12 悩める成功者 Ⅱ
俺を除く四人の魔界幹部の内、異なる立場で俺の元に訪れたのは二人。色々あって顔を合わせる事になったのは一人。残った一人については魔界幹部としての顔しか俺は知らない。彼女もまた我々の様に二足の草鞋を履く者なのだろうか?
机上に置かれた紅茶とケーキを見ながら俺は魔界の同志の事をつらつらと考えていた。だって不思議じゃないか。俺達はまだ会って一年も経っていないのに、不思議な縁でこのような関係を持つだなんて。
「……ジレットさん。どうして今日は俺に会いに来たのですか? 顔を合わせるのなら闇のネットワークでもいいはずなのに」
マレードは自分と同じように紅茶とケーキに手を付ける事無く、ただ見つめるだけの来訪者に目的を問うた。
「ああ、すみません。ボーとしちゃって……
コホン、僕がここに来た、いや、マレードさんに会いに来た理由は三つです。一つは先回ネットワークにてアスタロトさんが話した内容の補完の為です」
「補完? ああ、確かに喋りたがりのアスタロトさんにしては内容が穴だらけだった気がします」
「ええ。弟さんが“あんなこと”になったのが気がかりだったのでしょう。魔王様も娘さんの事で頭がいっぱいで、もはや魔界は機能が麻痺していると言っても過言では無いのが実情です」
本来であれば、魔王が利益追求の為の指示を幹部たちに下し、そして彼らはその為に行動するのだろう。だが、魔王にその気力は無い。
「では、本題に入りましょう。
まずは、アスタロトさんが話したがらなかった弟さんグルンガルドについてです。彼がミレーヌ姫の守護騎士であったという事はアスタロトさんが話しましたが、それ以上の事は過去の負い目に関係するという事ではぐらかしていました。
マレードさんは彼の過去についてご存知ですよね?」
「はい。かつて魔界を捨ててラージロープ商国に行ったというのは、テーマパークを作る際にご尽力いただいた折話して下さいました」
アスタロトさんの過去。魔界に愛想をつかして表の世界に逃げて行ったというあの話だろう。
「ええ。彼はかつて魔界を捨てました。家族や責任も置いて……」
「家族? 責任?」
「そうです。姫の守護騎士という大役は代々魔界の名家たるアスタロト家長子の役目。そして、彼は沈みゆく国と家の救世主として嘱望されてきました。だけど彼は……」
「逃げてしまった……」
期待とは枷。その重さに耐える事が出来ず、放り出して逃げてしまったというのは分からない話ではない。それと共に、期待を向けていた者達の失望感も想像に難くない。
「はい。そしてその責任は次男であるグルンガルドに全てのしかかった」
なるほど、アスタロトさんがこの話をしたがらなかった理由が何となく分かった。彼と家族の関係は単純なものでは無いようだ。
「この話はここまでにしましょう。これ以上は僕の口から言う事ではありません」
ジレットは話を一方的に終わらせると、余計な事を言わぬように口に少しの紅茶を含んだ。そしてケーキには一切手を付けず、アスタロトの尻拭いを続ける。
「次に魔界の姫、そして現勇者ミレーヌについて。
彼女が見せた宙を縦横無尽に動き、イカロスの残骸をいとも簡単に持ち上げ、放り投げた力。もうお察しの事と思いますが、これらはあの方の持つタレントの力です」
翼も推進力もなしに宙を舞い、まるで重さなどが無いかの様に自分の体も物も扱う力。それは即ち……
「――重力に関する力」
「ふふふ。流石ですねマレードさん。そう、姫のタレントは重力軽減。物を浮かせる能力です」
彼女の前には大男も鋼鉄の兵器も風船みたいなものという訳か。まさに勇者にふさわしい強力なタレントであると称えると共に、魔界に身を置く者として脅威を感じる。
「“きわめて強力なタレント。さて、どう対応するか”そう思っている様な顔をされていますね」
図星を突かれて目を見開くマレードをジレットは嬉しそうな顔で微笑む。
「でも、あのタレントには性質上不可避な欠陥があるのです。
その欠陥故に魔界では彼女のタレントの発動を厳しく制限させていました。
つまり、あの力は彼女の肉体に大きな負荷がかかるのです」
「負荷ですか?」
「重力を操る事に体が順応できないが故の負荷です。
ミレーヌ姫のタレント発現は極めて早く、幼少より児戯の中でその力を行使してきました。そしてそれは知らずの内に彼女の肉体を蝕んでいたのです。
