17 壊れた人形 Ⅳ
「スタンバーイ…… スタンバーイ……」
レストラン角の席を陣取った俺たちは、デーニツの御花摘みの瞬間を逃さないよう、彼の顔に浮かぶ皺一本逃さぬように目を細めていた。
「タフっすねぇ」
「もうそろそろキてるはずなんすけど」
人間の感情は顔に出る。俺は徐々に彼が眉間の皺を増やしている事を見逃さなかった。時は程なく満ちる。
「OMG!! ヤバイZE」
「どうしたんですか? エアカナさん?」
時は来た。蒼白な顔にダラダラと異様な汗の化粧を施し、でデーニッツが突然立ち上がったのだ。
「Y、Y、Y、Y、YO…… なんかMEお腹COOLしちゃったみたいNE…… ちょっとRESTROOMでTOILETにGO MY WAY してくる……」
目標は腹を抑え、尋常じゃない様子でレストラン奥、厨房の先にあるトイレを目指し、よたよたと生まれたての小鹿の様な歩調で進みだした。
「――GO!」
俺はノックスを率いてデーニッツの後をゆっくりと優雅に、そして堂々と追いかける。
「頼んだぞノックス君」
「了解っす。任せて下さいっす」
俺が彼を同伴させたのは、デーニッツ接触を完璧なものにする為だ。
「よし。やってくれ」
男子トイレ出入り口で俺はノックスを残し、何食わぬ顔で内部への侵入を開始した。残されたノックスはタレントで空から部品を落として、それを豊満な肉体で受け止めると、それを慣れたように組み立てた。
「出来たっす。我ながら完璧っすね」
完成したのは工事現場によくある《人の形をした動く看板》だ。そしてそこには『ただいま故障中』と書かれていた。
これを以ってトイレを二人だけの空間にしようというのだが、勿論それは完璧ではない。店員が来て事情を聞かれたら終わりだし、そうでなくてもいずれバレる。故に、内部での目的遂行には速さが重要であった。
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………ウゥッ!!」
マレードはデーニッツが陣取る個室の隣の個室に侵入し、彼の地獄の叫びと溜め込んだものが排出される音を聞いていた。
(全てはナナホさんの命を守るため…… 許せ)
その壮絶なうめき声に流石の俺にも罪悪感が湧く。だが、予告日まで残り一日。彼には聞かなくてはならない事がある。
デーニッツがこの世の地獄を味わっている間、他のトイレ利用客は全て用を済ませ、ついに換気扇の音とうめき声だけが響く部屋は二人だけの世界になった。後は、デーニッツの行為が一段落し、個室から出てくるのを待つだけだ。
(そろそろか)
隣からトイレットペーパーを巻き取る音が聞こえ、俺は仮面を被り、個室の扉を少し開けて息を飲んだ。
“ジャー”
「ふぅー」
不浄を流し払う音が聞こえた後、デーニッツは帰還兵の様に疲れた様子でよたよたと個室から現れた。そして、洗面所で手を洗い、内ポケットから小さなノートを取り出して、それを真剣な面持ちで読んでいるのを確認すると、俺は勢いよく飛び出し、彼の背後に回った。
「え? なななな何だ! ヒッ! ……ムググググググ!!」
叫び声など上げさせない。俺は慣れた殺人鬼のようにデーニッツの口を塞ぐと、そのまま自分が潜んでいた個室へと引きずっていった。
「むむぅ! ムムムム……」
俺は尚も暴れるデーニッツの口に布を詰め、そして、体中に縄化粧を施した。
(まさか学生時代に履修した拘束術が役立つ日が来るとはな。世の中何が起こるか分からないものだ)
「んっ…… んっ……」
仮面を付けた怪しい人物に監禁された上拘束され、エビフライの様になったデーニッツは涙の浮かんだ目でこちらを睨みながら、全身に力を込め今できる最大の反抗を講じていた。だが、その行為は縄を食いこませ、更に自らを追い詰めていく。
「デーニッツさん。俺はあなたにいくつか聞きたい事がある。なぁに口で答える必要はない。ただ、俺の話を聞いてくれればいいんだ。
ただし、俺が許可するまでこちらを見ないように。そこにある、トイレをすっぽんする道具でも見ていてくれ。もしそれを破るようなら、君にはここで死んでもらう事になる」
デーニッツは呼吸を荒くし、トイレの角へ頭を向けた。どうやら、俺の提案に同意してくれたようである。
「よし……
俺は栄光あるジーマ帝国が宰相、マレード・フォン・ガランドである」
デーニッツが大人しくなったのを確認すると、俺は換気扇の音にかき消されるほどの小さな声で本来の立場と名を唱え、職を切り替えた。そして、彼のそばに寄ると仮面を半分スライドさせ、口半分で囁いた。
「では聞こう。貴様はデーニッツ・エアカナで間違いないか?」
「ん! んんんん!」
俺は彼の声を聞かず、神から与えられた超能力を起動し、彼の頭を覗き見する。
(何なんだコイツは!! 何故僕の名前を知っている!! 怖い…… 怖い…… 僕はこんな所で死にたくない!)
俺の頭に耳を介することなく直接男の声が響いてくる。この男、頭の中では普通の口調らしい。
「よし。それではデーニッツ・エアカナ君。次の質問だ。
君は23の日。何をする予定だ? 答えろ!」
“23”という言葉を聞いた時、明らかに男は反応した。そして、俺は男の脳内をすかさず拾い上げる。
(ど、どうして知っている? その日は僕があの人に…… ナナホさんに僕は…… いや、でもこんな奴が知っているはずないんだ!)
(クロか…… ナナミさんの予測は当たったという事か)
「では、最後の問いだ。貴様は23の日、ナナホ・コンチネンタルを貴様が送った殺人予告通りに殺そうとしている。そうだな?」
俺はデーニッツを蔑むように見下し、最後の質問を投げかけた。そして、その質問の後、彼は興奮したように体を飛び跳ねさせ始めた。その様子に俺は思わず彼のそばを離れた。
(何! ナナホさんが殺される?! 予告?! どういう事だ! 駄目だ駄目だ駄目だ! 彼女を守らなきゃ!! 僕は明日彼女に気持ちを伝えるんだぁ!!!)
