11 悩める成功者 Ⅰ
「ふわぁぁぁぁぁあ……」
ジーマ帝国の政治の根幹たる宰相府。さらにその中心たる執務室に大欠伸がこだまする。だが、声の主は部屋の主である宰相ではない。
「アンナくーん。寝るのなら仮眠室に行ったら?」
客人と懇談する為の革張りソファーの上に横になるスーツ姿の女性――宰相秘書サラ・アンナが周りを気怠くさせる欠伸の発生源であった。
「いえ、お気遣いなく。このソファー適度にひんやりして心地が良いので」
勿論、宰相マレード・フォン・ガランドは気遣いで彼女に仮眠室に行く事を勧めたわけではない。ソファーからはみ出る足と、定期的に鳴る欠伸や寝息の音が彼の仕事を阻害しているのである。
「そうか。でも、必要になったらちゃんと起きてね」
「ふぁーい」
解雇事由になりかねないアンナの態度であるが、マレードは彼女を咎める事は無い。
彼は彼女と共に過ごしてきた数年で、その“性格”あるいは“体質”と言うべきものを理解していた。つまり、彼女の能力発揮には月とスッポンレベルの極端な波があり、ソファー打ち揚げられてひっくり返っているスッポンを動かした所で役に立たないと考えていたのである。
(だが、このスッポン。実に傍若無人、自由奔放である)
採用した弱みもあるが、マレードが彼女に強く出る事が出来ないのはスータマ滞在時に撮られた例の動画がによる部分が大きい。
シチュエーションはどうあれ、宰相と皇女を揶揄したあの忌まわしき魔書と共に映った映像が公開されれば面白くない世間の反応が予想される。それを回避できるのならやるに越した事はない。
「すぅ……」
未婚の男のいる部屋で無防備に仰向けに眠る女に呆れつつ、マレードはだらしなくへそを晒した腹の上に薄いブランケットをかけた。そして、足音を立てずに持ち場に戻ると、羽ペンを手にして作業を再開した。
「…………」
安寧を象徴するような鳥の囀り、遠くに聞こえる雑踏の騒めき、仕事に励む職員達の足音、そして頼れる秘書の寝息。先日の「氷の女王」襲来の騒ぎと打って変わってなんと平和な事か。
アンナの事も思ったほど邪魔にはならず、マレードはリラックスした状態で筆を走らせる。記すは宰相生誕祭の祭事の内容についての案や細かいスケジュール。かつては筆を紙に乗せるたびに宰相生誕祭の言葉が目に入り吐き気を催したが、今では流石に慣れ、国と国民に寄与するものだと思えばむしろモチベーションも上がる。
思わず、鼻歌まで混じらせるご機嫌な宰相。だが、今、この時、彼の安寧を崩すものがこの宰相府庁舎に迫っていた。
声の大きさを増す雑踏の騒めき。小鳥の声を遮るほどにそれが大きくなると、流石に宰相も異変を感じたが、モチベが乗った筆を止めるのを嫌がり、優秀な宰相府職員達に任せる事にした。
しかし彼はそれが職員達の手に負えるものでは無い事を知らない。彼の安寧を崩すものはまたしても招かれざる客であったが、それが恐怖や面倒を与えるものでは無く、むしろ興味深いものを運んでくれることは更に知る由もない。
――少し前、宰相府庁舎エントランスホール。
招かれざる客は金髪を煌めかせ、大きな眼鏡を外すと、立ち入りを阻止しようと近づいた職員たちに魅惑の笑顔を見せた。
「あ、あ、貴方様は!!」
部外者の笑顔にそこにいた職員たちは顔を赤らめ、思わず口に手を当てる。感激のあまり涙を流す者もいれば、彼に謎の祈りを捧げる者、失神する者もいた。
先日は華麗にレベッカを追い返した女性職員も彼の存在に圧倒し、要件を聞く口が痙攣したように震えて言葉が出ない。
「突然に申し訳ありません。ジーマ帝国宰相マレード・フォン・ガランド様にお目通り頂きたいのですが?」
男は女性職員の唇の震えを止めるように細い指を彼女の口先に当てると、自ら目的を伝えた。
「で、ですが、アポイントメントをとられていない方を…… その……」
たどたどしくそう口にしながら、女性職員は男の顔を直視できない。もし、彼の顔を見て話す様なら、思わず彼の言う事を聞いてしまいそうだったからだ。
「そうですね。では、僕が来た事を閣下にお伝え頂けないでしょうか? そうすればきっとすぐにお会いして頂けると思いますよ。
