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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第一章 一逢一別
40/63

40 螺旋の煩悩

何か用事があったのか。

そんなことを訊くのも少し白々しいとシェリハは思ったが、彼の口から直接答えが聞きたかった。

シアンがビールジョッキから口を離すのを待ち、シェリハはじっと彼を見つめていた。


「んなもん俺らに必要か? 昨日今日知り合ったわけじゃあるまいし。

あ、用事入ってたら誘わないけどな」

「まあそうだけど…」

「そんなことは置いといて、お前を誘ったのは別に大した理由はないんだけどな。

ただ…前の彼女のことがあったから心配でな。

余計なお世話かもしれねぇけど」


シェリハの目を直視しないものの、彼の言葉は慈愛に満ちていた。

以前付き合っていた恋人と別れた際、シェリハの方から別れを切り出した責任からか、彼にはどこか暗い雰囲気が漂っていた。

表面上は明るく振る舞っていたが、独りになると生気をなくしたような表情をしていた。

だが間もなく風の噂でシェリハに気になる女性がいることを耳にした。

相手は専門学校に通っている学生・梨星だ。

少し年は離れているが、クリエイター同士きっと話も合うだろう。

シアンはシェリハのこの恋が実ればいいな、と思った。

彼には精神的な支えが必要だ。

優しいだけではなく、叱咤してくれる懐の深い恋人という存在が。


「もう終わったことだし、別れたばかりの頃ほどは気にしてない。

ずるずる引き摺ってるほど弱くはないよ」

「だよな。引き摺ってたら好きな子なんていないはずだもんな」


悪戯そうな笑みを浮かべるシアンの言葉に、シェリハは頬を染めた。

アルコールのせいで顔が赤いんだ、とシェリハは苦しい言い訳をした。

確かに心は少年のように動いている。

彼女と一緒にいるとまた会いたい、もっと笑顔が見たいと思う。

でも彼女は学生で未成年だ。

そして10も年が離れている。

それに恋人がいるか定かではない女性にストレートなアプローチはできない。


「何言ってんだよ、シェリハ。

彼氏いようが結婚してようが関係ねぇだろ。

…少なくとも俺はな」

「俺はシアンみたいに修羅場なんて味わいたくないんだ。

…というかそれ以前に恋かどうかもわからないし」


真顔で言い放ったシェリハを見て、シアンは大笑いした。

いい年をした大人が恋愛の分別に頭を悩ませるなんておかしな話だ。

今時中高生でも真似事だとしてもちゃんとやっている。

シェリハが抱いている感情こそ恋そのものではないか。

シェリハは恋をするのに億劫になっているのだ。

また前のようになってしまうのでは、と密かに思っているから前向きになれないのだろう。

きっと本人は認めないだろう。

だがシアンには逃げているようにしか映らなかった。

逃げていても事態は変わらない。

成長もなく年を重ねることは無意味だ。

老いたのならば成長しなくてはならない。


「お前の中に今ある感情が恋以外だって言うなら、それはなんなんだ?」

「…なんなんだろう?

俺は今までどうやって恋愛してたんだろう?

そう言われれば俺って自分からっていうのはんまりなかったかもな。

いつも流されてばかりで…流されるのはもう嫌だな」


シアンに問い詰められて無意識に出た言葉は梨星に恋していることを指していた。

シェリハは良くも悪くも優しくて、いつも気の強い女性に流されてしまう。

その場の雰囲気に流されて付き合っても、結局は長くは続かなかった。

シェリハは自分を器用に見せようとしているが、本当の姿は不器用だ。

恋と仕事を両立させようと努力しても、結局は仕事を優先させてしまう。

彼がもしデザインの仕事をしていなければ、こんなことにはならなかっただろう。

仕事といっても彼にとっては生活を送るための手段であり、趣味の一部だ。

そしてその趣味の一部は彼にとってすべてだ。

もちろん恋人には前もって告知していた。

自分は仕事も大事だから、会う機会は減ることになるだろう、と。

かつての恋人達は皆笑って頷いた。

その時はシェリハのことをストイックで素敵だ、と思っていた恋人達は豹変する。

仕事を優先する彼に不平不満をぶちまけ、怒りを露わにする。

シェリハに勝手な夢と理想を求めていた女性達。

現実は甘いものではなく、思い描いていたものとは違っていた。

シェリハは恋人に癒しを求め、恋人達はシェリハに甘い関係を求めた。

似たりよったりな欲望を求め、結び付いた二人がうまくいくことなど有り得ない。

この関係をよくしようと努力したのは一人だけだったからだ。


『だから言っただろ? 会う時間は少なくなるって。

それでもいいって言ってくれたのは、誰でもない君だった。

そんな君の言葉を信じた俺も馬鹿だったんだ』


無表情で言い放つシェリハの言葉は冷たく、彼女達の理性を奪った。

怒りに支配され、コントロールできなくなった彼女達はシェリハの頬を打って去っていった。

当然と言えば当然だ。

謝罪の一言くらい頂きたいというのが本音なのだろうが、責められる覚えはない。

シェリハは礼を言った事はあったが、謝罪したことはなかった。

謝らなければいけないのは自分に非があった時だけだ。

自分は悪いことなど何もしていない。

寧ろ被害者側であることを主張したい。

近付いてきては離れ、犯罪者と言わんばかりに責めたててくる。

自分自身の全てを理解してくれとまでは言わないが、理解しようと歩み寄ってほしかった。

それがたとえ嘘であったとしても。

それ以来女性との交際が面倒に感じるようになってしまった。

年齢的にそろそろ結婚を考える年だが、苦い経験が壁となって立ちはだかっている。

人や物に対する価値観や接し方。

彼女の持つすべては自分とは逆の性質のものばかりだった。

明るい未来があることを信じ、迷うことなく一人で駆けていく。

梨星といると今まで感じたことのない、温かい気持ちになる。

まるで彼女の絵を見た時のように。


「お前かなり重症だな。

仕事ばっかり相手にしすぎて、螺子ねじ何本か外れてんじゃねぇの?