デーニッツの脳内も彼の身体と同様に酷く昂っていた。
心は言葉や態度と違って偽る事は出来ない。彼の叫びは本心であり、それが彼の思いの全てだ。
「そうか…… デーニッツ君。君の思いは分かった。
実は我々はある人物に頼まれてナナホ・コンチネンタルの守護をしていた。どうやら君は無関係の様だ。手荒な行為をしたことを謝罪しよう」
俺は彼が見ていないところで頭を下げ、口を覆う湿った布を取り除いた。
「ぷはっ! ナナホさんの命が狙われているってどういうことですか!?」
口の自由を回復すると、デーニッツは仮面を被ったマレードの顔を見て声をあげた。マレードは仮面越しに人差し指を自分の口元に添え、彼を静かにさせると、一呼吸してデーニッツを縛る拘束を解きながら説明を始めた。
「23の日。ナナホ・コンチネンタルさんを殺害するという予告状がある者の手に届いた。俺たちはその者から彼女の守護を依頼され、そして怪しい人物がいないか探っていたのだ」
「なるほど、それで僕が……」
「そうだ。だが君はシロだった。いや、シロどころか全くの無関係だった。これは俺たちの焦りが招いた失敗だ。申し訳ない」
今度はデーニッツの視界の中でマレードは頭を下げ、この事を詫びた。だが、デーニッツにとってその様な事はどうでも良かった。彼にとってナナホの未来の安否が最も重要であった。
「そんなことより、ナナホさんを狙う敵はまだ分かっていないんですよね!? それじゃあ明日誰かが彼女を殺しに来るんですか?」
「いや、実はある程度の見当はついている。だが、予想に過ぎない。だから明日はナナホさんを守る為に俺の部下を置く事になっている」
そう、俺はデーニッツが無関係だとどこか分かっていた。そもそも、彼が怪しいというのはナナホさんに付きまとっている事と不思議な言動の二点だけによるものだからだ。だが、俺は彼が犯人であればとどこか思っていた。だって、彼でないとしたら犯人は……
「僕も彼女を守ります! 誰にも手出しさせません!」
「そうか、俺は言える身分じゃないが、ありがとう。よろしく頼む」
俺の言葉に力強く頷くと、デーニッツは駆けるようにトイレから出ていった。不思議なもので、ここでの会話の前は冴えない親父だと思っていたが、今の彼の後姿は勇敢な戦士の様に思えた。
「ん?」
残されたマレードは洗面台のすぐ近くに落ちていた小さいノートを見つけた。それは、デーニッツが目を通していたもので、一応中を確認すると、そこには『モテる男の秘訣』と題されたものが箇条書きされていた。その中には『若者の様に軽い感じで話せ』という一文があり、彼の謎の口調もこれによるものだと分かる。
「バアルさまぁ~ あの男が出ていったけど大丈夫なんすか?」
トイレの門番をしていたノックスが心配そうに現れそう言うと、マレードは仮面をサングラスに変え、優しく「ああ、大丈夫。彼は無関係だった」と答えた。
「明日は有休をとりましょう!」
「デーニッツさん? 突然どうしたんですか?」
「いえ、どうか明日は君の鯖にいさせて欲しいんだ。二人っきりで」
トイレから出てくると、ナナホさんとデーニッツさんが話しているのが聞こえた。そして、彼が俺を発見すると小さく頷き、俺も答えるように頷いた。
「よし、店を出よう。君たち三人は続いてナナホさんを守護してくれ。俺は行かなくてはいけないところがある」
「ういっす」
他の二人の代わりに返事をしたノックスに食事代を手渡すと、俺は店を出て運よく近くに停車していたタクシーに乗り込んだ。行先はスータマシティ国立病院。俺はナナミさんに聞かなくてはいけない事があるのだ。
“コンコン”
病院の廊下から打たれた拳が病室の少女に音を届ける。
「はい。どちら様ですか?」
「マレードです。ナナミさんお加減はどうですか?」
「宰相様! どうぞ、鍵は開いています」
それらの言葉を介し、俺は夕焼けで赤く染まった幻想的な病室に足を踏み出した。そして、横目に見舞品の乗った台を見つめ、そこに自分が持ってきた蒟蒻煎餅が端に追いやられているのを確認した。
「こんばんは宰相様。……あの? お母さんの件大丈夫でしょうか?」
ナナミの声は震えていた。予告日の一日前にし、居ても立っても居られないのが隠し切れないのだ。
「大丈夫。今彼女は優秀で信頼できる者達と闘志に燃えた男によって守られているよ。だから心配いらない」
「そうですか…… ありがとうございます」
口ではそう言ったが、心配の全てが払拭できたわけではなく、彼女の表情は煮え切らない。
「ところでナナミさん。ここにあるお見舞品だけど、全部君のお友達が持ってきてくれたの?」
俺は台に乗られた花やお菓子、果物の入っていた駕籠を指差してナナミさんにそう聞いた。
「はい! あそこの御煎餅を除いて、全部宰相様がいらっしゃる前に学校の皆が来てくれて、それで……」
「多分、誰かが“ナナミさんのお見舞いに行こう”と提案したんだろうね。それって誰だか分かる? それと例のデーニッツ・エアカナさんは……」
「え? 多分、カナちゃん。あ、私の一番の友人です! 一週間程で治るって知っているはずなのにわざわざ来てくれて…… それと、あの人は母と一緒に一応来ましたけど、ケーキを置いて直ぐ帰っちゃいました。ほんと、私両手が使えないのに……」