そして八歳の誕生日にタレントの副作用は目に見える形で現れた。彼女の筋骨はタレント無しでは歩行が困難なほど弱っていたのです」
タレントを“神が与えたもうた無他の才能”とはよく言ったものだ。最低でもタレントを与えた神とやらは決して人を無償に愛してくれているわけではなく、意地悪で時に残酷だ。
「タレントというのは中々に制御が出来ないもので、常に行使し続ける事は難しい。魔界の者達はミレーヌ姫の将来を案じ、タレントを使わせないよう厳しく彼女を監視しながらリハビリテーションを行い、その甲斐あって何とか日常生活に支障がない程度に回復しました。
まぁ、そんな事がありまして、魔王様は姫のタレントに対して神経質になりまして。監視は彼女が家出をするまで継続していたようです。因みに、その監視を請け負っていたのが守護騎士であるグルンガルドでして…… とまぁ、そんなこんなあって、魔王様は娘の捜索に全てを注ぎ込み、政治に明るくない魔妃様が国家運営を任されているのが、現魔界が機能不全になっている最たる理由です」
魔王は為政者としては落第点だが、娘に対して行った行動は悪ではなく、親の愛そのものであったが、ミレーヌ姫にとっては自由を妨げるお節介以外の何物でもないのだろう。
「きっと貴方は魔界らしい仕事を求めていらっしゃったのだと思いますが、これが魔界の現状です。失望されたでしょう?」
確かに俺が思っていた魔界像は「魔王が幹部に命令を下し、地上にないあの手この手で陰謀を巡らせるというCOOLでDARKなもの」だった。だが同時に魔界の弱体化は外から見ても明白であり、俺の想像が理想像に過ぎないというのは理解していた。
「いえ、全く失望はしていませんよ」
その言葉は偽りでも世辞でもない。俺はむしろこの状況にやりがいを感じている。天才の力をもってすれば、傾いた組織を持ち直す事は決して不可能では無いと信じているのだ。
「そうですか。そうでなくては」
「そうでなくては?」
ジレットが発した言葉に引っかかりを感じたマレードはその言葉の意味を求めて、言葉を彼に返した。
「ああ、それについては僕がここに来た第二の目的に関係があります。
アスタロトさんが“とっておきの御都合手段”があると言っていたのを覚えていますか?」
「ええ、もちろん」
マレードはあの意味深な言葉が気になって最初は仕事が手に付かなかった。ついにその話が聞けると思うとマレードは興奮し、身を乗り出してジレットの次の言葉を待った。
「“とっておきの御都合手段”…… わざわざ隠す必要も無いのですが魔界が誇る呪道具 質問板の事です」
「呪道具……」
「マレードさんは不思議に思った事が無いですか? “勇者が行く先々で魔界の者が罠を張っていたり、都合よく彼らが求めていたものを先んじて簒奪したりできるのは何故なのだろう”と」
正直俺はそれを不思議には思わなかった。古今東西の英雄譚において、突然と立ち塞がる強敵を打ち破るというのは“そういうお約束”としか思っていなかった。
「魔界の者が都合の良い時、都合の良い場所で現れる事が出来たのには二つの理由がありました。
一つは魔界の極めて特殊な地理事情です」
それは俺も理解できる。魔界とは表の大陸の裏に存在するが、国土面積はイコールではない。大陸最大の国家である汎ホクトよりも小さく、魔界について記された書物によると我が国の二倍程度の大きさだという事だそうだ。そしてその国土に十数の表世界の各地と繋がるゲートが存在する。つまり、次元のズレが表と裏の間に存在するという訳だ。魔界の一歩は大陸の十数歩に匹敵する。
「二つ目は呪道具 質問板によるものです。この呪道具の効力は精霊を召集し、自分たちが取るべき最良の行動を聞き出すというもので、魔界人は情報収集の過程を飛ばして次なる目的地、行動を把握できたのです」
「はえ~。凄いですね」
あまりのチートアイテムにそれしか言葉が出ない。我が国の呪道具も中々の能力だと思っていたが、魔界のそれとは雲泥の差がある。
「ですが、そんなものがあるのに何故……」
同時に当然の疑問がわく。よりよい未来を選択する事が出来るというチートを持ちながら、何故魔界は今の体たらくなのだという疑問だ。
「ええ。それはつまり、強い力にはそれなりのコストが必要という事です」
「コストというのは魔力の充填に時間が掛かるという事ですか?」
