14 盗まれて変化するアイデア
「ねぇ、聞いた? うちの社長とヴァイシザー社の社長って仲悪いんだって!」
「知ってる~。シェリハ先輩を巡ってもめてる、って噂だけど。でも何でシェリハ先輩が絡んでるのかが気になるよね」
「それにヴァイシザー社の右腕は滝見さんの元カレらしいよ。てことは恋愛問題!?」
「うわー、じゃあドロドロの展開決定的なわけ? これで仕事なんかも絡んできたらどうにもならないんじゃないの?」
仕事量が落ち着き、エブミアンテ社に静けさが戻るかと思われたが、静かになったら暇なのか社員達は手より口を動かしている。
最近流れ出した噂というのがドーリーとイーライナンの不仲説だ。
更にシェリハや梨星を巻き込み、事実でないことが大袈裟に囁かれている。
「他人のプライベートを心配するとは余裕だな。それなら俺の仕事を手伝ってもらうとしようか?
なぁに、大したことはない。ただの書類作成だ。来週以降作成する予定だった書類だ。たったの178種類。
デザイン業務より何倍も楽だろう?」
「ふ、副社長…! ゆ、許して下さい! 私、つい」
ルハルクが女性社員二人を睨みつける。
女性社員は椅子から立ち上がり、縋るような目で彼を見つめていた。
彼の仕事を手伝える社員は嶺猫以外いないだろう。
作業量やスピードについていける筈がない。もちろん社員がそれを知らない筈もない。
ルハルクは呆れたように溜息を吐いた。
「…呆れて言葉も出ないな。事実でもない噂を想像し、創造するな。残念ながら君らの期待した昼ドラのような展開はない。
口を出したければ何でもできるようになってから言ってもらおう。…俺の言いたいことは以上だ」
ルハルクは一定のトーンで女性社員に向かって冷たく言い放つ。
噂大好きな女性の気持ちがわからないことはないが、少し不憫に思えてしまう。
社員全員が口に出しているわけではないが、皆噂を気にしている。顔には出さないがシェリハもその一人だった。
ドーリーとイーライナンの仲の悪さは有名な話で、顔を見る度に火花を散らしているらしい。仮にこの二人に関わるどちらかの会社の社員が絡んだとしたら仕事にも関わってくる。
二人は会社の社長であるのだから当然人を物を動かす力を有している。ドーリーはその力を悪用しようとは考えてはいないが、イーライナンは迷うことなくその力を使うだろう。
そうすれば社員や仕事に関わる者たちが巻き込まれてしまうことになる。シェリハはそれだけは避けるべきだ、と考えていた。
(ヴァイシザー社には貴宮空澄がいる。今はまだ特に何も仕掛けてはきてないが、安心はできない。
それに梨星のこともある。ベートマさんの側にいるなら考え方は近いはず。なら金のためなら手段は選ばない…)
シェリハが考え事をしているとルハルクが彼の方へとゆっくりやってくる。何事だろうか、とシェリハは立ち上がった。
「シェリハ、先日提出してもらったデータなんだが、先方から連絡があって内容を変更して貰うことになった」
「そうですか、わかりました。急ぎでしょうか?」
「……緊急だ。書類を会議室に置いてきてしまったから一緒に行ってもらえないか? 先方からの預かり物もあるしな」
…提出した書類などあっただろうか、とシェリハは思ったがすぐに返事をした。彼の言葉の裏側にこそ意味が隠されている、と思ったからだ。
嘘を吐くなどルハルクらしくない。噂の件で声をかけたとすれば、社員の手前だから嘘を吐いたのかもしれない。
二人は一言も言葉を交わさぬまま、会議室へと繋がる廊下をただひたすら歩いた。
「あ、ふたりとも。わざわざ悪いわね」
会議室には黒のスーツを身に纏ったドーリーが椅子に腰掛けていた。
いつものドーリーにある派手さはなく、化粧から服装に至るまでナチュラルに纏められている。
「社長? 何だか今日は雰囲気が違いますね」
「…あら、普段はケバいとでも言いたいの? 否定はしないけど若い時と違って少し派手なくらいが丁度いいのよ。
ああ、そんなことはどうでもいいのよ。さ、座って頂戴」
ドーリーはシェリハの地味なお世辞をなかったかのようにスルーし、二人を椅子に座らせた。もちろん仕事の話をするためではない。
「イーライナンのことなんだろう? 今社内はこの噂で持ちきりだ。
しかも梨星やシェリハ、イーライナンの片腕の若造も巻き込んでな」
「………」
「もしかして何か揉め事でも?」
…黙っていても仕方がない、と観念したのか、ドーリーは口を開いた。
25歳の女性社員がドーリーに辞表を同封した封書を送り付け、ドーリーの説得を聞くこともなく辞めてしまったのだという。
結婚や出産、エブミアンテ社に対する不満が理由ではなかったらしい。
その女性社員は先輩社員のアシスタントを経て一人でも仕事ができるようになり、小さい仕事ばかりではあったが経験になると思い確実にこなしていた。
それならなぜ突然退社してしまったのか、それがシェリハとルハルクの疑問だった。
「アイデアを盗まれてしまったの。…それも五回も。しかもヴァイシザー社の社員にね。
あの女がいるんだもの、どうせ金の力でどうにかしたに決まってるわ!