「そうですか……」
俺の心は徐々に重い何かに埋められていった。そして、俺はその苦しみを表に出さないように、彼女に気取られないように、快活に最後に一つ問う。
「ちょっと気になったんだけど、ナナミさんの寮の鍵。誰かに預けていたりしない?」
「え? あ、はい。カナちゃんに預けてあります。何かあって入院が長引いたらノートMCを持ってきてもらおうと思って……
でも、どうしてそんな事を聞くんです?」
ナナミはその質問に不思議そうな顔を見せた。もし、仮に彼女に魔力耐性が無く、心を読むことが出来たとしても、俺はそれを見たくはない。事件は彼女にとって最悪の結末に向かっているのかもしれないのだから……
「いや、明日寮が解放されるのでしょう? 私物とかどうするのかなって、ふと思ってね」
「ふふふ、大丈夫ですよ。カナちゃんとは学園に入った時からのお友達だから」
(これ以上はやめてくれ)
自分の予測がここまで外れてほしいと思った事はいままで一度もない。ナナミさんと知り合ってまだ一年も経っていないが、俺にとって彼女は大切な仲間であり、また、俺の計画の為にこんな事になった申し訳なさがあり、これ以上悲しませたくはないと思っていた。
「そうか。うん。お母さまの事は俺に任せて下さい」
「はい! お願いします宰相様!」
夕焼けの赤に彩られた病室は二人の会話を終える頃には夜の月明かりに変わっていた。俺は病室の灯りを付けると、手を振る代わりに笑顔で見送る彼女を見ながら病室を後にした。
――23の日――
俺たちはついにこの日を迎えた。
「周辺異常なしっす」
「こっちも異常なし」
ナナホさんはデーニッツの提案に応え、この日は集合住宅の201号室で一日過ごす様である。それはこちらにとってもありがたい事だ。
猫を介して情報を収集しているミアによると、デーニッツも彼女の家に訪れてからずっと警戒モードに入っているらしい。頼もしい限りである。
「申し訳ないが、ここは皆に任せていいか?」
「え? どうしたんすか? 犯人が彼女を狙っているんすよ?」
俺には確認するべき事があった。だが、確かにヒットマンがここに現れ、彼女を害するかもしれない。もし、俺の部下が無能で信頼できない連中だったらここに残っただろう。
「もしかしたら先に犯人を確保できるかもしれないんだ。ここは君たちに任せる。頼んだぞ」
俺の言葉に傍にいるミアとノックスは大きく頷くと、笑顔で「任せて下さいっす」と言葉をシンクロさせた。
そして、俺は集合住宅を望む空き地を離脱すると、目的地へと向かう。今度の目的地は病院ではなく、かつて俺が講演を行ったスータマ随一のお嬢様学校マリアス女学院である。俺はあの学校で講演する際、建物の配置などを確認しており、その敷地の中に巨大な学生寮が鎮座しているのを知っていた。また、部屋番号は学生の学籍番号とリンクしており、ナナミさんの部屋が何処にあるかのアタリも付けていた。
「はぁ、少し懐かしいな。前回はゲストだったが、今回は不法侵入者だ。さて、どうやって入るか……」
途中で買った昼食のサンドイッチを食べ終わり、学園の巨大な門を道向こうに臨みながら、俺は頭を抱えていた。
「あら、もしかして何でもできる君宰相閣下でいらっしゃいますか? どうしてこんな所に……」
突然声を掛けられ、俺は体が黒ひげ危機一髪の様に飛び出そうになった。
「あ、やっぱり宰相閣下。お忍びですか?」
声の主は妙齢の女性。俺は彼女を知っている。たしか、マリアス女学院で教師をやっているイザベラ・ターキッシュだったか。
「これはこれはターキッシュさん。ご無沙汰です。
いえ、ナナミ・コンチネンタルさんのお見舞いに伺いに参ったのですが、あの時の事が懐かしくて、ついここに来てしまったのです」
隠すと余計まずい事になると思い俺は敢えて自分の身分を偽らなかった。
「あらまぁ、光栄な事ですわ。どうです? 生徒はいないですけど、よろしかったら学内を見て参りますか?」
(ふわぁ、なんて都合がいい。こんな事があるのか)
「ええ、ぜひお願いします」
俺はこの提案をノータイムでOKした。そして、彼女に連れられ、かつて公用車でくぐった学園の正門を通り抜けた。
第一関門を突破。俺は入校許可証を身に着けた俺はターキッシュ氏の案内で教室棟、食堂、そして体育館を巡る。
「素晴らしい学舎ですね」
「お褒めにあずかり光栄です。
……あの、不躾で申し訳ございませんが、い、一緒に、お、お」
「お?」
「お写真を撮って頂けないでしょうか!?」
合わせた手を前に出して願い出たターキッシュ氏はどこか少女みたいだった。俺は微笑んでそれを了承すると、「お忍び故、あまり人に見せないで下さいね」と一言付け加えた。ちょっと前にツーショット写真の所為で酷い目に合ったししょうがないね。
「うーん。どこで撮りましょうかぁ~ 職員室はダメだし、体育館も…… うーん……」
その姿はまるで新婚旅行に来た夫婦のようだ。因みに、ターキッシュ氏は子供もいらっしゃる既婚者である。
「それでは、学生寮の前にある庭園はどうですか? 今日は寮解放初日で未の時まで解放されないとコンチネンタルさんからお聞きしたので」
「はい! そうしましょう!」
(早っ!)