“ワンワールドのシュウが宰相閣下に会いに来た。いかがしますか?”とね」
“ワンワールドのシュウ”その名を知らないものはド田舎ジーマ帝国であっても極めて少ない。マレードのような世間知らずか、そういうものに一切の興味を持たない彼の秘書くらいだ。
「いくら、シュウ様といっても……」
顔を逸らし、必死に職務を全うしようとする女性職員であるが、シュウは彼女の顔が向く方へ先回りし、魅惑のウィスパーヴォイスで「そこを何とかお願いします」と言葉をかけた。
「はぁぁあ!」
絶頂に近い感覚が女性職員の身体を駆け巡る。もはや抗う事は叶わない。それは彼女が“女”であるからではなく、相手がショウであるからであった。
「で、でしたらアレを…… アレを見せて下さい!!」
「アレ? ああ、アレですね。勿論いいですよ」
彼女の要求はシュウがファンに行う有名なサービスだ。
シュウは左腕の袖をまくり上げると、細いながらも引き締まった二の腕を露出させる。その姿は周囲の人々を静まらせ、期待の感情を集中させる。
「僕の二の腕、揉むかい?」
シュウが放った一言で、スタングレネードが投げ込まれたかの如く周りの人間の半数が気を失った。残った者達も、感動で顔の紅潮を禁じ得ず、神と遭遇した修行僧のように膝をついて脱力した。
「それではレディ。宰相閣下にお伝えください」
「ふぁい。わかりましたぁ」
女性職員は浮ついた返事を返し、生まれたての小鹿のように覚束ない足を引きづるように宰相のいる執務室へ向かう。この空間においてシュウはまさに支配者だった。
「さいしょうかっかぁ~ おきゃくさまが~」
酒乱状態の如き状態異常を受けた受付の女性は、その調子のまま執務室の前でこの施設のボスがいる部屋の扉前で甘い声を立てる。
「え? 何? お客様?」
その声色が普通では無いというのは明確で、マレードは頭上に【?】マークを浮かべつつ、一抹の不安を胸に夢の住人と化した秘書に代わって扉に向かう。
「お客様とはどなたです? 本日、その様な予定はないはずですが」
扉を開けず、女性の姿を見る事無く、マレードはそう問いかけた。扉越しであるにもかかわらず、生温い惚けた空気がぬるりと彼の肌を伝ってくる。
「シュウさまですぅ~ ワンワールドのシュウさまがいらっしゃいましたぁ~ キャー」
“シュウ”その名を聞いてマレードはしばし固まった。というのは、ワンワールドのジーマ公演は公にされていない事であり、シュウの来国が広まるとパニックになりかねないという不安が脳内に広がったからだ。
「分かった。すぐに応接室にお連れしてくれ。
それと、彼の事はくれぐれも口外しないように。職員全体に伝達を!」
とにかく火消しだ。何の目的か分からないが、シュウをこのままにしておくわけにはいかない。
「はーいっ。お呼びしてきますねぇ~」
「本当に大丈夫だろうか?」と思わず口に出してしまう程の女性職員の頼りない返事。マレードは吐きだす様に息を排出した後、準備をしてから応接室へ一人で向かった。
(しかし。何と恐ろしいシュウのカリスマ力よ……)
有能な職員を骨抜きにしたのは明らかにシュウだ。確かに、彼を見ていると心が浮ついた感じになる。俺もトキオで彼らのパフォーマンスを見た時、心が溶かされるような体験をした。だからこそ、彼との対話は心して挑まねばならない。
俺は拳に力を込め、歩みを進めながら明鏡止水に近づこうと努めた。
“コンコンコン”
応接室の扉を叩いたが返事はない。宰相であり、この建物の主であるマレードが戸を叩くのは不思議な感じであるが、それは彼の緊張の表れであった。
自分が最初の訪問者である事を確認すると、マレードは定位置であるソファーの中心部分に腰を落ち着かせ、シュウについて思いを巡らせる。
だが、マレードが彼と空間を同じくしたのはたった一度。魅力のある国ランキング発表の会場においてだけで、しかもこちらは多数の中の一人に過ぎなかった。スーパースターの彼が自ら会いに来るというのは何故なのか。それが最初に彼の頭に浮かぶ。
