12 救国のヴィーナス Ⅴ
「ふわぁ~」
目が覚めたら見知った天井。どうやら俺は夢の世界から無事に戻れたようだ。
「フフフ…… アッハハハハハ! おお! Majestic!! 夢の中でも天才とは!!」
マレードは両手を上げ、夢の中で事件解決にアプローチした頭脳を自画自賛した。
「…………ん? なんだこれ?」
だが、それが夢ではなかったという事は直ぐに証明される。彼が握っていた人型の紙切れによって……
「あ、ははは。夢だけど、夢じゃなかった」
微妙な失望が彼に乾いた笑いをさせ、清々しい朝に若干の居心地の悪さがブレンドされた。
「だってさぁ…… 神だぞ? あの自称ロリ神様だぞ? 信じられるか? てっ事はさ…… アンナ君!! そうだアンナ君は大丈夫なのか!? 彼女も俺と同じ車に乗っていたはず!」
マレードは夢だと思って安心していた。だが、昨日あった事。オーティマ宮の帰りに起きた事が現実ならば、その間のあらゆることが心配になってくる。
その最たるものが秘書の事だ。彼女は無事なのだろうか? マレードはその心配を払拭するために彼女が一人で暮らすマンションに電話を繋いだ。
「早く早く……」
“とぅるるるー とぅるるるー”
いつもより呼び出し音が間延びし、間隔も広く感じられた。
“とぅるるるー とぅるるが!!”
「はいはいアンナです。こんな時間にどなたですかぁ? 人から時間を奪うというのは、寿命を奪っているってことなんですよぉ」
「あ、アンナ君!? 良かった…… 大丈夫かい? 何かおかしい事はあるか? はぁ~」
(ふてぶてしいその態度。電話の先にいる相手はアンナ君で間違いないようだ)
秘書のぐうたらな声を聞いてマレードは安心して胸をなでおろした。
「あ、宰相閣下ですか? もうっ、何なんですか? おかしい所なんて何にもありませんよぉ」
「いや。朝早くに済まない。ちょっと聞きたいんだけど、昨日オーティマからどうやって帰ったの?」
「若年性健忘症ですか? 大変ですね。 確か車に乗って、途中で運転手さんが私に先に帰るように言ったんです。“これは宰相閣下の指示だ”とか言って。それで閣下も頷いてらしたので、私はラッキー……じゃなくて、申し訳なく思いながら先に帰らせて頂いた感じです」
どうやら俺は催眠を受けていたようだ。そして、あの空に聳える白金の城から帰る時も同様にやられたのであろう。
「分かった。ありがとう。君が無事でよかった」
「はぁ…… まぁ、私、寝ますね」
そう言うとアンナ君は電話を切った。ちゃんと出勤までに起きてくれればいいのだが。
「さて……」
(あの自称ロリ神様、いや、ロリは自称じゃないっけ? いやいや、『のじゃロリ』?って言ってた気がするから自称のじゃロリ神だな。確か彼女ヴィーナス計画と命名した事が原因とか言ってたな。という事は、犯人の狙いは姫殿下)
俺は昨日出した結論の答え合わせのために、手にした受話器で次は憲兵総監の元に話を繋いだ。そして、計画資料を関係者に郵送した日のテルカ空港の利用者リストを確認し、目的不明の者がいないか見てもらう様に要請した。
そして五分後――
憲兵総監からの返しの電話は予想以上に早かった。これは憲兵隊が優秀である以上に、あの空港の利用客数が極めて少なかった事によるものだ。
「閣下。一人怪しい人物がいました。マーバスからテルカ村に向かい、すぐに日帰り。村に家族は無く、その日は仕事を無断欠勤しています。人物の名はノワール・ペシェ26歳。帝都で水道技師をしている者でございます」
水道技師か。それなら色々と合点のいくところがある。帝都の地下水道は街全体に迷路のように張り巡らされ、しかも景色が何処も同じ。加えて、安全保障上、地図は一般に出回っておらず、それを閲覧できるのは仕事上必要不可欠な水道技師だけ。
それと、気のせいかこの名前聞いたことがある気がする。まぁ、思い出せないという事はどうでもいい事なのだろう。
「よし、その男を確保しろ。尋問は私が行う」
「御意のままに。ですがよろしいのでしょうか? この男に特殊魔法・地底の獣の技能は無さそうですが」
「構わない。頼んだぞ憲兵総監」
「は!」
ジーノ総監は耳が痛くなるほどの大声で任務を受諾し、早速部下たちに指示を出した。
しかし、勢いよく船出をしたものの、上官への最初の報告は謝罪と、失敗を告げる者であった。
「面目ありません閣下。このジーノ・フォン・カタル。愚かにも彼奴を取り逃してしまいました」
「取り逃した?」
