15 壊れた人形 Ⅱ
俺は先日行ったばかりの巨大な病院、その門の前にクソダササングラスと共に再び立っていた。これは公務ではない故、大して金のかからない些事に関しては国の世話にはならないつもりであったが、電話越しに聞こえたナナミさんの慟哭は尋常ではなく、国の財産である大使館の送迎車を利用してここまで来た。
「ガラン…… Mr.G、正門ではなく、裏の職員用ロビーにご案内します。どうぞこちらに」
(Mr.G…… いい…… いいねぇ)
迎えた看護師によって咄嗟に名付けられたコードネームにご満悦なMr.Gは国旗を取り外した高級車を裏の駐車場に移し、白い天使の案内に従って彼ら専用の小さな戸口から病院に足を踏み入れた。
普通は関係者以外の立ち入りを許されない、電話と天使たちの囀りが鳴り響くナースステーションの裏側を俺たちは足早に通り過ぎ、職員用エレベータで彼女の待つ三階へ直行する。
「いいのでしょうか? 私がここを通っても」
密室で二人きりになったところで俺は思わず言葉を漏らした。
「駄目ですよ。 でも、患者さんの希望は可能な限り実現させる。それだけです」
「そうですか」
話はここで途切れた。そして、エレベータの扉が開くと、俺は一言「後は大丈夫です」と笑顔で白衣の天使に告げ、襟を正し、クソダササングラスを胸ポケットに収めて彼女の待つ302号室へと向かった。
一方その頃。ジーマ宰相のグータラ秘書の元に一人の男が訪れていた。男は漫画でしか見られないような瓶底ぐるぐる眼鏡のブリッジを人差し指でくいっと上げ、予め決めておいた合言葉を口にした。
「エコエコアザラク、同情するなら……」
「休暇くれ。俺の妹がこんなに……」
「可愛いのは当たり前。……認証しました。ジレット・バルバドスさんですね」
マレード渾身の合言葉は何の感情も無く処理され、ぐーたら秘書サラ・アンナはチェック柄のシャツにリュックを背負った金髪の青年を政府専用車に案内した。
「バルバトスさんには精神鑑定士として動いていただく事となります。これが許可証と……」
車に乗ると、アンナはバッグからファイルを取り出し、その中に収められている物をジレットに見せながら説明を始めた。
「あの? いいんですか? じゃなくて…… いいのでござるか? これどっから見ても犯罪のような」
明らかに偽造された証明書や身分証を前にして、人として当然の臆病風に吹かれた。ジレットはペシェの接触プロセスに関しては全てマレードに任せていたが、もう少しソフトな手法でなされると思っていたのだ。
「いいんですよ。なぜかあの閣下は人望が厚くて、やる事なす事なんでも追認されるんですよ。皆あの男がやる事は良い事だと信じ切っているんです。だけど、今回は彼らしくない気がします。きっと焦りを感じているのでしょうね」
「焦り?」
アンナはジレットの言葉に対し投げやりに言葉を返していたが、彼が「焦り?」と返した時「しまった」と思った。余計な事まで口にしてしまったのだ。
彼女が宰相の雇われ秘書である以上、主人の関係事に関し、あれこれ言うのは控えるべき事だと、ぐーたら秘書も理解していた。
「いえ、何でもありません。お気になさらず」
目線を車窓に逸らし、アンナは話を強引に中断した。だが、ジレットには何か引っかかったのか、話を盛り返す様に自分語りを始めた。
「拙者…… いや、僕も焦っているのかもしれません。これは僕の問題でもあって…… 変ですよね? ガランド宰相もこの件で焦ってらっしゃるというのを聞いたら少し嬉しくて…… ははは」
嬉しいとジレットは言ったが、眼鏡の奥から悲壮なオーラがアンナにも感じ取れるほどに溢れていた。それは悲壮を伝播させ、アンナの心にも悲しみがこみ上げてきた。
「そう、僕の問題でもあるんです……」
お互い腹の内を明かさぬまま車はペシェの収監された拘置所に着いた。一般的な帝国における犯罪と違い、皇位にある者や近い者、或いは、国に対する犯罪は刑法に構成要件は明示していても刑内容は明示されていない。これは、罰則がない事を意味するのではなく、皇帝や法務大臣、帝国宰相がその内容を適宜決定する事が出来る事を意味していた。その為、裁判なしに確定する刑罰をペシェは、まな板の上の鯉の状態でここで待ち続ける事になる。
