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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第二章 季嵐温運
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16 青く甘い若葉

 シェリハの時間を作るために、あまり急用でない仕事は手の空いている社員が片付けようと提案したが、シェリハはそれを断った。

 普段は温厚な青年だが、仕事や趣味のことになると頑固で熱い男へと変貌してしまうのである。

 仕事は持ち帰りすることがないよう、会社のみで終わらせ、急に仕事が雪崩れこむこともなく、コンテストまで残すところ一ヶ月半と期日は迫ってきていた。

 平穏な閑散期が訪れて通常の休みが取れたため、シェリハは梨星をデートに誘った。

 コンテストが終わるまではデートはお預けだと思っていたらしく、梨星は目を丸くしてシェリハを見つめていた。

    

「いいの? コンテストのために作品作る時間とらなきゃいけないのに、大丈夫?」

「──それは俺の台詞。デートって言って期待させて悪いんだけど、一日中ってわけじゃないんだ。ほら、あと一ヶ月半しかないし、作品も制作しなきゃいけないだろ?

自宅でするのもいいけど梨星の顔、見たいと思ってさ。カラオケボックスなら個室だし、一人ずつ入れば作品制作もできるだろ? 外野が煩いだろうから、耳栓持って行った方がいいかもな。とりあえず午前中にフリータイムで入って、終わったら夜、ご飯食べに行こうか?」

「それいいね! あ、ばれないように横にマイク置いとかなきゃ。コンテスト終わるまで会えないと思ってたから…楽しみにしてるね!」


 まるで小中学生のような、色気ゼロのデートを提案したにも関わらず、梨星は笑顔で答えてくれた。

 カラオケボックスは騒音が欠点だが耳栓を持参し、音量を調節すればどうにかなる。なにより個室なので集中できるだろう。

 制作に没頭するならデートをしなくても家に籠るのもひとつの手なのだが、彼女とまともにデートをする機会が少ないため、せめて食事だけでも、とシェリハは梨星をデートに誘った。

 相手が梨星でなければ、シェリハはとっくの昔に振られていたことだろう。

 多忙にも関わらず自らコンテストに参加しようとし、自分で自分を追い込み、自分の首を絞めているのだから。

 それでも彼女に会いたい、というのは我儘だろうか。

 だからこそ昼間のデートを諦め、夜のデートを選んだのだ。

 時間が限られているからファミレスやファーストフード店ではなく、オシャレで二人きりになれる個室の店を選ぶのもいいだろう。


(そういえば──エアリが駅前付近に洒落た居酒屋があるって言ってたな…ネットで検索してみるか。

前に服買ったのは…いつだった? あーあ、よく見たら仕事関係だとか、一点もののサンプルばっかだな。せっかくだし、買いに行くか)


 ああでもない、こうでもない、とデートプランを考えている時間はとても楽しかった。

 シェリハは年甲斐もなく、迫りくるデートに思いを馳せていた。

 季節はもう夏だ。女性の着ている服が薄くなり、生地の大きさも小さくなっていく。

 胸や背中、脚が露出され、男達は目のやり場に困ってしまう。

 困ると言いつつもチラチラ、と見てしまうのは男の性だ。シェリハも例外ではなく、恋人の服装に期待を抱いている。

 年を取り大人になったつもりでも、涼しい顔をして平静を装っていても、シェリハも所詮はただの男なのだ。






 シェリハは約束事がある日は、なぜか早く起きてしまう、という癖があった。

 梨星とのデートがある日曜日は朝の四時に目が覚めてしまった。まるで遠足を楽しみにしている、子供そのものだ。

 いつもなら自ら進んで服を買わない男がたかが一回のデートの為に服を買い、専門学校を卒業して間もない恋人に話を合わせるためにネットや雑誌で情報を掻き集め、「おじさん」呼ばわりされないために若さアピールをしている──事情を知る者から見れば涙ぐましい健気な男だが、知らない者が見れば滑稽な男だ。


(キャリングバッグにノートは入れたし、USBも入れたな。あとは…)


 シェリハは持ち物を確認しながら、新調したばかりの服に身を包む。

 フィット感のあるミディアムブルーのTシャツ。ネイビーのスキニーテーパードジーンズ。黒のハイカットスニーカー。

 そして普段から愛用している、服に比べると年季の入った黒のキャリングバッグ。

 服装はカジュアルなのにキャリングバッグを持っているのは少しおかしいが、今日という日に限っては仕方ないの一言に尽きる。

 シェリハは玄関扉の鍵を閉めると、梨星の顔を思い浮かべながら駅へと向かった。







「シェリハ! こっちだよ!」


 アイボリーのバタフライスリーブワンピースを身に纏い、ダークブラウンのグラディエーターサンダルを履いた梨星がオレンジのキャリーケースを引きながら、ひらひらと手を振っている。

 キャリーケースの上には大きな紙袋が載っている。おそらく中身は彼女の作品である、イラストボードなりキャンバスが入っているのだろう。

 今の彼女は誰が見ても旅行者以外には見えないだろう。それに比べればシェリハのキャリングバッグなど大したことではない。


「もしかして──大分待ってた? もう少し早く来ればよかったな。ごめんな」

「ううん、さっき来たばっかりだから大丈夫だよ。シェリハは鞄ちっちゃいね?」

「ノートしか入れてないからな。梨星は画材いっぱい持ってきたんだろう?」

「うん、でも絵の具だと何回も水替えなきゃいけないから、見られたら不自然でしょ? だから今日はパステルと色鉛筆と、あとはフィキサチーフとか、その他諸々。多分汚れるだろうから着替え持ってきたの」


 梨星は目を細めて笑った。スッと一本のブラウンのアイラインが綺麗に入れられ、瞼にはニュアンス程度の控えめなラメとべージュ系ブラウンのアイシャドウが薄く塗られている。

 肌の色味を活かしたピンク系のリップで口元を彩っている。

 なかなかデートをする機会がないため、たまに女性らしさを引き立てるしっかり目のメイクの彼女を見ると、胸が高鳴ってしまう。

 抱き締めたい衝動を抑え、シェリハは梨星の紙袋に手を伸ばした。


「あ、シェリハ。いいよ、大きいだけで軽いし」

「これ、男の俺からしても重いから。…今から指痛められたら困るな。今日一日ずーっと動かすんだからな、ほら。俺が持つよ」

「そう…? ありがとう!」


 シェリハは両手に荷物を抱えながら、恥ずかしそうに微笑んだ。

 社会人になってこんな甘い思いをしたことがあっただろうか。いや、学生時代にこんなにも恋愛を楽しんだことがあっただろうか。

 ──いや、ない。自分からその機会を捨てたのだから、あるわけがない。


「──シェリハ! もう、名前呼んでも全然返事ないんだから。早く行こう?」

「あ、ああ」


 少し呆けていたのだろうか、梨星の顔を見ると頬を膨らませていた。シェリハは彼女は少し怒ったのだろうか、と思ったが、その表情すらも可愛い、と誰かに惚気てしまいたくなった。

 今日はデート兼作品制作にやってきたことをはっ、と思い出し、梨星の歩幅に合わせて歩き出した。

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