14 壊れた人形 Ⅰ
次の朝を迎えた時、俺は未だに母の腕の中にいた。だが、前回と違い寝るに相応しい格好であり、俺はこの程度であれば親孝行の範疇であると彼女のしたい様にさせた。
(さて、いよいよ大変だ)
ネット喫茶に蔓延っていた妖花は無くなった。だが、ニャムの動画はその歪んだ花より栄養を得ていた。この先はその駕籠なしに彼女はあの動画を続ける事になる。
(出発は早い方が良い。俺の心内の霧もすっきりさせたいし、それに……)
それに……の後はあまり考えたくはない。もし、彼女の動画の状況が芳しくないのであれば、またあの妖花を復活させる以外に彼女の功績に報いる術がない。その場合俺が犠牲になるのが筋ともいえるが、驕りではなく俺の身体は俺だけのものではなく、ここで精神崩壊を起こして廃人になるわけにはいかない。
「母さん行って来るよ」
「……お友達に会いに行くのね。時間があれば私にも紹介して欲しいわ」
家族というのは脳波でお互い通信しているという説を聞いたことがある。母のまるで心を共有したような異体同心の言葉を聞くと、その説を信じたくなる。
軽い荷物一つを手にし、大使館を出た俺は自分のパーフェクトな変装を確認すると、手土産のジーマ名物『蒟蒻饅頭』を準備し、タクシーを拾ってスータマ国立病院に突貫した。その時、また超常的エスパーによって正体を感知されるのではないかという疑念が俺を無用に構えさせたが、そんな事は無く、一つの会話もなしに俺の身体は国営スータマシティ病院に送られた。
「ありがとう」
俺がタクシーの運転手に言った言葉はそれと、「スータマシティ国立病院まで」の二つだけで、相手方は一言も口を開かなかった。これは冷たく思えるかもしれないが、今の俺には心底ありがたかった。
「あ、ガランド宰相様…… ご用件は承知しております。こちらにサインを」
暑い朝の日差しから逃げるように名に恥じぬ国家を代表する病院に駆け込み、病院のフロントで俺が看護師に小声で挨拶すると、彼女はそう言ってテーブルの上に二枚の紙を提示した。因みに、俺がここに来ることは既に通知済みであり、その際は騒ぎにならないように内密にするようにと申しつけてあった。
俺は彼女の指示通りにササっと華麗な指さばきで自分の名を二枚の紙に残すと、彼女は「ありがとうございます」と述べた後、片方をスカートのポケットに、もう片方をデスク内のファイルに収めた。
「コンチネンタル様の病室は302号室です。案内は必要でしょうか? よろしければ私が」
「いえ、大丈夫です。一人で行けますので」
看護師は案内を申し出たが、俺はそれを拒否した。部屋番号が分かれば、巨大と言えど、案内表記だらけの病院内で目的の部屋に行くのは容易だと思ったからだ。それに、俺は一人で彼女に会いに行きたかった。
エレベータで二つ上がり、廊下を東に進んで奥から二つ前。右側にある部屋が302号室。番号の右隣にあるネームプレートには『ナナミ・コンチネンタル様』と書いてあり、俺はどこかの方向音痴と違ってしっかり目的地に着いたことが分かった。
“コンコン”
少し躊躇って、俺は扉を叩く。
「はい? どちら様でしょうか?」
聞き慣れた声が返ってくる。その声から怒りは感じられないが、俺は心して答える。
「マレードです。ナナミさん、入ってもよろしいでしょうか?」
「えっ? 宰相様!? あ、はい! どうぞ」
いつものようなナナミさんらしい反応に俺は心底安心した。そして、口元を緩ませて病室へと足を踏み出した。
「宰相様、おはようございます!」
病院の白いリクライニングベッドの上でナナミは微笑んで挨拶した。彼女の腕はだらんと人形の様に下がり、周囲には疑似的回復魔法を放つ機械が並んでいた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
見舞い人の為に用意された椅子に座り、マレードは朝日の当たる部屋に飾られた人形に優しく声をかける。
「最初の処置が良かったから一週間程で退院できるそうです」
回復魔法の類は処置の速さが重要である。それは機械による疑似魔法も同様で、骨や肉、血液、そして内臓などが本来あるべき形に近い状態であるほど回復にかかる時間が短くなる。