「宰相閣下からお話は聞いております。どうぞこちらに」
アンナの言った通り、ここの役人は全くジレットの事を疑わない。マレードへの信頼がベールとなってジレットを覆っているのだ。
「ここです」
二人が連れてこられたのはマレードが尋問(?)を行った面会室の扉。そこで他の役人がペシェをこの部屋に移している間、重厚な扉を前にアンナは眠そうに欠伸をし、ジレットは緊張して背筋を伸ばしていた。
「私はここで待っていますので、中にはお一人で」
「え? 一緒に来てくれないんですか?」
「はい。貴方様の仕事に私は邪魔でしょう? 精神鑑定士様?」
何のことはない。アンナは中にいるのが、救いようがない変態だと知っていたのである。だが、彼女の言葉はジレットをより緊張させる事に寄与していた。
「だだだだだだ、大丈夫ですよ。はは、慣れっこです」
ついに扉が開き、件の変態の姿が目に映ると、アンナは逃げるようにその場を離れた。そして、ジレットはこちらを鉄格子の奥から睨みつけるペシェの元に息を飲んで歩み寄った。
“ガチャン”
後ろで扉の閉まる音が聞こえ、鉄格子の此方と彼方、二人の男だけの部屋が居心地の悪い空気で充満した。そして、最初の言葉はペシェから放たれた……
「え、女…… じゃないよな? チェンジ! チェンジで!!」
意味不明の言葉を話すペシェにジレットは震えあがったと同時にアンナが同席しなかった事を瞬時に理解した。
「まぁ、まぁ、落ち着いて……」
「落ち着いてられっかよ! クソっ! マレードの奴結局女をよこさねぇ……
っつかさぁ! あんた誰? もしかして女になるタレントとか持ってるの? それとも水をかけたら女になる呪いの泉に入ったとか? TSかぁ…… あんま俺の趣味じゃないのよね……」
勝手に落胆する変態にジレットはもはや声も出ない。だが、何か話さないと目的が果たせないと思い、震えた語勢でジレットは変態に言葉を返した。
「TS、TSといったら、アレいいよね『俺ポニ』……」
「『俺ポニ』? 何だそれ?」
説明しよう! 『俺ポニ』とは、少年が魔法少女となって悪と戦う傑作アニメ『俺ポニーテールになります』の事である!!
「『俺ポニ』って言ったら、『俺ポニーテールになります』の事でしょ? 何?アニメ見てないの? ジーマ帝国はアニメ不毛の地なの?」
熱くなったジレットの言葉がペシェを圧倒し、彼をたじろがせた。
「かて言われても俺…… アニメとか見ないですし。リアル専門ですし……」
勢いに負けたペシェは怯えた小動物の様にジレットを見上げる。その哀れな姿を見てジレットは冷静さを取り戻すと、「コホン」と一度咳をついてやるべき事に着手した。
「それでペシェさん。あなたは“あのお方”から色々と吹き込まれたみたいですけど、どのようにその人と会ったのですか?」
ジレットにとって質問はこれだけでいい。後はティッシュを箱から引き出すような要領で彼の言葉の裏にある情景を覗けばいい。
「え? それがさぁ~ よくわからんのよね。Hなビデ…… 生物学的な映像資料を閲覧中になんか突然現れて“君には世界を変える力がある。悪の宰相から姫を救い出せ”って言われてさ。んで、あのクソ宰相、俺の高校時代の後輩なわけよ! なんかいけ好かないやつでさ。俺のマーベラスでジーニアスな提案に嫉妬して俺を貶めて…… その時から怪しいと思っていたんだよねぇ。やっぱりあいつは悪い奴だったんだよって! だって酷くない? その所為で学際実行委員をクビになって、しかも女の子達から白眼視されて」
酔いどれの様に思い出語りをジレットは全く聞き入れず、ただその言葉の裏にある像を見ていた。そこにはテレビだけがついた暗い部屋に男と女。『映像の男』は目前にいる変態ノワール・ペシェで間違いない。ペシェは恍惚とした表情で女を見上げ、音は聞こえないが、女は唇を小さく小刻みに動かしている。
(お前は誰だ?)
