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若き魔界幹部の悩み  作者: 耕眞智裕
清き人形少女の悩み
15/69

5 メランコリック・エンバシー

 仮面を外し、現実世界で一息つくと、俺は己の汗臭さを感じ、仮面をスーツケースにしまって着替えを取り出してからシャワールームに向かった。

 本国からの来客が停泊できるよう、シャワー室、炊事場、遊戯室など、この大使館には住に必要なあらゆるものが完備されていた。

 

「ふんふーん♪」


 セクシーなポーズを取りながらシャワーの雨に身を晒していると自然と鼻元から歌が零れる。

 そして、人形少女の事をふと考えてしまうのだ。

 俺には彼女の苦しみが何となく分かるし、今回の一件でそれが解決に至らないであろうという事も分かっていた。二つ名とは至極厄介な『呪い』なのである。


(一つ誤れば、彼女は滑り台から流れ落ちるように、潰れてしまう)


 シャワーのバルブを閉めると、顔を俯け、落ちる雫とそれが生み出す波紋を見つめながら、自分の予感が杞憂で終わればいいと願った。


 肉体の洗浄を終え、俺は真っ新な服を纏って一階――レセプションスペースに戻ってきた。スタッフの多くは既に帰宅したようで、あのサディストな現地スタッフの姿も無かった。


「あれ? 特別駐在員はどちらへ?」


「あ、何でもできる君宰相閣下! 月の綺麗な夜でございますね。

 特別駐在員様は………………どちらに行かれたのでしょう?」


 俺の質問に対し、同じ意味の質問で返して大使館職員の男性は微笑んだ。


「ここにいらっしゃらないのなら、帰宅されたのでしょう。貴方もその作業が終わり次第お帰り下さい」


「ありがたきお言葉!」


 母と大使の代わりに勝手に指示し、俺は男の帰宅を促した。別に不愉快な二つ名を彼の口から聞いたからではなく、彼の心労を思っての事だ。


(ゲストの俺に何も言わずに帰るなんて…… 闇のネットワークにいる時に尋ねてきたのだろうか? まぁ、長く場を開けた俺にも問題はあるが)


 少し心にモヤモヤしたものを感じながら近くの食堂で用意された弁当を食べ終えると、二階への階段を上り、俺は部屋に向かった。

 立場上、大使公邸に住むわけにいかず、母は大使館から10分ほどの場所に家を買ってそこに住んでいる。今回の仕事では最初に彼女の邸宅を利用する事を勧められたが、俺はきっぱり断り、この大使館を根城にする事を決めた。理由? そりゃ母が面倒くさいからだよ。

 俺は戸のノブに手をかけゆっくり回した。その時明らかにおかしな所があったにもかかわらず、俺は考え事をしていて、その事に気付くことが出来なかった。そう、施錠していたはずの鍵が開いていたのだ。


「ただいまぁ……↓ おか……!!!!!!」


「おかえりまーちゃん~ 今日は大変だったねぇ~」


 帰宅の儀礼はネグリジェ姿でベッド脇に座る明らかにヤバそうな女に邪魔された。認めたくないが俺はこの女の中から生まれ出た。


「もういい子は寝る時間ですよ~ ささ、おいでおいで」


 母はチープなハニートラップのように俺をベッドに招き入れようとする。見た目は若く、スタイルも良いが、彼女は俺を24歳の時に生んでいる。そして、俺は今25歳…… 

 また、見た目だけでなく心も幼……若く、美魔女という言葉では全てを説明できない化け物だ。


「特別駐在員殿…… もうお帰りになったのかと」


「定時定時ぃ~ まーちゃん、もう仕事は終わったんだよ? 今は家族の時間なんだから、お母さんって呼びなさい」


(一番公私の分別が出来ていない人の言葉じゃない…… しかも、定時って……さっき職員残ってたよ? ってかどうやって侵入したんだよ! 鍵はかけたはずだし……)


 言いたい事は色々あったが、俺は口には出さず、心の中で唱えるにとどまった。彼女には何を言っても無駄なのだ。無敵なのだ。

 この仕事は出来るが、ゆるふわな感じ。そう、我が天敵フィーナ・フォン・デルタ姫にどこか似ているのだ。しかも、この二人、恐ろしく気が合い、二方向から俺の精神に毒電波を放ってきている。


「さてさて、今日は何の本を読みましょうかね~ まーちゃんが好きだった勇者の物語にしようかな」


(あぁ、始まった……)


