13 さよなら、愛した理由を分けた友
無事にデータの納入を終えたエブミアンテ社は平穏な空気に包まれていた。
その日は週末ということもあり、梨星にとってフリーの日だった。
つまり決められた日だけは自由に絵を描くことを許された、梨星にとっては一番楽しみな時間だった。
梨星はスケッチブックと鉛筆をデスクの上に並べ、黙々とイラストを描き続けている。
学生時代から愛用していたものなのだろうか、スケッチブックの表紙は所々色が剥げている。
「……未来の絵本作家様の絵をこうして見るのは初めてだな」
「え…ルハルクさん?!」
梨星が顔を上げると隣に微笑を浮かべたルハルクが立っていた。
ルハルクがこうして社員の作業を指導目的以外で見つめることは珍しい。普段は様々な業務に追われ忙しいからだ。
だが今日はこれといって挙げるべき仕事は特にない。なぜなら彼が早々に片付けてしまったからだ。
暇だろうと忙しかろうと作業量が多かろうと少なかろうと、彼の作業スピードが変わることはない。キャリアのある彼だからこそできる業だ。
「なに、見ての通り今日は仕事が少なくてな。今日やることはもう終わらせたからすることもないし、社員も出払ってるしな。
どうだ、仕事の方は慣れたか?」
「はい、少しずつですけど。わからないことの方が多いですけど…でも…」
梨星の表情が一瞬暗くなったのをルハルクは見逃さなかった。
梨星の表情を暗くさせた原因はおそらくはヴァイシザー社だろう。
ヴァイシザー社のイーライナンと空澄が絡んでいるのは間違いない。
元とはいえ昔の恋人がイーライナンと組み、現恋人を引きずり込もうとしているのだから。
「…ヴァイシザー社のイーライナン・ベートマと貴宮空澄か?」
「知ってるんですか…?」
「貴宮空澄は噂でしか知らないがな。新参者の癖に今ではシェリハと肩を並べているらしいからな。
イーライナンは…俺とドーリーと彼女は同期だった。昔は仲間だった。それも短い間だったが…」
「え………」
梨星は驚きを隠せなかったようで石のように硬くなった表情をして呟いた。
でも驚いてしまうのも無理はない。エブミアンテ社とヴァイシザー社の社長がかつては友人で同期だった、とはあまり知られていない。
新参の梨星は知らなくて当たり前の話だ。
「梨星と同じくらいの頃、ある会社に社員として入社した。
そこにドーリーとイーライナンもいてな。同期は三人きりだったからすぐに打ち解けた。
でも問題はそこからだ…元々イーライナンは優秀だったし、欲が出てきたんだろう…」
ルハルクは昔を懐かしむように過去を語り始めた。
彼の表情はいつもと違っていてどこか淋しそうにも見えた。
目と髪の色のせいだろうか、暗いように映ったのはきっと気のせいではないだろう。
三人はある会社で出会った。外国出身・デザイナー志望であることが共通点と分かるとすぐに仲良くなった。
同期は三人きりだったから当然の成り行きともいえるだろう。
新入社員としてゼロからスタートし、三人は成功と失敗を繰り返しながら先輩社員に匹敵する実力を身につけていった。
ドーリーやルハルクは仕事に楽しみや充実といったものを求めていたが、イーライナンは違っていた。
クライアントを会社というブランドだけで見定め、いつの間にかクライアントに選ばれる側ではなく自分が選ぶ側になり、我儘で傲慢になっていった。
それでもクライアントはイーライナンのデザインに惚れ込んでいたため、彼女の仕事が減ることはなかった。寧ろ増える一方だった。
だが自分のシナリオ通りに事を進めてきたイーライナンは初めてのスランプを経験する。
挫折を味わったことのない彼女はデザインのクォリティーを求め、社員のアイデアを盗み始めた。
もちろんただ単に盗むだけではない、色香で男性社員を誘惑し自らの手を汚さず社員のアイデアを手に入れたのだ。
彼女が真のデザイナーならばデザイン向上の為に何らかの努力をしただろう。
だが彼女はそれをしなかった。それよりも楽な方法を知ってしまったからだ。
そしていつからかデザインは趣味でも愛すべきものではなく、金銭に代わるものになっていた。
「もしかしてドーリーさんが会社設立したのは彼女が原因なんですか?」
「そうだ。最終的にドーリーのアイデアを盗んだ。それは彼女にとって価値あるものだったからだ。
友人だからといって許せることではなかった。ドーリーはデザイナーとしての誇りがあったしな。
まぁそこからは想像できるかもしれないが、ドーリーとイーライナンの不仲が噂になって、イーライナンが自分の方に引き入れた社員達に批判され、会社を辞めてエブミアンテ社を設立したんだ」
「そうだったんですか…じゃあドーリーさんの味方をしてくれる人はルハルクさんだけだったんですね」
「イーライナンの味方は男性社員が多かったし、男性社員の一部に幹部クラスの人間がいたからな」
ルハルクの話を聞いて梨星はすっかり消沈しきっていた。
その話をまるで自分に降りかかってきたかのように受け止め、素直に受け入れていた。
最近の若い娘は強かだったり大人びてませていたりとルハルクは若い女性に対しあまりいい印象は持っていなかった。
だが梨星はあのシェリハ自らが選んだ女性だ。優しくて素直で思いやりのある女性なのだろう、と彼女の言葉や態度から感じ取っていた。
社員として付き合い始めて間もないが、シェリハを支えてやれる唯一の存在だ。
これからイーライナンや空澄と対峙することもあるだろう。ライバルとしてぶつかることだってあるだろう。
だからこそルハルクはドーリーとイーライナンの過去を吐露した。梨星の心を知るために。
「この会社は日本人に煙たがられたドーリーさん…外国人のためのお城なんですね。
…私は人種なんて関係ないと思うんです。外見や風習・言葉の違いはあるけど、好きなモノが同じならきっと共有できます。
でもドーリーさんと彼女はどうも考えというか方向が全然違うように思うんです。好きになったきっかけは同じだったんだろうけど、目的や目標は違うみたい。
お城を攻撃してくるなら私はここの警備員になります。…ごめんなさい」
最後の『ごめんなさい』は何に対しての謝罪なのだろう、とルハルクは口元を緩めた。
きっとイーライナンとは相容れない、という意味合いなのだろう。
梨星の決意は石のように硬く、明確なモノだった。理由も単純明快、『目的や目標が違っていて攻撃してくるなら迎え撃つ』というものだ。外見に似合わず勇ましく見えてくる。
(イーライナン、もう昔のようには戻れないんだな。どちらかが負けを認めるまでは…。
シェリハを望み、卑怯な手を使ってくるというのなら俺も黙ってはいられない。)
ルハルクの心に火を点けたのは梨星の純粋ゆえの言葉だった。
いつかドーリーを咎めたひとつの言葉をルハルクは思い出していた。
もう仲を取り持つように間に入ることはない。自分の感情を殺すこともない。
これをきっかけに歯止めをかける社員がいなくなり、嵐の前の静けさがやってこようとしていた。