正直この報告は意外であった。我々は容疑者ノワール・ペシェに気付かれることなく、電撃的に確保できたはずなのである。
「はい。奴の住むマーバスしないのマンションに突入したところヤツの姿はとうに無く、地面には地下水道に繋がる穴が掘られておりました。無論、彼の職場にもその姿は無く、現在水道技師と共に捜索中であります」
「分かった。進展を期待している」
細くその言葉をジーノに伝えると、ゆっくりと受話器を電話台の上に置いた。そして、何とも言えない気持ちの悪さが身を震わせた。
ノワール・ペシェを犯人だと推測し、行動に移すまで一晩。この間その事を知っているのは俺と自称のじゃロリ神だけ。答えを示したのじゃロリ神がペシェに情報を与えたとは考えにくく、憲兵隊に内通者がいる可能性を疑わざるを得なくなる。そして、そうであればきっと進展なんかないであろう。
「はぁ、今日は梅雨の月、20番目の日……あと二か月もないのか」
カレンダーを捲ると海の月15番目の日に花丸が付いている。そして、その月の25番目の日に汚名返上の日と書かれていた。15番目の日にテーマパーク開園式典。25番目に本年度のグランディア大陸魅力のある国ランキング発表。二つの壁が刻々と忍び寄っているのが感じられた。
「さて、アレの確認もしておかなきゃいけないな。いやだなぁ……」
俺はヴィーナス計画第二の要諦ともいえるモノから逃げていた。それはノートMCの中にある。
「逃げちゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だ」
俺は呪文のようにそう口ずさみ、マギチューブのアイコンをセンターに入れてスイッチする。そして、見たくないものを無理やり見るように目を細め、その動画を確認した。
「ニャム…… 動画視聴者数は約三千人か。ちゃんと頑張って続けているみたいだ。あとは、コメント欄…… え? ナニコレ?」
ニャムの最新動画のコメント欄には誹謗中傷のコメントと同じくらい、彼女を称賛するメッセージが溢れていた。今、二つの勢力は拮抗している。
『ニャムたそすき』『すごい動画。俺じゃなかったら見逃しちゃうなー』『すこ』『尊い』『萌死』『脇ペロ』
気のせいかIQが溶けているメッセージが多い気がするが、これは凄い。これならもつかもしれない。頑張れニャム。俺は動画を見ないけど応援しているぞ!!
そう、ニャムには頑張ってもらわなくてはいけない。彼女は計画に必要な存在なのだ。
この計画の中心は第二皇女フィーナ姫。開園式典に彼女を呼ばない訳にはいかず、きっと彼女はこう言うであろう。「きゃー 私もあれに乗りたいですぅ↑ 何でもできる君も一緒に乗りましょうよ!」と。そうなったら最後、姫仕様にしていない付け焼刃のアトラクションは彼女の力強い動きに耐えられず、儚い生涯を終える事になるであろう。絶叫系とか最悪で、絶叫するのは計画を進めてきた俺たちと、国の財政である。しかも、開園初日で事故という不名誉な評価が魅力のある国ランキングの直前に広まる事となる。
だから必要なのだ。彼女をそうさせないようにする為の魅力的な“餌”が。きっとニャムはその使命を全うしてくれるであろう。痛みが伴うかもしれない…… だが、その代わり皇室御用達という名誉が得られるのだ。
「よし、これで憂いはノワール・ペシェの件だけか。15番目の日までに捕まる事を願うだけだな」
だが、願いというものは儚いものだ。それに向けた努力や対策をしなくてはいくら願っても叶いはしない。マレードはヴィーナス計画準備の多忙さで最早その事を気に留める余裕は無く、憲兵隊も手掛かりを掴めず、その力の大部分をフィーナ姫の安全に注いでいた為、彼の捕縛は勿論、どこにいるかすら分からずじまいであった。
――そして海の月、15番目の日。夏の日差しが眩しい中、ヴィーナス計画集大成の日がやってきた――
「宰相様! いったい何なんですか? 突然に!」
ニャムこと、ナナミ・コンチネンタルを俺は大使館を通じ圧力をかけ、先日この地に招集した。ご覧の通り、彼女は何も知らない。
「いや、実はナナミさんに会って欲しいお人がいるんですよ。その方にお会いになれば、ナナミさんの動画もきっと大人気に」
まるで誘拐犯の常套句だ。だが、純粋な彼女はそれを聞いて笑顔を見せた。まったくチョロ過ぎて心配になってしまう。
「え? 本当ですか。わー、誰なんだろう……」
「それは、その時までの秘密で」