過去の映像にジレットは言葉を投射した。
そして、映像は一時停止したように停止し、その中の女だけがジレットの言葉に気付いたようにこちらに顔を向ける。部屋が暗い所為か、それとも、彼女の纏う禍々しいオーラの所為か、この人物が女だと判断したのも体系が女性的だと辛うじて分かるくらいで、顔の鼻から上は暗がりでその姿を明らかにしない。
(ふふふ…… 私の名前はヌンティウス…… ヌンティウス・デイ…… 大陸に混沌をもたらし、救済する者です)
水中で響いた音の様に、女の言葉は揺れていた。だが、はっきりと女は自らの名前を明らかにし、その言葉はジレットの脳内に届いた。
(ヌンティウス・デイ…… やはりお前が! 人を苦しめ弄んで、一体お前は何なんだ! 何が目的だ! ヌンティウス! 答えろ!)
怒りを纏ったジレットの言葉は届かず、ヌンティウスは周りの影と同化するように不敵な笑みを浮かべて姿を消した。そして、空間から追い出される様にジレットは映像から弾き出され、明るい面会室の景色に戻った。
「ってことでさぁ…… ほんと酷いやつなんすよ。生徒会長の特権で姫を独り占めしてさ。 ねぇ、聞いてる?」
ペシェの声が耳に届き、完全に現実に戻された事が理解できる。そして、この男から引き出せるものがもはや何もない事も……
「ご協力感謝する。では、僕はこれで」
「ふぇ? え? まだ話は終わってないよ?」
寂しそうな表情でそう言うペシェを鉄の香りと共に捨て、ジレットは面会室を後にした。そして今、彼は怒りと喜びが渦を巻いて混じり合ったような、名上しがたい不思議な感覚を味わっていた。それは、憎い相手の情報を得たという喜びと、その相手が他の人間も苦しめている事への怒りの渦であった。
「終わりましたか?」
「はい。ありがとうございます」
「そうですか。それでは行きましょ」
ロビーで漫画本を読んでいるアンナと目的を終えたジレットは味気ない会話をした後、ここに来るのに用いた黒塗りの車に乗り込んだ。そして、扉が閉まり、車が動き始めると、来る時に話した事の続きを始めるように、ジレットが口を開いた。
「僕には大切な友人がいるんです」
その言葉から始まったジレットの話をアンナは言葉ではなく、目線と態度で聞く意思を見せた。
「今の僕があるのも彼のお陰で、それに信頼できる仲間も出来て…… これからもっと上に進もうって時に……」
話が進むにつれ、ジレットの言葉に感情が乗り、その気持ちはアンナの心に届くとそこに張られた弦を撫でるように揺らした。
「その友人が突然おかしくなったんです…… 二人で実現しようと言っていた夢を蔑ろにするようになって、それが態度に出始めると、メンバーの空気が悪くなって喧嘩が絶えず…… だから、僕の、魔界幹部としてのタレントを用いてそいつの心を…… その奥に隠されたものを探ったんです。
そして、彼の豹変に一人の女が関わっている事が分かったんです。女は自分をヌンティウス・デイと名乗り、自分は世界を混沌に沈める事を目的にしていると……
だけど、それ以上の事は分からなかった。ヌンティウスが何故僕の友人に接触したかもわからず、僕は自分を責めた。そして、現実から逃避するように仕事と趣味に没頭していた時、ガランド宰相からその話を聞いたのです」
ジレットはそれ以上話さなかったが、彼がここでそんな事を離した理由がアンナには理解できた。つまり、彼は……
「宰相閣下と協力してヌンティウスを倒したい。共通の敵として…… そう言う事ですね?」
アンナの言葉にジレットは二度頷いた。
「はぁ~。ですけどそれを私に言っても意味ないですよ。ちゃんとご本人に言ってください」
ジレットの態度に呆れたように溜息を置き、アンナは彼がするべき事を率直に話した。そして、その言葉に吹っ切れたようにジレットは笑った。
「あああああ! どうしよう! どうしてこんな事になった! どうしてお母さんに……」
病室で壊れた人形が我を失って叫ぶ。
発端は今朝不気味な封筒が見つかった事に始まる。お見舞いの品が置かれた台の上に紛れるように置かれたソレはナナミに絶望を与えた。
『 ナナミ・コンチネンタル。
お前は侵してはいけないものを侵した。
罪に対しては、相応の罰を。
侵蝕に対しては、無慈悲な喪失を。
お前が最も愛する者の抹殺を。
即ち、お前の母、ナナホ・コンチネンタルの抹殺。
