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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第一章 一逢一別
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08 迂闊だとは認めたくない未熟さ

昨夜同様朝から豪勢な料理に出迎えられ、シェリハは腹をぱんぱんにしてベビーカー片手に会社へ向かった。

その絵面えづらは滑稽に見えたらしく、女子社員に後ろ指を指された。

ベビーカーを担いでいたものだから、ありもしない噂が一人歩きして社内全体に広がる。


「シェリハさん、とうとう結婚ですか!?相手は?」

「あのストイックで有名なマルフリーフェが結婚…?相手の顔見たいよね〜」


一日中話題を独占していたシェリハは社長に目を付けられ、仕事中にも関わらず呼び出された。

ドーリー・エブミアンテ。一児の母であり、社長であり、モデルもデザインもやってこなすマルチな婦人。

社長室に呼び出されることは、社員にとって仕事で失敗することよりも恐ろしいことだ。

社長の目から見ておいたが過ぎると見られる社員はここに呼び出され、延々と説教されることになる。

でもまだこれは軽い仕置きにすぎない。


「なぜ呼ばれたのかわかるわね?」


ショッキングピンクを基調にした、社長の一室に呼び出されてシェリハは立ち尽くしていた。

フリフリのレースを装備したショッキングピンクのカーテン。

きわどい衣装を身に着けた、目のやり場に困るピンクのマネキン。

一対の孔雀が抱擁している姿が印象的な、大きなソファー。

さすがにデスクは普通だが、薔薇の額縁の中には彼女の子供だろう、少女の写真がある。

異様な雰囲気はまるでラブホテルだ。

烏の羽のような睫毛に血のように濡れた真っ赤なルージュ。

汚れ一つないシャツは大胆に開かれ、その上に黒のジャケットを羽織り、引き締めている。


「ベビーカーですよね」

「話の早い人ね…そうよ」


間を置くことなく、ドーリーは言い放った。

シェリハはドーリーに導かれるままにソファーに腰掛けた。


「仕事に情熱を注ぐのはいいことよ。

紙袋にいれてくるとか…そういった考えはなかったのかしら?」

「今朝は急いでいたもので…」


ドーリーの手入れされた、細かいラメが混じった桃色の爪がシェリハの頬をかすめる。

ふと視線を逸らそうとした瞳を、妙な威圧感で鷲掴みにする。

恐ろしい女性だ。


「シェリハ、あなたは素晴らしいデザイナーよ。

ストイックでデザインに対する情熱は冷めることなく、燃えさかるマグマの如く…でも時々前が見えていないようね。

それがあなたの悪いところよ。

実力も能力も大事、でもイメージダウンは大きなダメージなのよ。

わかるかしら?」


延々と続く説教にシェリハはうんざりしながらも聞いているように見せかけた。

ドーリーは説教を始めると、コマーシャルをカットした二時間もののサスペンスドラマが終わってしまうほど、長々と説教する。

相手の都合などお構いなしに、夢を売る立場を仕事のあるべき姿を説き続ける。

まるで教鞭を執る教師のようだ。

仕事が手付かずのまま夕日が見えるまでお経のような女社長による説教が続き、生気を奪われたようにどっと疲れたシェリハはやっと解放された。

同僚から笑い者にされつつ、仕事を中断された分を取り戻すために、彼の仕事は社内が空っぽになっても続いた。

ベビーカーを見つめながら、スケッチブックに鉛筆を走らせる。

ベビーカーを模したフック。

動物をデフォルメした哺乳瓶のキャップ。

何点か描き終えるとスケッチブックを閉じて、

鞄を手にオフィスを出た。


暗闇の中に光る宝石の中を数多の人が通りすがる。

コンクリートの海に響く靴音が波になり、こだまのように響く。

愛の巣を目指して帰る者、仕事前に一息つく者。

誰も知らないところで時間が動き、物語が刻まれていく。

幸せがあれば不幸があり、平等があれば不平等がある。

考えれば考えるほど不思議なものだ。

疲労だけを貯蓄し、酒を浴びるように飲むサラリーマンの波に溶け込み、多くの人が出入りする黒と青の看板が目立つ居酒屋にシェリハは入った。

まず目に付いたのは一人の女性。

後ろ姿なので顔はまったく見えないが、左手にはビールジョッキを右手には箸を装備している。

既に空のジョッキや皿を大量に積んでおり、かなりハイペースな食べっぷりだ。

背筋はピンと張っていて、黒のスーツが引き締めるSラインを描くカーブが美しい。

ビールを一気飲みすると店員を呼び付け、早口で注文していく。

心配になった店員は横目で女性を横目でチラリと見る。


「…それで終わりよ。よろしくね」

「あの…大きなお世話かもしれませんが、お客様少々飲み過ぎでは…」

「別に酔っちゃいないわよ。

いつもはもっと飲んでるし。

気にしないで」


店員を追い払った女性はまた黙々と食欲を満たす為の作業を繰り返す。

店員とのやり取りを一部始終見ていたシェリハは女性の声音をはっと思い出す。


(何か聞いたことあるなあ…)


もしかしたらエアリじゃないのか。

そう思って女性の側まで歩み寄って確認して見ると予想通りエアリだった。

一人暮らしの身の上、何時に帰ろうが自分の自由。

飲みたくなったからふらっと立ち寄ったとぼそりとこぼした。


「あまり飲み過ぎるなよ。明日に障る」

「そんなヘマしないわよ、子供じゃないんだから。

普段はもっと飲むし、つぶれたことないしね。

それに今日はまだまだ飲むつもりだし?」


エアリは注文したばかりの酒と料理が届くや否や、大人のマナーを抜きにして本能のままに貪るように食べていた。

シェリハはその隣でちまちまと食べながら、明日のことばかり考えていた。

明日は仕事にならないだろう、と。

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