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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第二章 季嵐温運
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1 春嵐夢抱

季節は春になり、待ち望んでいた社員が入社してきた。

毎年恒例の長いだけの挨拶を聞きながら、シェリハは横目で梨星を見る。

スーツを身に纏い、ローヒールのパンプスを履いた梨星は大人の女性の顔をしている。

学校を卒業したばかりだというのに、服装だけで印象が変わるのは不思議なものだ。

梨星を指導する事になったのはエアリだ。勿論エアリが関わる仕事には必ず同席することになる。

だがそれは平日の五日間の間で三日だけだ。残りの二日は彼女の自由時間となる。

それは入社する際の条件に入っていたので、お互いに了承済みだ。

堅苦しい挨拶や社員との顔合わせが終えたら、次に待っているのは歓迎パーティーだ。

社長であるドーリーがパーティー大好き人間なので、あれこれ理由をつけて飲み会だの交流会だのと名目をつけて開いている。

招待する必要はないのに、エブミアンテ社を卒業した元社員にまで声をかけるのだ。

今回は和食料理屋・添繁てんはんで歓迎パーティーを行うことになった。

もちろん一日中完全貸切だ。店内はエブミアンテ社の社員の声で溢れている。

古い木や枝を使用して作ったテーブルに少々いびつな、手作りであろう茶碗や湯呑みはとても趣がある。

店主は馬面で目が大きく鼻の高い、ハーフか外国人の顔つきの老人だ。

髪は雪のように真っ白で眉や睫毛も同様に白い。

あちらこちらに深く皺を刻んでいるものの、若い頃は(さぞ)かし美丈夫だったのだろうと思わせるものがある。

ミモザで添繁という文字がプリントされたカーマインのエプロンをつけ、ホワイトとチャイニーズレッドのボーダー柄のUネックカットソーを着た店主は次々と料理を運んで


くる。


「腹減らしてんだろ? 好きなだけ食べてってくれ。

うちの料理には変なもんはまったく使ってないからな、安心してくれ」

「このひとはね、繁添樹しげぞえいつきさん。チカコさんの同級生なのよ。

エブミアンテ社を設立する前から私達のことを知ってらっしゃるの。

みんなもきっとこれから末永くお世話になると思うわ。そうですよね、樹さん?」


ドーリーに話を振られて樹は目を細めた。

その深い皺は今店内にいる中での年長者であり、数多の社員を見つめてきた証なのだろう。

会社に合わせられなくなり会社を辞めた者、挫折した者、成功してエブミアンテ社を離れた者。

顔を覚えてはいられないほど多くの社員を見てきたはずだ。

長年仕事をしている彼の目にはどう映ったのだろうか。

些細なことに傷付き、夢を諦めた背中は哀れに見えただろうか。

樹は周囲を見渡し、社員の顔を食い入るように見る。

食欲に理性を奪われた社員の表情は活気に満ちていた。

安心したように樹の口元が緩んだ。


「ドーリー、安心しろ。仕事を放り出して辞めてしまうような輩はいなさそうだぞ。

暗い目をした奴はいない」


そう言って立ち去ろうとしていた樹だが、シェリハと目が合い足を止めた。

樹の目には言葉にはできない力がある。

目は口ほどにものを言う、というがまさにその通りだ。

口数は少ないが彼の言葉には容易く人を動かす力がある。そして目にも同様の力が宿っている。


「シェリハ、お前はシェリハだな?」

「え、はい」

「お前の目はよく憶えてるぞ。入ったばかりの頃は気の弱そうな奴だったからすぐ辞めると思ったが、今じゃ随分偉くなったもんだな」

「いえ、そんなことは……」


シェリハは樹に頭を下げながら思った。

自分の性質は自分が一番よくわかっている。

確かに気が弱い。妹のセルイアにさえ言い負かされることがあるくらいだ。

そんな気弱な人間が長いこと社員としてやってきて、指導する側になりまだエブミアンテ社に滞在している。

その点は評価されても当然なのかもしれない。

わざわざ胸を張って言葉にすることはないが。


「お陰でうちの店も大分変わっただろう? 年寄りなりに譲歩してんだ、これでもな」

「樹さんは頑固ですもんね。いや…物を創る人はみんな頑固ですからね」

「そうだ。そうでなけりゃ仕事なんぞできるもんか。

酔っ払った頃に強力な酔い覚ましでもこしらえてやるよ。それまで仲間と仲良く酔い潰れとけ」


樹はそう言うと厨房に消えていった。

その後ろ姿は堂々としていて姿勢もよく、顔を見なければ老人とはわからないくらいだ。

シェリハはグラスに入った酒をぐっ、と飲み干した。