「それは良かったです…… それと、俺は君に謝罪しなきゃいけないね。君が傷ついたのは全部俺の所為だ。本当に申し訳ない。だから、何か要求するものがあったら何でも言って欲しい。可能な限り俺は」
「フフフ……」
マレードが頭を下げ放った言葉を折るようにナナミは口に手を当てて笑った。
「あ、ごめんなさい。別に宰相様を笑ったわけではないんです! その、なんというか、むしろ私は感謝しているんです」
「感謝?」
「はい! あの、すみませんがそこにある名刺ケースを持ってきて頂けませんか?」
ナナミさんの指差した先にはたくさんのお見舞いの品とそれに並ぶように名刺ケースが置かれていた。間違いない。いつぞや見た彼女の私物だ。
「これだね? いや、しかし、凄いお見舞いだね。花束に果物、そして本に…… あ! この本!」
忘れもしない。そこにあったのは数か月前に大使館でサインさせられたあの『マレード宰相のすべて! あれもこれも、あんなことも教えます!』とかいうふざけた本だ。
「その本、私の友達が布教用って置いていったんです」
(最近の女子高生は分からないな……)
「あ、名刺ケースだったね」
暗黒本に脳細胞を引きずられたが、俺は何とか意識を引き戻し、目的の物を持ち主の元に持っていった。
「ありがとうございます。すみませんが、それを私の手に触れさせて一枚取り出して下さいませんか?」
ナナミさんは両腕の肩甲骨を損傷し、早急な完治の為に無暗に動かす事が出来ず、些細な動作でも人の力を必要としていた。
俺は彼女の言葉に従い、生気なくベッドに落とされた掌に名刺ケースを持たせると、白い厚紙を一枚引き抜いた。
「これでいいかい?」
文字が形成されつつある縦5.5、横9.1センチの白い厚紙をマレードはナナミの目線の位置で示した。
「はい。それを見て下さい。宰相様にどうしても見て欲しいと思っていたんです」
「???…… もしかして!」
マレードはナナミの明るい表情と言葉に何かを察した。そして、その真偽を確かめるべく彼女に向けた紙を自分の視界の最もいい距離に据えた。
『有名Mチューバー』ナナミ・コンチネンタル
スータマ共和国 動画投稿者Lv20 性別:女
TEL 374374―3710―46A
マレードの予想は当たっていた。彼女はマレードに先んじて、残念な二つ名を払拭する事に成功していたのだ。
「たった一日で変わるなんて夢みたいです。これも全部宰相様のお陰です。何とお礼を言ったらいいのか」
ナナミは腹筋に力を入れて上半身を立たせると、ぎこちなくマレードに頭を下げた。
「いや、俺達は特別何かをしたわけじゃない。これは君の魅力と運によるものが大きいよ。それに、感謝するのは俺の方。君のお陰で計画は上手くいったし、皇女殿下も…… あ、そうだ。これを君に」
俺は自分のもう一つの任務を実行するために、内ポケットに仕舞い込んだピンクの封筒を取り出し、賞状を授与するようにナナミさんに手渡した。
「えっと…… 『ほわほわ』さん? 『ほわほわ』さんってあの『ほわほわ』さんですよね?」
「はい。ナナミさんの良く知る『ほわほわ』さんです。実はその方は今回の一件に深く関わっていまして」
『ほわほわ』という言葉が出るたびにあの能天気な姫の顔がフラッシュバックする。もうこの言葉はまともに聞けないな。
「そんな偶然ってあるんですね。えっと……」
ピンクの封筒に入っていたのは花や動物の絵が入った可愛らしい便箋だった。これは24歳の皇女殿下の精神が幼いという理由だけではなく、ナナミさんと友人として関係を持ちたいという意思の表れであった。
「私感謝される事なんて何もしていないですし、何で謝られているんでしょう?」
自分のファンが隣国のお姫様だなんて普通は思わないし、姫君が大量のコメントを残す程暇だとも思わないだろう。
「さて? 俺には分かりかねます。まぁ、とりあえずナナミさんは人から感謝されるほどの事をしたという事だけ理解しておけばいいのではないですか」
俺が言えるのはそれだけだ。これ以上口を挿むのは野暮というものだろう。それにナナミさんが大変なのはこれからだ。だって……
「そうですね。でも、もしも『ほわほわ』さんに会える機会があるのなら「ありがとう」と伝えたいです」
「きっと会う機会があるよ。あちらもそれを望んでいたからね」
「楽しみにしています。 ――――それと、宰相様? 何か言いたい事があるのではないでしょうか?」
