4 その瞳に強い光が宿るとき
梨星は目の前に置かれたフルーツパフェに釘付けになっていた。
その目は子供のようにきらきらと輝いていた。
フルーツパフェを頬張る幸せそうな笑みを浮かべる梨星を見ながら、シェリハは腕時計をちらりと見た。
十二時五十五分。戻るにはまだ少し早い時間だ。
「まだ時間いい?」
「まだ少し時間あるから大丈夫だよ。
ゆっくりしとかないと後もたないしな」
「そっか、よかった。…同じ会社だといつも一緒にいれるってメリットがあるけど、好きな時にデートできないってのがちょっとツライね」
ため息をこぼした梨星の笑顔は笑ってはいるものの少し暗かった。
彼女がどんな恋愛を経験したかは知らないが、無理をさせていることに違いはない。
学生時代に恋人とまめに会っていたと仮定するなら、きっと淋しくてたまらないはずだ。
シェリハに合わせようと堪えているその姿が、シェリハには年齢相応で子供っぽくて愛らしく思えてしまったのだ。
シェリハは自然と手を伸ばして梨星の頭を撫でていた。
それに気付いた梨星がシェリハを見上げる。
「ごめんな。でもできない約束して期待させて嫌な思いさせるのは俺が嫌だからさ。
落ち着けば休み取れると思うし。
休み取れたらどっか行こうか?」
「うん!…でも本当はね、仕事も楽しいし毎日顔合わせてるから思ってたよりかは辛くないの。
ごめんね、嘘ついちゃった。
ね、そろそろ行こう?」
梨星は笑顔を浮かべながらシェリハの腕を引っ張る。シェリハは彼女の笑顔を見る度に、クリエイターであるが故に彼女が経験したような付き合いができないことに胸を痛めていた。
勿論このことは事前に彼女には言ってあるのできっと納得してくれているのだろう。
シェリハは仕事が恋人と別れる原因になっていたことをふと思い出した。
ひとつ違うのはシェリハと梨星は同じ会社に属しているクリエイターだということだ。
そう考えれば仕事が別れる原因になる可能性は少し下がるが、ないとは一概には言えない。
(変だな。追ったことなんてなかったのに…。
別れても仕方ないってどこかで割り切ってた。
でも梨星とは…)
シェリハは今という時があまりにも幸せ過ぎて、悪い未来を想像してしまうのだ。
まめにデートをしたり、仕事で夜遅くになったとしても送ってやることはほとんどできない。
だからできる範囲のことはできるだけしてやりたい。シェリハはそれくらいのことしか梨星にしてやれることがないのだ。
シェリハは思った。せめて梨星の笑顔が曇らないように、彼女にとって大人の恋人らしく振る舞おう、と。
会社に戻るとシェリハの机の前で見慣れない女がドーリーと話していた。
後ろ姿だけでは想像ができないが、その女性は肩甲骨にまで届くブロンドの巻き毛に深いVネックのホワイトのニットワンピースを着てレッドのピンヒールを履いていた。
大人の女に違いはない。その体の各パーツは色気を放つ女のものだ。
「相変わらず小さい会社ね。小さい癖に無茶ばかりするから社員が辞めていくのよ。だから会社が大きくならないのよ」
「私は会社を大きくしようだなんて思っていないわ。外国人の社員を守るために会が必要だっただけ。会社を大きくするだけなんて無意味でしょ? イーライナン」
ドーリーはそう言うと振り向いて目を見開いた。
シェリハと梨星が無言で立っていたからだ。
二人は立ち聞きするつもりはなかったが、声を掛けて入れる空気ではなかったのだ。
梨星にとってこの女性はよそ者なので当然警戒心を持っていた。
シェリハにとっては彼女は顔見知りではあるが、良い印象は持っていなかった。
シェリハがエブミアンテ社の社員になり、デザイナーとして頭角を表しはじめた頃のことだ。
当時先輩だった阿柴と組んでいた際、ミーティングをしていたところ彼女と出会ったのだ。それがすべての始まりだった。
初対面のシェリハに彼女はエブミアンテ社を辞めて自社に来ないか、と話を持ちかけた。
もちろんシェリハは戸惑いはしたが、迷いなくはっきりと断った。
シェリハはエブミアンテ社に入社する前から気が弱く、よくいえば気の優しい男だった。
エブミアンテ社の社員は個性的な者が多く、シェリハ他の社員に少々気圧されていた。
そんな中シェリハをいつも助けていたのがドーリーとルハルクだった。
他の社員と比べ主張が弱く、心が折れそうになった時や挫折しそうになった時にいつもシェリハに声を掛けてやっていたのだ。
シェリハはデザイナーにしては個性や主張が弱く、あっという間に辞めてしまうのではと感じたこともあったが、彼が必ず成長することを信じていたドーリーとルハルクは静かに見守っていた。
そして数年が経ち、シェリハは立派なデザイナーに成長することができたのだ。
シェリハにとって彼らは先輩であり姉と兄のような存在だ。
優遇されても彼らを裏切るようなことはできないし、するつもりは端っからないのだ。
自社と比べて給料がいいとか、はっきりいってどうでもいいことだ。
シェリハにとって現在の仕事は趣味の延長線上のものだ。
そして趣味とは欲望を発散するためのものだ。
常に楽しくなくてはいけない。
だが仕事となれば給与をもらっている以上はクライアントに応えなくてはいけない。
それでもシェリハは仕事に利益を求めたことは一度もない。
だから時には大赤字が出たこともあったし、よそのデザイン事務所にクライアントを盗られたこともあった。
この時点で彼女とシェリハは仕事に対する意識が異なっている。
そんな社長の元で働けるわけがない。
「久しぶりじゃない、シェリハ。
…あなたはいつまでこんな小さい会社にしがみついてるつもりなの?
あなたが望めば一流の空間で働けるのに」
シェリハはイーライナンの言葉を聞いて口角を上げた。
あまりにも彼女らしい台詞だったのでつい笑ってしまったのだ。
だが優しい笑みではない。どこか冷めたような笑みだった。
「ベートマさんは相変わらずですね。だから俺はお断わりしたんですよ。
あなたが欲しいのは社員じゃない。確実に金を運んでくる人間が欲しいんでしょう。
俺は心までバラ売りするつもりはありません。…それはエブミアンテ社にいようがいまいが関係なく、俺が俺である限りは永遠にという意味です」
シェリハが冷たく言い放つと、ベートマと呼ばれた女性はどす黒い笑みを浮かべた。
シェリハの目には刃物のように鋭い光が宿っていた。
気の弱い男がこんな厳しい表情をするのか、と皆がシェリハを見つめていた。
今回新しい人物が出てきましたが、実は彼女であることをにおわせるエピソードにちょこっと出てきていましたがお気付きでしたでしょうか? ドーリーが社員の頃、デザイン画を悉く盗まれ、外国人であるというだけで評価されることがなかったというエピソードがありました。 彼女のデザインを盗んだのはイーライナンや、彼女に関係のある社員たちです。 イーライナンは外国人でありながらも社員や上司の機嫌をうまくとりつつ、他人のデザイン画を奪いながら評価されてきました。 この時点で二人はすでに仕事の目的や目標が違っています。 イーライナンは利益重視、ドーリーは社員の育成重視。 そのためイーライナンの会社は大きくなり、ドーリーの会社は小さいままです。 ハートナイフの登場人物は腹の中が黒い人物がいなかったので、いろんな意味で印象に残るかなあと思いながら書いています。