1 人形の少女 Ⅰ
「ナナミちゃん人形みたいね」
お母さんは私を撫でる時、いつも口癖のようにそう言っていた。私はそれが嬉しかった。
幼い時に父を亡くし、お母さんは一人で二人の生活の為に一生懸命に働いた。だから、お母さんとの時間は貴重で、その中で語られた言葉は一層深い意味を持っていた。
私はお母さんに苦労をかけないために、必死に勉強し、スータマシティ随一のお嬢様校に特待生で入学した。それと同時並行で、人形の様に自分を飾り、磨くことも忘れなかった。
「ナナミちゃん! 今日も髪サラサラ! まるで人形みたい!!」
「ふへへ、ありがとう」
その努力は無駄にはならず、学園においても私の人形らしさは衆目の的になった。
だが、私の素晴らしい人形ライフは一人のクラスメイトによって崩壊した。
「コンチネンタルさん。あなた、お父様を亡くされたそうですね。お可哀想…… それで、お母様を慰めるお人形になったって事かしら?」
今にして思えば大概失礼な事を言われたと思う。だけど、この時の私はこの発言をそうは取らなかった。それどころか、誉め言葉と思い、「ありがとう」と返してしまった。これが彼女の逆鱗に触れたのであろうか、彼女は私に頻繁に突っかかるようになっていった。
でも、そんな事でへこたれる私ではありません。悲しみも寂しさも苦労もしてきたから、それらを知らない成金女の言葉なんて春のそよ風にしか感じられないのです。
「あなた! 平民の癖に調子に乗っているんじゃないかしら?」
これが彼女の本心なんだろう。平民出身の私がここにいるのが相当嫌らしい。だけど、この言葉に私はほくそ笑んだ。彼女の家も元々平民であり、貴族の地位を金で買った事を知っていたから。
スータマ共和国にはかつての王政の名残で貴族の身分が残っていた。けれど、制度的にはほぼ実はなく、貴族、平民という『名』だけが残っていた。そんな時代に、しかも買い取った『名』を誇るなんてあまりに滑稽だ。
私は不屈の精神で彼女の言葉を受け流し、いつも通りの学校生活を継続した。何の問題も無い。顔も心も笑っているんだから。だけど……
「ホント、つまらない。この人形女!!」
この言葉は私に響いた。意味が分からなかったのだ。
ずっと私はその言葉に慰められてきた。それが、今私を突き刺す言葉の剣となった。
衝撃は私の顔まで届き、その様子に彼女は満足し、私の顔を笑った。あまりにも不愉快であるが、それよりも混乱の方が私の頭で優勢だった。
ほんと愚かだった。『人形』という言葉は、愛らしさのメタファーであると同時に、自意識の無い人のメタファーであり、操られ、流される者のメタファーでもある。それらの共存したこの言葉を信奉していた私は自分の寄るべきところを失いかけていた。
だが、私は吹っ切れた。
「だったら人形みたいじゃなくて、人形になったらい!!」
荒野から生まれた最終結論の手始めは動画を投稿する事だった。人形の如く着飾った自分を、自分を知らない人間たちに見せるのだ。そして、流される様に彼らの要望に応え、Nyamuが誕生した。
だが、何故か視聴者は減っていった上に、動画投稿者としてあまりに屈辱な二つ名も与えられ、私は悩み考えた。
『真の人形になるには、新たなる自分を作らないといけない』
至った考えは余りにも過激で、非現実的だった。この世界に『人形』という職業はなく、それをしたところで、まさしく『人形』という名があるだけの虚無でしかない。それは私にも分かっていた。
そして、決して合わないパズルを組み立てている様な、悶々とした日々を送っていたのである。
転機は突然訪れた。私の動画視聴者の一人が、魔界の人員募集について呟いていたのが目に入ったのだ。内容としては大したものでは無く、その怪しさといかがわしさについてであった。
私は何故かそれが気になり、調べてみると、年齢について極めて低いハードルが設定されている上に、資格などの要件も無い。更に書類の審査のみで採用が決定されるとの事だった。
「怪しくいかがわしい」
それ以外の言葉が出てこない。まるで怪しいバイトの様だ。だが、説明を含んだ煽り文句の中のある一文が、私の目を引き、決して離さなかった。
“魔界でもう一つの人生を!”