 共に暮らしていた頃、母はいつも本を読んでくれた。それが俺に野望を抱かせたわけで…… だが、問題なのは未だに彼女がそれを続けているという事だ。


「ほらほら早くいらっしゃい♡」


 40+X歳の淫靡な女が俺をセイレーンの如く誘う。そこが俺の寝床である以上、行かざるを得ない訳であるが、母親に誘われるのはなんとも言えない気分だ。


(まぁ、就寝前の余興だ。好きにさせて差し上げますか)


 俺は寛大だ。息子として様々な感謝を込めて、好きなようにさせる事にする。


「よしよし。あーでも、この本はいっぱい読んであげたからね~ ふっふっふ~ 新しい本を用意してあげたよ!」


 俺には相手の心を読む能力や魔法を使えるがエスパーではない。だがこの時、直感、閃き、虫の知らせ、言い方は色々あるが、俺は体を突き刺すほどの悪寒を感じたのである。


「これこれ。じゃじゃーん!! 『姫と宰相 できちゃった婚からの恋愛もあるよね!』 この漫画スータマでも人気なんだよ! ふふふ、この登場人物まーちゃんと姫様みたいよねぇ……」


(……俺はこの魔書から逃れる事が出来ないのか…… 本のストーカー被害は誰に訴えればいい?)


「“い、いけません宰相様ぁ……” “いいではないですか、いいではないですか、我らが愛は不滅ぞ” “あーれー”」


 声の高さを上下しながら、母は漫画を熱読し始めた。こんな母を俺は見たくなかった。その拒否反応、ショックから身を護るための防衛反応なのか、スーっと気が抜けていき、俺は眠るように気を失った。



…………翌朝

 カーテンの隙間から照らされる光に瞼を照らされ、俺は現世に帰って来た。気を失ったのを確認した後、帰宅したのであろうか、母の姿は無い。


「うーん。いい朝だ」


 カーテンを勢い良く開け、光を体中に浴びながらサーカディアンリズムを整え、俺は体を伸ばした。だが、気持ちのいい朝と裏腹に体中汗まみれで、下着が肌に纏わりついていた。恐らく、先日の恐怖体験が原因だろう。俺は膀胱に液体を溜めていなかった自分を褒めてやりたい。

 室内にある冷蔵庫で冷やされた水を一気飲みして、激しい発汗によって消耗した水分を補給すると、俺は着替えを手にシャワールームへ向かった。まとわりつく汗を嫌な記憶と共にリムーブせずにはいられないのである。


(風呂好きの宰相だと思われそうだな…… 水は決して安いものでは無い。この体を伝う一滴一滴が国民の税金で賄われていると思うとこみ上げてくるものがある。ありがとう帝国臣民よ)


 俺は愛する帝国臣民に感謝し、彼らと一体になっている感覚に酔いしれた。そして、腹に隙間があるのを感じ、それを埋めようと風呂上りに一階食堂に向かった。


「おはようございます大使」


「宰相閣下! おはようございます!」


 レセプションスペース横の食堂に安っぽいパンが並べられている。見てくれに多額の予算を傾けている代償として、ジーマ国民だけの時は見栄を張らず質素な暮らしをしているのである。宰相と言えども、ジーマ国民である以上、帝国の財政状況を無視する事は出来ず、固いパンを腹に収める。


「アンナ君。私の秘書はまだ来ていませんか?」


「いいえ、ここには私達しかおりません」


 時刻は卯の時。彼女のみならず、特別駐在員がもう来ていてもおかしくない時間である。

いや、ここに宰相が、実質帝国ナンバーツーの権力者がいるのに未だ姿を現さないのは異常と言えば異常な事だ。

 そう思うと、途端に今目の前にいる大使と数人の職員が尊いものに思えてきた。


「宰相閣下。本日のご予定ですが、午の時より大統領官邸にてマレース大統領と昼食会の後会談。申の時よりスータマ経済連合代表と会談。戌の時より大使館でスータマ在住のジーマ国民を招いての会食となっております」


 大使は手のひらサイズのメモ帳を捲り、秘書の代わりに今日の予定を述べる。

 それを耳に留める俺の気持ちは複雑だ。どうしてもLv2の我が秘書と比べてしまうのだ。


「ありがとうございます大使。戌の時の会食についてはよろしくお願いします」


「お任せくださいませ。特別駐在員殿の元、完璧な仕事をさせて頂きます」


 大使がこの組織トップである自覚を失っていると事実上告白し、俺は何とも言えない気持ちになった。


(ここは歪んでいる。その歪みの中心は我が母なのが悲しい)


 俺は大使に憐憫の目を向けながら、仕事の準備のために部屋へと戻った。勿論、変な女が潜んでないか重々に警戒して。

 

