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若き魔界幹部の悩み  作者: 耕眞智裕
気高き偶像青年の悩み
36/69

9 氷の訪問者

 さて、俺は千載一遇のチャンスを最初の土台に乗せる事に成功したわけであるが、宰相生誕祭と並行して俺はスータマ国境周辺の農村地帯開発に関わる重要な案件に着手していた。その件は既に皇帝陛下からの了承を賜り、キーパーソンにその内容を通知し、強制的に行動させる段階にあったのである。

 キーパーソンとは変態穴掘り犯罪者ノワール・ペシェの事である。俺は彼の人間性はさておき、彼の持つ極めて有用なタレントに注目していた。本来であれば皇族、宰相の命を脅かした者は死を以て償うべきであるが、あの能力が失われるのは実に勿体ないと考え、彼の処罰を保留していたのだ。

 都合が良い事に、我が国の法律にはそのような犯罪について構成要件は記されていても、罰則に関しては高度な恣意性、いや、完全な恣意によって決める事が出来る。例えば、街中を逆立ちで廻した後に斬首だとか、科学院に実験素体として供出する事も出来るわけであるが、俺は彼のタレントを考慮し、“強制労働”を課すことに決めた。

 ワイルドエリアにおける開発はまさに命懸けであり、毎年技術者を守る傭兵や軍人に少なくない死傷者を出している。その最たる原因は建設や掘削に多大な時間が掛かり、魔物の襲撃機会を増やしてしまう事で、高価で消費の激しい魔導掘削機を購入できない我が国では大きな悩みの種であった。

 だがこの変態。留置所における様々なデータからなんと採掘魔法技師20人分、つまり、我が国全ての採掘魔法技師の三分の二の能力をこの男は持っているのである。これは、大型魔導掘削機一台に匹敵し、しかも奴には魔力の充填も必要ない。かかる費用は衣食住だけだ。

俺もまさかこんな形でこの国の不安要素が解消されるとは思っていなかったし、目下の所、大規模な開発を必要としている地域がることから、奴が天からの贈り物にすら見えてきた。殺すには惜しい。

しかし同時に“タレントによるテロリズムの可能性”という大陸が抱える内在的な不安というのも奴は見せてくれた。

誰もが持ちうるタレントという超能力。それを強制的に公開させ、公の管理の元に置けばそれを用いた犯罪は防げるのかもしれない。だが、公開されたものが真実かどうかはカーチェさんのタレントのようなものを用いなければ判別がつかない。そして何より危険なのは公開した事によっていらぬ諍いや差別を生じるという事だ。

例えば、俺が持つ『読心』が周知の下になれば、人々は心を読まれる事を嫌い、俺に近づかなくなるだろうし、人によっては嫉妬や憎しみの対象にもなり得る。千差万別、十人十色の能力故に危険なのだ。

とどのつまり、タレントテロの可能性を皆が感じながらも、現時点ではそれを完全に防ぐ手立てはなく、通常の犯罪と同様に刑罰によって抑止する他ないということだ。


「さて……」


 思う所はあるが、我が国は安上がりな掘削機を獲得し、大陸トップアイドルの公演を控えるという順風満帆の状態にある。早くも来年のランキング上昇も期待できる位だ。

 だが、祖国の栄光を俺が見る事が出来るかは、最強の姫君の心情に掛かっている。俺より丈夫なナナミさんを病院送りにしたのを目の当たりにし、俺は今まで以上に彼女を恐れているのだ。恐らく数日以内に宮殿への召集令状が俺の元に届く。それに記載されている日が俺の命日になるかもしれない。

 

“コンコンコン”


 しかしながら、俺には怯え竦んでいる時間的余裕は無い。スケジュールはびっしりと埋まり、今も来客の知らせがノックの音と共にもたらされた。


「宰相閣下。フラン・フォン・スカンディナビア様がお越しです。どうぞ、応接室に」


「いや、ここに通してくれ。私の秘書が出迎えに出ているので、彼女にここに来るよう告げるだけでいい」


「ですが……」


「かまわない」


 この時間は宰相生誕祭の打ち合わせの為、協賛企業であるマウントフィールド社の代表と協議する事になっていた。本来であれば俺自身が出る場ではなく、文化省に任せるべきなのであるが、二つの理由から俺自ら彼に会う事にした。一つ目は、まだ公に公表されていない『ワンワールド公演』のスポンサー依頼を自らしたいと考えていた為で、二つ目は、かの企業の代表とは俺自身が話し合いに出た方がスムーズに事が進むと分かっていたためだ。