別に話しても良かったが、サプライズにした方が感激的な出会いになると思って俺は真実を言わなかった。俺も黒いなぁ。くくく……
「それは置いておいて、ナナミさん。これを見て欲しい。俺と君、新人魔界幹部の活動第一歩だ!」
その言葉に呼応し、溜息をつきながらアンナがカーテンを開け、室内は自然の光に包まれた。
「わぁー すっごーい!! これあの遊園地ですよね!?」
「見違えたでしょう? アトラクションを修繕して、増やして、彩って。ここまで仕上げたんです。因みに俺たちがいるここはパーク内ホテル『エルフランタルカ』の一室。全てが万全さ」
様々な人々の協力を以って成した事業であるが、マレードは鼻高々に説明すると、ソファにふんぞり返った。
「あ、あの綺麗な人。テレビで見た事ある気がするんだけど……」
「ん? どれです?」
「あの像の人です。足元にモフモフちゃんがいる」
「あぁ、あの方こそ、我が国の第二皇女様だよ。ちゃんと覚えていってね」
少女は目に映る全てのものに、そのつぶらな瞳を輝かせていた。その姿を見て、俺は彼女をここに呼んだ事を矢かったと思うと同時に、この後試練を与える事になると思うと少し心が痛んだ。
「ナナミさん。遊園地は初めて?」
「いえ、一度だけお母さんと行きました。でもお母さん忙しくてそれっきりは行ってないです」
廃墟だった遊園地のビフォーアフターは話を弾ませた。あぁ、それと、この遊園地にも勿論魔法封じの結界が張られている。これでモンスターに脅かされる事もない。
「宰相閣下。インペリアル・セカンド・プリンセスが到着したと連絡がありました」
遊園地を望んでの会話はアンナの報告によって遮られた。インペリアル・セカンド・プリンセス――第二皇女フィーナ専用の飛行艇の名だ。至る所に彼女の動きに耐える希少金属、希少繊維が使われており、これ一隻で通常の飛行艇が約100隻作れるほどの価値がある。それ故にこの金塊の山のような船を狙った輩が後を絶たず、警護、防衛のために予算が使われ、我が国の財政の巨大な負担の一つになっていた。
「よし。すぐに準備する。
ナナミさんはここにいて下さい。それと、秘書を置いていきますので何かあったら彼女に言ってくれればいいです。あと、彼女が居眠りとかしないように見張っていて下さい」
嫌な顔をする秘書に釘を刺した後、俺は関係者が集まるパーク内のコンサートホールに向かった。
そこでは、皇女殿下のスピーチ、関係者挨拶などが行われる手筈になっており、関係者は俺の姿を見て挨拶すると直ぐに準備へと戻っていった。外装は薄茶の覆いによって覆われており、設営準備が急ピッチで行われている事が分かる。
(この感じ懐かしいなぁ。学生時代の学園祭以来かな)
俺はこの雰囲気が好きだった。皆が協力して物事を彩ろうと努力する。最高じゃないか。
「マレード様~ いよいよですね!」
高揚した気持ちを抑えながら周囲を見回していると、いつもと違った服に身を包んだ獣人少女が駆け寄ってきた。
(キュン♡)
その姿に俺の心は季節外れの桜を咲かせた。いつもは黒っぽく動きやすい服装をしていた彼女だが、今はウェディングドレスのような純白のドレスに身を包んでいた。
「マレード様? どうかしたんですか?」
「いやいや失礼ケルベロスさん。ついにこの日が来ましたね。これからの未来、きっとこの地は子供たちの歓声轟く場所になる事でしょう」
俺の言葉にケルベロスさんは地獄の番人とは思えぬ太陽のような笑みを見せた。お持ち帰りしたくてたまらないZE……」
「宰相閣下どうぞこちらへ」
スタッフの一人が俺を見つけてそう言った事で、俺の経歴に『誘拐犯』の一文が刻まれずに済んだ。そして、彼の案内の元、貴賓室に向かい、俺は皇女殿下をお迎えする事になる。
大丈夫大丈夫。貴賓室には俺以外にも建設大臣、観光庁長官、そしてエルフランリゾートCEOグリード・エルフランが同席している。我が国のヴィーナスも下手に俺の身体を破壊できないだろう。
「第二皇女フィーナ殿下のおなり」
衛兵がフィーナ姫の入室を宣言すると、参加者はみな膝を折り、彼女が来るのに先んじて頭を下げた。
「皆の者。頭をお上げください」
ふわふわな私事とは違い、今の彼女は公務モードだ。特殊繊維で織られた白銀のドレスを纏った貴き姫君は慈悲のこもった声色で参加者たちに声をかけた。そして、彼らが立ち上がるのを確認した後、彼女の為に用意された椅子に姫君はゆっくりと腰を落とした。
「さぁ、皆々様もお座りください。今日は素晴らしい贈り物の労いの意味もございます」
