2 内なる大敵
マレードには夢がある。どうしても叶えたい夢が。
マレードは幼少時代に母から読んでもらった勇者の物語の事が忘れられず、セリエAのスター選手に憧れるよりも…… ギャング・スターに憧れるよりも…… 勇者に憧れる訳でもなく…… 魔界幹部に憧れるようになったのだ!
彼の中二病的な、ダークヒーローに対する羨望は、二十半ばに至るこの時まで費える事は無く、帝国宰相として仕事をする傍ら、魔界へ幾度と願書を送付し、自己PRを行ってきた。それが遂に実を結んだのである。
そして、今彼は夢への最後の試練に挑もうとしている。
皇帝が好きな花の香りがする香水を体中に塗し、帝都で人気のケーキ屋で、権力を用いて並ばず購入したチーズケーキを手にして、マレードは最終関門に挑む。
「おうマレード。お前から私に会いに来るなんて珍しいな。して、何用だ?」
「はっ、実は折り入って陛下にお願いがございます」
豪華な椅子に座る、見栄えだけは威厳のある皇帝に俺は膝を折る。ここからは戦争だ。互いに持てる札を出していき、最終的に相手を折ればいい。メソッドを頭に浮かべ、俺は皇帝を前にする。
「ほほぅ…… 申してみよ。
私も忙しくてな。望みだけなら聞いても良いぞ」
「……ありがたき幸せ。
ですがその前に、皇帝陛下、皇女殿下、そして皇女様方にささやかな手土産がございます。どうか、お受け取り下さい」
皇帝の言葉に血管を浮き立たせつつも、マレードは最初の手札を出した。
そして、大箱に入った1ホールのチーズケーキが、近衛兵が開封した後、皇帝の元に運ばれる。
「むう……、この印は、最近巷で人気の『アンリーゼ』のものだな。
娘たちはこれが好きでの。
……だが、私はショートケーキ派なんだよなぁ……」
(中年オヤジの好みなんざ知るかよっ!
つか、なんだよその大層な身なりでショートケーキって! 「心は少女です(キュピ☆)」ってか?! クソッ! クソッ!
……いや、落ち着け、俺。相手のペースに乗せられるな)
「では、本題を……
桜月、三番目の日と、その前後に暇を頂きたいと思い、参上しました」
「ふむ、して、何故だ?」
「はっ、最近腰が痛く、療養のために温泉等にと……」
マレードの言葉を耳にし、王は怪訝の目で彼をを見つめる。
「しかしなぁマレード。貴公、先日、元気にパレードで手を振っていたではないか?
それとも我慢していたのか? なら、王室付きの医者をよこしてやろう。療養を受けながら仕事に励め。以上」
絶望がマレードを包みこむ。
(次の手札を…… あれ? 無いよっ! 手札ないよっ!
香水なんてこの距離じゃ意味ないし、ケーキ位しか用意できなかったもんなぁ……
仕方ない、この手は…… この手だけは使いたくなかったけど、夢の為……
俺は身を斬るぜ!)
「そういえば陛下、先週書店に行ったのですが、素晴らしい漫画本に出合いまして……」
「ん? 漫画とな、ふふふ、して、何という漫画だったのだ?」
皇帝は漫画という言葉を耳にし、妙に上機嫌となってマレードに近づいてきた。
「えっと……じゃん☆こうた先生の『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』……です」
(うわ…… 口に出すのも憚れる。なんと禍々しいタイトルか……)
俺は「願わくはもう二度と口にしたくない」そう祈った。
「ほほう。そうかそうか。貴公も見る目があるなぁ!
くんくん、香水の趣味も悪くない! よしよし、貴公の望みを叶えよう。しっかり温泉でも何でも行って、その素晴らしい本を熟読してくるが良い。全部で十五巻あるからな。時間も必要だろう」
誰でも分かる。分からないと思っているのは目の前のクソ中年だけだ。じゃん☆こうたと言うのは、何を隠そう、隠しきれていない皇帝ジャール1世のペンネームだ。
この男は俺に仕事を任せ、漫画を描き続けていたのだ。しかも、ふざけた事に財務大臣と外務大臣をアシスタントとしてこき使い、彼らを労務地獄に墜としたのだ。
「ありがたき幸せ。心を込めて読了させて頂きます」
(誰が読むかよっ! 忌々しい…… 悍ましい…… 恐ろしい……)
俺はかつて、皇帝の趣味について調べていた事がある。そこで見つけたのがあの漫画本『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』だ。中身は、エロスとよくわからない何かをミキサーにかけてぶちまけた様な、名状しがたいものであった。
特に、この内容は俺にクリティカルヒットした。題名の段階でもう駄目だ……
ただ、じゃん☆こうた先生の画力は本物だ。前に、間接的に先生の名刺を見る機会があったが、そこにはしっかり『漫画家Lv30』と記されていた。趣味でここまでできるというのは、ある種の天才だろう。
一応、我々には幾つかの職を持つことが出来るが、多くの場合、片方が疎かになったり、器用貧乏になったりする。複職は俺の様な天才しか出来ぬのだ。
「おう、そうだ。マレードよ。桜月、十番目の日は空けておけ。フィーナが食事を共にしたいと言うのでな。分かったな」
王座袖の扉から出ていく際、皇帝は膝を折るマレードを睨み、彼を更に絶望させる一言を残して去っていった。
ジーマ帝国第二皇女フィーナ姫。彼女はマレードの天敵であった。なぜなら、彼が受けた馬鹿馬鹿しい二つ名は彼女によるものだったからだ。しかも、それが悪意ではなく、彼が喜ぶと思ってやったものだから余計にタチが悪い。
更にマレードを戦慄させるのは、皇帝が二人をくっつけようとしている事である。皇帝の至極の作品であるあの漫画は、その恐ろしい欲望の一端が、知ってか知らずか、形になって現れたものだ。
因みに、『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』は全15巻完結で、じゃん☆こうた先生は新たな作品を月間の少女漫画に連載している。タイトルは『姫と宰相の娘はお爺ちゃんっ子 王様困っちゃった(汗)』だ。この世に出る前に焚書したいが、恐ろしい事に、およそ少女漫画と思えない魔本は既に三巻まで市場に流れている。全くもってヤツの筆の速さが憎たらしい。
かくして、マレードは三日間の休暇を勝ち取った。だが、未来に課された枷も極めて大きかった。希望と絶望、アンビバレンスな彼の精神状態がもはやこの日の活力を失わせ、執務室に戻るとすぐに、夢の世界へ落ちて行った。
この夜。マレードは酒と油を一緒に飲まされる夢にうなされた。