「ええ、それもありますが、もっと重要なものが必要なのです」
勿体ぶるようにジレットはそこで言葉を止めて身を乗り出した。
「“お金”です」
右手の親指と人差し指で円を作り、ジレットは価値の代替物。人間社会をヘモグロビンの様に駆け巡るアレの名前を口にした。
「うぇ? 金!?」
マレードが奇声を出したのも無理もない。お金とは意思のある人間が事物の対価として用いるものだ。そしてそれは更に別の人間に渡る事で経済の歯車は動き出す。だが、ここでの相手は呪道具という“物”に過ぎず、仮に精霊とやらが金銭を欲したところで彼らは何にそれを用いるのだろうか。それは実に滑稽な話だ。
「そう金です。しかもツケも分割もありません。
その上、この呪道具は中々に嫌らしく、投じた金額によって告げる事の質と程度が変わるのです。
末期の魔界の財政は徐々に苦しくなり、質問板の出す指示も適当なものになったので、最終的にこの有様という訳です。まぁ、国土が蹂躙されたり、主権が奪われたりしなかったのは質問板のお陰かもしれませんが」
そこで話を一旦止めると、ついにジレットはケーキにフォークを突いた。あのケーキを前にしてここまでそれを口にしなかったのは彼が初めてである。
「ああ、これ美味しいですね。メンバーにも食べさせたいな」
「我が国自慢の『アンリーゼ』のケーキです。どんどん紹介してください」
マレードは祖国の宣伝を怠らない。『アンリーゼ』のケーキには確かな魅力があり、観光資源になり得る。
「ええ、ブログで紹介させて頂きますね。
さて、一休み置いたところで本題に入りましょう。今回僕がここに来たのは質問板が“そうせよ”と告げたからです」
「質問板が告げたのはそれだけですか?」
「ええ。“魔界幹部が一人、ジレット・バルバドスをジーマ帝国宰相マレード・フォン・ガランドと接触させよ”というのが質問板が告げた内容です」
「ええ……」
本当にざっくりだ。質問板は「何故」「どうして」は告げない。それは質問板の性格が故か、それともお布施が足りなかったのか。
「ですが、まぁ、僕としては質問板が無くてもここに来るつもりだったのですけどね」
そう言って紅茶を口にするさまは正に王子様。俺も容姿に自信があるが彼の放つ美のオーラの前にはくすんでしまう。
「それで、なぜここに?」
飲まれてしまいそうなスマイルから目を逸らして、俺は何故か赤面しながら話を続けさせた。
「ははは。それは貴方が僕と共通の敵を持っているからですよ」
ジレットは慈愛の目を鋭い目に変え、優しい口元を人を誅す厳しい物に変えてそう言った。
「共通の敵?」
「魔界幹部ジレット・バルバドスとマレード・バアルとしてではなく、ジレット・B・エアウェイとマレード・フォン・ガランドの敵」
敵という言葉が怖いほど鋭い。その冷たい切っ先が俺の心を突くと、思わず身震いする。そして、彼の言葉が布にしみこむ様に俺の心に浸透していき、その敵に対して殺意の様な感情を沸騰させる。
「まさか……」
殺意が心を巡る中で、俺にも敵という物に辿り着く。そして、その敵とやらは確かに、ジレットさんとの間で一方的であるが情報を共有していた。
「そうです。人の心を惑わし堕落させる女――ヌンティウス・デイ。僕はあの女を倒すがためにここに来たのです」
「なぜあの女が。まさかここに!!」
スータマで邂逅したまるで幼い少女の様に無邪気な表情を浮かべる成人女性の姿がマレードの頭に浮かぶ。彼女が最も度し難いのはその目的が不明な事で、何をしでかすか見当もつかず、対応のしようがないのである。
それ故に、俺は驚きと共に敵の情報が得られるという喜びももってジレットさんの言葉を迎えた。
「ええ。……僕の友人と共にあの女がジーマに入国した可能性はありますね」
“友人”という言葉を発した時の悲しそうな表情と“雰囲気”に俺は何となく彼の心を察した。
「……ご友人を助けたいのですね」
ジレットは静かに頷き、感情を押し込めるようにカップに入った紅茶を飲み干した。
「ええ、ですがこの件はそれだけに留まりません。この事は間接的に魔界の存亡にも関わっています」
「それは一体……」
全く驚かされてばかりだ。あの女の一挙手一投足で一つの社会組織が滅亡させられるなんてたまったものでは無い。