ターキッシュ氏は俺の提案に早押しクイズの選手の如く即答し、先導するように寮のある西区画に移動を開始した。
羊の時まで一時間弱、思ったよりも長い時間ここでターキッシュ氏の案内を受けていたようだ。マリアス女学院は寮を内包した巨大校である事は重々知っていたが、俺は少しここの巨大さを過小評価していたようだ。
「着きました」
十代の少女の様にターキッシュは飛び跳ね、赤レンガの巨大寮の前で立ち止った。1000人を超える学生を収容する巨大施設で、学園の敷地の半分近くをこれが占めている。
そして、その前には巨大な憩いの庭園があり、秋の始まりに差し掛かっているにも関わらず、緑に溢れていた。
「ここで撮りましょう」
彼女が指定したのはその庭園から寮入口が見える中々良好なポイントだった。お誂え向きに丁度いい場所にちょうどいい高さのテーブルがあり、ターキッシュ氏はその上にカメラを置いてタイマーをセットする。
「ここに立っていただけますか?」
「ええ、喜んで」
寮の正門を背景に二人は並ぶ。
(旦那さんに変な誤解を招かなければ良いけど)
そんな俺の心配がかき消される様に、ターキッシュ氏が自分の腕が接触するほど俺に近づくと、テーブルの上に置かれたカメラへと顔を向ける。
「ハイ。チーズ!!」
ターキッシュ氏の右手に握られたリモコンによって卓上のカメラが光を放ち、夕方前の一瞬を切り取った。そして、彼女はテーブルに駆け寄ってカメラの中身を確認すると、我が子の様に抱きしめて“にか”っと太陽のような笑顔を見せた。
「ありがとうございます。私……大切にします!」
「いえ、こちらこそ。貴重な経験が出来ました」
二人は共有した時間の〆に固い握手を言葉と共に交わし、この一瞬一瞬を心のメモリーに保存する事を固く誓い合った。
だが、マレードにとって重要なのはここからである。彼は別に学校教師と禁忌のデートをしにここに来たわけではないのだ。
「ありがとうございます。ここからは一人で見て周りますね」
「あ、はい! どうぞご自由にしていてください」
ターキッシュ氏は俺を完全に信頼し、学内に不審者一人を残す結果を招いた。だが、彼女の名誉のために言っておくと、学内は警備員が循環し、また、今日は寮解放初日であるが、まだ休みが残っているにもかかわらず、わざわざ学校に来る殊勝な学生はほとんどいないのに加えて、寮が解放していても部屋に入るには鍵が必要であり、学生に危害が及ばないと彼女は判断したのであろう。
(まぁ、何にせよ、これで準備は整った。後は待つだけ……)
俺は寮の入口近くの柱の陰に身を隠し、そして注視する。だが、一時間ほど経っても、怪しい人物が来るどころか、人っ子一人学舎から寮の脇に伸びる屋根付き通路を通る者はいない。
(ナナホさんは大丈夫だろうか? 俺は無駄な事をしているのか……)
時間が経ち、空が闇に包まれるにつれ、マレードの心の中に心配の闇が流れ込んでくる。そして、それらが蠢いて胸にザラザラとしたものを感じ始めた時、“コツッ コツッ”という足音が響いてきた。それは明らかに革靴を履いた何者かが石を敷き詰めた例の通路を歩く音であった。
(来たか!)
その瞬間ザラザラは弾かれたように消え、俺は息を飲んで様子を伺う。
(…………)
柱の影からチラッと覗くと、この学園の制服である白のワンピースと黒のリボンを身に纏った少女が茶色の鞄を握り、辺りを不自然に気にしながらゆっくり向かってくるのが見えた。制服はこの学校の関係者であるとの証明の機能もあり、彼女はここに何らかの用事があるようだ。
(彼方も何かを警戒しているのか…… 不味いな……)
相手が警戒モードに入っている以上、下手に様子を見るのは危険だと思い、俺は少女が寮の扉を開けるまでじっとそこで待った。
“キィ……”
軋む音と共に扉が開くと、少女は辺りを見回してからそっと扉を閉めた。
(今だ!!)
俺はばねの様に柱の影から飛び出すと、彼女が先ほどまで触れていた扉の前で身を屈み、寮内の明かりがついたのを確認すると、二つある窓の内、左片方からゆっくりと顔を重ねて中を覗いた。
“カッ カッ カッ”
窓から少女が二階に伸びる木製の階段を駆け上がるのが見えると、俺は焦り、“キィ”と音を立てて扉を開き、学生寮エントランスに立ち入った。その瞬間!
「誰かいるの?」
扉を開ける音を察知した少女の声が上の階から降り注ぐ。彼女以前に学生がこの寮に入るのを目にしておらず、声の主は間違いなく先の少女だった。
俺は咄嗟に彼女が上がった木製の階段の下にある隙間に隠れ、心臓の音を抑えるように胸に手を当てて身を屈ませた。そして、上から木版が踏みつけられる音と共に少女はエントランスへと舞い戻ってきた。
「誰もいないの? ねぇ?」
「――――」
付けたばかりの灯りはまだその全力を発揮しておらず、まだ、ぼんやりと暗い。その中を少女はゆっくりと歩み、声を出して周囲を見回す。
「ねぇ、貴方なの? うん。どうか私を見守ってて……」
入口の窓に自らの姿を映し、不気味にそう言うと、少女は“ギィ ギィ”という音をたてながら、再び階段を上り始めた。
暗闇に助けられた俺は彼女の視界に捉えられることなく、この場を乗り切る事が出来た。そして、ゆっくりと隙間から這い出て体の埃を払い落とすと、深呼吸して身体を伸ばした。
「“貴方”か……」
俺は少女のその言葉に胸の騒めきを感じつつ、音を立てないようにゆっくりと彼女を追って階段をのぼった。
ここで彼女を見失っても構わない。もし彼女がこの事件の根源なのなら行先は一つしかない。もし、そこに彼女が向かわなければ、俺の考えは間違っていたというだけだ。