心臓が急に鼓動を早くし、息がそれに則して激しくなった。そして気が付いたら、募集用紙を記入し、魔界に出していた。それは一日で行われた事であり、今でも記憶があやふやだ。人形の様に何かに操られていたのかもしれない。ただ、出したものの採用されるわけが無いと、大して重く見てはいなかった。
「うそ……」
それは、採用の知らせだった。しかも幹部採用だ。こういうものは長く下積みをして、なるものでは無いのか。疑問が頭を回るが、『行って確かめるしかない』と単純で建設的な考えに達し、時が来るのを待った。色々聞いてみて「嫌だったら辞退すればいい」と高をくくっていたのだった。
だけど、私の望みが叶うんじゃないかと、どっか期待している。当日、その期待が形になったように、身を人形ファッションに包み、気合を入れて家を出た。
「あら、あなたが新人ね。いらっしゃい」
ハデス・ゲートで出迎えてくれたのは、この上なく怪しいお姉さんと、モフモフキュートな獣人少女だった。二人ともある一部が大きい。私の手は自然と自分の胸に向かっていた。
「私は冥府の番人ケルベロス。 貴方はクソザコMチューバーのナナミ・コンチネンタル様でよろしいですね?」
モフモフキュートの口から言葉のナイフが飛び出し、私の心に突き刺さる。
「うぐっ…… は、はい。私がナナミ・コンチネンタルです」
「これで二人とも来ましたね。ガランド様は先にアスタロト様と共に会場に向かわれましたので、フラウロス様お願いします」
モフモフキュートが下がり、ヤバイお姉さんが大きいものを揺らしながら、近くに寄ってくる。
「エカテリーナ・フラウロスよ。女王様とお呼びなさい」
(ヒエェ…… 見た目通りのヤバい人だ)
「女王様が嫌なら、カーチェでいいわよ……」
ドン引きしているナナミを見て、少し残念そうにカーチェは呟いた。そして、ナナミの目線を自分に向けさせると、入口となるマンホールに彼女を誘導した。
「どうしたの? 行きますわよ?」
何食わぬ顔でボンデージお姉さんが言うが、そこはマンホールの穴である。ここが遊園地だったのも不可思議な感覚だったが、それ以上に私の頭は混乱していた。
「秘密の入口なんです! 秘密ですよ!」
マンホールの蓋を持ったモフモフキュートが尻尾を振ってそう言うのが、誠に愛らしい。その愛らしさに免じ、私は疑問を捨て、ヤバ姉さんに続いて梯子を降りた。
その過程で、ナナミは「疑問を投げかけて、場合によっては辞退する」という当初の目標を忘却していた。
「あれ? アスタロトと新人はまだ来てないの? 私達より早くここに向かったはずなんだけど?」
緞帳に囲まれた不思議な会場には、丸テーブルと椅子が用意されていて、ノートMCをカタカタと叩く男が独り座っていた。
「あぁ、やっぱりあの方向音痴には無理だったかぁ……」
男は無言でMCを叩き、ヤバ姉さんは勝手に納得して後頭部を掻いた。ナナミはどうしたらいいか分からず、ただ、呆気にとられた様な顔で立ち尽くす。同じフィールドに居ながら皆別々の競技をしている様な、気まずい空気が場を包み込んでいた。
「ああ、ごめんなさいね。ナナミちゃんはそこに座っていて。全員が揃うのにちょっと時間が掛かりそうなの」
「あ、ありがとうございます。ヤバ……カーチェさん」
私がおろおろしているのを察して、ヤバ姉さんが椅子に座るように言ってくれた。案外ヤバイのは見た目だけで、中身はまともなのかもと、私は少し安心し、言われたとおりに椅子に座って待つことにした。
……長い時間が過ぎ去った……
あれから二時間近くが経過していた。テーブルの上にあったお菓子の盛られた皿は、遠慮して食べていたにも関わらず、空になって久しい。
けど、ここまでの時間、私はカーチェさんと意見交換し、それなりに楽しい時間を過ごしていた。ただ、MCを叩く眼鏡をかけた男性は、その間も口を開くことはなく、キーボードの鼓動だけが彼が生きている事を証明していた。