「ありがたき幸せにございます殿下」
マレードのこの言葉を合図に、大臣らも用意された椅子に座り、腰を落ち着かせた。そして、その瞬間を留めるため、招かれたメディアのカメラが光を放ち、空間を切り取った。
「全てが順調に進んでいる」そう思いながらも、一つの懸念がどうしても棘の様に突き刺さって抜けないでいる。ノワール・ペシェの件だ。奴の狙いは目前におわすヴィーナス。周囲は憲兵と衛兵によって厳重に守られているが奴は下から来る。
「宰相殿。この贈り物は貴殿が計画したと聞きました。私この感謝の念をお今伝えする事がかないません。そこで、また、オーティマにおいで下さい」
(ヒエッ……)
「あ、ありがたきお言葉でありますが、時間なき身である故。このマレード・フォン・ガランド、皇女殿下のお喜びこそが我が最大の下賜であると心得ております。
加えて殿下にはもう一つささやかな贈り物をご用意しておりますが、それは後程」
「あら、素晴らしい。楽しみにしていますね」
姫殿下はそう言われたが、一瞬舌打ちした様な表情を見せておられた。この身長くはないかもしれん。
そしてこの後、彼女は貴賓室にいる皆一人一人に声をかけ、談笑していると、最後の一人との会話が終わったところでいい感じに時間が満ちた。
姫殿下を頭を下げてお見送りし、俺達は開園式典会場であるコンサートホールに向かった。
「おお、凄いな」
先ほどまであった覆いが外され、その豪華絢爛な装飾が露わになっていた。そして、それは見た目だけではない。音響設備も良いものを外国から取り寄せ機能的な部分も最上だ。これなら見栄っ張りな国民も満足であろう。
だが、これを魔界の再生第一歩と評するなら、この場に他の幹部たちを呼べなかった事は心残りだ。俺を除いた魔界関係者で実質式典に参加するのはエルフランさんとケルベロスさんの二名だけであり、ナナミさんは時が来るまでホテルでお留守番だ。しかし、これは致し方ない事だ。不用意に彼らを招けばその関係を疑われる事になり、ナナミさんを会場に入れたらきっと皇女殿下のイーグルアイに捕捉され、サプライズではなくなってしまう。
「第二皇女殿下よりお言葉がございます!!!」
国歌斉唱から始まった式典は何事もなく進み、ついにこの計画の女神が壇上のマイクを前にした。
「このような贈り物をくださったジーマの愛おしき国民たちへの感謝を先に述べさせていただきます。
まだ無名の遊園地はジーマの赤子そのものであり、その名付けは慎重に推敲を幾重にも重ねた結果でなければなりません。その、責任ある立場を頂き、重みと、愛を痛感しております。――――」
皇女殿下は優雅に、高貴に、悠然と眼前に座する数百の人々とカメラを通して繋がったお茶の間を前に言葉を並べた。そして、約20分のスピーチが終わると、会場は突然のゲリラ豪雨のような拍手の嵐が巻き起こった。
「続いて、この地の領主。アリーザ・ケルベロス様より花束の贈呈です」
拍手の後、緊張のせいか動きがぎこちない獣人少女が大きな花束を持ってフィーナ姫に歩み寄る。
(がんばれ。がんばれ。あとちょっとだ)
子を見る親のような心境で、俺は固唾をのんで彼女を応援した。きっとここにいる皆が同様の心境だと確信している。
そして、俺は皇女殿下の指先がわなわなしているのを見逃さなかった。そう、目の前にいる圧倒的な愛くるしさの少女を撫でまわしたくてしょうがないのであろう。理性と欲望が葛藤しているようだけど頑張ってくれ。あ、俺はもう撫でまわしたよ。
フィーナ姫の手に花束が渡ると、また盛大な拍手が会場を包んだ。その拍手は姫のみならず、初めてのお使いをこなした獣人少女に贈られたものであった。
「私決めました!!」
“ざわ……”
花束を手にした満面の姫君が突然宣言し、会場内に異常な緊張が走った。分かる人には分かるのであろう。今の彼女の顔は凛々しい皇女殿下ではなく、いつものゆるふわ姫になっていたのだ。
「この遊園地の名前なんですけど。
デレレレレレレレレー…… ジャーン!
“わんぱくわんにゃんランド”
にしまーす!! けってーい!」
「は?」
(いやさっき言ってたよね? 「まだ無名の遊園地はジーマの赤子そのものであり、その名付けは慎重に推敲を幾重にも重ねた結果でなければなりません」って。一字一句覚えているぞ。あれか? 子供にDQNネームを付けるタイプか? てか“わんぱくわんにゃん”ってなんだよ…… 微妙に言いにくいし、しかも“にゃん”はどこから来たんだよ!!)