「何でもできる君閣下。お客様をお連れしましたぁ」


 続いての訪問にはノックは無く、我が有能秘書は勢いよく扉を開けると若い長身の男を伴って姿を見せた。


「やぁマレード。いや、ガランド宰相閣下とお呼びするべきでしょうか」


 赤い髪の男は高貴な身の上を誇示するようにエレガントに頭を下げ、誰もが心を許してしまいそうな輝く笑顔を見せた。


「よしてくれフラン。いや、スカンディナビア家次期当主、マウントフィールド副社長様とお呼びした方が良いか」


 客人の笑顔に負けじと、マレードも気品を備えた振る舞いと共に笑顔を見せ、歓迎の意志を示した。


「「ふふふ、ふはははははは!!」」


 そして、二人の上品な笑顔は声を伴った若々しい笑顔に変わり、固い握手を交わすと、互いの体温を感じる事で変わらぬ友情を確かめ合った。

 

「ホント久しぶりだな。去年の宰相生誕祭以来か?」


「ああ、そうだな。お互い自由の効かない立場だから会う事も叶わなかったしなぁ。

 まぁ、立ち話もなんだし、座って茶でも飲みながら話そう」


 軽い挨拶を済ませ、二人は革のソファーに対面ではなく横並びに座り、ケーキを肴に思い出話を始めた。

 そして、完全に蚊帳の外となったアンナはこれ見よがしに部屋をこっそり出ていくと、ルンルン気分で庁舎エントランスにあるカフェに向かって跳びだしていった。


 


時を同じくし、庁舎前広場に冷気を纏った少女が一人、恨めしそうな瞳でレンガ造り三階建ての建物を見つめていた。


「ここが“あのひと”のいるハウスね」


 鋭く、冷たい目線を向けたままそう呟くと少女は不敵に笑い、蒼白い長髪を翻すと、彼女はゆっくりと建物の入口へと歩みを始めた。


「ねぇ? なんだか肌寒くない?」


「うん…… 温調魔道具が誤作動を起こしているのかしら?」


 時は月見の月。残暑の季節時で寒さを感じるには少々早すぎる時季だ。

 庁舎の顔である受付を任された女性二人が肩を震わせて急な温度変化について話しているその時、エントランスに空間を同じくするカフェで一人、満面の笑みでチョコレートパフェを頬張る女がいた。


「いやー。やっぱり周りが仕事に勤しむ中でに食べるスイーツは格別ですね!」


 労働者を煽るような発言を無遠慮に声に出す女がまさか天下の“何でもできる君宰相閣下の秘書”とは普通は思うまい。

 だが、このサラ・アンナという人物はそれが出来てしまう欲望に忠実な宰相秘書なのだ。


「流石宰相府庁舎のカフェはレベルが高いですね。でも、私から言わせてもらえば、まだまだって言ったところですかね…… あれ? なんか冷えるなぁ…… 冷たい物を食べたからかな? うわ! 寒っ!! なにこれ!?」


 能天気に子供みたいな顔でスプーンを握るアンナも流石に異常な温度変化に気付き、腕を体に絡め、スーツ越しに自分を温めた。


“ツイー……”


 エントランスの花たちが寒さで蕾を閉じている中、ひんやりした風と共に入口の自動ドアが開き、“あの”少女が涼しい顔で庁舎内へと侵入してきた。


「あ、ど、どちら様でしょうか?」


 表情を崩しながらも、たどたどしい口調で受付の女性は突然の来客に対して名前と目的を問うた。


「あら、私をご存じない? 冷気で視界が薄れているのかしら。

オラフ! 私の中に戻りなさい!!」


少女は受付の二人に対し、表情を歪ませてそう言うと、オラフなる何かの名を呼び、自分の中に戻るように指示した。

すると、不思議な事に寒さが急激に消えうせ、追いかけるように温かさが空気中に広がっていった。


「私はスカンディナビア家の者ですわ。先んじてここに来ているお兄様に緊急の用事がございますの」


 女性の震えが止まった事を確認すると、来訪の少女はそのように告げながら白銀の名刺入れを彼女の目の先に差し出した。白く光を反射するそれには、スカンディナビア家の曲線を交えた文様の家章が刻まれており、この少女がスカンディナビア家の人間である事を示していた。


