第一話:ゴブリンのゴグ
悲鳴をあげてクレリックの女は逃げだした。
森の中を無茶苦茶に逃げ回った挙句、木の根っこにつまづいて倒れて、大きな石に頭を打って動かなくなる。
気絶したようだ。
ゴブリンのゴグはクレリックの足をつかんで、すでに倒れている男剣士二名、背の高い奴とチビのところへ引きずっていく。
小さい滝の側、巨大な岩がある場所で、そいつらの身ぐるみを剥いで武器や防具、装飾品などを奪った。
下着姿で気絶している三人組を巨大な岩に縄で縛り付け、足元には錆びたナイフを一本置いてやる。
気がついたら、このナイフで縄を切って逃げることが出来るだろう。
ゴグは、その場から急な斜面を器用に降りて逃げ去った。
深い森の中、小川が流れている。
革の鎧姿のゴグは、川の水をすくって喉の渇きをいやす。
水面にゴグの顔が映る。
顔には斜めに大きな傷跡が残っている。
人間にやられた傷跡だ。
だいぶ昔のことだ。
いつやられたかは、もう忘れてしまった。
剣を鞘に入れて脇に置き、あぐらをかいて川辺で奪った物を品定めしていると、犬の顔をした獣人が声をかけてきた。
「相変わらず強いな、ゴグ」
コボルトのギイだった。
小柄な奴が多いコボルトのくせに、背丈はゴグの倍はあるのではないかと思うくらい大柄だ。
人間でもこんなにでかい奴はそういないだろう。
鎖帷子の防具に、巨大な蛮刀を二本、それぞれ腰の左右に差している。
「なんだ、見てたのか」
「あんたには昔、人間に襲われたとき助けてもらったんでね。その借りを返したい」と投げナイフを手で器用にくるくる回しながらギイは答えた。
「そんな借りは返す必要なんぞない」とゴグはそっけない態度をとる。
「そう言うなって。実はその時、あんたが見せた剣さばきも盗みたくてね」とギイはニヤリとした表情を見せた。
あまり表情を変える奴ではないのだが。
「しかし、さっきの連中だとほとんど盗めなかったよ、ゴグの旦那」
「たいして力のある連中じゃなかった。ゴブリンだからとなめてかかるから痛い目にあうんだと教えてやったのさ。チビだと思って馬鹿にしやがって」とゴグは不機嫌そうに言った。
「しかし、回復役のクレリックが真っ先に逃げ出すとは、情けない連中だな」
「まだ、初心者なんだろ」
「人間なんて、殺しちまえばいいのに」とギイはまた無表情に戻って、吐き捨てるように言った。
「殺すのも面倒だ。まあ、もう俺も年だ。自分でもどれくらい生きているのか忘れてしまった」
「人間にはあまり近づかない方がいいと思うがな。あいつらいきなり俺たちに襲いかかって、残虐に殺しては経験値が上がったとか言いやがる。連中は狂ってる。殺戮の経験値かよ」とギイは不満気な顔をしているが、
「俺たちも似たようなもんだろ。所詮、人間も俺たちも変わりはしない。神様でもないし、自分がこの先どうなるかわからないまま、地べたを這いずりまわったあげく、誰しもいつかは必ず死ぬ。そんなもんさ」とゴグは言った。
俺もいつかは死ぬだろう。
自分はどんな死に方をするのだろうか。
ろくな死に方はしないだろうなとゴグは思った。
「ただし、人間どもは一度狂い始めると限度が無いぞ」とギイは少し機嫌悪くなったようだ。
「殺されそうになったら返り討ちにするだけさ」と荷物をまとめてゴグは立ち上がった。
「じゃあな、ギイ」
「今度、剣の手合わせを願いたいんだがね」とギイはまたニヤリとした表情を見せる。
「ああ、暇ができたらな」
ゴグはそう言って、ギイと別れた。
鬱蒼とした森の中を、ゴグは奥へと進んで行く。
いつ、人間たちが襲って来るかもしれないので、慎重に周りを見ながら、何か妙な気配を感じないか注意深く歩いていく。
ゴグは森の最奥にあるゴブリン村の入り口に到着した。
何人かのゴブリンが農作業をしている。
この村のゴブリンは農業で生計を立てており、人を襲ったりはしない。