まあ…それが一番の理由だったみたい。
『もうこの業界にはいたくない、いれない』とまで言ってたわ…」
「しかしどうやって盗んだんだ? いや、奴ならいくらでも方法はあるか」
「…そうですね。証拠が残らなければ動けませんからね。で、その子は今何を?」
「わからないわ…。どうやら住所も電話番号も変わったみたいで…。
よほどショックだったのね…悩みに悩みぬいて思いついたアイデアを盗まれるほど、苦痛なことはないもの…」
ドーリーははぁ、と溜息を吐いた。
彼女にとっても女その性社員にとっても衝撃的な出来事だったのだろう。
ドーリーは過去の自分と同じような思いをして欲しくない、という思いからエブミアンテ社を設立した。
なのに同じ思いをしてしまったエブミアンテ社の社員が辞めることになってしまった。
そして逃げるようにこの業界を去らせてしまった。この業界に足を踏み入れた後悔を抱きながら。
「私と同じ思いをさせたくなくて作った会社から、過去の私と同じ思いをさせた挙句辞めさせてしまった…。
…これからも新米の社員がこうしてイーライナンから奪われることを思うと苦しくて仕方ないのよ…! 仕舞いにはエブミアンテ社は潰されるわ」
「そんなことはさせません」
ドーリーの悲痛な叫びにシェリハは即答した。それは自分がそうはさせない、と言っているようにも聞こえた。
シェリハにとってエブミアンテ社はクリエイターとして初めて入社した会社であり、恩人の会社でもある。
そう易々と潰されては堪ったものではない。恩人の子供のような存在なのだから。
気の弱いシェリハを育て、デザイナーとして仕事をできるようになったのは彼らのおかげである。
もしシェリハがエブミアンテ社ではなくヴァイシザー社に入社していたら、今のような考え方は持っていなかったかもしれない。
「させない、とは一体どうするつもりなんだ?」
「とりあえず他社にアピールしたいと思っています。年に2回開かれているコンテスト、ご存知ですよね?」
「会社に属するクリエイターのみ参加資格があるコンテスト。“NAME IS CUTTER”のことかしら?」
シェリハはこくりと頷いた。
正式名称はクリエイターコンテスト“NAME IS CUTTER”。
CUTTERとは本来はカッターナイフのことであるが、優れたクリエイターに賞を与えるコンテストだということを考えるとCUTTERとはクリエイター個人のことを指していると思われる。
アマチュアの参加は認められず、会社に属するプロだけが参加できるコンテストだ。
受賞することができればクリエイターとしてはもちろん会社の名を上げることもできる。
その場で有名な会社にヘッドハンティングされたり、大きな仕事が与えられることもある。
シェリハはこの機会を利用したい、と言っているのだ。
「そうです。有名なクリエイターも集まってくるでしょうから、受賞できるできないはひとまずおいておいて。
宣戦布告と挑戦の意味を込めて参加したいと思います」
「しかしなぜコンテストなんだ?」
「ベートマさんはヴァイシザー社の名を確認するため、新たな戦力となるクリエイターの発掘のために必ず参加するでしょうし、作品も見に来るでしょう。
社長は今まで守りに徹されてきたと思います。それに対しベートマさんは常に攻め続けてきた。彼らを知ることも無駄ではないと思います」
シェリハのあまりにも前向きすぎる、シェリハらしくない言葉に二人は押し黙っていた。
ドーリーは今まで面接のみで社員を受け入れてきた。だがそれに対しイーライナンは精力的に自らが動いていた。
能力のある者を中心に採用し、時には会社から引き抜いたりコンテストなどで勧誘したこともある。自分の会社に自信を持っているため、露出も多い。
だがエブミアンテ社は規模が小さいためにそれどころではなく、露出や主張は殆どなかった。強いて言うなら看板社員となったシェリハが有名になってしまったことくらいだ。
「つまりそのコンテストでヴァイシザー社を調べつつ、彼らにエブミアンテ社自身を主張するというわけか?」
「はい、頭数では勝てませんが愛情だけなら負けるつもりはありません。やられっぱなしは嫌ですしやるなら徹底的にしたいんです。
とりあえず合間を縫って作品制作に取り掛かりたいと思います。もちろん仕事に支障がない程度に」
「…わかったわ。この件については詳しく全員で話し合う必要があるわね。…私も覚悟を決めるわ。
ルハルク、早速明日の早朝会議を行いましょう」
「わかった。では皆にその旨伝えてこようか」
ルハルクは頷くと立ち上がり、その場を去った。シェリハとドーリーは暫くの間無言で見つめあった。
人と争い競い合うことを嫌っていた昔のシェリハを知るドーリーは彼からの提案が意外だった。
後輩が毒牙にかかったことで彼を決心させてしまったのかもしれない。それにイーライナンの片腕である彼が絡んでいれば座視できないのは当然だ。
ドーリーはシェリハの変化を快く思っていた。今までどこか強い意志というものをあまり感じられなかったからだ。
ドーリーはふ、と微笑みを浮かべた。後輩がこんなにも逞しく育ってくれたことほど嬉しいものはないのだから。
「社長、すみません。俺の…俺の我儘です…」
シェリハの絞り出したようなか細い声にドーリーは笑みで応えた。
今まで不平不満を一言も口にせず、自分の意志を口にするなど初めてのことではないだろうか。そこに個人的な感情があったとしてもそれは我儘とはほど遠いものだ。
シェリハは社員のため会社のために“我儘”を口にした。ドーリーにとってそれが何よりも嬉しかった。