Canzonier du vampire 3
【3e Chapitre】
妖魔狩りの部隊を編成する時には、宮廷の爵位や官職を考慮しないことが仕来たりとなっている。特に親衛隊ではその傾向が著しい。親衛隊を構成する隊員の大半が名ばかりの貴族であったことと、神に仕えるという意識が刺激されるのか、彼らから華やかな宮廷序列を遠ざけさせていた。部隊を編成する時、隊の序列は剣の実力、統率力や状況判断などの能力で決定される。完全な実力主義である。今回の妖魔狩りも同様に、その基本は変わることはない。しかしそれは人であることが条件で混血には閉じられた門であり、混血自ら閉ざした門でもあった。
混血の超人的な肉体を以って剣の技術を磨けば、剣術を達人の域まで到達することなど容易なことだったが、人の社会へ溶け込む為の配慮から爵位の件はともかく、混血が自ら人の上に立つことを極力避けていた。彼らの意識の中には妖魔の血は人に受け入れてもらえないという意識が根付き支配していた。異端者は排除されないように一歩人の後ろに位置するのが、最も知恵のある生き方であると。混血には長子、次子という人を統率し命令を出す立場につくことはないが、前線での小隊に於ける権限は絶対的だった。彼らを中心として攻守を展開させるのだから当然である。闘いに於いて親衛隊の剣士に求められるのは、混血がその破壊力を十二分に発揮できるように条件整えることで、それは闘う相手が人であろうと妖魔であろうと何ら変わることはない。ただ人と妖魔と闘う時は幾分話が異なる。親衛隊の剣士は、人と闘う時、混血の死角を防ぐように守備に徹する。だが妖魔と闘う時は人の能力ではまともに闘っては勝負にならない。この場合混血の剣士が闘い易いように、囮り、妖魔の包囲する為の駒を請け負う。無論死を前提としている訳ではないが、死に直面しているのと同じ条件であった。
シモーネは過去何度も親衛隊と共に妖魔や吸血鬼狩りに参加している。その度、親衛隊の人たちがどうしてこんな職を生業としているのだろうと疑問が湧く。自分たち混血が人の社会で生きていく術はたった二つしかない。公王直属の近衛隊に入り妖魔狩りや戦場に赴くか、もしくはボマルツォの森で森の人との交易者として人の世界では手に入らない品物を持ち帰る商人になるか、のどちらかである。また今回のシモーネたちのように、森の交易者であっても強制的に剣士として徴用される場合もある。混血たちは奴隷たち同様「自由」という言葉には無縁な存在であった。
貴族としての傲慢なプライドを捨ててれば、親衛隊の剣士たちが他に選ぶべき道がないわけではない。画廊工房で有名なアリギエーリ卿、比類なき天才と名高い刀匠のフィリッポ・ブルネレスキ卿は親衛隊の剣士たちと同じく、今日の食事を心配しなければならない貴族出身である。他にも商人として成功を収めた者は多くいる。
「選択枝のない者たちの世界を、なにゆえ何故に他に選択する余地がある者が選択するのだろう……」そのような疑問を持つのは、シモーネが剣を振るといった血生臭いことを嫌っていたことも原因かもしれない。剣を振る時、妖魔狩りや戦地では凄惨な闘いが繰り広がられる。まるで地獄画そのもののような光景がそこに存在する。シモーネは妖魔狩りや戦場で闘う時、自分がアリギエーリ卿の描く地獄画のように光を求め、もがき苦しむ罪人になったような気がしてならなかった。そればかりでなく、自分の「血」がそう思わせているようにも感じていた。
「明日はフェンリルと闘う」シモーネは目を瞑り、頭をかぶり振った。頭に浮かんだアリギエーリ卿の画を掻き消し部屋を出た。
女性であるラウラとイレーヌには、紳士的な計らいから伯爵邸の客間を一人部屋として用意されていた。シモーネはそのひとつのドアを叩いた。中指の爪先で軽く押さえるように三回ほど。静かにドアが開く。暗い部屋から青白い顔をしたラウラの姿が浮かび上がった。
「姉さま……大丈夫ですか」
「だ、大丈夫よ」
ラウラは部屋の奥にあるベッドまでゆっくり歩き、浅くベッドに腰をかけた。窓から入る月明かりがラウラを夢幻の世界へと誘う。蒼い月の独特の光がラウラを包み込む。ラウラはまるで幻想的な雰囲気と無垢な儚さが共存して、触れると消えてしまいそうな危うさを持つエルネスト・エベールが描く思春期の少女ようだった。シモーネは素直に姉から美しさを感じとり、その美しさをカンバスの中に永遠に残しておきたいという欲求が湧き上がった。そんな思いにかられたシモーネは、その様子を目に焼き付けようと目を凝らして姉を見つめた。見つめられる姉はまるで恋人に見つめられるようにはにかみながら、シモーネの視線から逃れるように顔を背け、窓の外に浮かぶ蒼い月を眺めた。