「闇のネットワークでアスタロトさんが言っていたようにフォーゲルヤクトでの一件の責任を魔界にすり替えようとする動きは大国間で淡々と進められております。今まだ大きな動きを見せていないのは彼らがある事を隠しているからです」
小国の政治指導者如きが知る由もない事をトップアイドルがつらつらと述べるのを、マレードはただ黙って聞いていた。意見を挿むにも、その事自体を知らないのだからただ聞く他ないのである。
「インゼルプルゼェルの国内でもう一機のイカロスが発見されたのはご存知ですよね?」
「ええ。そのためにインゼルプルゼェルもフォーゲルヤクトと並んで連合軍の占領下にあります。実は連合軍の工作員がインゼルプルゼェルの格納庫に潜入した際、イカロスと共に発見したモノがあるのです」
「それは……」
無駄に勿体着けるジレットにマレードは鋭い目を向けて続きを急かした。
「国宝メビウスの輪です」
「メビウスの輪…… 確か、ラージロープが保有している呪道具ですよね?」
呪道具メビウスの輪。転送の力を持つ二重螺旋の輪。目標値の映像を強く思い浮かべ、輪に物を入れるとそこに転送されるという秘宝だ。
「その通りです。本来であればラージロープの宝物庫にあるべきものがそこにあり、しかも利用されていた。これはラージロープの責任問題になる」
「“利用されていた”とはどういうことですか?」
ジレットの話にマレードはゾクゾクするような闇の深さを感じる。
「メビウスの輪はイカロス下部の主砲の先に設置され、目標点はフォーゲルヤクト国内デューナ油田。メビウスの輪はその投射距離に比例し内部に続くワームホールの距離が長くなり、イカロスの主砲の火力も減殺されたが戦争の狼煙を上げるには十分だった。つまりあの諍いの発端はインゼルプルゼェルにあったという事です」
にわかには信じられない話だ。彼の話には証明するものが何もない。
「しかし、どうして貴方がそんな事を知っていたのですか? この話が事実ならインゼルプルゼェルは……」
インゼルプルゼェルはイカロスを国際管理の元から持ち出しただけに留まらず、他国の秘宝も奪った事になる。インゼルプルゼェルが取らなくてはいけない責任は想像すらできない。
「私にはそう言った事を知りうる能力と立場があるという事はマレードさんも御存じでしょう。
そしてこの話には続きがあります。とりあえずこれを見て下さい」
そう言うとジレットは持ってきた黒い鞄から愛用のMCを取り出し、大陸図を表示させるとマレードに見せた。
大陸の一部の国には赤色で塗りつぶされているのに加え、チェックマークが付けられている。そして、ジーマ帝国だけが色付けされておらず、チェックマークだけが地図の上に書き込まれていた。
「これは?」
どういった基準でそれらの“印”が付けられているの皆目見当つかず、マレードはこの地図の意味をジレットに問う。
「赤色に塗りつぶされているのは、僕が知る限りで国宝である呪道具が何らかの形で失われた国です」
「え? そんな事が!!」
マレードは立ち上がり、声をあげた。赤で染められた国の中にはラージロープ以外にもトキオやキトも含む15ヵ国もの国があったのである。呪道具はそれ自体が大きな力を持ち、物によっては危機的な状況を生み出しかねないものもある。これが真実ならこれらの国々の危機管理が問われる事になる。
「信じる事が出来ないのは当然でしょう。僕だって信じたくない」
「はははは……」
乾いた笑いと共に脱力し、マレードは音を立てて椅子に腰を落とした。そして、それと共に記された謎のチェックマークに目を向け、それがこの国にも付けられている事に不安が溢れる。
「そして、それにリンクするようなこのチェックマークは“ワンワールド”が公演、或いは公演予定の国に付けられたもの。
お恥ずかしい話ですが、我々の中に呪道具に絡んだ者がいる。そして、僕はそれが誰か知っている。
僕の親友にして、恩人――マルク・エスセブです」
「エスセブ…… ワンワールドのカリスマプロデューサー……」
そして話は諸悪の根源たる女へとつながる。
「マルク・エスセブはあの女、ヌンティウス・デイに乗せられ、呪道具収集の片棒を担がされている。
ですからジーマにある呪道具も宝物庫ではなく安全な場所に移して下さい」
我が国の呪道具を心配してくれるのは有難いのだが、今その国宝は宝物庫にない。悲しい事に今も姫のアクセサリー兼、漬物石としての役目を守っているのだろう。