前に来たプロデューサーも口先では色々言っていたが、ジーマに対するリスペクトは感じられなかった。恐らく、シュウは彼からこの国について良い印象は受けてはいない。
「さ、ししょうさまーん。し、シュウさまをおつれしましたぁ~」
(誰が師匠だ)
考えを払い抜けるように、戸の外から惚けた声が聞こえ、マレードはただ一言「どうぞ」とだけ返して、襟を整えた。
(わっ……)
まるで春を告げる温かい風が吹くかのように、美しき青年は姿を現した。中性的な美しさがあったかつてのジーノ・フォン・カタルとは違った、男性的美しさを振り撒くシュウ
の姿にマレードも思わず感嘆の声が出そうになる。
「良くいらしてくれた。どうぞこちらに」
「突然の訪問失礼いたします。僕は……」
「いえ、存じております。世界的アーティストグループ『ワンワールド』。そのメインボーカルを務められておられるシュウさん……とお呼びすればよろしいでしょうか?」
わざわざ名乗って頂くまでも無い。世界的には俺なんかより名が知られた超大物だし。
「……ではシュウとお呼びください閣下」
少し間を空けた後にシュウは答え、マレードの手の動きに応じてソファーに座った。
座する二人の間には皿の一つも置かれていない無駄に大きいテーブル。突然の来客に茶だの菓子だのを準備できなかったのは仕方のない事なのだが、マレードは少し申し訳なく思った。
「申し訳ありません何もご用意できずに……
そこにいるのでしょう? 済まないが、いつものやつを手配してくれ」
「ふぁーい」
マレードは軽く頭を下げると、戸の先で吐息を漏らす女性職員に「いつものケーキ」を用意するように伝え、彼女もふやけた言葉でそれに答えた。
「いえ。突然来た僕に問題があるのです。
……それに僕と貴方の仲じゃないですか」
(仲? まぁ、それより彼の目的だ。きっと聞いてもまともな答えは返ってこないだろう。だが、俺には力が……)
シュウの言葉に引っかかりを感じたが、重要なのは彼らの真意である。それに俺にはそれを知り得る力がある。
だが、少し前にエスセブにタレントを行使した際、視界が真っ白になり、何も得る事が出来なかった経験が俺のタレントに対する信頼を無くさせていた。
つまり、エスセブに効かないとすれば、カリスマ性と認知度で上をいくシュウには当然効かないということだ。
「……ところで、シュウ……さん。今回はどのようなご用件で?」
だが、黙っていても何も始まらない。俺は口頭で率直にシュウに目的を訊いてみた。
「シュウでいいですよ。ここに来たのは勿論、マレード・フォン・ガランド宰相閣下にお会いする為です」
それは分かっている。俺が聞きたいのは目的だ。
「ええ。それで、失礼ですが、俺に会って何をなさるおつもりなのでしょうか? 公演の計画は既にエスセブ氏と……」
俺は「魅了」の状態異常にかからない様に、失礼を承知で彼の顔に視線を向ける事なくさらに問いを続けた。
「はい。僕がここに来たのはジーマ公演の事についてではありません」
「では一体……」
正直それ以外に俺に会う理由があるのだろうか。トキオのスーパーアイドルとジーマの宰相。国も立場も違うし、接点なんかない。それに繰り返しになるが、俺と彼は今日を除けば一度しか会っていないし、そもそもあの時も「会っている」とは言い難いものだ。
「すみません。嘘をつきました。実際の所、ジーマ公演にも関係のある事です。ですが、それだけに留まらず、深く、重要な話です。
これは貴方にも関係する事なのです。マレード・フォン・ガランド宰相閣下。
……いや、魔界幹部が一人、マレード・バアル」
シュウが最後に放った言葉に思わず心臓が張り裂けそうになった。聞き間違いではない。目の前の青年は確かに俺の事を「魔界幹部のマレード・バアル」と呼んだのだ。
「マカイカンブ? ナニソレ? おれっちワカンナイー」
混乱のあまり一人称がおかしくなる。それ程までにこの状況は想定外であった。
「いえ、貴方は確かに魔界幹部のマレード・バアルです。そして、貴方には捉えどころのない不気味な敵がいる。ヌンティウス・デイという敵が」