フィーナ姫は敗北したのだ。皇女として毅然とした態度を取るべきという理性と、愛くるしい獣人少女を愛でたいという欲望が天秤にかけられた時、彼女の理性はかくも容易に砕けた。だが、これは完全敗北ではなく、最後に残った理性の塵と言うべき存在がケルベロスを撫でまわす事を制止していたのだ。そして、行き場を失ったエネルギーが思わぬ形となった結果がこれなのである。
「あはは…… ははは……」
拍手が渇いた笑いと共に起きた。彼女に命名権を与えた以上、これに反する事叶わず。その情景はまるで後頭部に銃口を突きつけられた状態で独裁者のスピーチを聞いているようだ。
乾いた空気を感じているのか否かはフィーナ姫本人しか分からないが、彼女はそれを草原の清風を受けた様な清々しい表情で受け止め、発端の少女を壇上から帰した。その際、スカートからちょこんと出ていたモフモフの尻尾がフィーナ姫の美しい手で撫でられ、獣人少女は毛を逆立たせていた。
(あー、俺尻尾は触ってない。羨ましいな)
万人を欲望に駆り立てる魔性の獣人少女の出番が終わると、その後は仮面を被ったように公の顔になったフィーナ姫の元、全てはつつがなく閉会へと至った。
(何もなかったな)
ここに至るまで、穴掘り名人ペシェは現れなかった。
(ノワール・ペシェ…… 何か引っかかるんだよなぁ。どこかで聞いたことがあったけなぁ。この会場に入った瞬間思い出せそうだったんだけどな…… まぁ、それより次だ。頼んだぞ。アフロディテ……)
正直ペシェの事は二の次であった。皇女殿下の理性は崩れたものを無理やり修繕した状態であり、ニャムを相手にした時いかなる行動をするか見当もつかない。殿下からすればボロボロの状態で再度攻撃を喰らうようなものだ。
(場合によっては俺が犠牲になる他ない)
第二の女神。アフロディテことニャムを迎えに行く道中、俺は覚悟を決めた。
「ナナミさん。いますか? 出番ですよ」
マレードがスートルームの扉を勢いよく叩き、少女に出番を伝えた。
「あ、宰相様? ちょっと待って下さい。
…………はい。お待たせしました」
その返答の直後に俺が部屋に入ると、そこで待っていたのはいつもより豪華なゴスロリ衣装を身に着けた人形少女の姿であった。
「うん。いい感じですね。
どう? 気に入ってもらえたかな?」
「あ、はい。……でも、いいんですか? これ高そうですけど」
「俺はこの国の宰相だよ。気にする必要はないさ。それに、我が国はそういった物には自身があるからねぇ」
これは細やかな俺からの、いや、ジーマ帝国からのプレゼントだ。この計画の画竜点睛となるキーパーソンにこれ位は安いかもしれないが。
「それじゃあ、行きましょうか」
「あ、あの…… 大丈夫ですよね? 酷いことされませんよね?」
ナナミは怯えていた。闇のネットワークでのやり取りを今頃思い出し、恐怖していたのだ。
「大丈夫だよ。痛い事があるかもしれないけど、酷い事をするお方じゃない。あと、そのお方っていうのは女性だ。変な事はされないよ」
「……はい。頑張ります」
フィーナ姫はこのホテル内にあるコンサートホールから直結した応接室で待機している。マレードはまだ怯えの残る少女を連れ、一階にあるその場所に眠そうな秘書を連れて無言で向かった。そして、衛兵二人が守護する扉を前にした時、やっと口を開いた。
「この先です。
今更ですけど、どうかご無礼の無いようにお願いします」
「それって……」
「俺よりすごい人がお待ちだという事ですよ」
衛兵が扉を開けている時、そう言うマレードの顔は何故か嬉しそうであった。そこには一片の邪悪さも無く、まるで親しい友人を家に招く少年の様であった。
「マレード・フォン・ガランド宰相閣下。ナナミ・コンチネンタル様御入室!」
その扉の先にはまた次の扉に通ずる赤絨毯の敷かれた廊下があり、二人は静かなその道を先ほどより重い空気の中歩んだ。
「これが最後です。この先にナナミさんの動画を救うキーマンがいらっしゃいます。ですが、彼女は時に人を傷つける。勇気とニャムに対する意志の強さを見せる時ですね。
退くなら今の内ですよ?」
少し意地悪な言い方だ。このような言い方をされると引くに引けない。
「行きます。それに、これは私だけでなく、魔界にも関わっているんでしょう?」
「ああ、そうですね。