そう、二階の南、窓側にあるナナミ・コンチネンタルの部屋…… もし、俺の考えが正しければそこがこの事件の終着駅になる。
(どうかそこにいないでくれ…… 俺の思った通りにならないでくれ)
階段を一段上がる度に苦渋の思いが頭を巡る。もし、自分の考えが正しければ、そもそもナナホさんの命は危険に晒されない。だが、正しければ……
俺がナナミさんの病室を訪れる前に病室を訪れたのは、病院関係者を除けば、彼女の母親とデーニッツ、そして学友たち。俺は彼女の名刺入れを探す為にあの台を一通り軽く見たがそれを見つけられなかった。つまり、看護師が持ち上げた駕籠の下に隠されていたのだろう。
ああいった怪文書は誰かに期日前に発見されなくては意味がない。きっとそれを分かっていて犯人は生ものが乗った籠の下にそれを隠したんだろう。そしてそれが出来るのは、先の者達だ。
“カツッ カツッ”
先行する靴音がどこかで止まった。
そして、俺は首からかけた入館証を隠し、懐に忍ばせた仮面を装備してナナミさんの部屋へ向かう。
デーニッツにはこのような事をする動機が見つからず、そして接触していたら無関係だった。無論、ナナホさんにも動機らしい動機が見つからない。加えて、彼らが持ってきたのは直ぐに食べなくてはならないケーキであり、予告状を隠すには不適当。
そして、彼女たち――ナナミさんの友達たちには考えられる動機が一つある。それは、突き詰めれば俺を根源にした動機だ。
確かに、俺は彼女を特別に扱ったのかもしれない。その様なつもりはなかったが、そう捉える人がいても不思議ではない。この国でのマレード人気は凄まじく、彼女に嫉妬の視線が集中したというのはあり得ない話じゃない。
また、23の日という予告日。それは、この寮の開放日であり、それ故に俺はここに潜入出来ている。ここにある彼女の部屋に嫉妬を払拭する何かがあるとすれば、犯人の目的はそこにあるのかもしれない。例えば、マレード・フォン・ガランドの名を利用して再生数を伸ばした動画を作成するのに用いたMC。
さらに、ナナミさんが言った「一週間程で退院できる」という事。一週間程というのは五日間かもしれないし、九日間かもしれない。彼女がそう言ったのは17の日で、彼女の「一週間程で治るって知っているはずなのにわざわざ来てくれて」という言葉から学友には周知されていたと考えられる。
“カチャ……”
南通路に至る曲がり角で俺は鍵を開ける音を聞いた。
ナナミさんの言葉通りなら、彼女の退院予定日は明日24の日。だが、退院日は早まるかもしれない。それは予定に過ぎないのだから。もし、今日退院するのなら寮の鍵を回収していたかもしれない。
だからあの殺人予告が必要だった。あれを送って彼女を混乱させ、病状を悪化させるか、今日彼女自身が母の元に張り付かせるのが目的で、殺意のさの字も無かったのではないか? そして、彼女の部屋に入る鍵は彼女が最も信頼している人物が持っている。
(はぁ…… 嘘だと言ってよ)
俺の目に、ナナミさんの部屋に入る少女の姿が見えた。
そして、俺は覚悟を決め、少女をナナミさんの部屋に追い詰める。
「…………フフフ。
…………フフッ。全部あの娘が悪いのよ。あの人形娘が」
少女はバッグから重そうな金属ハンマーを取り出し、ゴスファッションに満ちたナナミの部屋にある重厚なMCに向かうと、それを振り上げた。
「こんな夜に何をしているのかい? お嬢さん?」
少女は突然背後から聞こえた声に驚き、ハンマーを落として床に尻を突いた。
「キャー!!
あ、あんた何者?! ここが何処か分かっているの?!」
女は長い金髪を振り回し、落としたハンマーを暗い部屋の中で探しながら叫んだ。
「もちろん分かっているよ」
俺はそう言って扉を閉めると、彼女にさらに接近し、足先で重いハンマーを踏みつけ後ろに飛ばした。
「人を呼ぶわよ! あんたなんかすぐに捕まっちゃうんだから!!」
「どうぞご自由に。まぁ、人を呼ばれたら困るのは俺だけじゃないと思うがね」
「っ! …………」
図星を突かれ、少女は言葉を失った。そして、立ち上がり、乱れた髪を手櫛で整えて若干の冷静さを回復すると、マレードを睨みつけ口を開き、早口の言葉をぶつける。
「何なのよアンタ! 私が悪いっていうの!? 全部あの人形女の所為じゃない! 平民の分際であの女! これを壊せばあいつだって身の程を知るはずよ!」
少女はMCを破壊するという目的を諦めると、開き直って聞くに堪えない自己弁護を始めた。
だが、俺は少女のヒステリックな妄言に流される事無く、真実を探るべく彼女の心の揺さぶりを試みる。
「俺の正体を教えよう。
俺は呪いの使者。君が放った呪いが返され、君の元に戻ってきたのだよ」
「は? あんな手紙本気なわけないじゃん! え? 呪い? 何言ってんの? アレはあの人形女の病状を悪化させるためのものよ!」
最初の揺さぶりで彼女の口からぼろがボロボロ出た。どうやらこの少女が犯人で間違いないようだ。俺の当たって欲しくない予想は当たってしまった。
「一つ訊くが、君がここに入るための鍵。それはどこで手に入れたんだ? この部屋の主から預かったのか?」
いまやどうでもいい質問だ。だが、俺は救いが欲しかった。そのためにナナミさんの悲しみが軽減される結果を探っていたのだ。
「これぇ? フフフ。これはねぇ、あの人形女の金魚の糞から預かったのよ」
「そうか ……ククク、ククククク」
ナナミさんの親友が無関係だと分かり、胸の中にあった重石がどこかに消えたような感覚が俺の身体を走り、思わず笑ってしまった。
目の前にいる金髪の少女はナナミを不当に蔑み、魔界の幹部になる事を決意させた原因たる貴族少女であったが、マレードにはその様な事を知る由もない。
