17 アルコールからの褒美
開店前のカラオケボックス前では、長蛇の列を作る人々が開店を今か今かと待ち侘びている。
休日だからだろうか、学生を中心とした若年層が多い。
そんな中、大きな荷物を持ったシェリハと梨星は特異な存在だった。カラオケボックスにわざわざ大きな荷物を持って、来る人間などいないからだ。
持ち込みOKのカラオケボックスも存在するが、持ち込むにしてもここまでも大きな荷物になることはない。旅行中に立ち寄った、いうのであれば別問題だがそれ以外ではほぼないと言っていいだろう。
ほどなくしてカラオケボックスが開店し、人々が中へと入っていく。
梨星が先に並んでいたため、先に受付を済ませ、「お先に」という合図なのか軽く手を振っていた。
シェリハは一人でカラオケに入るという経験は初めてで、怪しまれないだろうか、と懸念していたが、思いの外一人で来店する者も少なくなかった。
昨今ではヒトカラなるものが存在し、様々な目的をもって来店する人たちがいる、とシアンに聞いたことがある。
シアンはよくカラオケボックスを利用しているようだからもう慣れているのだろうが、シェリハは自分から進んでカラオケボックスに来たことはない。最近では飲み会の後に無理矢理連行され、行くくらいだ。
それも大人数で行った経験しかなく、一人で行くのは初体験だ。
シェリハは受付で店員に機種や時間を伝え、「どうぞ」と番号が書かれたプレートとグラスが入った籠を渡され、あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい気分になってしまった。
(次からはカラオケはパスだな。恥ずかしすぎる! 梨星は平気そうだったけど、慣れてるんだろうなぁ…。とりあえず部屋に入るか。二〇三、か…)
シェリハはプレートを見つめながら、部屋へと繋がる階段を足早に上った。
ガチャリ、と扉を開けると一人には広すぎる、だだっ広い部屋がシェリハを待っていた。
豪華なシャンデリアの明かりが、硝子張りの長テーブルが暗闇の中で彩りを添えている。他の家具に負けじ、と存在感をアピールするのはレザーを使用した黒のソファーベッドだ。シャンデリアのライトが黒の引き立て役になっているかのように、光っていた。
シェリハが知るカラオケボックスの部屋とは違い、あまりの豪華さに彼はただただ驚いていた。
個室であればそれで十分だったのに、空間が広すぎて落ち着かない。
とりあえずソファーベッドに腰掛け、キャリングバッグを置いた。キャリングバッグからノートパソコンを取り出し、起動させた。
そしてスケッチブックをバッグから取り出し、開くとそこにはブランコに乗った、ベビードールを着た女性が描かれていた。
女性の肌の露出は多く、透け感はあるものの嫌らしさはまったくない。
月をバックにして女性が乗っているブランコが海の上を浮遊している、といったどこか神秘的で不思議な絵だ。
シェリハのデータ自体は既に出来上がっていた。手を加えるとすれば修正くらいのものだ。
アナログは気に入らないからといってなかなか修正できないが、デジタルは操作ひとつで修正できるから便利なものだ。
シェリハはいつもは同じような塗り方しかしていないが、今回は少し違っていた。デジタルでありながらも冷たさと暖かさが感じられる、塗りを心がけていた。
慣れないことをするのは時間がかかるもので、ノートパソコンの液晶画面を睨みながら四苦八苦している。
(慣れないことするなんて初めてだな。コンテストだって、参加することなんて今まで考えちゃいなかった。俺を変えたとしたら──梨星と…彼、か…)
今回塗りの手本にしたのは、絵本作家を夢見る梨星だ。
シェリハはデジタルでの塗りしかしていないため、アナログでの塗りは慣れていない。社員のほとんどがデジタルを武器にしているから、自然とそうなってしまったのだ。
