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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第一章 一逢一別
32/63

32 魔の旋律に魅せられた男

ライブ編に突入するつもりだったのに、無駄に長くなってしまいました。

次回こそはライブ編…のはず。

翌日の朝、いつものように目覚めて携帯を開く。

まだ食事をするのには少し早い時間だ。

今日の予定は夕方以降なので、慌てる必要はない。

シェリハがもう少しだけ寝ようか、と思った時携帯が鳴った。

朝っぱらから何事だろう、と見てみるとエアリからメールが入っていた。


『今日副社長も一緒に行くことになってるんだけど、待ち合わせ場所は妄流もうるヶ丘に来てちょうだい。

時間は四時ね。

そこで梨星とも待ち合わせてるから』


妄流ヶ丘とはバスの停留所の名称のことである。

駅前ということもあり朝は通勤ラッシュで人が多く、待ち合わせ場所としてはあまりよくない場所であると言える。

だがシアンが出演することになっているライブの開演時間は午後の5時。

余裕を持って待ち合わせれば、人の波に呑まれて待ち合わせ時間に会えないということはない。

それにしてもルハルクが同行するというのがかなり気になるところだ。

印象だけで言えばそのような場所に足を運ぶイメージは欠片もない。

クラシックやオペラなら想像できるが、所謂いわゆる大衆向けのものは彼と正反対のイメージなので想像できない。

ポップやロックのライブではしゃいでいる彼の姿を誰が想像できようか。

大方偶然スケジュールが空いたのが、ルハルクだけだったのだろう。

メールで目が冴えてしまったので、とりあえず起床して食事を摂ることにした。

布団を片付け、トースターに食パンを入れる。

食パンが焼き上がる間に、パンに塗るジャム・牛乳・皿を用意して待つこと数分、いつものシェリハの朝食の出来上がりだ。

ジャムを塗ったできたてのトーストに牛乳、フルーツがたくさん入ったヨーグルト。

音のない空間でひとりで食べるのも少し淋しいので、テレビの電源のボタンを押す。

すると白のタートルネックカットソーと黒のプリーツスカートを身に付けた、モデル顔負けのアナウンサーが悲しみにあふれたニュースを淡々と実況している。

時間が経ってもこのテイストのニュースは新しいものが次々に出てくる。

殺人や窃盗など、挙げればきりがないほどネガティブな要素で満ちあふれている。

それならば誰と誰がくっついたとか、結婚したとかいう類のニュースの方が心地いい。

そんなことを思いながら、シェリハは食パンを齧りつつテレビを見つめている。世の中は平等なようで不平等だ。

飢餓に苦しむ者がいれば、食に飽きるほど恵まれた者もいる。

貧困に嘆く者がいれば、埋もれてしまうほどの札束で世界を動かす者もいるのだ。

幸いこの国は平和といえるだろう。

戦争のために血を流すこともなく、飢餓に苦しむこともない。

必要とすればいつでもありとあらゆる物が手に入る。

不必要になれば廃棄し、すべての物に対する価値観は安っぽいものになっている。

それは物に対してだけではない。

人に対してもそうではないのだろうか。

会社の利益にならないと判断されれば、首を切られても文句は言えない。

エブミアンテ社の社長であるドーリーはああ見えても情の深い女性なので今は切られずに会社に滞在できているが、この先はどうなるかはわからない。

シェリハは何よりもそれが恐ろしいのだ。


(やめよう。考えれば考えた分だけ、黒い気持ちに包まれる)