「あ、貴方様はもしかして……」


 ここまで来ると、受付の女性にも冬風を運んで現れた少女が何ものなのか察しが付く。スカンディナビア本家において、十代と思しき少女は一人だけであり、よく見ればその凛々しい顔立ちも雑誌などでいかばかりか見た事がある。


「レベッカ・エアシャトル様……」


 レベッカ・エアシャトル。それはスカンディナビア家当主レオモンド・フォン・スカンディナビアが禁断の契りをもって生まれた少女にして、家の汚点。もちろん、レベッカに何の罪も問われる責も無いが、世間は彼女を特異な目で見ていた。


「ええ。いかにも。私はスカンディナビア家長女レベッカですわ。

 では、ここに来ているお兄様に会わせて頂けるかしら?」


「……申し訳ありませんが、アポイントメントの無い方をお通しする訳にはまいりません。どうかお引き取り下さい」


 彼女が何者かを知ったところで、彼女の要求に従わなくてはいけない訳ではなく、受付はレベッカに対し厳しい口調で建物から去るように告げた。


「どうしても駄目ですか?」


「どうしても駄目です」


 だがレベッカは頑固にその場を動こうとせず、腕を組んでこの関門を突破する方法を思惑していた。そしておもむろに目薬を取り出し、自らの瞳に雫を一滴落とすと、身を屈んで上目遣いに女性の目を見た。


「それでは…… あのぉ。レベッカぁ~ お兄ちゃんがいなくて寂しいの。おうちに一人なんて嫌だ!! お兄ちゃんに会わせて!!」


「…………」


 吐き気を催す程の猫かぶりに受付の女性達のみならず、観葉植物の影からエントランスの様子を覗いていたアンナも閉口させた。


「…………」


「駄目?」


「……駄目です」


 無論小娘の下らない演技が心を揺り動かすはずもなく、むしろその事によって「この小娘を通すわけにはいかない」という気概が強まり、額に血管を浮かべながら女性は少女に視線を合わせてはっきりとそう言った。


「困りましたわねぇ……」


 しかしそれでもレベッカは諦めない。スポーツマンの根性に通ずる七転び八起きの精神で、新たなる手段を考える。


「お引き取りにならないのでしたら、確認の為にスカンディナビアの方に連絡をさせて頂きますがよろしいでしょうか?」


「くっ…… 何たる卑怯」


 だが、受付の方も彼女を通すわけにはいかない。レベッカが次の手段を思いつく前に先手を取って圧力を加えた。

 その効果は覿面で、レベッカは分かりやすく表情を崩し歯ぎしりした。


「では、出口はそちらです。またのお越しをお待ちしています」


「キーッ!! 覚えてなさい!!」


 丁寧に頭を下げる女性に対し、レベッカは分かりやすい捨て台詞を吐くと、歩幅を大きくして庁舎エントランスからのしのしと地を踏みつけながら出て行った。


「はぁー」


 そして頭を上げた女性が安堵の溜息をつくと、平和な日常が舞い戻り、少しの間を置いて姦しく同僚とのお喋りが始まった。


「大変だったね~」


「そうね。うちに来るお客様なんてたかが知れていたから、ちょっと焦っちゃったわ」


「ここは楽だもんね~ 他の部署に行った人たちの気持ちが分かった気がしたわ」


「でもさ。なんでスカンディナビアのお嬢様がここにフラン様がいらしていた事を存じていたのでしょう? たしかこの事は表には出ていないわよね?」


「あれじゃない? フラン様がうっかり話されたんじゃない? 

 だってあの方女性にすごく緩そうですし…… 私も今朝ナンパされましたわ」


「え? 貴方も? 実は私もよ…… 女性だったら誰でもいいのかしら」


 笑い声と呆れ声を交えたお喋りは終わる気配がなく、話題が話題を呼んでエンドレスに連なっていった。

そしてその時、受付から聞こえるかような会話を複雑な気持ちで聞く者がいた。宰相秘書サラ・アンナである。


「私、されてない……」


 アンナの指に力がこもり、握られた観葉植物のか弱い枝がミシミシと悲痛な悲鳴を上げる。


「ナンパされてない!! 何よ! 私が女として落第点とでも言いたいの!!」


 無性に腹が立ったアンナは物言わぬ植物に対する虐待を止めると、くるりと身を返してテーブルに乗せられたパフェの残りをかき込み、甘みがもたらす多幸感で溜飲を下げた。





「さて、仕方ないわね。奥の手を使うわ」


 庁舎エントランスが安堵と怒りで渦巻いている中。その外では諦めの悪い少女が目的を達する為の手段を考えていた。いや、正確には既にその手段は考えられていたが、可能であれば他の手段を用いたいと彼女は考えていたのである。


