8 救国のヴィーナス Ⅰ
「ふわぁ~っ」
現実は闇の中。カーテンで減殺された月光だけがほのかに室内を淡く照らしていた。
俺はこの静謐な空間に恐るべき侵入者がいたかどうかを暗闇になれた眼で見回した。
ドアノブに括り付けた紐をチェック……OK
人影……オールクリーン
窓は……依然閉じられている。
どうやら、だれもこの場所に踏み入れていないようだ。俺は安心して手にした仮面を荷物の奥底に押し込めると、睡魔の導きによってベッドへと向かった。
「明日から大変だぞ…… まぁ、いつも大変だからいいか。おやすみ」
掛布団を持ち上げ、目を擦りながらぬくもりの中に身を投じる。だが、おかしい…… 温もりが…… 温もりが過ぎるのだ。今はまだ桜の月、冬の寒さが少し残る時期なのだ。
俺の身体は奇妙な温もりを避けるように手足を動かし、過ごしやすい天地を探し求めた。だが、その過程で温もりの根源たるものに手先がぶつかり、それを掴むと妙に柔らかかった。
「ふふふ……もう食べられないよぉ~」
至近距離で放たれたヴォイスにマレードの体中に電流が走り、全細胞が起こされた。そして、レスラーがリングから避難するように転がってベッドから出ると、一呼吸して状況把握に努めた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
(こいつァどうなっている…… ドアがあれだったという事は窓から侵入したのか? いや、考えられねぇ…… ここは二階と言っても巨大なレセプション会場の上、一般的な建物の三階から四階程の高さがある)
「まーちゃん、まりちゃんご飯はちゃんと食べたかしら……zzz」
(さてどうしようか? ここでは寝られない…… いや、それより俺があの仮面を被っていた所を見られたか? 見られていないという方が無理がある。どうするよ?俺……)
夢心地の実の母の姿を見ながら、マレードは次にいかなる行動をすべきか呼吸を整えて考えをまとめようとするが纏まらない。これからどうするかは能天気に寝息を立てているネグリジェ姿の女がどう思っているかによるのだから。
「よし。寝るか」
俺に出来る事は朝を待つことだけと判断し、椅子に腰かけると瞼を閉じた。決してリラックスできる姿勢とは言えなかったが、それから夢の世界に至るまで時間はかからなかった。それほど疲労が蓄積していたのである。
「おはようまーちゃん」
スータマでの最後の朝は母親の間延びした挨拶から始まった。
「おはよう母さん」
俺は少年時代に逆行したような不思議な感覚を味わっていた。俺たちは成長し、背が伸び、そして、母は老い……たのかよく分からないが、とにかく俺たちはあの時から前へと進んだ。しかし、この女性にとってはその様な事は些事であり、未だに俺はあの頃の「まーちゃん」なんだろう。
「ところで母さん? 昨日はいつ頃ここに来たの?」
「昨日? どうだったかしら~ 正確な時間は覚えていないけれど、まーちゃんが変な仮面で遊んでいる頃だったわね。なんかすごーく楽しそうで邪魔しちゃ悪いから黙って寝ちゃった。それとまーくん? ここにあった漫画知らない?」
(まずいな…… やっぱり見られていたか)
マレードは顔では冷静を保っていたが、内心では焦りで火が吹き出しそうになっていた。まさに、親に隠していたエロ本が見つかった時の青少年のような状態である。
「漫画は、秘書がどうしてもって言うから貸してしまったよ。勝手にやってごめん。ただ、こういった細かいスキンシップが大事なんだ。母さんなら分かるよね?
それと仮面の事なんだけど……」
「大丈夫、大丈夫。秘密にしてあげるわよ。だってぇ…… ぷぷぷっ! いい年した宰相様が仮面遊びをしていたなんて言えないものね~ でもぉお母さんの前では自由にしてくれていいのよ」
(そのいい年した宰相様を「まーちゃん」呼ばわりしているのはどこの誰だ!?