ナナミの指摘にマレードは素直に驚き、頭を掻きながら「どうしてそう思うんだい?」と聞き返した。これは彼女の指摘が図星だったと認めたという事である。
「ふふふ、だって宰相様。顔にそう書いてあるんですもの」
「え? そうなの?」
「はい。顔にしっかりと」
(俺は自分がポーカーフェイスだと思っていたが、どうやらそう思っているのは俺だけだったらしい…… いやいや、きっと彼女の勘が鋭いだけだ。内面がすぐ顔に出る政治家とかアウトでしょ)
「そうだね。これだけは言っておかなきゃいけないと思って」
「はい」
「君の動画はここがスタートだ。色々大変だろうけど頑張って欲しい」
端的にすると、マレードの言いたかったことは即ちこれであった。敢えて全体を示すと、ナナミの二つ名は晴れて『クソザコMチューバー』から『有名Mチューバー』へ良化と言っていい変化を遂げたわけであるが、『有名』という言葉は人形と同様に良悪の双方を含んでいる。その意味がどちらに転ぶかは、最終的にナナミの頑張りと才能次第という訳だ。
「はい……それだけですか?」
「ええ。それだけですよ」
それだけ。俺はナナミさんが喜ばしい結果になったお陰で謝罪の言葉や彼女への補償を伝える必要がなくなった。後は彼女が成功するのを願うばかりだ。
「ふふふ。そうみたいですね。宰相様『安心した顔』してます」
(ははは全く、学園で話した時は勘違いした事を言っていたのに今日は鋭い。不安や心配というのは顔に出やすいのかな)
「あぁ、そうだこれ。うちの名物の蒟蒻せんべい。腕が良くなったら食べて下さい」
「はい……ありがとうございます」
(あぁ、顔に出るというのはこういう事か。俺にも分かる。だが、名前や見てくれは悪いがおいしいんだ)
不満顔をベースにしたナナミの作り笑顔を見て、マレードは彼女の心をその顔を通して察して微笑んだ。
(だがしかし、内心とは意外と顔に出るもんだな。あの男、ペシェの顔にも『あの方』の名前が浮き上がればいいのに……)
「あっ!」
「どうしたんですか宰相様? 突然声なんか出して」
俺は閃いた。と言うより気付いた。さる漫画家の様にペシェの顔を開いて奥に眠る秘密を知る方法がある事に。
「あ、いえ。ちょっと思いついたことがありまして。
あはは、ほんと目から鱗。ナナミさん、君のお陰だよ。感謝する」
「え? はい。どういたしまして」
「それじゃあやるべき事も出来たし、俺はここで失礼します」
「はい。また今度」
「ええ、また今度、回復したら闇のネットワークで」
マレードは自らの閃きを現物化するために軽い挨拶だけして病室を後にした。だが、また直ぐに二人が顔を合わせる事になろうとは、この時二人ともゆめゆめ思わなかったのである。
(まず確かめなくてはいけないのは、“彼”が協力してくれるかだ。俺はこの事が我々の共通の問題だと思っているが、果たして……)
マレードの閃きには魔界幹部の同僚の協力が必要不可欠であった。いや、彼の力を借りる事が閃きだったと言っていい。その為、マレードはいち早く彼にその事を相談し、協力できるかを確認したかったのである。
(あの人、ジレットさんのタレント『情報開示』なら、黒幕の正体が知れるかもしれない)
タレント『情報開示』は相手の思い等に関係なく、言葉や事象の裏にあるものを知る事が出来る。マレードの考えは確かに的を得ていた。
「まーちゃん、おかえりのハグぅ~」
「ただいま戻りました。ガランド特別駐在員殿。これよりやる事がありますので失礼します」
寝床にしている大使館に着くや否や、母親の歓迎を無視し、反抗期の小学生の様に自室へと足早に向かった。
「んもう!」
息子の後姿を見て、マレーナは不満そうに声を漏らした。
「よし、行くぜ!闇のネットワークに!!」
声と共に気合を入れて、スイッチの入った仮面を整った顔の上に被せた。その際、変な喘ぎ声はださない。もうこの感覚にも慣れたからな。
そして、途中のコマーシャルを死んだ魚のような目で通過すると、電脳空間に設けられた魔界幹部のサロン『闇のネットワーク』へと至る。
生物の気配が微塵もない殺風景な空間にただ一人、マレードは辿り着くと、すぐに指を振ってアイコンパネルを召喚し、ジレット・バルバドスの呼び出しアイコンに指を立てた。前回はナナミによって呼び出されたが、今回は呼び出す立場。初めての経験にマレードは初めて恋人の家に行くかのような緊張を味わっていた。