「遅かったわねアスタロト。もうみんな揃ってるわよ」
「すまないすまない。食事をとっていたら遅れてしまったよ。ははは」
二人の男が姿を現し、空気が変わった。一人は何かを誤魔化している様な不自然な笑いを浮かべ、もう一人は辺りをきょろきょろと見回している。きっとこの人は私と同じなんだろう。
(ん? でも、あの人どこかで見た事ある様な……)
私は先の男に関し、記憶に刺さるものがあり、カーチェさんと言葉を交わす彼の顔を凝視する。
しかし、彼の方も私をじろじろと見始め、私は咄嗟に目を逸らした。何か恥ずかしいのである。そして、彼は興味津々といった面持ちで私の元にやってきた。
「あの、俺はこういう者です」
声をかけられ、少し動揺する。よく考えれば男性と話す事なんて滅多にない事だ。
「あぁ、あ、あの、私は……
きゃっ!」
私は緊張しながら名刺ケースに手を伸ばし、その結果、ポケットについている飾りのレースに引っかかって落としてしまった。
「すみません! すみません!」
慌てて名刺ケースを拾おうと身を屈め、私は謝罪しながらそれを拾う。
「すみませんでした。これどうぞ…… その、ナナミと呼んでください。
どうかしました? ももも、もしかして私の顔変でしょうか?!」
一難あって、名刺を取り出し、自己紹介に成功したが、男はじっと私を舐めるように見つめていた。正直怖い。
「そんなことないですよ。俺の事もマレードと呼んでください。では、名刺を頂きます」
(マレード? どこかで聞いたような? えっと…… うーんと……)
私は考え事をしながら、名刺を持った手を伸ばし、身を前に乗り出した。だが、気が別の所に行っていた所為で椅子の傾きが危険域に達している事に気が付かなかった。
「きゃ! わわわわっ!」
私は自然の理に抗う事が出来ず、そのまま男に向かって倒れこんだ。と思ったが、彼が私の両手を支え、最悪の状況は回避された。だけど、中々この人私の手を離してくれない。
(怖いよぉ……)
「あぁ、すみません! すみません!」
助けられたにもかかわらず、恐怖を感じた事を申し訳なく思い、私は少し大げさに謝った。
「いえいえ、謝る事はありませんよ。怪我はないですか?」
そんな事を言っているがこの男、未だに手を離さない。それどころか芋虫の様に指を動かし、私の指に絡ませてくる。加えて、彼の目線は私の足に向かい非常に気持ちが悪い。
「…………ははははは」
(なにわろてんねん)
突然男が笑い、あまり会話したくないので私も彼に合わせて笑った。
「……では、拝見します」
男が私の名刺を覗くとすぐ、私を不憫な子猫を見るような、生温い慈悲のこもった目で見てきた。理由は分かっている。それを見た者は皆同じような目をしたから。
(そうだ! まだこの人の名刺見てないや)
先までの混乱の所為で頭の外に飛んでいた事を今思い出して、私は手にしていた名刺を見つめた。
『なんでもできる君』マレード・フォン・ガラント
ジーマ帝国 宰相 Lv30 性別:男
TEL 00980―2121-56A
(ジーマ帝国宰相…… あっー!思い出した! この人テレビで見た事ある。ジーマの影が薄いからすっかり忘れていたわ……
でも、これってチャンスじゃない? これほどの大物が私の動画の視聴者になれば……)
「……ありがとうございます」
ガランド宰相が腫れ物に触らないようにするかのように、会話を終わらせようとしたので、私は手を伸ばし、彼のジャケットを掴んだ。
「待って…… 下さい……
これ、桜月、九番目の日に配信するから観て下さい。お願いします」
名刺と違い、すんなりと『動画のお知らせ』は渡せた。私は満足し、自分の動画視聴者としての格が上がったと妄想していた。
ここに来てなお、ナナミは当初の目的を思い出す事は無かった。その事で彼女はもう辞退の機会を失っており、もう戻れないところにいた。