だが、まぁ、いい。状況は俺が危惧している様なものでは無いようだ。ここは母さんのスイーツ脳に感謝しよう)
マレードは心労と安心を表す溜息をつくと、改めてあられもない姿の母親に目を向けた。
「母さん……ちゃんと服着なよ。息子の俺でも目を逸らしてしまうよ」
白いネグリジェの女性は息子の言葉に対し、悪そうな顔で微笑んで豊満な体を見せつけるかのように彼の前で仁王立ちした。堂々たる覇者の如き振る舞いである。
「ふーん。まーちゃんお母さんの身体で欲情するんだ~ でもダメダメよ。まーちゃんには姫様がいるでしょう? 全部お・み・と・お・し・よ! きゃは!」
(何言ってんのこの人? 何一つ見通せてないじゃん)
俺はスイーツ母に欲情なんかしていない。これだけははっきりと真実を伝えたかった。
だが、他人から見れば魅力的な風貌をしている事は確かで、美魔女という言葉が比喩ではなく本物の魔女なんじゃないかと俺ですら思ってしまうくらいだ。
「ほんとにまーちゃんに勿体ないくらい素晴らしいお方よね。フィーナ姫様」
(全く、似た者同士のシンパシーと言うか何というか…… 以前フィーナからも同じような言葉を聞いた事がある。その時の対象は我が母だったが)
母とフィーナは親子と思うくらいに中身が似ている。だが、フィーナの母君であらせられる皇妃シャゼーヌ様は素晴らしい人格者であった。彼女はプロ漫画家のアシスタントと化した外務大臣に代わり各国を回っておられ、国にいる事は少ないが、まさに俺と同様、この国を支える巨柱なのである。
「まーちゃんの恋バナ聞きたいなぁ。ねぇねぇ。姫様とお食事に行ったんでしょ? どうだった?」
(どうもこうも話す事など無い。ただ、彼女の強さと皇帝の親バカを再確認して、蒟蒻食べて、痛みを味わって、それから…… そうだ!ニャムの動画を…… そうだ、動画!)
マレードは母親を無視してノートMCを引っ張り出すと、電源を入れ、通信を開始した。
「どうしたのまーちゃん? 突然MCなんか出したりして。気になる動画でもあるの?」
「ごめん母さん!後にして!」
「むぅーーー」
フグの様に顔を膨らせた裸族に一瞥もせず、マレードはカーソルを動かし、キーボードを叩く。入力された文字は『Nyamu game』。そう、今後の計画の為、俺はこの動画の状況を知っておく必要があったのだ。
『糞動画』『酷過ぎて草も生えない』『猿でも見ない』『何でもできる君様最大の汚点』
『ニャムたそを侮辱するヤシは氏ね』『おめーらは動画に選ばれなかったんだ』『何でもできる君様の御墨付だぞ?頭が高い!控えよ』
動画のコメント欄には悪口罵詈が列を成し、それに呼応するかのように罵倒に対する馬頭が垂れ下がっていた。だが、その数的割合は10:1。ニャムを支持する声は少なく、それに反比例して言動が過激になっていた。
『皆さん冷静になりましょ?』『美味しいものを食べて落ち着くのです』『お腹空きました』
『ほわほわ』ことフィーナ姫もそのように書き残し、懸命に場を収めよとしているのが分かる。
「これ、まーちゃんが交流した学生の動画ね。でも、あぁ、酷い有様……」
「俺はこれを何とかしたい」
「それは何故? 彼女はジーマ臣民ではないのだから、まーちゃんが助ける理由はないでしょ? まーちゃん宰相?」
我が母ながら意地悪な事を聞く。確かに、俺が忠誠を誓うのはジーマ皇族、そしてジーマ国臣民に対してだ。これはジーマ国宰相の任を受けてから変わる事はない。いわば宰相と言う職が持つ絶大な権能の裏にある責任なのである。
「これは、マレード・フォン・ガラントとして、彼女の友人としての思いです」
自分でもこのような考えに至った事が不思議だった。彼女とは会ってまだ二週間足らず、赤の他人と言っても差し支えない程だが、どこか放っておけないのだ。
「そう…… 可愛らしいお友達ね。よろしい。私も協力してあげる。特別駐在員としてじゃなくて母としてね」
頼もしい母の協力だが、計画は過不足なく進行する。懸念があるとしたら、最終段階までニャムがもつかどうかだが、それは母が何とかできる分野ではない。
「大丈夫だよ母さん。俺に任せてくれ」
「ふふふ。いいわ。でも、何かあったら相談してね。これは生まれながらにして持つ子供の特権なんだから。そ・れ・と、まーちゃんにはフィーナ姫がいるんだから、その事は忘れちゃだめよ」
母はそう忠告したが、無論俺にはナナミさんと一線を越えるつもりはない。
「母さんが心配するような事にはならないよ。それより朝食にしよう」
「そうね~ それじゃあ行きましょうか」