「それは大丈夫です。こんな事もあろうかと呪道具は誰も知り得ぬ場所に移してあります」
「こんな事もあろうかと」の部分以外は嘘ではない。我が国の秘宝たる漬物石は通常の人間が想像もしない場所に保管されている。
「流石ですね。貴方には先を読む力がお有りの様だ。
コホンっ。それでは話を戻させて頂きます。先ほど魔界の危機と申し上げましたが、魔界に掛かる疑惑を解消するには、何者がインゼルプルゼェルとフォーゲルヤクトの件に絡んでいたかを公にする事が最も効果的かと思います」
「それは、ヌンティウスを、彼女の悪行を白昼の下に晒すという事ですか。
確かに、魔界がいくら自分の無実を唱えても信じる者はいないでしょうし、大国を止める力はない」
「ええ、トキオを始めとする大国は強大です。ですがそれらには一つ大きなボトルネックがあります。それが先に述べた“呪道具を失った”という事実です。そして彼らは魔界が主犯である可能性は薄いと分かっていても、もし、“魔界が呪道具を奪ったという疑いが本当なら自分たちの危機管理の脆弱さ故に魔界に大きな力を与えてしまった”という最悪の可能性に縛られ、直接的な行動が取れずにいます。いわばシュレディンガーの魔界ですね。
だからこそ、彼らが二の足を踏んでいる間に手を打たなくてはならない。先ほど貴方は白昼の下と仰いましたが、それはむしろ危険で、大国の面に泥を塗ることなく、ヌンティウスの正体を知らしめなくてはなりません」
ジレットさんが言うプランは極めて難しいものだ。ひょうひょうとしている所在不明の女を捕まえる上に彼女が紛争に関与した事を暴き、且つ、それを一般に知られる事無く大国上層部にリークする。まるで鎖に縛られたパズルを解くみたいだ。
「難しい事なのは承知しています。ですがこれが我々の取れる最良の手段なのです。それに、大国へ知らせる手段は既に考えています。
協力、していただけますか?」
「…………」
正直に言うとジレットさんの言う事は疑わしい。彼は一方的に話すだけで明確な根拠があるわけではない。だからといって同胞にタレントを使うのも躊躇われる。
「ジレットさん。貴方の話を信じていいのですか? 俺にはそれが事実か知るすべがありません」
悔しい。大国間が情報をやり取りしている中で蚊帳の外に置かれるというのは、我が国が小国故と分かっていても悔しさという感情は隠せない。
「僕もそれを証明する事は出来ませんが、僕が嘘をついていないという事は証明できます。
僕は貴方のタレントがいかなるものか分かっていてここに来ました。それは貴方の前では嘘をついても無駄という事を分かっているという事です。もし、お疑いならば、私の思考を覗いてください!!」
役者のように手を心臓に当て、ジレットはマレードに言葉をぶつけた。その語勢に圧倒されながらも、マレードは言葉をなかなか出せない。なぜなら、彼は最初からジレットの事を疑ってはいなかったからで、話の途中で彼が闇のネットワークではなく、ここに直接会いに来た理由を察していたのである。
それでなお言葉を出さないのは、ジレットの話した事が、ただ彼が信じているだけで勘違いや妄想であるという疑いは依然あるためで、簡単には回答できないでいたのである。
「……少し時間を下さいませんか?」
そして最終的にマレードが回答したのはモラトリアムの要求であった。
「もちろんです。僕も突然こんな事を……申し訳ありません」
マレードの呟きの様な回答にジレットも冷静になり、語勢を弱めて優しくそう言った。
「そういえば、ジレットさん先の話の初めに“そうでなくては”って仰っていましたね。あれはいったいどういう意味でしょうか?」
ジレットの口から出た“いかにも意味があります”と違和感を醸し出している言葉について彼はまだ口にしていない。
「ああ、それは、マレードさんが“選ばれた人”であるかもしれないっという意味ですよ」
「選ばれた? 誰にです?」
「それは勿論呪道具 質問板にです。
魔界が封印される直前に質問板は告げた。“新暦1021、新たなる仲間を受け入れよ”とね。そしてその年に来たのが貴方とナナミさんでした。だから魔界は貴方たちに期待しているのですよ」
「は、はぁ……」