……ありがとうございます」
俺はナナミさんに小さく感謝を伝えると、最後の扉を自らの手で空けた。
そして、その先の椅子が三つ、重厚な小さな丸テーブルが一つ置かれた豪華な部屋に足を踏み入れると、自分より一つ年下の美しい乙女に膝を折った。
「あ、この方は…… お姫様?」
椅子に座する気品ある姿にナナミの目が釘付けとなり、一瞬時が止まったように硬直した。そして、体の自由が戻ると、慌てて膝を折って頭を下げた。続いて、その二人を皇室庁の専属カメラマンのフラッシュが立て続けに襲った。
「頭を上げて下さい。私早くお話ししたくてたまりませんの」
フィーナ姫はそう言うと、先のカメラマンに目配せし、退室するよう促した。そうして今、三人だけの空間が作られた。
「はい。皇女殿下。ありがたき幸せにございます」
「あ、ありがとうございますです!」
異国の姫を前にナナミは緊張を隠せない。
「フフフ、そんな畏まらなくていいですよ。コンチネンタルさま。さぁ、どうぞこちらに」
姫の言葉はナナミの緊張を春の風の如き温かさで溶かした。そして、二人は彼女の言葉に従い用意された二つの椅子に座る。
姫と対面する席にナナミが、それを見守るように、二人の間にある席にマレードが座り、ついに計画のフィナーレが始まる。
「あ、それと言ったはずですよ。何でもできる君。他に誰もいない時はフィーナと呼んでって」
「いや、しかし、今ここにはコンチネンタル殿が……」
「コンチネンタルさまは貴方の御友人でしょう? それに、彼女を前にして疲れるのも嫌ですわ」
素の彼女だ。ゆるふわでマイペースでどこか腹黒い。俺が畏れるフィーナだ。
「あ、あの姫様! ご機嫌麗しゅう! ナ、ナナミです! あ、コンチネンタルです!」
「フィーナでいいですよ。ジーマには姫が三人いて姫と呼ばれても誰を指しているのか分からないのですよ。
それに、実は私も緊張しています。だって、何でもできる君がこんなサプライズを用意してくれているなんて思ってもいなかったから…… ナナミさん? ニャムちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」
「え? あ、はい! もちろんです。でもどうしてその名前を……」
俺は二人の会話を黙って聞いていたが、正直驚いた。フィーナはああ見えて人見知りで、こんな態度を初対面の人間に見せる事なんて今までなかったのだ。これは、ナナミさんの雰囲気の所為なのか、それともフィーナの心境の変化か。まぁ、獣人少女にもあんな感じだったし前者なのだろう。
「私ニャムちゃんの動画のファンで。毎回見ています。後でサイン頂けるかしら?」
「え? えっー! こ、光栄ですフィーナ様」
二人の会話は緊張に満ちた相互確認から始まり、徐々にそれは所謂ガールズトークへと進んでいった。ニャムが動画で紹介した食べ物の話。学校での思い出。そして、恋愛。24歳の姫君と17歳の女学生による異色の組み合わせにも関わらず、二人の会話には幾度と花が咲き、見せる笑顔も緊張の無いものとなっていた。
「全く、私の想い人は甲斐性が無くて、私からアプローチしているのに逃げるのです」
「そんな、フィーナ様の御心から逃げるだなんて、とんでもない方です!」
フィーナが話の合間に飛ばす視線が痛い。「なんか言う事があるでしょう?」と目で訴えている。だが、俺の役目は二人の間に入り、話題を提供する事ではない。俺がここにいるのはナナミさんの安全の為だ。
もし、フィーナが一線を越え、ナナミさんに触れるようなことがあれば、彼女の身体が崩れてしまうかもしれない。これではヴィーナス計画最悪の幕引きだ。
実際、二人の会話が弾む過程で幾度とフィーナは華奢な人形少女に手を伸ばそうとしたのを俺が席を立つ仕草をする事で止めてきた。
「皇女でん……フィーナ。もうそろそろお時間です」
「あら、私まだ話足りないのに……」
「私もです……」
ガールズは不満そうな顔を見せたが、時間は時間。人類がこの概念を発明して以降、貴賤問わず全ての人間は時間の奴隷なのだ。
「また二人がお話しできるようセッティングしますので、どうか今日の所は……」
「……そうですね。次回はお茶とお菓子を用意しますわ。その時は是非いらしてね」
「はい! その時を楽しみにしております!」