するとグラスの上からぽたりぽたりと音がして、グラスは再び酒で満たされた。

隣を見ると知らない間にシアンが座っていた。

どうやらシアンが酒を注いでくれたようだ。


「シアンも来てたのか」

「そりゃないだろ、シェリハ。お前あのおっちゃんと知り合いだったんだな」

「一緒に仕事をした時に顔合わせたんだ。何年も昔の事だけど…」


シェリハは昔を思い出して笑った。

あの頃はシェリハはまだ新米社員で、樹は今より頑なで頑固だった。

古いものを大事にする一方で新しいもの全てを拒絶していたのだ。

だが時間の経過とともに樹は新しいものを許し、共存する事を覚えた。

戦争を経験したことから外来のものを嫌っていたが、食材に罪はないとシェリハに説き伏せられてから、古臭い考えを改めるようになった。

それからは店や料理の雰囲気を壊さない程度に外国産の食材を取り入れている。


「なあ、お前らあれからどうなってんだ?」

「どうなってるも何も…年明けてからは会ってないな」


シェリハは端的に言い放つとグラスに入った酒を飲み干した。

はあ、とシアンはため息を吐き、シェリハの肩に指を添えて抱くように強く引き寄せた。


「お前は何でそう足踏みしてんだ! いいか?

仕事と一緒だろ。全力出してクライアントを虜にする…お前の十八番おはこだ。

素材がいいんだから有効活用しろよな。ほら、あそこ見てみろよ」


シアンが指差した方向に社員との会話を楽しむ梨星が見えた。

既に社員と打ち解け、目尻を下げ口元を弛め実に楽しそうだ。

酒を飲んでいるのだろうか、頬を赤く染めている。

女にも男にも向けられている笑顔は、梨星がシェリハといる時に見せた笑顔と同じものだった。

シェリハは自分は彼女にとって特別な存在ではない、そう言い聞かせるように心の中で呟くと、胸が痛くなった。


(俺だけの梨星じゃない。……俺だけの、だって?

なんてことだ……こんな嫉妬と独占欲は初めてだ)


シェリハは浴びるようにグラスの酒を飲み干した。

空になったグラスにシアンが酒を注ぎ、シェリハが飲み干す。

それを繰り返しているうちにシェリハの頬が赤く染まり始め、とろんとした目になっていた。

シアンは調子に乗って飲ませすぎたか、とシェリハの顔を覗き込んだ。


「顔赤いけど大丈夫か?」

「いや、なんか頭がぼうっとする…」


シェリハはまるで雲の上にでもいるようなはっきりとはしていない意識の中、梨星を見つめていた。

社員と会話を楽しんでいるものの、長時間同じ場所にいるわけではなくあちこちを回っているようだ。

シェリハの視線に気付いたのか、微笑みを彼に向けゆっくりと近付いてきた。

酔っ払ってはいるものの、恋しい女の笑顔くらいは判別できる。

シェリハは口元を緩め、笑顔で応えた。


「シェリハ、ちょっと顔赤いみたい。お酒のせいかな?」

「ああ……シアンに飲まされたんだ」

「飲んだのはお前だろ? 俺は飲めとは言ってない。…さて。ちょっと風にでも当たってくるかな」


シアンはそう言って席を立つと外に出ていってしまった。

彼は気を利かしてくれたのだろうが、生憎二人きりではない。社員が大勢いるのだ。

梨星はシェリハの隣に座り、何を話せばいいのかわからず無の時間だけが流れる。

酒に意識を奪われかけていたシェリハはふと思った。

シアンなら彼女を喜ばせる台詞を次から次へと発するに違いない。こんなに近くにいるのにもどかしい。

小柄な彼女に合わせたかのようなちっちゃな指先を包んでしまいたい。

赤く染まった頬はきっと赤ん坊の肌のように柔らかい。触れたくても理性が邪魔をして先走る事ができない。


(やばい……もうだめだ……)


頭がずきずきと痛みはじめ、シェリハは顔をしかめた。

心配そうに見つめる梨星の声も届かないくらいにシェリハは意識を失いかけていた。

ぐらり、と体が傾く。たかが飲み会の酒で潰れるとは情けない、と思いながらも意識を手放した。

シェリハは梨星を組み敷くような形で倒れ、自分を呼ぶ声など聞こえてはいなかった。

酔っ払ってしまったシェリハが倒れて終了、というなんて情けない終わり方!

どうやら彼はお酒にあまり強くないようです。でも誰かが酔っ払ってたらちゃんと手厚く介抱してくれそうですが。男女問わず。

ぐでんぐでんに酔っ払っているシーンは見ててもあまりいいものではないと思ったので(私があまり好まないので)書きませんでした。

でもぐでんぐでんに酔っ払うのと、酔い潰れて意識失うのと差はあるのか、と言われたら反論できませんが。


タイトルは春の嵐が夢を抱くという意味でつけました。

春の嵐はもちろん彼女のことです。


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