「オラフ。お兄様の居場所のアタリはつけているわね?」


 レベッカは静かに空に話しかける。


「ウゥゥゥゥウウウ」


 そして何もないはずの場所から冷気と共に獣の唸り声のようなものが聞こえた。レベッカには見える“何か”がそこにいるのである。


「二階。最西端南側の部屋ね。それじゃあその近くの部屋からお邪魔しようかしら。直接行くなんてはしたないですから」


「ファッ! ファッ!」


 レベッカは笑みを浮かべながら空気を撫で、庁舎の南側へと向かっていった。目的は勿論、庁舎内部への侵入であり、レベッカと彼女に従う謎の存在オラフは適当な侵入経路を建物の外から見つけようというのである。


「あら? 窓が開いていますわね。なんと不用心なのでしょう。

 ですが、おあつらえ向きです。あそこから入りましょう」


 三階の角部屋の窓が全開なのを見つけるとレベッカは小さく飛び跳ねた。


「あぁ、でも一応確認しておきましょうか。

 オラフ! あの場所に人の気配はあるかしら?」


「クゥーン…… ファウ! ハァハァ」


「まるで私の為に門戸を開いているみたい。この運命に従わないのは失礼に当たりますわね」


 宰相府庁舎の杜撰な警備体制を都合よく捉えると、レベッカは試合相手を見るのと同じ鋭い目でカーテンが揺れる窓を見つめると、空気を撫でて足を曲げ、まるで跳び上がるかのような姿勢を取った。


「人目に付かず、エレガントに美しく…… 行くわよ! オラフ!」


 そして、少女は跳び上がる。だが彼女がこの地に戻る事は無く、一瞬にして三階の窓枠に足をつけていた。


「こんなに容易いなら最初からこうしておけば良かったかしら。行くわよオラフ! 早くしないと逃げられてしまうわ」


 見えぬ何かに声をかけ、少女は吸い込まれる様に建物の中に姿を消した。その様子はまさにエレガントで美しく、そして周囲の人々が不審に思わない程に一瞬だった。





 少し前、丁度レベッカが庁舎から追い返されたのと時を同じくして、宰相執務室の二人は学生時代の思い出話を終えて本題に入っていた。


「なるほど、ワンワールド公演への出資か。まさかこの国で実現しようとわな」


 仕事の話に入ってもフランはこの国の政治指導者に対してフランクに話しかける。彼は公私を混同するような二流の経営者ではないが、マレードが学生時代と同様に接する事を望んでおり、嬉々とそれに応えていたのだ。

 ジーマ帝国有数の家柄の嫡子であった二人はマーバス学園中等部から高等部を卒業するまでの六年間に強い友情を育んでいた。

 二人の友情が強固になったのは中等部、高等部の生徒会で共に活動した事が大きく、いかなる課題も自分たちと皇室の姫が協力すれば乗り越えられると信じていた。

 マーバス学園の生徒会は通例で皇室に連なる者達が所属する事になっており、二人が中等部に入学した当時、第一皇女フィリアが生徒会長として辣腕を振るっていた。彼女の放つ威光に近い輝きは眩しく、学生の殆どが身に合わぬと生徒会に近づこうとしなかった。だが、その年、家から皇室への接点を持つよう求められていた二人の新入生が姫の支配する生徒会の戸を叩くことになる。

 自由七科をそつなくこなし、天才、何でもできる君と称えられることになるマレード。親譲りの優れた商才と十代最初にして高度な算術を習熟していたフラン。その二人をしてもフィリア姫の要望に応えるのに油断は出来ず、不可抗力的に協力し信頼せざるを得なかった。そしてフィリア姫が高等部を卒業し、今度は皇室の第二皇女を生徒会に迎え入れる側に回るまで車の両輪の関係は続き、社会に出た今でも信頼という形で継続していたのである。

