37 偶像も溶け込みたい
エアリと梨星は皿を前に真剣な表情を浮かべていた。
目の前に広がるのはパレットのように色彩豊富なアイスクリーム。
そして一口サイズに切られた、まるでおもちゃのようなケーキ。
二人とも堅く口を閉じたまま、皿にアイスクリームやケーキを盛り付けていく。
その様子を見つめていたシェリハとルハルクは浴びるようにジュースを飲み続けていた。
シェリハはホットのレモネードを、ルハルクはホットのココアだ。
いい年をした大人2人がジュースとは、彼らの容貌や服装に全く似合っていない。
「腹に入れば消化されるのは同じなんだがな。
…まったく理解に苦しむな」
「可愛いものや綺麗なもの、美しいものが好きですからね。
でも旨そうですよ?…胃がもたれそうだけど」
諦めを込めた台詞を吐きつつ、二人は口元を手で覆った。
食事を終えたばかりの二人には刺激が強すぎる、尋常ではない量のスイーツが皿の上に置かれていた。
アイスクリームやケーキ、フルーツが数字のように美しく並べられ、エアリと梨星特製のスイーツは華やかな彩りで目を奪われるほどだ。
さすがはデザイナーと絵本作家志望のたまごとでもいうべきか、とても独創的なセンスを持っている。
エアリのものは原色のアイスクリームをメインに、ブラックやブラウンのケーキで地味なイメージを与えている。
仕上げにカラースプレーを用いることでかなり華やかになっている。
梨星のものはカラースプレーを埋め尽くすように付着させたアイスクリームを円形になるように並べ、その周りを囲むように様々なフルーツで埋め尽くされている。
「疲れた時は甘いものが食べたくなるのよね。
…やっぱり副社長の目に狂いはありませんね。
副社長とご飯を食べに行ったら、ハズレに当たらないんですもん」
エアリはそう言いながらスプーンで掬い取り、口に運んでアイスクリームの甘さと冷たさを楽しんでいる。
梨星は無言でひたすら食べ続けている。
その姿はまるで小動物のようだ。
ひたすら食べ続けていた梨星の手の動きが突然止まった。
長くしなやかな指がスプーンに添えられていた。
「シアン、食べられないじゃない」
「せっかく挨拶がてらきたってのに、ガツガツ食べてるから。
…今日見に来てくれたんだよな、サンキュ」
指を添えていたのはメイクを落としたシアンだ。
素顔に中性的な魅力はなかったが、年相応の男性的な魅力が見え隠れしていた。彼の来訪に3人は笑みを浮かべ、歓迎していた。
エアリだけが無表情で1人だけ仲間外れにされているように見える。
「エアリもきてくれたんだな」
「副社長が誘って下さったからよ。
UNISEのパフォーマンス嫌いじゃないしね」
エアリが突き放すように冷たく言い放つ。
シアンに対するエアリの態度が冷たいのには理由があった。
エアリは日本独自の文化や風景に興味を持ち、来日に至った。
次第に彼女は外国人ではなく、日本人らしい女性になっていった。
そんな常識人の彼女がシアンと出会うことになる。
面接ではなく社長自ら拾ったという、少々変わったギタリストがいることは知っていた。
でも音楽業界の人間と関わることはない、エアリはそう信じて疑わなかった。
その時まではまさかシアンと関わることになろうとは思っていなかったのだ。
先ず距離を縮めたのはシアンの方だった。
彼はCDジャケットに相応しいモデルを探していた。男性の興味を惹くような色気ではなく、自然な色気を持った成人を過ぎた若い女性を。
その時シアンの脳裏に一人の女性が浮かんだ。
外国人でありながら和装を好み、尚且つ着熟している女性。
グラマラスというよりかはスレンダーで、自然な色気を持つ女性。
シアンは考える間もなく、彼女に会いに行った。
『エアリ。エアリ・プルークトだよな?』
『ええ、そうですけど…あなたは?』
『ああ、悪い。俺は初野シアン。
初対面の相手に申し訳ないとは思うんだけど、モデルを探してて。
あんた以外には考えられないんだ。
一度切りでいいから、してくれないか?』
シアンの必死さにエアリは快諾しようとしたが、内容を聞いて前言撤回した。
彼が要求してきたものはセミヌードだったからだ。
初対面の人間にそんなことを頼むなんて、あまりにも非常識すぎる。
怒りに任せてエアリはシアンの頬を打った。
『あなたが先輩だってことは知ってますけどね、非常識すぎるわ!