「ちゃんと服を着てからね」
白いブラに支えられた肉塊を揺らす肉親に俺は目を背けながら忠告した。
そして俺は朝食の後、大使館の愉快な仲間たちの見送りの中、スータマ共和国を立ち、祖国ジーマ帝国へ向かった。そして、そこからが俺の仕事の始まり。魔界の幹部としての初陣だ。
ジーマ帝国に帰還し、溜まりに溜まった山盛りの案件を処理したのは、ここに着いてから三日後の事であった。そして、この日。俺は『アンリーゼ』のケーキを手に宮殿内にある謁見の間に向かっていた。
(抜かりはない。今回はちゃんとショートケーキを持ってきている。甘党のクソ中年もこれでイチコロだ)
衛兵によって巨大な扉が開けられると、マレードは自信に満ちた堂々たる態度で豪華に装飾された謁見の間に足を踏み入れた。ここは戦場。気のゆるみが命取りになる。
「陛下に置かれましてはご機嫌麗しゅう」
肘をつき、見るからに面倒臭そうな顔をしたジャール一世を前にし、マレードは跪いた。
「そんな事はどうでもよい。して、何用か? 私はひじょーに忙しいのだ。手短に申してみよ」
申した所でまともに聞く気が無いのが、皇帝の態度からにじみ出てきている。だが、これはマレードにとって予想の範囲内。そのための手土産だ。
「皇帝陛下のお時間が古今東西のあらゆる宝物より貴重なる事は、この忠臣たるマレード・フォン・ガランド。心の底から存じ上げている次第でございます。そこで、私から、陛下のウィットに富んだワイズな知恵の泉の一助になればとご用意させて頂いた物がございます」
「うーん。何かな?」
マレードの見え透いた誉め言葉に、数ミリほどジャール一世の機嫌指数が上昇し、彼は口元を緩ませ、衛兵にその品を玉座まで運ばせてた。
「ほうほうショートケーキか。よし。褒めてつかわすぞ。
おいっ、お前、カメラをよこせ」
機嫌指数が爆上がりしたジャール一世は衛兵にカメラを要求し、手を重ねてご満悦であった。その様子をみたマレードは己が第一の目的が達せられた事を確認し、不気味な笑みを浮かべた。
「それでですね陛下……」
「ちょっと待て。角度が大事なんだよ。
ちょっとマレードよ。悪いがそこの灯りを持ってきてくれ」
お忙しい陛下は俺に玉座脇にある魔法燭台を要求した。魔法燭台とは、魔力素を取り込んで疑似的な炎を作り出すもので、見た目は炎だが、全く熱さはない。主に雰囲気づくりに用いられるものだ。
「……御意にございます」
「何しに来たのだろう」と疑問の言葉が頭で反響する中、俺は主君の命令に従い、一メートルほどの燭台を玉座の元に運んだ。
「もうちょっと右、あぁ、そこそこ。いいよいいよ」
マレードはジャール一世のショートケーキに対する情熱を過小評価していた。多忙と語るこの男はショートケーキ撮影会に20分を要し、それを食するに際し、コックに上等な紅茶を用意させた。俺は突然開催されたお茶会に皇帝の話し相手として座らされ、30分以上彼のショートケーキに関する情熱とうんちくをきかされた。
「さて、ケーキも無くなった訳だしお開きにするとしよう。マレードよ。ご苦労であった。もう帰ってよいぞ」
「はい……っ!! ちょっと待って下さい陛下! まだ私の話が!」
立ち去ろうとするジャール一世に対し、マレードは焦りの汗を撒き散らしながら呼び止めた。
(危なかった……)
ジャール一世のふかーいうんちく話を一方的に聞かされ続け、マレードは「はい」しか言わないイエスマン人形となっていた。そして突然帰ると言われた時も思わず相槌を打ってしまったわけであるが、ギリギリのタイミングで我を取り戻し、言葉をかける事が出来たのである。
「うーん。仕方ないのぉ。少しだけだぞ」
「ありがたき幸せ。
では、単刀直入に申し上げます。私、フィーナ姫様との会食の場において、姫殿下の気高さ、美しさ、その聡明さに感服いたしました。
そこで、このマレード。姫殿下への尊敬と敬愛を示すため、ささやかな贈り物を計画させて頂いた次第であります」
「フィーナは確かに気高く、美しく、聡明だ。だがよぉマレード。言いたい事をさっさと述べよ。単刀直入と言ってから長いぞ」
「はっ陛下。ここからが本題にございます。
帝国南部のテルカ村にてジーマ臣民の笑顔溢れる遊園地建設を計画しているのです。遊園地の名は『プリンセスフィーナ・メモリアルランド(仮)』! そう、これは姫殿下の素晴らしさ、共に時代を歩む事ができる幸運を記念した永遠に続くモニュメントなのであります!」
マレードは握り拳を作り、声高に計画を語った。
「マレードよ……」
「はっ、陛下……」
