の腸を刺激し、のたうつ凶暴な黒き蛇をそこに産み落としていた事に――
“ギュルルルルル……”
腹からこだまするその唸り声は彼女にしか聞こえない。この悪魔的苦痛を取り除く方法はただ一つ。その蛇を“排除”する事だけ。そう言われれば簡単に聞こえるが、その行為には“場所”が極めて大切だ。そこを誤ると人は積み上げてきたあらゆる尊厳を失う事になるのだ。
「ううう……」
車の振動さえも彼女を害する矛の一刺しとなる。まるで世界の全てが敵と化した様な孤独の中、彼女は耐えていた。
行く先の建物にあるであろう。あの場所を夢見て――