毎年願書を出しても音沙汰無いのに今年突然反応が来た裏にはこういう事があったのか。だが、銭ゲバ呪道具の言う者が俺であると確定したわけではない。勿論、ナナミさんである可能性もあるし、残された数か月の間に来るニューカマーかもしれない。しかしながら、魔界を救う者という意味ならそれが俺であるという自信はある。
区切りがついたところで、マレードは空になったジレットのカップにポットから茶を注ぎ、多少の漫談や公演について話しながらケーキをつついた。
そして、話は終わり――ではない。
彼は最初にここに来た理由が三つあると言った。一つ目は闇のネットワークでアスタロトさんが話した事の補完。二つ目はヌンティウスと呪道具、そして魔界の話。三つ目が漫談なわけがなく、未だジレットさんの口から語られていない。
「そう言えば、ここに来た三つ目の理由はなんです? まだ話していませんよね?」
その事を思い出したマレードはケーキを完食し、多幸感にあふれるジレットにそう質問した。
「三つ目の理由。時間的理由からこれが最も重要かもしれません」
ジレットはマレードの問いに対し、目を鋭くし、真剣な面持ちで言葉を返した。それに対し、マレードはクリーム混じりの唾をゴクリと飲み込み、姿勢を正す。ここまでヘビーな話を聞かされ、それより重要だというのだから身が固まる思いだったのだ。
「明日。ジーマ帝国マーバス、サンヨー堂書店で重要なイベントが開かれるのです」
「そ、それは一体……」
テロでも起きるのか? それとも、ヌンティウスとその仲間たちの密談でもあるというのか? マレードは少しの恐怖を感じつつジレットの言葉を待った。
「大陸中で大人気の名作漫画『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』の作者であられる“じゃん☆こうた先生”のサイン会が開催されるのです!!!」
「……へ?」
ジレットが異様に早口で言ったものだからうまく聞き取れなかったというだけではなく、マレードの脳がそこに出た単語を認知する事を拒否したため、マレードの反応は少し遅れた。
「もう一度言いますね。大陸中で大人気の名作漫画『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』の作者であられる“じゃん☆こうた先生”のサイン会が開催されるのですぅぅぅぅ!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
二度目の禁則ワードにマレードの脳は耐えられず、彼は発狂に近い叫びをあげた。
「いや、本当に素晴らしい事ですよ。かの有名なじゃん☆こうた先生がいるだなんて、それだけでジーマは文化大国ですわ。もう、国宝ですね。人間国宝☆ ジーマは怖い国ですね。こんなに恐ろしいソフトパワーを持っていたなんて。ワンワールドが人気という側面で怖いという相手がいるとしたらじゃん☆こうた先生ですわ。彼の才能には全く頭が下がる思いで。あー、本当に僕は幸運だ。超倍率のサイン券に当選するなんてぇ~ 『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』なんて何回読んだ事か――」
過呼吸でぜぇぜぇ言っているマレードを無視し、ジレットは早口でじゃん☆こうた先生について語る。そしてただ一度の「噛み」も無く、過多の情報を垂れ流すさまは、彼の容姿も含めてオペラの様だ。
「あー楽しみだなぁ~
ああ、現地でケルベロスさんとも落ち合う予定なので。二人で行ってきますね~」
「……俺も行こう」
「え? 変装道具もしっかり持ってきていますし心配無用ですよ。ああ~」
機械の様なマレードの言葉にジレットはサムズアップし準備が整っているという事を述べると共に、この日を一日千秋の思いで待っていたと甘い声をあげた。
「俺も行く。これは決定事項だ」
「なんだぁー マレードさんもじゃん☆こうた先生のファンだったんですね。でもサイン券が無いと入れませんよ」
極めて不快な言葉の暴力を受けたが、マレードは表情を変えない。彼の心は「自分の主」に対する言いようの無い感情に支配されていたのだ。
宰相は激怒した。必ず、かの責任放棄漫画家の皇帝に諫言しなければならないと決意した。宰相には漫画は分からぬ。宰相は純粋培養の宰相である。政治だけを学び、外界を遮断してきた。けれども魔ンガに対しては、人一倍敏感であった。
明日未明、宰相は邸宅を出発し――




