27 目に見えぬものは歪に愛される
今回は男性同士の恋愛トークを挟みました。
食事の風景など当たり前の情景を書くのがとても楽しかったです。
小腹が空いてきたと阿柴が呟いて、メニューを差し出してきた。
軽食がメインだが、酒や肴といったものも置いているようだ。
ホテルの中ということもあるのだろうが、昼間は喫茶で夜間は居酒屋というスタイルにしているのかもしれない。
「疲れただろう?小腹が空いたんだが、どうだ?」
「そうですね、じゃあ…」
シェリハはホットココアと黒糖サンドイッチを指差した。
阿柴は徐に携帯を取り出し、電話を始めた。
何処に電話をしているのかは分からないが、先程シェリハが指差した物の単語と片仮名が飛び交っている。
カフェのキッチンに通じているのだろうか。
そういえば何故呼び鈴なるものがないのだろう、とシェリハは疑問に思った。
貸し切りにした為の配慮だろうか。
しばらくして店員が料理を持ってやってきた。
御辞儀の角度や皿の置き方、客に対する言葉遣いなど一流のサービスと言えるクオリティーだ。
上司の教育が行き届いている証なのだろう。
料理を運び終えると、軽く御辞儀をして静かに去っていった。
テーブルに置かれた料理は食欲をそそるものばかりだった。
湯気が立ち、温かさを誇張するホットココア。
黒糖パンで魚のフライを挟んだサンドイッチ。
紅茶とは言い難い、真っ白なホットミルクティー。
赤・青・黄色のアイスクリームとイチゴ・ブルーベリー・バナナで彩られたホットケーキ。
彼は甘党だっただろうか…と思いながら、シェリハはナイフとフォークを阿柴に手渡す。
お絞りで手を拭き終えると礼を述べて受け取った。
「お茶するなんていうのも久し振りだな」
「ええ、仕事以外じゃ顔を合わさなくなりましたからね」
そう言いながらシェリハはココアを一口飲んだ。
エブミアンテを卒業するまでは世話になっていたが、卒業してからは仕事以外では顔を見ることもなかった。
それもその筈、阿柴が独立し、家庭を持ったからだ。
新妻に幼子がいるとあっては、今までのように軽々しくは誘えない。
先輩が幸せになることは喜ぶべきことなのだろうが、今までと同じ距離で付き合えなくなりシェリハは寂しさを感じていた。
だが今日は仕事とはいえ、久し振りに語り合えるのだ。
シェリハの心は踊らずにはいられない。
「ああ、そうだな。
風の噂で聞いたんだが彼女と別れたのか」
一瞬ではあったがシェリハの表情が曇った。
彼女とは好き嫌いの感情だけで別れたわけではない。
栄光の道を歩む彼女と、いつまでも芽が出ない自分。
そんなシェリハを彼女は一度も責めはしなかった。
でもその優しさが彼にとっては一番辛かったのだ。
彼女といたら自分は益々駄目になってしまう。
お互いをよきライバルとして認識し、刺激し合うのではなく依存してしまうであろう未来が目に見えていた。
だがそんなことはシェリハのプロ意識が許さなかった。
職業意識が彼女に対する愛情を冷やし、関係を断ち切った。
決して綺麗な形で別れたとは言えないが、シェリハにとっては最善の選択だった。
一方的だと批判されたこともあったが、お互い話し合って至った結果だ。
「もう終わったことですから…いいんですよ」
シェリハは短く言い放った。
もう無関係なのだ、と自分に言い聞かせるようなそんな言葉だった。
フルーツを頬張りながら阿柴はシェリハの言葉を待つ。
気まずいと感じているからか、シェリハはサンドイッチを頬張り口を閉ざした。
やがて口の中が先に空っぽになった阿柴が口を開いた。
「そう思ったならそれが正しかったんだろう。
でも終わったなんて言うなよ。
まだ若いんだから」
シェリハは若いと言う阿柴の言葉に反応した。
老いてもいないが、若いという年でもない。
学生の立場だったなら終わった恋をしまいこんで次に走ることができるのかもしれないが、今のシェリハはどちらが大切かと言えば仕事だ。
仕事で寂しさを紛らわせている感も否めない。
同じような価値感を持ち、時に叱り、時に優しく支えてくれる。
そんな相手が理想だが、なかなかそんな女性に出会うことはない。
「理想は理想だ。好きなタイプと必ずしも付き合うに至るって訳じゃないだろう?
俺だって最初から彼女が理想って訳じゃなかった」
阿柴の告白にシェリハは目を丸くする。
阿柴の彼女とは顔見知り程度の関係だったから、詳しいことは知らなかった。
阿柴は子供時代の思い出を思い出すように語り出した。
彼女はエブミアンテの社員だった。
担当はスタイリングとメイクアップ。
きっかけは偶然仕事を共にすることになった、といういわゆる社内恋愛だ。
面倒見が良く、優しい性格なので一緒にいると癒されると社内では高評価だった。
だがエブミアンテ社に意思薄弱な社員がいる訳もなく、仕事の件で口論になることも少なくなかった。
やがてそれは習慣となり、一歩も譲らないその態度が真摯に映った。
それからは互いを認め合い、好意を抱くようになって今に至る。
結婚と出産を経験したことで多少は性格が丸くなったのではないかと感じているが、彼女は仕事の話が絡むと相変わらずだ。
一目惚れをしてゴールイン、なんて夢物語とは程遠い。
好意すら感じなかった相手をよく知り、愛を感じて家族となった。
自分が望んだ仕事に誇りを持っているからこそ真摯に向き合い、互いの仕事を深く知っているからこそ理解もしてくれる。
だから干渉してくることはない。
阿柴にとって彼女はできた妻だ、そう思っている。
「そうだったんですか…そんな激しそうな人に見えませんでした」
「完全な人間なんている訳がない。
人生のすべてがうまくいかないようにな。
そうだろう?」
阿柴の質問に答えられなかったシェリハは戸惑っていた。
彼女と別れたばかりなのに、気になる女性がいるなんて尻が軽いと思われるだろうか。