これからは自分の為に生きろよ。

ま、彼女もクリエイターの部類に入るから、一筋縄じゃいかねけだろうけどな」

「それは俺だってそうだ。頑固なのは自覚してるし。

はあ…もう頭がパンクしそうだ」


シェリハは額を左手で覆いながら、右手でジョッキを持ちビールを流し込んだ。

酔っ払っているのだろうか、少し体が熱い。

いつも内に閉じ込めていた言葉がどんどん出てくる。

酒の力を借りなくても素直になれればいいのに、と思う。

そうすれば苦しい思いも辛い思いもしなくていいのに。

心の中ではわかっていても、誰かを捌け口の対象にすることなどできない。

こうやって酒の力を借りたりしなければ、相談すらも出来ないくらいなのだから。

普段は意識していないが、人を頼ったり助けを求めたりということはできるだけしたくない。

シェリハは良くも悪くも自立している男なのだ。


「年明けたらデートに誘えよ。

仕事忙しいとかって言い訳にすんなよ。

連絡してこなかったらこっちからするからな」

「わかってるよ。ああ、もうどうしようもないな」


シェリハはシアンの言葉を聞いて苦笑いした。

この男には永遠に敵わない。

面倒見がよくて、見習うべき点が多々ある。

そう感じているのはきっと自分だけではないはずだ。


「そういえばシアンはどうなんだ?

誰かいないのか?」

「今はないな。恋愛ってわけじゃないけど、口説いてるはいるけど」


シアンの意味深な発言にシェリハは食い付いた。

彼女はゼロリスト社で働いている事務員・町前アズ。

かつてはシアンと同じくアーティストだったという。

だがメンバー間で何らかの問題があり、現在は引退してしまったらしい。

仕事の関係でゼロリスト社を訪れた時、初めて彼女に出会った。

ビー玉のように透き通った美しい声が、シアンの心を奪った。

こんな場所で埋もれさせるのは勿体無い、とシアンは彼女を誘った。

もう一度歌を歌ってみないか、と。


『申し訳ないけど歌はもうやめたの。

今はゼロリストの事務員よ』

『何でやめたんだ?綺麗な声なのに。

同じ声だったからすぐにわかったよ。

少し低くはなったけど…本質は変わらないな』

『今の私にはどうでもいいことだわ。

歌うことなんて………』


断られても何度もゼロリスト社に足を運び、話を持ちかけた。

勿論答えはノーだった。

シアンのあまりのくどさにアズは態度を変えた。

おとなしく丁寧だった口調が荒々しくなり、悪態をつくようになった。

何度も断られてもシアンは諦めていない。

あの声を世界中に流してやりたい。

本当は自分が聴きたいというエゴなのだが、一アーティストとしてあの美しい歌声を使わないのは勿体無い事この上ない。

自分に備わっていないものを彼女は持っていて、それを捨てようとしているからシアンは気に入らないのだ。

技術を磨くことはできるが、美しい歌声は作ることができない。

だからこそ彼女に歌を歌ってもらいたい、とシアンは思っている。


「でも歌をやめて、何でデザイン事務所の事務員になったんだ?」

「それは知らないな。恐らく音楽業界が嫌になって、普通の仕事がしたくなったのかもな」


相槌を打ちながら、シェリハは酒を口にする。


(あれ? 何だか目が重い…気のせいか?)


少し酒を飲みすぎたのだろうか。

集中していなければ今にも目を閉じてしまいそうだ。


「シェリハ」


シアンの声がどんどん小さくなっていく。

次第に瞼は閉じてしまい、シェリハは眠りに落ちてしまった。

風邪を引かせてはいけないと思い、シェリハが着ていたコートを肩からかけてやり、シアンは独酌を始めた。

酒がなくなれば店員を呼びつけ、浴びるように酒を飲む。

止めてくれる人間がいないので、ついつい飲みすぎてしまうのだ。

そろそろ泥酔してもおかしくないだろう。

体温は確実に上がっているのに、意識の方はしっかりしていて酔いが回っている様子はない。

シェリハが眠っているからだろうか。


「何でお前は自分の幸せを優先しないんだ?

いつもいつも…他人を幸せにするのはもうやめてくれ。

彼女だってお前を気に入ってるに決まってる。

そうだろう?シェリハ………」


シアンはシェリハの寝顔を見ながら呟いた。

シェリハの寝顔はシアンに答えを返しているかのような、笑っているような表情だった。

話の中ではそろそろ年末が終わりそうな感じですね。

現実ではまだ秋ですが(苦笑)。

今回は男性二人の恋愛観のお話でした。

慎重型のシェリハと突進型のシアン。

彼らは面白いほどに正反対です。

シェリハがシアンのような性格なら話ももっとスムーズに進むのですが。

次回はシェリハとシアンの仕事がメインの話になる予定です。

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