(……………………)
暗く、何もない空間は俺の時間を数倍、数十倍引き伸ばす。手元には何もなく、出来る事は頭の中にある情報を弄ぶことだけだ。
だが、こういう時こそ見えるものがあったりする。例えば――
(何故ここ最近立て続けに不可思議な事が起こるのか? 神を名乗るのじゃろりの出現、『大陸を混沌に飲み込む』とかいう中二病全開の見えぬ黒幕、訝るべき事はいくらでもある。小国の中でこのような事が立て続けに起こるなんて事は少し異常だ)
星も衛星も無い夜空のような天井を見上げ、マレードは深く息を吸った。素材が少なすぎる故、これ以上の思考に意味が無いと断定したのだ。そして、都合の良い事にこのタイミングで待ち人がいつもの格好で現れた。
「こんばんはマレードさん……じゃなくて、マレード氏。拙者を呼び出すとはただならぬ事が起こる予感! して、拙者に何用でござるか?」
待ち人が来てくれた事が、殺風景な空間の所為でひとしお嬉しかった。もう涙が出そうだよ。
「あぁ、ジレットさん。うぅ、こんばんは、来てくれて嬉しいです!」
マレードの声に少し涙が混じる。
「ええー! ほんとどうしたでござるか? 拙者何かしましたか?」
瓶底メガネに遮られ、ジレットの目の周りの様子は分からない。だが、口元と辛うじて見える眉の端から心配の色が濃く見えた。
「いえ、すみません。実はジレットさんにお願いしたい事があるのです」
「お願い……でござるか?」
「ええ、ジレットさんにしか出来ない事なんです」
目線を合わせる為にジレットはマレードの前に腰を下ろして、彼の話を聞く体勢を整えた。そして、話を交わす準備が整えられるとマレードは心の内を目の前の青年に丁寧に話始めた。即ち、「ヴィーナス計画において何があったかという事」、「ノワール・ペシェの事」、そして、「ペシェの背後にある謎の存在の事」である。
正直マレードはジレットにこの願いが拒否される事を覚悟していた。「大陸を混沌に飲み込むと」言うが、所詮、これは国内問題であり、無関係な人間に頼むのはどこか違うと理解していたのだ。
だが、ジレットの反応は意外であった。彼はマレードが「ペシェの背後の存在」について話している時、不思議なほど興味を示した。そして、マレードの提案を二つ返事で了承し、明日直ぐに行動を開始すると伝えた。
「ジレットさん。いいんですか?」
「いいもなにも、マレード氏が言い始めた事でござるよ?」
「でも、明日からだなんて……」
「それはこちらの事情でござるよ。拙者明々後日より忙しくなる身でして。
それと、そのペシェとやらに拙者が接触できるようよろしく頼むでござる」
「それは勿論!」
二人は固い握手を交わし、計画発動の狼煙を上げた。だが、この後マレードに別の問題が持ち込まれる事になる。それは明日の朝、かつてニャムに供する為の家畜たちがせっせとキーボードを叩いていたいわく付きの部屋で白パンを齧っていた時の事である。
「宰相閣下。お食事中失礼いたします。スータマシティ病院より閣下にお電話が入っておりますが、いかがなさいますか?」
大使に遣わされた職員が、一礼した後に告げた。
「スータマ病院? 了解した。出よう」
(どう考えてもナナミさん関係だ。何か忘れものでもしたのかな?)
無視する理由があるわけでもない。俺は食事を中断し、職員と共に電話の元に優雅に向かった。
「ガランド宰相です。何かございましたか?」
マレードはエリートらしい丁寧且つ威厳のこもった口調で受話器越しの相手に最初の言葉を投げた。だが、その返答として帰ってきたのは人形少女の枯れた泣き声であった。
「うわぁぁぁぁぁぁん!! 宰相様ぁぁぁあ!! ううう……」
「え? ナナミさん? どうしました? 何があったんですか? ナナミさん? ナナミさん?」
突然の事に俺は動揺して相手の名前を連呼する。だが、聞こえてくるのは嗚咽に覆われたか細い言葉だけ。
「今からそちらに向かうから。何か知らないけど泣かないで! 大丈夫だから!」
マレードは若干無責任な言葉で彼女を安心させると、受話器を切り、すぐさま大使館の車を手配し病院へと向かった。
だが、彼は知る由もない。未だ見えぬ影の胎動が大陸全体を舞台にその触手を広げんとしている事を――