ガールズトークは幕を閉じ、俺も緊張から解放される。だが、これが油断となった。フィーナの獣のような観察力は俺の気のゆるみを見逃さなかった。
「今です! ニャムちゃんハグハグぅ~」
「え? フィーナ様? わっ! あた、たたたたたいたたたたたたたたたたぁー!!!! がくっ…………」
肉食獣が獲物を食い散らかすような骨の砕ける音が閉鎖空間に轟くと、ナナミは獣のような叫びをあげ、地面に転がった。
「ナナミさん! 大丈夫ですか? 気絶しているだけか……良かった」
「ごめんなさい!! 私、私……」
フィーナは目を潤ませ、ナナミの身体の傍で座る。そして、俺は有事の為に近くに配置した医療班を呼び寄せると、ナナミさんを病院へ運ばせた。
「何でもできる君…… 私、何てことを」
ショックのあまり、医療チームがまだいる中でフィーナは俺に後悔を口にする。
「お気を付けください姫様。……俺も迂闊でした。こうなる可能性を分かっていながら。
後で二人でナナミさんに謝りに行きましょう」
「はい……」
医療チームの担架に乗せられたナナミを二人は申し訳なさそうな表情で見送った。
そして、ここには意気消沈した二人だけが残った。
「何でもできる君……ありがとう。それとごめんなさい。私ったら嬉しくて舞い上がってしまったみたいです」
落ち着きを取り戻したフィーナは俺にぺこりと頭を下げた。
「いえ、頭を上げて下さいフィーナ! 先程も申し上げましたように、俺にも責任があったんです。
…………ナナミさんには申し訳なかったですけど、フィーナが楽しそうだったから、きっとやってよかったんだと思う。
それでは俺もこれで失礼します」
「待って下さい。もう少しいいじゃないですか…… せめて、その廊下を過ぎるまで、ご一緒させて下さい」
「姫様が望むのであれば」
ナナミさんへの罪の意識を持ちながら俺たちは歩みだした。気のせいかここに来る時より空気が重い。でも、不思議と彼女と共にいると少し安心する。
“ゴゴゴゴ”
「フィーナ? もしかしてお腹が空きました?」
「いえ。そんな事は」
“ゴゴゴゴゴゴゴゴ”
「ほら。やっぱりお腹の音が」
「私こんな音出しません!!」
“ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ”
“ドン!”
地ならしのような奇怪な音は大きな音と共に鳴り止んだ。そして、それに代わり二人の前に人がやっと通れるくらいの穴が出現した。
「ったく。マレードぉ。お前はいつもいつも姫様とイチャイチャしてよぉ…… クソっ! イラつくぜ」
フィーナ姫の盾となるように、彼女と穴の間に立ったマレードに対し、穴から声がぶつけられる。
「ノワール・ペシェか?」
「お? 俺の事を覚えていてくれたのか? 学校では散々無視して癖によ」
穴から顔を出したこの男の発言の助けで、俺は思い出した。
ノワール・ペシェ――確か、高等部最後の学園祭の時、この男は学園祭実行委員の一人であった。
「やぁ、久しぶりだね。ところで穴なんか掘って何がしたいのかな?」
「お前からフィーナ姫を救い出すんだよぉ! その為に俺はあの方と協力してここまでやったんだ!」
マレードとフィーナの頭上に『?』が浮かんだ。マレードはフィーナに危害を加えているわけではなく、そういう意味では彼の方が被害者だ。
「待っててねフィーナ姫。この『何でもできる君』とかいうクソみたいな二つ名の男をやっつけて君を救うから。
もう一人占めはさせない。学園祭の時みたいに俺を無視させない!」
(あぁ、何という事だろう。出会い方が違えばこいつとは分かり合えたかもしれない。やっぱりこの二つ名はおかしいよな。 だけど……)
「もしかして、学際の時に君を排除した事を根に持っているのか? いやいや、それは君が悪いよ。それは分かっているだろう?」
(この男の性癖にはついていけない。いや、性癖というか、それを恥ず事もなく、さも、皆が自分と同じ考えだと言わんばかりに表を出すこの男の性質にだ)
「なんだよ! みんな嬉しいだろおっぱい喫茶! 男はムフフだし、女は魅惑のボディを如何なく見せつける事が出来る。最高じゃないか!」
(あぁ、救えない。こいつはあの時から何も変わっていない。皇女殿下の前でよくそんな事が言えるな。汚い口ごと身体から首を切り離してやろうか?)