(鍵はかかっている。ヨシ! 大丈夫だ。……いや、待て。もしかしたらあの人まだこの部屋にいるんじゃないか? あの人なら実は部屋から出ないで俺を監視して愉悦に浸っている可能性も否定できない)


 ピッキングに勤しむコソ泥の様に、俺は息を飲んで鍵をゆっくりと鍵穴にねじ込んで、それを捻り、扉を数センチ開けた。そして、そのわずかな間隙から眼球をのぞかせ、部屋の様子を伺う。


(人の気配は…… なし! )


 確認の後、俺はエイリアンの潜む宇宙貨物船を探索するかの如く、慎重に天井を、壁を、床を見渡しながら、ゆっくりと忍び足で奥に向かって歩を進める。


(いやぁ、今になって思えば、母に電話すればここにいるか確認できたわけか。……んん!!)


 脅威の存在を確認する術を発見し、戻ろとした矢先、ちょうど部屋の真ん中まで来たところで、強烈でどす黒いプレッシャーが身をだじろがせた。殺気や戦意といった類のものでは無く、そのものの力が溢れ出て、それが雪崩の様に押し寄せている感じだ。


(見える! 俺にも敵が見える!!)


 脳裏に稲妻が走り、俺はベッド脇にあるプレッシャーの源、先日母がいた場所へと、電撃的に移動した。まさに縮地だ。


「ここか!! 

…………あっ! ぎゃぁぁああ!!」


 俺は補足した相手に対し示威行為を行ったが、相手は俺の手に負えるものでは無かった。


「はぁ…… はぁ……」


 きゅうりを発見した猫の様に飛び上がり、俺はベッドの上から相手に少しずつ近づく。そこにあったのは、30巻コンプリートした魔書の塔であった。母はここにこの汚物を置いていったようだ。


「くそっ、くそっ」


 例えて言うなら、自宅に帰ったら先日一緒に飲んでいた友人の吐瀉物が残されていた感じだ。あまりにも悲劇。だが、本当のミゼラブルはここからだ。俺はこれを処理しなくてはならないのだ。


(あまり触れたくないが、さっさと紐で縛って外に出してしまおう)


 因みに、この漫画、隠すべきところは隠しているが、主人公である男女二人が裸で抱擁していたり、口づけを交わしていたりと中々に大胆だ。職業からどうしても表紙に描かれたこの卑猥な男と俺を重ねずにはいられなく、表紙の絵すら俺を貫く切先となる。


「えっと、確かこの辺に」


 俺はキャリーケースに入っている書類等を束ねるための紐を取り出し、30冊を二つに分けて、様々な感情を込めて強く縛った。


(新品の本を捨てるのは心苦しいが、仕方のない事なのだ。お前の生まれの不幸を呪うがいい)


 容赦なく魔書の束を縛り上げ、俺はそれを抱えてベッドを乗り越えようとした。そして、この時初めてこの部屋に侵入者がいた事を理解した。

 侵入者はホームビデオを撮る親の様な表情で、ビデオカメラを回していた。


「何やってんの? アンナ君……」


「宰相閣下おはようございます。

 いえ、今後使えるかもしれないと思って」


「いや、何に使うの? それ消去して欲しいのだけど」


 俺は彼女の発言に背筋を凍らせた。彼女が取得した動画の使い道などいくらでも考えられる。その内で最も恐ろしいのは……


「ふふふ、これを皇帝陛下や姫殿下にお見せしたらどうなりましょう……」


(やはりそう来たか……)


 悪魔のアイディアだ。恐らくあのビデオカメラには俺の持っていた本の正体も記録されているはずだ。であれば、取りようはいくらでもあるが、どの道俺に不利益をもたらすことになるのは間違いない。


「君は宰相を脅すのか…… 何が目的だ! 金か!?」


「別にお金なんていりませんよ。それに閣下を脅すつもりはありません ……今は」


 彼女が何を企んでいるのか知る由もない。ただ、彼女はこの武器を最も有効な場面で使うつもりらしく、それが今ではないという事しか俺には分からなかった。


「それでは閣下。今日のご予定…… は何でしたっけ?」


 彼女は自分の仕事を忘れているようで、本来自分が把握しているべき事を俺に聞いてきた。大使の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい気持ちだ。

 

「まずは大統領閣下との会食だ。君も来るんだから準備してね」


「わかりました~」


 アンナ君はやる気のない返事で俺を脱力させた。どっちが秘書でどっちが宰相か分からない状況がそこにあった。


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