ジャール一世の細めた目が目前の青年に向けられた一拍の後、目尻から魔法燭台に照らされ光り輝く水玉が突然現れた。
「よきかな。貴公がそこまでフィーナを想っていてくれたとは……
いいだろう。許可する。貴様に計画の全てを委ねよう」
「はっ、ありがたき幸せ。今時点より本計画を『ヴィーナス計画』と呼称し、必ずや姫殿下の威光の城を完成さて見せましょうぞ」
俺は心の中でも握り拳を作り、計画が承認された事に歓喜した。
(これで第一段階。遊園地の復旧予算を作ってそれから……)
しかし、承認を得たに過ぎないのだから当然であるが、まだ気の許せぬ点が二つあった。
一つは、完成までの期間だ。俺の計画では遊園地開園までニャムの活動が存続している必要があり、開園が先になればなるほどニャムの存続は厳しいものになる。
もう一つは、宿泊施設や商店などのリゾート建設だ。特に宿泊施設であるが、俺は闇のネットワークで聞いたアスタロトさんの言葉に頼るしかないのである。その言葉の真意が分からない以上、心配はぬぐえない。
皇帝の認可を得て、マレードは建設大臣と協力し、『ヴィーナス計画』を国家事業として大々的に着手した。これはフィーナへのサプライズプレゼントとしての側面を有し、内容は伏せられていたが、偉大な計画と国中に喧伝し、民間のスポンサーも続々と獲得した。
謁見から一週間後、順風満帆に計画が進行し、生き生きと仕事に励むマレードの元に面会の申し出が突然入ってきた。
「宰相閣下。先ほど閣下との面会を求めに宰相府に訪れた方が」
「もうっ、こんな忙しい時に…… アポイントは取っていたかい?」
「いいえ、予定には入ってないと……思います」
「かっー! アポイントメントは基本だよ。会わなくていいんじゃないかな?」
執務室で山積みの書類に目を通しながら、マレードは手を振って「帰せ」という意思を示した。
「ですがその方。風貌は怪しいのですが、閣下とは親友で同士だと仰っているようで……」
「ん?」
マレードには突然の訪問者に心当たりがあった。そして、その男が“ちゃんと”ここに来れた事に感心した。
「承知した。客人を三階の第二応接室に通しておくよう伝えてくれ」
「はぁ…… わかりました。 ……面倒臭いなぁ」
謎の訪問者を俺は特別扱いした。通常であれば門前払いであるが、きっとその男は俺に素晴らしいプレゼントをもたらすであろうし、大目に見る事にする。
そして、突然の来客はマレードのモチベーションを上げ、彼は一時間ほどで資料を頭に叩き込むと、それを選別し、判を怒涛の勢いで押していった。
「ふぅ。待たせてしまったかな。それじゃあ、応接室に向かうとしよう。アンナ君。準備を」
「はい。わかりました」
マレードは手ぶらで秘書と共に応接室に速足で向かった。これは、彼を待たせたくないという思いからではなく、100%彼の言葉の真意を知りたいからだった。先輩魔界幹部グリード・アスタロトの……
「お待たせしました。本日はどのようなご用件で?」
「やぁ、マレードさん。いや、面会の許しを頂き、光栄の極みであります。宰相閣下と言った方が良いかな?」
戸を開け、入室するとボロボロの背広に身を包んだアスタロトその人が座っていた。顔は痩せこけ、無精髭がただならぬ状況にある事を物語っていた。
「どうしたんですか? 一体何が……」
俺は心配して戦場帰りの様な男に言葉をかけた。魔界を良く思わない者による奇襲を受けたか、それとも表の彼はヤバイ仕事をしているのか、嫌な憶測が頭を駆け巡っていた。
「いや…… ちょっと…… ほんのね、ちょっとね…… 道を間違えたというか、地図が不親切だというか……」
俺は全て察した。道理でアポイントメントが取れない訳だ。天才でなくても分かる事だが、彼は道に迷い、大冒険の末ここに至ったのであろう。
「では改めて、私こういうものです」
あまり道に迷った事に触れられたくないアスタロトは、話題を変える為に自らの名刺を差し出した。
『リゾート王』グリード・エルフラン
グレートロープ商国 CEO Lv30 性別:男
TEL 12321―2343-21B
「エルフラン…… まさかエルフランリゾートのCEOですか!?」
マレードが驚くのも無理もない。エルフランリゾートは新興企業でありながら、ホテル、ショッピングモール、カジノと広く事業展開をする巨大企業なのである。
(アスタロトさん。いや、エルフランさんが協力してくれれば、これは凄い事になる)
今のマレードにとって、闇のネットワークで耳にしたアスタロトの言葉は勝利の扉を開く黄金の鍵の様に思えた。