フィーナ姫は黙ってこのやり取りを聞いていたが、拳に力を込め、震わせていた。ただ、それはペシェの破廉恥で身勝手な発言に対してではなく、自分が付けた素晴らしい二つ名にケチをつけた事に対してであった。
マレードはその様子を知覚すると、姫を抑えるように彼女に背中を晒した。
「言いたい事はそこまでか。では、衛兵を呼ばせてもらおう」
皇女殿下の感情が爆発する前に俺は早急に事態を収束したいと考えていた。だからこれ以上ここではペシェと話をせず、胸ポケットにある通信機で外の衛兵に連絡しようと試みた。だが……
「させるかよぉ!!」
俺の身体は、ペシェが放ったクラッカーより出現した無数の人工触手によって拘束され、通信機も手元から離れてしまった。
「うっ…… これは射出束縛器…… なんでこんなものをお前が持っている? あ♡ そこは…… ちょっと、ダメだって……」
射出束縛器――武器を装備したテロリストや凶悪犯を相手にした場合に使用される武装の一つ。クラッカー状の筒の中に無数の人工触手が封じ込められており、使い切りであるが、トリガー一つでそれらが目標に飛び掛かるのだ。
だが、その性質上、一般には出回っておらず、公安や軍にしか保有を許されてはいない。
「ふん! お前には分からない事が山ほどあるんだよ! もうすぐ大陸があの方によって動き始める! いやぁ楽しみだな!」
「あ、らめっ! あの方って誰だ? うみゃっ! 何が始まるんだ! あんっ」
「防音設備が整っていたのが仇になったな。お前は一生そこで悶えていろ。
さて、それじゃあ本題。フィーナ姫、お迎えに上がりましたよ。二人で大陸が混沌に包まれるのを安全な場所から楽しもう」
芋虫の様にジタバタしながら嬌声をあげるマレードからフィーナ姫に目を向けると、ペシェは彼女の元に手を広げて歩み寄った。その動きに迷いはなく、自分と姫が相思相愛であるという妄想に取りつかれているようだ。
「申し訳ないですけど、お断りしますわ。
私、あなたと安全な場所に行くより、宰相と混沌に飲まれたいの」
「あぁ、嘆かわしい。この男に洗脳されているのですね? いま、我が愛の力で解いて差し上げます!!
ひひ、ひひひ ……でも、愛は時に暴力を伴います。だからこれで貴方に俺の愛を示しましょう」
ペシェは下卑た笑いと共に、腰に付けたポシェットから二つ目の射出拘束器を取り出し、フィーナ姫に照準を合わせた。
「あはっ、ちょ、くっ…… フィーナ…… 命は取らないで下さいぃっ! こいつにはっ♡ 聞きたい事があるんです!」
俺は不姫殿下について微塵も心配などしていなかった。こんな事程度で彼女が拘束できるのなら、彼女自身も周囲もこんなに苦労しない。だから、俺が心配していたのはペシェの方だった。
「いくぜぇ!!」
ペシェの声と共に射出拘束器から飛び出た触手群は勢いよく、フィーナ姫の美しい身体を目掛け飛んでいく。しかし、その途上、それらは突然放たれた衝撃波によって形が維持できぬほどに崩壊していった。そして、音速の衝撃は射出拘束器の筒をバラバラに分解し、持ち主のペシェはこの廊下の入口にあたる扉に向かい弾き飛ばされた。
衝撃波の源は言うまでも無く最強の姫騎士。彼女の張り手によって生じた衝撃波がペシェの変態的野望を完膚なきまでに粉砕したのだ。
――――
「何かありましたか!? ん? この男は?」
ペシェの身体が扉にぶつかった衝撃で外の衛兵が廊下に現れた。そして、俺は皇女殿下に纏わりつく触手を排除してもらい、全ての事情を衛兵に話した。
最後の最後で突然のアクシデントがあったが、ナナミさんの尊い犠牲のお陰でヴィーナス計画は完結した。
――そして俺はフィナーレを飾る為に今、記者を前にしている。
「“わんぱくわんにゃ…… わんぱくわんにゃんランド”は本日海の月、16番目の日に一般開園されました。この日、わんぱくわんにゃんランドの歴史が始まるのです。遊園地は進化を続け、将来的にはホテル、アトラクション、飲食店を大幅に拡充する予定です」
俺はフラッシュの中、テーマパークの説明を行う。そして、俺は待っていた。情報に強欲な記者たちだ。必ず来るはず……
「ところでガランド宰相。先日フィーナ第二皇女殿下と面会された少女ですが?」
(よしきた!)
「はい! 私も驚きました。まさか二国間交流で出会った少女の動画を皇女殿下が好まれていたとは!」
メディアには皇室庁を通じて、先の語らいを周知させていた。そして、これについての質問が来るのを待っていたのだ。
待ちに待った問いに俺は、ダージリンティーに砂糖をひと匙加えるように、続けてこう加えた。
「少女は素晴らしい方で、何人の心をも掴む物をお持ちだと、目の前にして私は感じました。そして、私が尊敬してやまない皇女殿下の好まれた動画。さぞ、さぞ、素晴らしいものなのでしょう。私も拝聴させて頂きたく思います」
――と。
俺はこの動画に直接お墨付きを与えていない。だが、皇女殿下を通じて間接的に高い評価を与えている。つまり、俺があの動画を好んでいるとは一言も言っていないのだ。
これで、ニャム自身に俺からの極めて高い評価という権威付けと、彼女の動画を俺が敬う人間が好んでいるという事を周知する事が出来る。スータマで何故か俺の人気が高かったからこそ出来る事であった。
しかし、社会は生物。結果はどうなるかは蓋を開けてみないと分からない。だから祈ろう。人形少女の一刻も早い回復と、ニャムの常人には理解されない動画の未来を。