「な、何なの?」
不気味な笑い声に少女は怯え、震えた声を漏らす。
「いや、失礼。君には関係ない事だ。
あぁ、だが君も愚かだね。この部屋のものが荒らされれば最初に疑われるのは外ならぬ君自身だ。それともそれも覚悟の上だったのかな」
そう、鍵を人から預かった事実があれば彼女が疑われるのは必然だ。
「フフフ…… フフフ、ヒヒヒヒヒヒ」
追い詰められているにもかかわらず、少女は不気味に笑った。その様子に、マレードも流石に一歩下がり、身体を固くして身構えた。
「ぜーんぜん大丈夫!! あの金魚の糞、私に鍵を渡した事も覚えていない!! 全部あのお方の力よ!! だから、私は責められない」
「覚えていない? あのお方?」
「そう、あのお方のお力で、あの女は文字通り人形のようになった。そして虚ろな目をしてこの鍵を手渡した……」
(“あのお方”…… まただ。またそいつか…… ヌンティウス・デイ―― いやまさかな)
少女の言葉にマレードの心は高鳴る。この少女もノワール・ペシェと同様、ヌンティウスなる者の操り人形となっていると思うと、怒りがこみ上げてくるのだ。
「あの方とは、ヌンティウスの事か?」
「知らないわ。あの方は私の正義に協力してくれただけ」
自分の手は決して汚さず、人の感情を増長して操る。ペシェの時と酷似しているこの状況にヌンティウスの関与はより明るさを増していく。
「そうか、だが残念だなぁ」
「は? 何がよ?」
ヌンティウスの事はひとまず置いておく。俺は目の前にいる女をそのままにするわけにはいかない。放っとけばまた何をしでかすか知れたものじゃない。そこで、俺は彼女に脅しを入れる事にした。
「君には返ってきた呪いが掛けられている。人を呪わば穴二つって言うだろう?」
「だから、アレは殺す気なんてないんだって」
「それは君がそう思っているだけだ。言葉の力、言霊だな。字というものはそれそのものに力があって、その力が相手に届き、そして君に返ってきた。そう言う事だ」
その言葉を聞いて、息を荒くし、大声を張り上げていた少女が突然老け込んだように弱々しくその場にへたり込み、頭を抱えて悲壮な表情を浮かべた。
「まず、返ってきた力が君の両親。次に君にかかる事になる。まぁ、平たく言えば死ぬ事になるだろうね。呪いの使者である俺は君にそれを伝えに来たのだ」
勿論すべてでまかせ、フェイクだ。この世に呪いだの言霊だのあるか俺は知らんし、そんなタレントを持っている人間にも覚えはない。これは荒治療だが、彼女にはそれが必要だろう。
「え? い、いや…… そんな…… なんでこうなるのよ!! 私はただ……」
梳いた髪をくしゃくしゃにし、涙で顔を濡らしながら俺の足にしがみつく惨めな少女の姿に、俺はただ「哀れ」としか思わなかった。そして、彼女があの言葉を言うのを待った。
「……どうすれば助かるんですか? パパとママ、私を助けて下さい! 何でもしますから…… どうか、助けて……」
少女は足元からマレードを見上げ、呪いなど虚偽である事を知る由もなく、必死に家族と自分の助命を懇願した。マレードはこの懇願を待っていた。
「……呪いを消すには、その対比たる行動を取り、呪いを相殺させるほかにはない。つまり、この部屋の主と諍う事無く、共に和の未来を目指す事…… それだけだ」
「あの人形平民女と仲良くしろって言うの?」
「それ以外に聞こえたか?
それが至らぬと判断した場合。俺は呪いの理に基づいて、殺すべき者を殺しに行く。ゆめ忘れるなよ」
俺はそう吐き捨てると、足を振って哀れな少女を払い飛ばし、彼女を残して部屋を出ていった。部屋の中からは微かな阿吽の声だけが響いていた。
(これで何とかなればいいが……
だが、これでこの事件は幕を落とし、ナナホさんの命も守られたわけだ。いい結果に至ったと見るべきだろうな)
怪文書に始まる事件は幕を閉じた。それは確かであり、ここ数日の自分たちの苦労は実を結んだという事になる。
だが、マレードの心には何か棘のようなものが刺さっていた。あの哀れな少女の事ではない。彼女の背後にいる者の事だ。一人の少女が一日でここまでの事を決心し実行するというのは無理があり、誰かが悪知恵を吹き込んだと感じていた。
(ヌンティウス…… あの女なのか? あいつはこんなイジメみたいな事にも加担しているのか?)
ヌンティウスの事を巡らせながら、暗い廊下を歩き、エントランスに繋がる木造階段に差し掛かったところで、俺は階段の下に奇妙な人影を発見した。その姿は明らかに学生ではなく、ローブを纏った大人の女であった。
(誰だ!?)
思わず俺は階段の上で足を止めた。そして、ローブの女は焦燥も驚愕も無く、こちらに微笑んだ口元を見せると、入口とは逆にある中庭の方へ歩いていった。
(待て!)
自分でも何故彼女を追いかけたか分からない。俺は音を気にせず階段を駆け足で下ると、女が向かった中庭へ向かい走った。そして、少し息の荒くなった俺をあざ笑うかのように、女は長い黒髪を風で揺らしながら中庭の中央で俺を待っていた。
「マレード様。ご機嫌麗しゅう」
そう言って女がローブを外すと全ての髪が外部に晒され、月明かりに反射してキラキラと輝きながら風に靡いた。
「いったい誰だ君は? いや、俺は君を知っている……」
知っているという言い方は違うかもしれない。会った事があるというのが正しいだろう。宰相府庁舎のエントランス、エルフランさんが訪れた時に受付嬢としてきた女。目の前にいるのはまさにその女だった。
「嬉しいですわ。私如きの事を記憶にとどめて頂けたなんて。あの時はお世話を掛けました」
(おかしい。俺は今仮面を被っているんだぞ? 何故その様な会話が出来る?)
