4 闇の者達
魔界とは、47の国々が支配するグランディア大陸の裏に存在し、文字通り表の世界を裏から操る恐怖の王国だった。
そう、「だった」である。10年前、勇者一行によって地上に繋がる15か所の出入り口は封印され、謀略の糸は全て断ち切られてしまったのだ。そして、自動的に鎖国状態になった魔界は影響力を落とし、今や見る影もない。
だが、マレードは魔界の現状などに興味が無かった。「力が衰えたのであれば、俺の手で取り戻せばいい」と失敗したことが無い人間特有の楽観視を決め込んでいた。むしろ、彼が惹かれたのは、『魔界幹部』という言葉の響きと、その言葉の持つCOOLでDARKなイメージだった。
「遅かったわねアスタロト。もうみんな揃ってるわよ」
「すまないすまない。食事をとっていたら遅れてしまったよ。ははは」
栄光と夢への一本道の先にあったのは、二面に緞帳の様な幕がかかった舞台上のような空間だった。そこの真ん中に丸テーブルが置かれ、俺たちが来た時には、既に三人の者達がそこについていた。
「その人が新人ね。
私はエカテリーナ・フラウロス。よろしくね。カーチェとでも、女王様とでも好きに呼んで。
あと、もし私を不快にさせたら、例え同僚でも鞭を味あわせてあげるから、そのつもりで」
先程アスタロトさんに声をかけた女性が、そう言って手にした鞭を鳴らした。
年齢は若く、十代後半から、二十代の初めに見える。カールした金髪に何故か黒いボンテージ衣装を纏っている。
「俺はマレード・フォン・ガランド。
カーチェさんよろしく頼みます」
その異常な姿に動じることなく、俺は彼女に挨拶し、華麗に、まるでデッキから手札を抜くように名刺をケースから抜いて、それを手渡した。
「帝国宰相閣下ですか…… これはまた。権力のある方なのね」
カーチェさんは悪そうな顔で舌なめずりして、俺を見た後、たわわな胸の隙間から名刺を取り出し、人差し指と中指に挟んで俺に差し出した。
『サディスティック・クィーン』エカテリーナ・フラウロス
魔界 幹部Lv20 性別:女
TEL 121286-121240-00A
(実に、体を表す優れた二つ名だ。彼女には気を付ける事にしよう)
俺は、彼女との挨拶を終えると、現実では中々お目にかかれな瓶底丸眼鏡をかけ、ノートMCのキーボードをカタカタ叩く青年の元に向かった。そして、俺が挨拶する前に、こちらの顔を見る事無く、テーブルに置かれた名刺をこちらに差し出した。
『マニアック・マスター』ジレット・バルバドス
魔界 幹部Lv20 性別:男
TEL 7864―0930―00A
「俺に話しかけるな」オーラがムンムンなので、俺は言葉をかけず、彼と同様に名刺をテーブルに置いて、彼の元にスライドさせた。
(さて最後は……)
まだ挨拶を終えていない相手である小柄な少女に目を向けると、彼女は目線を左下に逸らした。よく見ると、彼女の手足に球体関節の様なものがある。
「……こいつは驚いた…… 生体人形か……」
俺が驚くのも無理もない。生体人形は存在数が極めて少なく、希少だ。アシスタントとして皇帝にこき使われている外務大臣に代わって様々な国々を巡った俺も初めて目にする。
「あの、俺はこういう者です」
俺は野生動物を前にした動物学者の如く、慎重に彼女に近づき、名刺を手渡した。
「あぁ、あ、あの、私は……
きゃっ!」
人形少女は黒いゴスロリ衣装から名刺ケースを取り出そうとしたが、それがレースに引っかかり、床に落としてしまった。
「すみません! すみません!」
混乱して、彼女は身を屈めて名刺ケースに手を伸ばした。その様子を俺は観察する。
(頭は人間と変わらない。表情は豊か。一体どうやって動いているのか? 触りたい)
「すみませんでした。これどうぞ…… その、ナナミと呼んでください。
どうかしました? ももも、もしかして私の顔変でしょうか?!」
彼女の声によって、自分が極めて危険な行動をしかけていた事に気付き、俺は深呼吸した後に、彼女の手元に手を伸ばす。
「そんなことないですよ。俺の事もマレードと呼んでください。では、名刺を頂きます」
俺に手にした名刺を渡そうと、彼女は椅子を傾け、身を乗り出した。しかし、その時!
「きゃ! わわわわっ!」
人形少女の軽さ所以か、彼女はバランスを崩し、俺の方に倒れこんできた。だが、俺は彼女の両手をこちらの両手で支え、彼女の危機を救った。エリートである俺はこういう時のエスコート術も完備しているのだ。
「あぁ、すみません! すみません!」
相手と手を合わせたまま少女は大げさに謝る。だが、俺はそれが耳に入らない程の違和感が手の先からのぼって来るのを、無視できなかった。
彼女の手が温かいのだ。生体人形は何らかの事情で、魂が人形に憑依するか、魂が発生する事で誕生すると聞く。それ故に、その体に熱は無いはずにも関わらず、彼女の良の手は血の巡りがあるかの如く温かいのだ。
「いえいえ、謝る事はありませんよ。怪我はないですか?」
俺は甘い言葉をかけながら、繋いだ手を離さず、少女の華奢な体を変態の如く目で舐める。
そして、気付いてしまった。彼女が非常にリアルな球体関節と、その陰影が描かれた手袋とストッキングを身に着けているにすぎない事を。
「…………ははははは」
「??…… は、ははははは?」
俺はとりあえず笑った。面白い事なんてなかったが、なんかそうしたい気分だった。そして、彼女もそれに合わせ、意味も分からず笑い返した。
「……では、拝見します」
彼女の干物の様に乾いた笑いが止むのを待って、俺は少し湿った彼女の名刺に目を通した。
『クソザコMチューバー』ナナミ・コンチネンタル
スータマ共和国 動画投稿者Lv20 性別:女
TEL 374374―3710―46A
あまりに残酷な二つ名がそこにあった。このようなものを課す神とやらは人間がよほど嫌いらしい。
因みにMチューバーとは、チューブを用いた変態行為に興じるマゾヒストの事ではなく、魔力素を用いたマジカルウェブ動画サービス大手Magitubeで動画を投稿する者達の事である。
「……ありがとうございます」
俺は腫れ物に触れぬように、それだけ言って彼女の元を離れようとしたが、ジャケットの縁から引き寄せる力を感じた。
「待って…… 下さい……
これ、桜月、九番目の日に配信するから観て下さい。お願いします」
ナナミと名乗る生体人形ではない少女が、俺に紙切れを手渡す。名刺ではなく、そこにはMチューブのアドレスと時刻、そして「桜月の九番目の日! 何かが起こる!」との煽り文句が書かれていた。
俺がその紙を受け取ると、彼女はジャケットを掴む手を離し、満足そうに微笑んだ。
彼女の名刺から分かるように、ナナミ・コンチネンタルは、ここにいる他の者と違い、魔界幹部ではない。だが、今日マレードと同様にその地位に就くことになっていた。
「顔合わせは済んだようだな」
突然、空気の振動が肌で感じるほどの男の声が、皆のいるこの部屋に響き渡った。そして、部屋の壁二面を覆っていた緞帳の片方が開き、その奥に黒いシルエットが映った。
黒く、威厳のある影に魔界幹部たちは膝を折り、頭を垂れる。そう、この者こそ、魔界の魔王なのである。マレードとナナミも幹部に続いて膝を折り、大いなる者の言葉を待った。