その一方で梨星はシェリハとは逆で、アナログのみで作業を行っている。今回に限っては彼女はシェリハの師匠だ。
短期間であったが彼女の絵を見せてもらい、じっくり観察した。もちろん一朝一夕で身につくものではないとわかってはいたが、自身の得意分野であるものでは挑戦したくなかった。
同じ挑むならば、空澄に違う一面を知らしめたい───そう思ったのだ。
一通り作業を終えると、シェリハは時間が来るまでのんびりとリラックスしていた。
終了時間近くなると、二人は店内の入口で再度待ち合わせた。
梨星は会計を済ませたばかりのようで、財布にレシートとお釣りを入れることなく、そのままシェリハの元に駆け寄ってきた。
「…ちょっと使い過ぎたかも…。ここの一品モノ、すっごく美味しかったよ! ポテトとかパフェとか」
シェリハが梨星のレシートを覗くと、会計は五千円という、豪華な食事でも食べたような金額が記されていた。
午前中に来たとはいえ、どれだけの料理を食べたんだろう? とシェリハは微笑を浮かべながら、梨星の頭を撫でる。
店を出ると、些細な会話を楽しみながら次の目的地へと向かった。
洒落た居酒屋がある、とエアリに聞いた情報を入手し、予約した店は雰囲気のいいところだった。
昭和の家、という言葉がぴったりな、古いながらも温かみのある、まるで旅館の一室のようだった。
でも畳は新しいものなのだろうか、どこか独特の香りが空間を包んでいるのかのようだ。
「わぁ…何だか泊りにきたみたい。素敵なところだね、わざわざ予約してくれたの?」
「食事だけでもゆっくりしたい、と思ってさ。会社絡み以外じゃ一緒にいれなかっただろ?」
二人はちゃぶ台の前に向かい合わせになるよう座り、料理を待った。
丁度会話が途切れたところでドアをノックされ、「失礼いたします」と店員が障子を開く。
ちゃぶ台の上に並べられた色取り取りの料理は和食をメインに、シェリハが予約した際に注文しておいたものだ。
出会ったばかりの頃は彼女に酒を飲んでもらうことはできなかったが、現在は社会人にもなったことだからいいだろう、と思い、チューハイを頼んだ。
酒に強いふりを演じるのもいいかと思ったが、残念なことにシェリハは酒に強くなかった。
社内の飲み会では「シェリハさーん、なくなったみたいだから何か頼みましょうよ~。ほら~!」などと煽られると、断り切れず飲み過ぎてしまい、シェリハが一番先に酔っているのだ。
だからシェリハは梨星と同じものを選んだ。甘い甘い、女性が好きそうなベリー系のチューハイだ。
「美味しい! 最近あんまり外で食べないから、新鮮かも」
「そっか、よかった。梨星、酒強そうだなあ。ほら、もうなくなってる。何か頼むか?」
驚くことに梨星は酒に強いようで、グラスに残る四分の一ほどの液体を、水を飲むようにゴクゴク、と一気に飲み干した。
それに負けじとシェリハもピッチを上げて飲み干しては注文し、作業であるかのように飲み干す、ということを繰り返していたら、段々シェリハの体に熱が帯びてきた。
父が外国人であるため、肌が白いシェリハは林檎のように真っ赤になっていた。
梨星は心配そうにシェリハに顔を近付け、様子を窺っているが彼にとっては逆効果だった。そんなに顔を近付けられては、手を伸ばして抱き締めてしまいそうだ。
(頭がぼーっとしてきた…思ったより肌白いんだな。こんな近くに梨星がいるなんて、現実? それとも夢の中か? あぁ、触れたい。少しだけ、ほんの少しだけだ──)
シェリハは梨星の頬に手を伸ばし、欲望に負けてしまった彼はアルコールの香りを纏った唇に口付けた。
丸い丸い宝石がシェリハを見つめていた。だが驚愕に染まった目はシェリハを映すと同時に伏せられ、甘いキスに酔いしれていた。