蒼い月光がラウラの髪を流れている。二人には姉弟の関係には似合わない空間と時間が支配していた。この時、二人を見つめる月は間違いなくこの二人を一対の初々しい恋人と思っただろう。シモーネの目に、姉、ラウラを通して甘い香りで自分を翻弄し、惑わさせ、奈落の底に突き落とした愛しい女性のことが脳裏に浮かび上がってきた。もうその女性はこの世にはいない。シモーネにとって受け入れ難い現実であったが、その女性の死を目の当たりにした為、目を閉じ耳も塞いでも、その事実から目を背けることはできなかった。夢のような、幻のような、そんな世界の出来事だった。とても現実と思えるものではなかった。ただその女性がいないという事実だけが残った。シモーネはそのことを思い出すたび、胸が閉めつられ呼吸が苦しくなり、時にはラウラの顔がその女性の顔と重なってしまい見分けがつかなくなる。「それは仕方のないことなのだろうか……、それとも錯覚なのだろうか……」確かなことはシモーネには解らなかった。ただ今もその女性の面影を追っているのは間違いなかった。それが不老の混血が故に引き起こす自然に反する摂理だとシモーネは気付いてはたが、その事実に気付かない振りをして、ただ自分の感情に任せるがままにしていた。現実逃避と言ってしまえばその言葉に尽きてしまう行為だった。
ラウラはシモーネと視線を合わさず、
「シモーネ……」
と甘ったるい声をだした。ラウラの声に導かれるように、シモーネはベッドサイドまでゆっくり足をすすめた。ラウラの前まで来ると、そこで足を止めた。ラウラはシモーネを上目使いで見上げ、シモーネの右手を両手で包みそのまま胸元まで引き寄せた。壊れ物を扱うようにその手つきは優しい。シモーネは姉が望むように右手を任せていた。優しく包まれる手の温もりが少しずつ消えていくようにシモーネには感じられた。まるでひとつの生命が終りを向かえているような、そんな感じ方だった。
突然それが潰えたと思った瞬間、シモーネの右手を握るラウラの両手に力が入った。ラウラの顔が苦痛に歪んだ。刹那、ラウラはシモーネの腕に噛み付いた。白い肌に赤い血が二本の流れとなって落ちていく。まるで痛みで発作の苦しみを紛らわせているように、歯を肌に深く食い込ませ。その行為は苦痛を誤魔化すものではない。ラウラが求めたのは生命の糧だった。
シモーネの赤い血をラウラは口に含み少しずつ呑み込んでいく。苦痛に歪んでいた青白い顔が嫌悪を伴った後悔と恐れに変わった。それでも肉体がその血を欲するのか、赤い血を啜ることは止めなかった。シモーネは姉の行動を辛そうに唇を噛みながら目を背けることなく見ていた。白いシーツに赤いシモーネの血が落ちる。処女を犯していくように赤い血が沁みこんでいく。
「姉さま……」
ラウラはシモーネの声で我に返り、虐待を恐れる子供のように怯えながらシモーネの顔を見上げた。今にも泣き出しそうに、両目には涙がいっぱい溜まっていた。シモーネは何も言わず手首をそっとラウラの口許にもっていった。反射的にラウラの口が開いて、その腕に歯を立てようとした……が、寸分のところで目を堅くつむり、シモーネの腕を両手で押し返した。
「姉さま、もう少し呑んで下さい。かなり無理をなさっているでしょう。明日はボマルツォの森に入ります。今の状態ではからだ身体が持ちません」
再びシモーネは手首をラウラの前に差し出した。ラウラは無言で首を二度左右に振った。けれども少しずつ引きつけられるようにラウラの口許はシモーネの手許に近づいていく。ラウラは唇を小さく震わせながら口を開いた。吸血鬼の証である犬歯が血を欲しがるように長く伸びていた。吸血鬼の証がシモーネの目に入った。シモーネは思わず両目を閉じ、顔を天井へ向けた。ちくっと突き刺すような痛みが再びシモーネの腕に走った。シモーネは肉体的に感じる痛みより、ラウラが吸血する行為に心が痛んだ。
混血が人として社会に受け入れられるには「血を糧としない」ことが絶対条件である。吸血鬼と同じ牙を持つ者を同じ人と見ることはできないのである。「吸血」という行為は、人の嫌悪を誘い、忌むべき行為でしてしかない。それは妖魔である証しでもあった。
シモーネはラウラの吸血の事実を知った時、母娘に流れる血、それを司る運命のようなものに恐怖を感じた。「どこに逃げても、逃げ切ることのできない 「血」 が、自分たちを支配している」血を呑み終えたラウラがシモーネの首に腕を巻きつけてきた。ラウラはシモーネの息を絡ませるように、シモーネの唇を奪った。シモーネの口に血の匂いが広がった。自分の血か、姉の血か、それとも昔愛した女性の血か……、シモーネは失ったモノを取り戻すように、ラウラの、その小さく華奢な体を抱きしめ、ラウラはシモーネの身体に腕を回し胸に顔をうずめた。そして声を殺しても漏れる小さな喘ぎ声が、時折静寂を破った。