シアンの演奏を見に行くのだから、こんな気持ちを会場に持っていくのはよそう。

シェリハは自分にそう言い聞かせた。

食事を終えると今は日何を着ていこうか、と思案する。

冬とはいえ人口密度の高い空間に飛び込むわけだから、動きやすい格好が一番いいだろう。

ということは必然的にセーターやニットといった厚手の物、凝ったデザインの服は除外しなければならないということだ。

外は寒いといっても中は熱気で包まれることだろう。

それなら薄手のカットソーにパーカーを羽織り、その上からコートを着るくらいでいいだろう。

黒のトレンチコート。

ダークブラウンのUネックカットソー。

ベージュの裏地がフリースのストレートジーンズ。

そして防寒対策にマフラーと手袋を身に付ければ、いつでも出かけられる。

食事後の片付けや洗濯といった家事をして、シェリハは夕方までのんびりとして過ごした。




真面目な副社長が来るとのことだから、待ち合わせより少し早く来るだろうと思い、シェリハは三十分前に家を出た。

まだ帰宅ラッシュの時間はないので、人はそれほど多くもない。

約束の待ち合わせ場所近くのベンチに一人の男性が座っている。

白のショート丈のトレンチコート。

黒のコーデュロイのパンツ。

黒の短髪に涼しげな切れ長の目。

エブミアンテ社の副社長・ルハルクである。


「副社長!お早いですね」

「シェリハか。お前も早いじゃないか」


シェリハが駆け寄ると、ルハルクは立ち上がり手を振る。

先にシェリハに座るよう促してから、年長者でありながらも自分が後に座るという動作はまるで紳士のもののようだ。

シェリハは横目でルハルクの端正な横顔をちらりと見る。

クールでポーカーフェイスな彼が、ライブ会場でどんなふうに弾けるのだろう。

シェリハの頭の中はそれだけでいっぱいだった。


「妙なことを考えているだろう」


突然ルハルクに話し掛けられて、シェリハはびくりとする。

抑揚のないトーンで言われると冷たく聞こえて、教師に怒られているような気分になるのだ。


「いやそんなことないですよ。

副社長が来られるとは知らなかったんで、意外だなあって思ったんです」

「そうだろうな。どうせ機械みたいに冷たいだの、仕事が恋人だの、好き勝手噂してるんだろう」


そう冷たく言い放たれ、あながち嘘とは言いきれないがシェリハはとりあえず否定した。

でも確かにそのイメージが先に浮かぶのは確かなのだ。

多忙な社長の片腕となり、オールマイティーに仕事をこなす。

それは社員の憧れであり、逆に言うとあまりにも完璧すぎて社員の目には非現実なものに映った。

完璧を求める社員という偶像を作られることによって、顔にこそ出さないが疲れ切っていた。

そんな彼を癒したのはシアンがギターの弦を弾いて紡ぐ音だった。

激しい音でありながらもどこか優しく、自分が持つ世界へと引き込もうとする。

そう、まるで絵本の世界にでも連れて行かれたかのように。


『俺が言うのもなんですけど、俺なんかのギターの音に癒されるなんて、副社長かなり病んでますよ。

字や絵はその人の精神状態を表すなんて聞いたことありますけど、音もそうなんですよ。

俺の音、雑で荒いでしょう?』


いつかは忘れてしまったが、シアンは照れながらそう言っていた。

一人で活動するようになり、仕事が増え続けても尚自分を過少評価している。

その謙虚さとアーティストとしての頑固さを合わせ持ったシアンを知ってからというもの、同性でありながら虜になってしまったというわけだ。


「あの人衣裳もそうですけど、メイクとスタイリングも極力自分でやるみたいですからね。

特に顔見知りじゃない人には触られるの嫌みたいですし」

「エブミアンテにいた頃の習慣がまだあるようだな。

アーティスト活動もそうだが、こだわりをもってやっているから中途半端にされるのが一番嫌なんだろう」


シェリハやルハルクの言う通り、シアンはすべてにおいてこだわりを持っている。

煌びやかな服装はもちろんのこと、仕事や人との付き合い方など常軌を逸しているものがある。

先ず仕事中は急用でない限り、電話に出ることはない。

家族や友人、クライアントであっても絶対に出ないのだ。

そう、それがたとえ恋人からであってもだ。

そのため彼に電話を掛けると、必ずといっていいほど留守番電話に繋がる。

彼にしてみればマナーモードにしていても、サブディスプレイの光さえ煩わしく、作業に集中できないというのだ。

唯一許してくれている手段のメールさえ、返信は作業の目処がついてからである。

シアンがこういう人間であることは、彼と長い間仕事を共ににしたことがある人達は理解しているので、今更説教などする気にはなれない。

したところで変えてくれる気がないのはわかっている。

人との付き合い方も同じことが言えるだろう。

基本的に愛想がいいが、全ての人との関わりを必要としていない。

気に入った人間とだけ付き合っているわけではないが、どうしても反りが合わない人間という存在も出てくる。

彼の場合体が拒否反応を示したら反りが合わない証拠なので、できる限り関わらないようにしている。

いいことだとは思っていないが、努力してもどうにもならないことなのでどうしようもないと割り切っている。

それとは正反対に気に入った人間とは仕事以外でも頻繁に連絡を取っている。

エブミアンテ社の社員がいい例だろう。

簡潔に言うと初野シアンという人間は、個性的な人物であるということだ。


「もうそろそろ来ますかね?」

「そうだな、ああ…あれじゃないか?」


ルハルクがシェリハから視線を外す。

その先には女性のシルエットがふたつ。

数秒後とにそのシルエットが近付いてくる。

エアリと梨星であることを確信し、二人は立ち上がった。

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