やはり彼は知っている。俺は思わず彼の曇りのない微笑みに目を向けてしまう。その王子の微笑みは今の俺にとって殺人鬼の暗黒微笑より恐ろしい。
(まさかタレントによるものか!? 何と迂闊なっ)
この事態の原因がシュウのタレントによるものだという考えに至ったが、俺にはどうする事も出来ない。こちらもタレントで彼の頭を覗いてやろうにも混乱で意識を集中できない。
“ガチャ”
緊迫した空気を突如破ったのはノックも無く開く扉と現れた女。こんな礼儀知らずな事をするのはこの建物で一人だけだ。
「あーここにいたんですね。何でもできる君閣下」
我が秘書――アンナの寝起き声が部屋中を包み込む。今の俺にはこの緊張感のない声が不思議と嬉しかった。
「んん? あれ? またいらしていたんですか? お久しぶりですね」
そして、アンナ君は世界のスターに友人の如く手を振って声をかけた。その様子にマレードは更なる混乱の中に落とされる。
「ええ。そう言えばあの時はお名前聞いていませんでしたよね」
「サラ・アンナです。ご存じの通り宰相秘書をしています」
淡々と話す二人に、蚊帳の外になっている宰相。なんとも不思議な状況が宰相府庁舎の執務室で起きている。シュウは俺に会いに来たのではないのか?
「でも、よく僕だと分かりましたね」
「昔から観察力はあるんです」
二人の会話に怪訝な表情をしながら、マレードは二人の関係と自分について考える。即ち、自分が魔界幹部であると知る者は魔界関係者とアンナだけであり、彼女が何らかの理由でその事をシュウに喋ってしまったのではないかと勘繰っているのだ。その様な事を話すに至る二人の関係とは何なのか? 名を知らないところから見て、親密という訳ではなさそうだ。考えれば考える程マレードは混乱の渦に吸い込まれていく。
「全く大した人ですよマレードさんは。こんな優秀な秘書を連れて……
いや、もちろん。前に会った時も優秀な方だなと思いましたよっ」
(シュウさん。なんか俺にも馴れ馴れしいというか、フレンドリーというか…… もしかして、俺が知らないだけでどこかで会っているのか?)
マレードは頭の中をかき回して彼の事を探るが、やはり見つからない。今まで数多の人物と会ってきたが、シュウの様なカリスマ汁がにじみ出ている人なんてそうそういない。忘れるはずなどないのだ。
「あ、あのぉ…… お話し中すみませんが、二人はどういった御関係でしょうか?」
記憶の中に答えは見つからず、マレードはアンナとシュウの談笑を破り、ひょこりと言葉を挟んだ。そして、二人はその言葉を受け、キョトンとする。
「どういう御関係って…… 私たちを会わせたのは宰相閣下だったじゃないですか?」
(ふぇ???? ドユコト?)
「無意識下で俺は何かをしていたのか」と俺は自分が怖くなった。
「ハハハ。別に隠していたわけではないんですよ」
青くなっているマレードを申し訳なさそうに見て苦笑いすると、シュウはここに来る前に着けていた眼鏡を取り出して、それをかけて見せた。
「……………… あああああっ!!!」
「やっとわかってくれましたか宰相閣下。それとも、マレード氏とお呼びした方がいいでござるか?」
カリスマ波を遮るように顔を覆う瓶底丸眼鏡。マレードは彼を知っていた。まさにその姿は魔界幹部の先輩であるジレット・バルバドスその人であった。
「はぁ…… もうっ! そうならそうと早く言ってくださいよ“ジレットさん”……」
「いや、失礼。マレードさんの新鮮な姿が見られてつい」
正体を現したジレットは再度眼鏡を外し、それを丁寧に畳むと胸ポケットに戻した。そして、名刺を取り出すと改めて自分の事をマレードに伝えた。
『魅惑の天声』ジレット・B・エアウェイ
トキオ合衆国 シンガー Lv25 性別:男
TEL 8948―1092―00T
「これが僕の表の姿」
名刺から指を離したシュウ――ジレットはそう言うと悲しそうな眼をして黙り込む。その様子に二人も声をかける事を戸惑い、静寂がしばし続くと、扉を叩く音と気の抜けた例の女性職員の声が空気を壊した。殺風景な机上を彩る菓子と茶が到着したのだ。