ゴグが村の中に入っていくと、村の連中は一様に訝しげな眼差しで見る。
中にはゴグの顔の傷を見て、あからさまに嫌悪の表情を露わにする者もいる。
ゴグに話しかける者はいない。
自分が嫌われ者であることは充分わかっている。
人間を襲って、持っている物をひったくる追い剥ぎを生業としているゴグはこの村からは歓迎される存在ではない。
村のはずれに、一見、農具を扱っている店がある。
しかし、この店の主、ゴブリンのザギは裏で窃盗品を金や食料などと交換しているやくざ者だ。
「ザギ、元気かい」とゴグは店内で暇そうにしている闇交換屋のザギに声をかける。
「ゴグの旦那か、今日の獲物はどんなものかい」とザギはゴグを見るなり、狡猾そうな顔をして言った。
「今日はたいした物はない」と先ほどの初心者らしき冒険者から奪った剣や防具を店内の机に置いてみせる。
しばしの間、ザギはゴグが置いた物を品定めして、
「こりゃ安物だね」と言って、銅貨三枚を取り出して机に置いた。
「たったこんだけかよ、安物と言っても三人分の武器やら防具だぜ」
「だめだね。いやなら持って帰ってもよろしいんでござんすよ、旦那」とふざけた言い方で笑うザギ。
ゴグは迷った。
他にも、つてがないわけではない。
しかし、この安物ではどこに行っても買い叩かれるだろう。
「旦那は上客なんで、酒を一杯、サービスで付けますがね」とザギはニヤニヤしている。
「ちっ、仕方がない」
ゴグはあきらめて、銅貨を受け取った。
「酒くれよ」
ザギは果実酒を木製のコップになみなみと注いで、ゴグに差し出しながら言った。
「旦那が腰に差している剣なら、金貨二十枚は出すんですがね」
「これだけはだめだ。この剣はキングゴブリン様から直接、拝領したものだ。この剣は俺の命と言ってもいいほど大切なものなんだ」
「これは失礼しやした」と謝りつつ、キングゴブリンと言えば伝説上のゴブリンじゃないか、本当かねという表情をザギは浮かべている。
ゴグはのんびりとした村の風景を見ながら、酒を味わうように飲んだ。
「そう言えば、最近、ここら辺にも人間がちらほらと現れるようになったんだがね」とザギがゴグに探るような目つきで話しかける。
「本当か、なにか危害を加えられたのか」
「今のとこ何もないよ。ここのゴブリンの数は圧倒的に多いからね。それを見ると、人間はすぐに逃げちまうよ」
「武器とかは用意してあるのか」とゴグは少し不安を感じながら、農耕器具ばかりの店内を見まわした。
「一応あるが、ここの連中に使いこなせるかどうか、心配だな」とザギは今しがたゴグから買い取った剣を持って、少し振ってみせる。
「それに、人間が現れたのはあんたのせいじゃないのか」とザギは少し非難がましい表情でゴグに言った。
「あんたが人間を襲えば、その人間の仲間が復讐にやってくる。この村も巻き込まれるかもしれない」
「俺に、この村に近づくなと言うのか」
「まあ、あまり派手にやらんでほしいね、旦那」とザギは話を切り上げ、剣や防具を持って店の奥に消えた。
一人になったゴグは酒を飲み干して、机にコップを置きザギの店を出る。
村の中を歩いていると、皆、ゴグを避ける。
目を合わせようとはしない。
ゴグは少し寂しさ感じながら、ゴブリン村を出た。
ゴグは住みかの洞窟を目指して、森の中を一人で進んで行く。
孤独だが、今は酒に寄ったせいか、村人から無視されたことも頭の片隅に追いやられて気分が良い。
歩きながら、森の樹木や草、土の匂いを感じ、風の音や小川のせせらぎに耳を澄ませる。
巨木の幹に触れると、そのぬくもりが伝わってきて、普段の殺伐とした生活を忘れさせてくれた。
ゴグはしばし目を瞑る。
目を開けると、巨木の近くで人間の若い娘と鉢合わせになった。
なぜ、こんな場所にいるのかとゴグは驚いた。