その答えは明白だった。つまり彼女はマレードの正体を知っており、マレード・フォン・ガランドがマレード・バアルであると分かっているという事を意味していた。
「改めて聞きたい。君は一体何者なんだ?」
マレードは只ならぬ相手だと悟ると、仮面を外し、月下に素性を晒して女に問うた。
「わたくしの名はヌンティウス・デイ。大陸を混沌に誘う者です」
「ヌンティウス……」
彼女が示した名に、俺は身体を硬直させた。立て続けに関わった二つの事件の諸悪の根源たる人物が何食わぬ顔で自ら名乗ったのだ。普通にはしていられない。
「あら? 私の事はご存知みたいですね。流石天才宰相であられますわ」
彼女の一言一言が癇に障る。俺は硬直した足を無理やり一歩前に進める。
「いったいあなたの目的は何なんだ? 変態を操って一国の姫を危険に晒し、女学生同士のイジメに加担する。はっきり言って異常だ!」
そして俺は一番に言いたい事を言ってやった。
だが、その言葉は彼女にとってはそよ風程度でしかなく、不気味に微笑んだ表情を少しも崩そうとしない。
「あら、でも、それは氷山の一角でしてよ。マレード様の元にはこれからもっと沢山こういう事が舞い込んで来ますわ」
盗人猛々しいではなく、盗人清々しいといったような、自分のした卑劣な事を歯牙にもかけない、清々しい表情でヌンティウスはそう言い放った。
「こんなくだらない事を君は……」
マレードの感情は怒りを超え、呆れに至っていた。度し難く、救いようがない者を相手にした時のそれだ。
「下らないですか…… まぁ、マレード様にも私の行いの崇高さが分かる時が来ます。
そ・れ・に。少しは感謝して欲しいですわ。だって、マレード様がすんなりここまでこられたのは私のお陰なんですもの」
ヌンティウスは言葉を発すると同時にマレードの元まで歩み寄り、そして覗き込むように少し背の高い彼の顔を凝視した。
「…………なるほど、催眠術の類か」
「ふふふ。ご明察」
いくら学生が来ないからといってここまで学内を自由に動けるのは都合が良すぎるとはマレードもどこかで感じていた。ヌンティウスの言葉は、自分をここまで導いたターキッシュ氏も何らかのエゴを増長され、正常な判断力を失っていたという事を意味していた。
「それに今日の事だけではなくて、私が宰相府で受付をやっていた時も、ペシェさんが空けた穴を発見できるように、マレード様をサポートしていたんです」
「どういう事だ?」
俺には彼女に助けられたという覚えが無かった。あの穴はエルフランさんが道に迷い、偶然そこを取った事で発見された。この事は状況から見て十中八九真実だ。
「あら、お分かりになりませんか? ふふふ、いいでしょう教えて差し上げます。
あの日、宰相様の御部屋から出られたエルフランさんに私こう言いましたの“エルフラン様は特別なお客人なので、正門ではなく、二階炊事室にある秘密の出入り口からお帰り頂くよう宰相様から伝言を頂いている”と。でも、あの方があそこまで方向音痴とは思いませんでした。本来であれば次の日に受付嬢として忍び込み、来館者名簿を見て“大変ですわー お客様が行方不明ですわー”と貴方様の元に駆け込む予定でした」
「まさか……」
ここまで聞けば誰にでも分かる。仮に、エルフランさんが方向音痴じゃなかったとしても、彼女によって騒ぎ立てられ、そしてあの穴を発見する事になっていたという事だ。
そして更に恐ろしいのは、この女がその前の日から忍び込んでいたというあんまりな事実だ。うちのセキュリティガバガバすぎる。
「はい! 全ては私の掌の上! です」
無邪気な子供の様に“ぴょん”と後ろに跳ね、諸悪の根源は俺を煽る。
だが、いくら血圧が上がっても、殴りかかったりするわけにはいかない。こいつにはまだ聞きたい事があるのだ。
「そうか。いやー、大したものだ。さしずめ持ち前の催眠術で哀れな人形のエゴを増長させて操り、そして自分は魔力素の流動を制御するタレントで防犯機械を潰しつつ、ターゲットの領域に潜り込むと言ったところか?」
俺は穴掘り男事件において残された謎である夜間警報装置の停止と宰相府のセキュリティのガバをタレントという超常的、不可避的存在につるし上げ、彼女にぶつけた。
「うーん…… 70点くらいですね」
興奮気味に指摘したマレードを憐れむように、ヌンティウスは冷ややかなジト目でそう答えた。
「な……」
点数で言われると、どこまでが正しく、どこまでが誤りなのか分からず、結果的にマレードの問いは答えを得る事無く潰される形となった。その納得のできないモヤモヤしたものが声としてマレードの口から漏れた。
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう。マレード様とはこの先何度もお会いする事になりますしね」
ヌンティウスのこの言葉の後、突然そよ風程度に髪を揺らしていた夜風が葉草を巻き揉む強風となり彼女を覆い隠すように包んだ。
マレードは明らかに姿を消そうとしている危険人物に従うとは思えない制止の言葉を投げつけながら、風塵の中に突撃する。そしれ、手を伸ばし、風に乗った有象無象が肉体に叩きつけられるのを耐えながらつむじ風の中心に手を伸ばした。だが、そこには人の影すらなく、風が止むと舞った葉が空しく落ちてくるだけだった。
「クソっ!! 何なんだ一体!」
ここは学生寮の中庭で、魔法なんて使えるはずがないはず。にもかかわらず、奴は俺の前から悠然と姿を消し、まんまと逃げおうせた。
「捕まえるから。必ず俺の手で奴を捕まえる!」
奴に聞こえているかは分からないが、俺はヌンティウスに力強くそう宣言し、服に張り付いた葉や枝を振り落とすと歯を食い縛ってこの地を後にした。
――そして、事件は解決し、23と24の境界線が大地を跨いだ。23の日は終わったのである。
俺がコンチネンタル家のある住宅傍の空き地に戻って来ると、三人の部下たちが駆け寄って来て不思議そうな顔で「何にも無かったっすよ」と告げてきた。
あの少女が言った事は真実であり、ヌンティウスもヒットマンを用意して予告を現実化するような真似はしなかった。あの女は人をまやかし、動かすが、自分は何もせず、お茶の間の視聴者の様に振舞う人物だ。だが、先の事が実現しなかった因が彼女のその性格にあるのなら、それでよかったと思う事にする。
俺は三人に事の顛末を話し、この事件が終わった事を告げると、紙に『ナナホさんの命は守られた。だが、一応この先も彼女を守って欲しい』ということだけを記した紙に音が鳴るように石を挟んで201号室に投函した。
「ありがとうデーニッツさん。上手く気持ちが伝わるといいですね」
最後に深夜でも開いているいつものレストランで部下三人と軽く祝い。朝方に解散した。話によると、三人ともジーマ帝国内に住んでおり、ここから飛空艇で帰還するそうだ。まったく、若いのに大変だな。