それがお前に相応しい罰だ。
警察や国に頼る事はお前の首を絞める事を留めよ。
我はお前の全てを知っている。
海の月23の時。お前は空虚の絶望を味わう。逃げる事はできない
正義の執行人』
今日は18の時。タイムリミットは5日間…… 犯人の目星はついている。あの男、突然現れて、お母さんにすり寄ってきたあの男だ。それしか考えられない。
“コンコン”
「ナナミさん? マレードです! 大丈夫ですか?」
混乱と不安のただ中にいる少女の元に信頼できる大人の男が訪れた。
「あ、宰相様! すみません! 私また……」
私は少し前に彼に助けてもらった。だから、申し訳なさで一杯だった。それに、頼るだけの人間だと思われるのが嫌だった。
けど……
今の私にはどうしても彼が必要だった。他の誰よりも宰相様ならきっとこの問題を解決してくれると思っていたから。
「ナナミさん! どうしたの? 腕の調子がおかしいとか?」
扉を開けた宰相様は病室で立ちすくむ私の姿を見るや、病院で用意された白いワンピースの内で垂れ下がった両腕を心配した。私にとってはさして重要な事ではないけど、宰相様はまだ責任を感じているみたい。
「いえ、腕の方は、大丈夫じゃないかもだけど、大丈夫です」
「それじゃあ一体何が?」
帝国宰相は心配そうな顔で少女の全身を舐めるように見渡した。その様子に混乱の最中にいたナナミは少し落ち着いて思わず弾けたように笑った。
「え? どうしたの? もしかしてドッキリとか? ふふふ、ナナミさん…… 一国の宰相を嵌めるなんて度胸がありますねぇ」
「いえ、違うんですっ! 始めて宰相様に会った時の事を思い出しちゃって」
「え? 俺こんな感じだった?」
「はい! こんな感じでした」
(あのいやらしく人の身体を舐めまわす様な目。ほんと損な方ですね宰相様)
一大事にも関わらず、この刹那は大事の事がナナミの頭から抜けていた。それは雰囲気に呑まれたからなのか、それとも、助けが来た安心からなのか、彼女には分からない。
「それで? 結局何があったの?」
「はい…… あれを見て下さい。その見舞台の上にある赤い封筒……」
ナナミは指先の代わりに目線で問題の根源の場所を示し、それは直ぐにマレードの目に触れるものとなった。
「脅迫状…… いや、これは殺人予告ですか」
文章の中には要求は無く、ただ、特定の人間を、特定の日付で殺すとしか書かれておらず、憎しみがひしひしと感じられた。
「ナナミさん? 何か人の恨みを買う事をしました? 例えば聖なる花園に土足で入るとか?」
(この人はわざと言っているのだろうか? ツッコんだ方が良いのだろうか?)
「多分ないと思います。どっかの誰かさんみたいに自覚なくって事はあるかもしれませんけど」
「全くけしからん奴だ。そうやって人を傷つけるとどっかの孤島で殺されるぞ。
まぁ、ナナミさんに関しては大丈夫そうだな」
(天然かぁ……)
「それじゃあ、ナナミさんの母君に対するものなのか…… でもなんで、ナナミさんに手紙が」
(理由は分からない。金か恨みか、それとも愉悦の為か。あの男…… 突然母さんに近づいてきたエイリアン…… あいつがきっと……)
ナナミの脳裏には一人の男の顔が浮かんでいた。突然現れ、「父と呼んでくれ」とのたもうた赤髪の実業家。
「……宰相様。私心当たりがあります」
「ん? やっぱり誰かの恨み買ってた?」
「違います! やっぱりって何ですか!
犯人に心当たりがあるんです!」
そして、ナナミは自分の思いをマレードに細かく伝えた。曰く、数か月前から、ナナミの母であるナナホと共によく行動していた男がいた。名はデーニッツ・エアカナ。新参の実業家で、レストランなどを経営しているとか。
だが、話を聞いたマレードは浮かない顔をナナミに見せる。なぜなら、話の中に彼女やその母親を狙う理由が見いだせず、ただ、自分のテリトリーに入る部外者への私怨にしか聞こえなかったからだ。
「分かりました。幸運な事に24の時までは私も時間があるので、君の母親を守ろう」
敢えてマレードはその時思った事を口にはしなかった。面倒だと感じたのもあるが、結果的に彼女の母親を守る事には変わらず、この件の背後にきな臭さを感じたからだ。つまり、恨み妬み云々に由来しないもっと悪質なものがあるのではないかと感じていたのである。




