6 愛有行動
「なぜなんですか…!」
シェリハは社長室で柄にもなく声を荒げ、ドーリーに詰め寄った。
エブミアンテ社は社員が多くない割に案件は多く舞い込んでくるし、今年は新米社員もいるため厳しい状況だ。
それなのにイーライナンが主催するショーに付き合い、戦力を自ら削るのは自殺行為に等しい。
シェリハは断るべきだ、とドーリーに進言しているが、彼女は首を縦に振ってはくれない。
「断ってはいそうですか、って済む相手じゃないことくらい、イーライがどんな人間か知ってるでしょう?
それにシェリハと梨星を指名してるわ。あの子には刺激になっていいと思うし」
「そうですけど…人出が足りないでしょう?」
「フリーの知り合いに連絡してみるから、どうにかなると思うわ。
それはそれでいいんだけど…やっぱりイーライから執拗に誘われてたみたいね?」
ドーリーは弟を見るような目でシェリハの目を捉えた。
その言葉は嫌味でも何でもなく、本心から出た言葉だ。
シェリハは入社してから今までずっとドーリーの世話になってきた。
彼女がいなければ今の自分は存在しない、といっても過言ではないだろう。
優しく時に厳しく、シェリハに姉はいなかったが姉のような存在だった。
でもそれはシェリハに対してだけではない。
どの社員に対しても身内のように親身に接してくれ、シェリハにとってはドーリーとルハルクの恩に報いることが一番の恩返しだと思っている。
だからシェリハはドーリーやルハルクだけでなく先輩から教わった知識をそのまま後輩に伝え、何人もの社員を卒業させてきた。
そんなシェリハを見てドーリーは不思議に思っているだろう。
仕事でも成績を残し、他社のブランド設立の手助けをし、結果を残しているのは周知の事実だ。
エブミアンテ社の社員はセルフプロデュースができるようになればもう会社を去らねばならない。つまりは独り立ちだ。
シェリハは数年前からその状態なのに未だエブミアンテ社にいる。
誰から見てもおかしいのはわかっている。
だがシェリハには退社できない理由があった。自分が会社に恩を返したいからだ。
だから退社することは当分ないだろう。
「えぇ、まぁ…でも俺はここ以外で働くつもりありませんし、あの人のやり方が好きになれなくて」
「エブミアンテ社より全然条件いいじゃない。
シェリハも卒業したっていい頃だわ。遅すぎるくらいよ。
気にしなくたっていいのよ? あなたがどこかで活躍できるなら、私にとってもそれが一番嬉しいことなんだから」
ドーリーはシェリハに微笑みかけながら言った。
シェリハにはその笑顔と優しさが胸にグサリ、と突き刺さったように感じて複雑な思いだった。
上司を思い会社のために役に立ちたいのに、彼女は出ていけと言う。
直接的ではなく間接的だがどちらも同じ事だ。
シェリハにとって他社の魅力的な条件などどうでもいいことだった。
エブミアンテ社の仲間たちがいるからこそ意味があるのだ。
「いくら条件のいい会社だろうと俺が余所に行くことは有り得ません。
社員を札束としか思ってない人なんですから」
「まぁいいわ、でも考えといてちょうだい。
他人にばっかり手を貸してないで自分のことを優先させなさいよ。
あなたのお人好しは本当に困りものね…そういえば例のファッションショーだけど。
貴宮空澄が来るらしいわね」
「………」
貴宮空澄という単語が耳に伝わってきた瞬間、シェリハの表情は氷のように固まっていた。
貴宮空澄はイーライナンが社長を務める会社のデザイナーだ。
デザイナーでありイーライナンの右腕でもある。
会社の近隣にあるホストクラブをはじめとする夜のお店はすべて彼がデザインしたものだ。
そのお店のひとつは彼が店長を務めるバーだ。
梨星よりは少し年上だが専門学校を卒業して間もない点は大差ない。
だが入社して瞬く間に彼の名は有名になり、シェリハは彼を知ることになった。
顔は会ったことがないからよくわからないが、ライバルとして意識されている、と風の噂で聞いたことがある。
「梨星より一個か二個上だったかしら? 入社して一年くらい経つらしいけど、今やイーライのパートナー的存在らしいわよ。
噂じゃその子に目を付けられてるらしいじゃない?」
「デザイナー兼モデル兼店長だそうですね。新人にライバル視されるなんて初めての経験ですよ」
シェリハはできるならその人物に会いたくない、と思った。
どんな条件で惑わされたか定かではないが、イーライナンのパートナーのような存在なら警戒しなければならないだろう。
どんな手段も選ばない女性の後輩なのだ。
その人物が優秀であれば優秀であるほど、エブミアンテ社にとっては脅威になる。
私的なイメージは置いておいて、彼は年齢も若く既に力を発揮していて将来的に見据えるとまだまだ伸びるはずだ。
だが残念なのはイーライナンの元にいることだ。
実力はあるのに使い道を誤れば間違った道に走ってしまうことだろう。
仕事が次々に舞い込めば莫大な金が手に入る。そうなれば欲深くなってしまうはずだ。
欲望というものは満たしても満たしてもきりがなく、尽きることがない。
「これからはクライアントの取り合いになるかもしれないわね。
まぁとにかく気をつけてちょうだい。シェリハ」
「はい、わかりました。長いこと居座ってしまってすみませんでした。
では…」
シェリハが一礼をして入口のドアに手を掛けようとしたその時、ドーリーはシェリハの手首を掴み静止させた。
彼女の目はとても真剣で何を言おうとしているのかはすぐに理解できた。
イーライナンのことだ。梨星に魔の手が伸びないように、と言いたいのだろう。
「…待って。外に出ても絶対に気を抜かないでちょうだい。
欲しいものを潔く諦める人間じゃないわ。シェリハと梨星の関係を知れば…もしかしたら二人とも抱き込もうとするかもしれない。
梨星のこと、ちゃんと見てあげてちょうだいね。
それだけが心配なのよ」
ドーリーは眉を下げ心配そうに声のトーンを落としながら言った。
シェリハは力強く頷き、満面の笑顔を添えて応える。
外に出かけたら誰にも頼ることができない。信じることができるのは自身と梨星だけだ。
恐れていても何も始まらない。恐怖心からは恐怖しか生まれないからだ。
(どうせ行くなら視察するつもりで行ってやる。エブミアンテ社に土産を持って帰るんだ)
シェリハの中に身を焼くような熱い感情が芽生えていた。
気の弱い性分が自分の中に存在していたことなど、その一瞬だけは忘れてしまっていた。
今回はイーライナンの昔の話をすこーししてみました。
イーライナンに誘われたシェリハですが、ドーリーには入社当時から世話になっているので首を縦に振らず断っています。
単に会社やドーリー・ルハルクへの恩だけではなく、主義やポリシーの違いを感じた上での行動なのでは、と考えています。
イーライナン側は何をしようと利益があればそれでオッケー、でもドーリー側は利益がなくても人との関わりを大切にしています。
実務経験のない学生を雇用し、育成しようとしていることからもそれがわかるかと思います。
次回はダブルフラワーホールが舞台になります。
ファッションショーと名の知れたデザイナー二人の出会いを書きたいと思っています。