(っていうか、あいつらジーマ国民なのに俺の正体に気付かなかったのか……)
この時ばかりは正体を気付かれなかった事を悲しく思った。
24の日。トキオ合衆国での一大イベントを一日前にしたこの日。俺はスータマでするべき最後の仕事を完遂する為、そのままの足で病院へと向かった。
仕事とは無論、ナナミさんに母君の安全を伝え、安心させる事だ。
“コン コン コン”
何度目のお見舞いだろうか。エントランスの看護師さんとは言葉を使うまでも無く意志の疎通が出来、一言も喋ることなく彼女の病室に至る道が開かれた。
「はい。どうぞ…… 開いています」
ナナミは誰が来たのか分かっていた。だから、あえて相手の名を問う必要はなかった。
そして見慣れた男が一凛の青い花を持って白い病室に入って来た。何故かそれだけの事が彼女に安心を与えていた。
「失礼します。ナナミさん腕のお加減はどうですか」
俺はここに来る途中で購入した瑠璃唐草の花を花瓶に収めると、彼女の腕の辺りをじっと見つめた。
ナナミさんの腕は未だ完治に至っていなかった。あの予告状の真の目的は果たされていたのである。
「ナナホさんは殺されませんでした。彼女は自分が殺されかけたという事もきっと知らないと思います」
ナナミにはこう告げられると分かっていた。依存しているようだが、マレードに任せれば何でもいい方向に行くと、不思議な確信めいたものがあったのだ。
「ありがとうございました宰相様。私、何をすればこの恩に報いる事が出来るでしょうか? 悲しいです、私はこんなにも無力で……」
そして、ナナミはマレードに頼って、迷惑をかけてしまう自分の無力さに心底失望していた。そしてその事が喜ぶべき場であるにもかかわらず、彼女に涙を流させた。
「前にも言ったはずですよ。そんな事を言われると、俺が困った時貴方を頼れないじゃないですか」
「私には宰相様に頼られるほどの力はありません……」
涙を拭う腕はギプスで固められていて動かせず、涙を重力に任せていたナナミにマレードはハンカチを持って近づくと、頬を伝う清い雫をハンカチに吸い取らせた。
「貴方には既に助けられているんですよ。もし、貴方が皇女殿下に会って頂かなかったら遊園地も出来ていなかった。(いや、壊されていた) それに君の言いようだと、俺はその結果腕を壊した君に何をすればいいだろうか?」
ナナミさんは俺の言葉に口をつぐみ、やっと笑顔を見せてくれた。この笑顔の為に数日間の苦労はあったのだ。
「それと、あの男。デーニッツ・エアカナさんは君が思うような変な人じゃないよ。いや、変な人ではあるか…… でも、彼のナナホさんに対する思いは本物だった」
この機会にデーニッツの誤解を解いておくことにする。原因はあの勘違い口調であるが、決して彼は忌むべき人間では無かった。
「……知っています」
ナナミは目を瞑り、そう答えた。
俺にとって数日前とうって変わったような彼女の答えは特別意外ではなかった。彼の存在は彼女のある感情に触れていたのである。
「ナナミさん…… 前から思っていたのですが、ナナミさんって自分で言う程人形っぽくないですよね?」
「…………」
怒られるかと身構えたが、ナナミさんはそのまま何も言わず、ただ話を聞いてくれていた。だから、俺は話を続けた。
「前にワザとらしくキャラ作りしたけど、その後は特にないですし、それに、感情を抑えているわけでもない。
それで、思ったのですけど、ナナミさんがデーニッツさんに嫌悪感を持ったり、動画を作ったりといった“人形”と関係ない事をやっていた根源的理由は…… いや、止めておきましょう。忘れて下さい」
この先は言えなかった。この先は彼女の心のパーソナルスペース。無暗に入っていい領域ではないと話の途中で気付いたのだ。
「……宰相様。続けて下さい。お願い……」
彼女のその言葉は意外だった。きっと俺はこれから彼女の心の中に無作法に立ち入ることになるのに。
「……はい。その根源的な理由は『愛情』…… 外界から注がれる無償の愛。もし、俺が人形だったら最も欲するモノ」
「はい……」
ナナミさんは肯定の言葉を震えた唇から静かに放出した。
「だから、魔力素に自分の姿を乗せて愛を求め、母の愛が別の誰かに映る事を恐れた」
「はい。それ故に私はあの男に嫉妬した。病室に残された私を置いて母を独占するあの男に。
宰相様の仰る通りです。どうですか? 失望しましたよね……?」
心内の醜い部分が暴かれ、ナナミは赤く染まった頬を隠す手も無く、ただ、マレードに見られぬよう顔を背けた。
「嫉妬……確かに暴走すれば狂気に変わる感情です。ただ、愛情を欲するのは人間が持つ当然の欲求です」
この事件を引き起こした少女は嫉妬の狂気に操られた。それは自ら制御しなくてはならない感情だ。だが、同時にそれそのものを否定する事は出来ない。嫉妬が、人間がより大山の高みへ至る助けをする事は良く知られた事であり、頭ごなしに否定するのは問題である。
また、愛を欲さない人間なんているのだろうか? 愛より憎しみを欲する者は心のどこかに欠缺があるか、無自覚に自分を偽っている。俺だって憎まれるより愛されたい。
「それに、俺は君と出会ってこの数か月、色々あったけど、君は真面目だし、喜怒哀楽ははっきりしているし、からかい甲斐があるし、それに、君は自分が思っているより優しい人だと思うよ。だから、俺は君を愛おしく思っている」
マレードの言葉にナナミの身体はピクリと動いた。そして更に顔を赤くしてもぞもぞと身体を屈ませた。
「それじゃあ。もうそろそろ失礼するよ。また何かあったらいつでも相談してください」
病室から去るマレードにナナミは何も言えなかった。だが、その際に彼の顔をちらっと見て微笑み、心の中で一時の別れを告げた。そして、心の声は更に語る。
(ほんと、自分で何を言っているのか分かっているのかしら。そんな事を言われたら誰だって勘違いしますよ)
意図せずマレードはナナミに悩みを課した。
そして、十代の少女に、悩みは来ては、去りを繰り返し、そして彼女を大人にしていく。
この二日後、ナナミの腕は自由に動かせるまでに治り、始業式の六日前に退院することになる。
その為、25の日は病院で過ごすことになるのだが、彼女は看護師さんに頼み込み、テレビを病室に繋いでもらうと、初めて生中継で『グランディア大陸魅力のある国ランキング発表式典』を映像として観る事になった。
彼女は今まで通り、その式典にも内容にも興味は無い。ただ、画面を通して見える一人の男の姿が見たかったのであった。
第二章 清き人形少女の悩み 終
次回 第三章 気高き偶像青年の悩み
ここまで拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
まだ、慣れぬ身の為、ご意見や感想など頂けたら嬉しく思います。




