10 純粋製の覚悟
「本当むかつく! 入社して間もないくせに大きい顔して。
そりゃあちょっとできる人だって事は知ってるけど、態度おっきすぎるよね!」
梨星は言い終えると駅のホームのベンチに座り、紙コップに入ったココアをぐっと飲み干した。
デートのラストに相応しくどこかで食事をしてもよかったのだが、時計を気にして急かせたくはなかったので梨星の希望でハンバーガーショップでテイクアウトしたというわけだ。
空腹のせいだろうか、彼女は空澄のことで少し苛々しているようだ。
シェリハはそんな叶実を見つめながら静かにポテトフライを食べていた。
「…わかってる。実力が全ての世界でそこでうまくやってるってことは、実力があるから成功してるってことは。
でも私、納得できないよ。どんな手段を使っても許される世界なんておかしいよ。間違ってるよ…」
「梨星…」
諦めたように俯く梨星の目が少し潤んで見えた。
空澄と梨星は火と水のように対称的な存在だ。妥協することができないから互いに交わることがない。
どちらかが頭を下げてもどちらかは頑固を貫くからだ。そして二人の善悪に温度差がある以上、仲良くなどできるわけがない。
確かに仲良くしていた時間は存在した。出会ってから冷めるまでの短期間だった。
恋をして好きになったからこそ歪んでしまった彼が許せないのだろう。
月寿と星凪の血を継いでいるなら許せるわけがない。
「知り合ったばかりの頃は学生だし、この業界のことはよく知らなかったからかいい人だと思ってた。
どんどん変わってくの見てるのが怖かったの。
でも今は…大っ嫌い。きっとこれからエビミアンテ社に何かしてくるだろうけど、絶対何があっても負けないから」
「梨星、それは違うんじゃないか」
シェリハは梨星の目を見て言い切った。彼女を否定する言葉を発することなど初めてだった。
それを知っているからか、梨星は驚いた表情で呆然としていた。
二人は付き合い始めてから意見の食い違いで喧嘩をすることなく、想いを育んできた。
思えば性質や価値観が似ていたのだろう。だから否定されたことに驚きを隠せないのかもしれない。
「どうして? あんなにひどいこと言われたのに、何でそんなふうに言えるの?!」
「…確かに。自分と張り合えない人間を馬鹿にしてるし、金を稼ぐためなら何をしてもいいと思ってるような男だ。
好感は持てないけど、今の梨星を作った人間の一人なんだろう?」
梨星は抑え切れずに声を張り上げた。
だがシェリハは動じることなく、顔色ひとつ変えず穏やかな口調で優しく梨星に問い掛けた。
思いもよらないシェリハの言葉に驚いているのか、目を丸くしている。
空澄は人間的には悪い人物ではあるが、現在の梨星を形成することとなった一部の人間でもある。
二人は出会い、恋愛をして大きく成長を遂げたはずだ。それは貴宮空澄という存在のお陰なのだ。
シェリハはいつも嫌いな相手であってもポジティブに考えるようにしている。
万人は常に誰かの為に存在し、影響し合っている。
彼女の年頃なら我儘を言いたいだろうに、不満を言うことなく理解を示してくれている。
そんな彼女を経験や環境、そして彼女を取り巻く人々が育て上げたのだ。
そう考えれば嫌いな人間でも多少は興味が湧いてくるし、気が楽になるというものだ。
「シェリハは私の肩持ってくれると思ってた。初めてだよ? 前の彼氏の話して違う意味で怒られるなんて」
「え? いや俺は怒ってる訳じゃ…」
「…うん、わかってる。でも何となくわかる気がする。
何でシェリハがみんなに好かれるのか、ってこと。
みんな言ってるよ。大好きだって、頼りになるって。えへへ、よかったぁ…」
梨星はシェリハの顔を見てにっこり笑うと、紙袋から取り出したハンバーガーに食らい付き黙々と食べていた。
こうして隣同士に座りながら食事しているとまるで恋人のデートのようだ。
今から会社に戻って仕事をする雰囲気ではない。喋らずとも顔を見ているだけで、その場にいてくれるだけで安心感を感じられるような甘い雰囲気だ。
けれど用事が済めば会社に戻らなければならない。繁忙期は猫の手も借りたいほど忙しい時期だ。
社員である以上は帰るわけにはいかない。
「ね、繁忙期っていつもみんな何時くらいに帰ってるの?」
「個人の事情やらで違うけど俺はラストまで。
…って梨星、もしかしてラストまでいるつもりか?」
「うん、忙しいならどんなに小さいことでも手伝いたいんだ。
それに私は終電とか関係ないしね。あ、実はね私、学校卒業前に車の免許取ったの。買い物も不便だし、その方が交通費も浮くしね。だから最後まで残るよ。家のことなら気にしないでね? 忙しいのはわかってると思うから」
梨星はシェリハと待ち合わせる際に駅前の駐車場に車を停めてきた、とにこにこと笑いながら言った。
彼女はシェリハに許可を求めなかった。ただ覚悟を報告するのみだ。
(この子は俺よりずっと大人だな。年下だと思ってたけど思ってたよりしっかりしてて…。
これじゃあどっちが年上なんだかわからないな)
二人は食事を終えると勢いよく電車に乗り込んだ。
エブミアンテ社に戻ると社内は人で埋め尽くされていた。恐らくはドーリーが連れてきた者達だろう。
ドーリーやルハルクは社員達に指示を出していて、シェリハ達は声をかけられず突っ立っていた。
「シェリハに梨星じゃない! 戻ってきてくれるとは思わなかったわ…そっちは大丈夫だった?」
「はい、でもこれからは慎重になった方がよさそうです。
それはそうと今どんな感じですか? 今日中には何とかなりそうですか?」
「ぎりぎりの状態…すべての案件のタイムリミットは明日の8時。残業決定よ。これでも大分片付いた方なんだけど。
でもしょっぱなから今回みたいな残業はキツイから無理はしないようにね。
シェリハは社員に指示を出して、梨星はエアリの指示を聞いてちょうだい」
二人はこくりと頷くとその場を離れた。
こうして一秒たりとも無駄にはできない戦いが始まった。
就寝の時間が近付くにつれ街が静かになってゆくのに、エブミアンテ社内だけが宴会場のように騒がしくなっていた。
まともなデートシーンがなかったので入れる必要はなかったのですが敢えて入れさせて頂きました。
もし梨星がシェリハと業種が違っていたら「何で会えないの!」って我儘いっちゃいそうなんですが、彼女は事前にこの世界が特にこの会社が忙しいことを理解しているから我儘は言わないんじゃないかと。
内心は会いたいと思うんですが、それを言って年上のシェリハに子供扱いされたくないし迷惑を掛けたくない、そう思ってるんじゃないかと思います。
シェリハの方もそれを感じていて、何らかの形で彼女とのデートの場を作ろうとしています。
ホームでファーストフードを食べていますが、これは彼なりの気遣いであり欲求でもあります。
お腹減ってるだろうし、少しの間だけでも一緒にいたい、そん考えてるのではないかなと。
次回は引き続きエブミアンテ社が舞台になります。