恥ずかしいとは思わないの!?』
『作品を完成させる為なら恥もプライドも捨ててやるよ。
元々んなもんないしな。
…ってことで頼む!』
彼は初対面の女性に頬を打たれても、責めることも怒ることもしなかった。
きっと自分に非があると分かっていたからだろう。
こだわりを譲れない気持ちを語る言葉と目に嘘はなかった。
寧ろ生まれたての赤子のように、真っ直ぐで濁りひとつないように見えた。
ジャンルは違えど物作りに対し妥協しないというのは理解できる。
だからといってはいそうですか、と受けるわけにはいかない。
彼に妥協できない部分があるなら、自分にだって妥協できない部分がある。
これはエアリのプライドの問題である。
一時間の口論の末、 エアリはモデルとして彼と仕事をすることになった。
セミヌードではなく肌が透けるワンピースを着ての撮影。
一歩も譲らない彼に出した交換条件。
それが無理ならば自分は手伝えない、とエアリは断言した。
それからというものエアリはシアンに対して苦手意識を持っている。
といっても嫌悪感を抱いているわけではない。
面倒臭がりながらも後輩の世話をよくしているし、彼を慕う後輩も少なくない。
きっと図に乗るだろうから言わないけれど、仕事をしている時の彼を先輩として尊敬している。
でも真っ正面から真剣に付き合うと疲れてくるのである。
その意志の強さの前に誰もが捩じ伏せられてしまう。
自分に嘘を吐かず、誰にも媚を売らず、とても自由な生き方をしている。
エアリはその点に関してだけは羨ましく思った。
「嘘でも『よかったわ』とか言ってくれりゃいいのに。
たまには先輩を立てろよな」
「だって主役はUNISE。
シアンはサポートじゃない?
それに嘘は嫌いでしょう?
…まあ…、悪くはなかったわ」
エアリの素っ気ない返事にシアンは微笑んだ。
第三者から見れば仲が悪いように見えることだろう。エアリは彼を適当にあしらい、シアンは冷たくされているように見せかけて寛大になって彼女のすべてを許している。
例えるならば兄と妹のようなものだ。
「漫才が響いてるぞ。
俺らも仲間に入れてくれよ」
いつやってきたのかわからないくらい、UNISEは突然やってきた。
予告はしていたから、突然という言い方は正しくないかもしれない。
酒を飲んだのだろうか、少し顔が赤い。
「主役が抜けてきて大丈夫なんですか?」
「スタッフには言ってあるから。
…女の子は甘いの好きだよなあ。
見てたら食べたくなってきた。
俺も食べようかなあ」
シェリハ達を囲うようにUNISEのメンバー達は空いている椅子に座っていく。
禧はスイーツを求めてその場を去っていった。
彼らはアーティストであることを忘れ、今はただの一人の男性に戻っている。
女性のように甘いものを好きな者もいれば、庶民的な料理を好む者がいる。
アーティストと言われる人間も仮面を脱げば、ファンと同じただの人間だ。
普段はイメージを崩さぬようアーティストとして振る舞っているが、家で寛いでいる時や友人の前では平々凡々なのだ。
「エブミアンテはいいよなあ。
女性ばっかだしなあ…俺らなんか男ばっかで、たまには癒されたいな〜って思ったりな。
なあシェリハ、そう思うだろ?」
「はぁ。…女性ばっかりっていうならスタッフとかもいるんじゃ…」
都森はコーラを片手に何故かシェリハに絡んでくる。
肩や腕へのボディタッチにかなりたじたじだ。
都森は女子高生を痴漢している中年のサラリーマンのようだ。
シェリハはどうしていいのかわからず、取り敢えず相槌を打っている。
ふたつ返事をしていたら当然のことながら、都森は不機嫌になった。
だがシェリハは不平不満を言ってくれるということが少し嬉しかった。
都森らUNISEのメンバーはシアンとは同期で、シェリハやエアリにとっては大先輩だ。
光栄なことに現在仕事で顔を合わせることもある。
仕事を一緒にして感じたことは、シアンにも通ずるものがあった。
面倒見が良く、個性的な世界観を持っている。
とても積極的で行動力が飛び抜けている。
対等だなんてこれっぽっちも思っていないが、たとえそれが愚痴であったとしても自分に吐露してくれたことが嬉しかった。
シェリハはそんな彼を可愛いとさえ思った。
これでディナーの語らいは終了です。
シアンやUNISEのメンバーなど元エブミアンテの社員が出てきていますが、彼らはシェリハよりも先輩です。
年齢とキャリアだけでいえばドーリーやルハルクとあまり変わりません。
彼らは特別扱いされることを嫌っているので、敬語を使わせたりしていませんがシェリハとエアリの会話と比べ、少しよそよそしいものがあります。
エブミアンテでは上下関係はありながらもそこまでは厳しくないのですが、シェリハやエアリはその部分を意識していると思われます。
真面目で努力を怠らない二人は彼らからかなり可愛がられています。
特にシェリハはまだ二十代ということで、シアンや都森らとは少し歳が離れているので弟のような存在です。
これでライブ編は終了です。
物語の季節はまだ冬なので早く近付けていきたいですね。