 二人にとって、友人という間柄が最も何かを成すのに適切な関係であり、マレードがフランを執務室に招いたのも客としてでなく友として迎えたかったという考えからであった。


「マウントフィールドなら他の国で協賛した事もあるんじゃないか? なにせ大陸中に店を構える巨大企業なのだから」


「ああ、チーパとラージロープの公演では我が社もスポンサーとなっていた」


「それなら話は早いな。フラン、我が国の超イベントに出資してくれるか?」


「僕は会長に今回の件を一任されているが、仮にここにいるのが会長であっても喜んで引き受けるだろう」


 ワンワールドの公演は巨大な利益を生む故、フランに断る理由は無かった。また、今回は自国での公演という事で、いや増してやる気に満ちていた。


「ふぅー…… ありがたい事だ。俺に代わって会長にも礼を言っておいてくれ」


 マレードはフランが首を縦に振るだろうと思っていたが、実際その結果が得られると安堵の溜息が自然と出てしまった。それだけマウントフィールドが出資してくれるかどうかというのは重要であったのだ。

 「ジーマという国は知らねども、マウントフィールドの名は大陸に轟く」だとか「ジーマの本当の君主はマウントフィールド会長」だとか、酷いものだと「マウントフィールド帝国ジーマ自治領」等と揶揄される様にかの企業の力は絶大だ。帝国宰相たる俺よりもマウントフィールド副社長であるフランの方が権力を有していると言われても否定できない程に…… その企業様が協力してくれるのだ。こんなにも心強い事はない。


「ん? なんか冷えるなぁ。魔道具の故障か?」


 話が一段落したところで、マレードは急激な寒気に襲われた。外壁から押し寄せるその纏わりつくような冷気に彼は思わず立ち上がると、外の様子を見ようとカーテンに遮られた窓の元へ二の腕を擦りながら向かう。


「来る……」


「え?」


「あいつが…… あいつが来る……」


 がたがたと震え、何かの到来を口にする親友を見てマレードは足の方向を変えて彼の元へと近づいた。

 目の焦点は合わず、歯をガタガタさせているその姿はまさに「何かに怯える子羊」だ。マレードは事を深刻に感じ、幾度か「大丈夫か?」と声をかけた。


「……マレード。ここから逃げたい。宰相専用の避難通路なんか無いか? お願いだ。あったら教えてくれ!!」


 フランは突然マレードの肩を掴むとそう懇願した。


「いや。残念だがそんなものは無い」


 宰相という地位が作られたのは最近で、そのような用意もされておらず、また、この建物は図書館だった物を急ごしらえで改修したもので、宰相専用避難口など当然の様に無かった。


「だが…… いや、あれは駄目か……」


「あるのか!? 避難路が!?」


 マレードの頭に浮かんだのは穴掘り変態によって開けられた地下水道に続く狭い通路だ。埋めてしまう事も考えたが、予算の関係で穴を鍵付きの鉄板で封じているにとどめていたのである。


「いや、まぁ。外には続いているが……」


 穴の先は地下水道だ。アスタロトさんの様に運が良ければマンホールから外に出れるが、あそこは迷路であり危険極まりないのは明白だ。


「何でもいい。教えてくれ! 早く!!」


「外というか。その先は地下水道だよ?」


「それでいい。あぁ、あいつが来る…… 早く連れて行ってくれ!!」


 フランの焦りは尋常じゃない。マレードは彼の気迫に屈し、信用と共に穴を封じる鍵をテーブルから取り出して彼に手渡すと、廊下を挟んで向かい側の給湯室に案内した。


「…………」


 その最中でも、フランは辺りをきょろきょろと警戒しながら、震えを止める事は無かった。


「マレード…… 感謝する。礼はいずれ!!」


 フランは穴に両足を突っ込むと別れにその言葉だけを告げて滑るように奥へと消えていった。躊躇の無いその態度からよほど何かを恐れていたのであろう。

 予想外の別れの後、マレードは頭を掻きながら廊下に出て執務室へ舞い戻ろうとした時、強烈な冷気と共にホラー映画の様に廊下に立つ少女と目が合った。


「君は……」


 マレードには彼女の容姿に覚えがあった。つい最近何らかの形で目にしたと、頭の引き出しを新しいものから順に漁っていく。


「ああ、確か、キーユ大学付属中のレベッカさんでしたっけ」


 氷の女王と呼ばれたキーユ大学付属中の代表と姿が該当し、彼女が腹違いのフランの妹だという事も思い出した。


「宰相閣下にお名前を存じて頂いて光栄ですわ。

 ところで閣下。お兄様…… フラン・フォン・スカンディナビアはどちらでしょうか」


 鋭い目をマレードに向けながらレベッカは強烈な冷気をその背後から放出すると、マレードは強風に吹かれたように身を屈ませる。そして、彼はレベッカの後ろに恐ろしい何かの気配を感じ、浮遊する二つの光を見た。それはまるで暗闇に光る獣のまなこの様であった。


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