21 新入社員誕生?
梨星が来るというので、シェリハは写真を持って応接間に移った。
アイボリーで統一した部屋の雰囲気はリラックスを誘うように優しいものだ。
テーブルを囲むブラウンのコーナーソファー。
白の壁紙にレースと花柄でシックにまとめている、アイボリーのカーテン。
ドーリーの私室が華美であったことを考えると、ルハルクの趣味だろうか。
華やかさはないが、上品で万人が受け入れられるものだといえるだろう。
無難に温かいコーヒーとレモンティー、大抵の女性は甘い物が好きなので、ショートケーキを用意して彼女を待った。
コンコンコン。
応接間のドアがゆっくりと開かれる。
膝上丈のベージュのトレンチコート。
ラウンドトゥの黒いパンプス。
寒さからか頬はチークを施したように、血色が良い。
肌に馴染んだブラウンのアイシャドウが、彼女の印象を更に柔らかく見せている。
「…ごめんなさい、突然」
「寒かっただろう?どうぞ」
梨星は部屋に入るなり、トレンチコートを脱ぐ。
デニムに裾をボアで飾ったショートパンツから、黒のニーソックスを穿いた白い脚が晒される。
トップは横広のラウンドネックにパフスリーブの白いニット。
紺色のリボンがひとつ、袖の上でひっそりと自己主張をしている。
梨星がコーナーソファーに座るのを待ってから、自身もゆっくりと腰掛ける。
「この間の写真、見せて貰ってもいい?」
「ああ、どうぞ」
シェリハは封筒から数枚の写真を取り出した。
モノトーンの洋服と黒髪が白い肌を際立たせている。
表情のバリエーションが富んでいることにびっくりしているのは、モデルの当人である梨星だ。
普段の自分の表情ではないと、写真を食い入るように見る目が物語っている。
まだ知り合って間もないから熟知はしていないが、素直で明るく擦れた所もなく、誰からも愛されるようなキャラクターだ。
だがお世辞にも色気を感じるとは言い難い。
どちらかというと色っぽいという言葉より可愛らしいという言葉が合っている。
だが写真の中の梨星は違っていた。
気怠そうな表情は色気を作り出し、黒髪と白い肌は少女のイメージを引き出している。
つまり大人と子供が同居している女性なのだ。
人は誰しも二面性を持っているというが、写真の中の彼女の変貌ぶりは、そんな次元の問題ではない。
同じ人間の所作だとは思い難い。
変身願望が強いか、モデル経験がなければ有り得ない話だ。
だが彼女は経験がない、素人であると言っている。
ということは当て嵌まるのは前者の方だろう。
良くも悪くも恐ろしい、とシェリハは思った。
「知らない人の前で、こんな顔するなんて知らなかったよ。
エアリとシェリハといると、すごく落ち着くの。
だからかな」
「そりゃよかったよ。
だからいい写真が撮れたんだな」
梨星が笑うと目が細くなり、何とも言えない甘く高い声が漏れる。
まるで子供のような笑顔だ。
気取りのない彼女の側にいると、リラックスを覚える。
困憊気味の状態さえも吹き飛ばしてくれるかのようだ。
そんな楽しい時を過ごす二人の間に割って入るように、ドアをノックする音が聞こえてきた。
ゆっくりとドアが開かれ、スーツ姿のドーリーが入ってきた。
シェリハはこの事に驚かずにはいれなかった。
ドーリーが私服ではなく、スーツで現れたからだ。
勿論それだけではない。
普段の彼女は華美な私服で飾り、スーツ姿を披露することが殆どないからだ。
「楽しいところをお邪魔して申し訳ないわね。
…初めまして、あなたが滝見梨星さんね?」
「はい…」
黒を纏っていてもなお、華やかさが内から滲み出ている。
その圧倒的な存在感に、梨星の目はドーリーに釘付けになっていた。
黒の色が彼女の吊り目を、より強く印象づける。
同色のピンヒールのパンプスが脚を長く、美しく見せている。
ドーリーはシェリハの隣りに腰掛ける。
梨星の表情が変わっていない事に気付き、彼女をリラックスさせようと微笑を浮かべた。
すると梨星も強張った顔を緩ませ、笑みを形作った。
「そんなに硬くならないでちょうだい。
部下からあなたの話を聞いてね。
あなたと話をしたかっただけよ。
私はドーリー・エブミアンテ。
よろしくね」
名刺を渡されて受け取る梨星を見ながら、シェリハは確信した。
ドーリーは確実に梨星を迎えようとしている。
梨星が是非と言うのなら、快く歓迎したい。
だがそうではないのなら、この会社を選んで欲しくはない。
梨星には自由な活動をして欲しい。
できることなら大人のルールに束縛されて欲しくないのだ。
「エブミアンテ…会社と同じ名前なんですね」
梨星がそう言うと、ドーリーは手を添えながらくすくすと笑った。
自分の会社なのだから、自分の名字が使われている事は不思議な事ではない。
だが梨星の目には不思議に映ったのだろう。
「だって私の会社だもの」
「え…社長さん?こんなに若いのに…」
お世辞であるにしろないにしろ、社長イコール若いというイメージはあまりない。
黙ってさえいれば年齢不詳のドーリーも、若社長の部類に分類されるのだろう。
「まあそんなことはおいといて。
あなたのことを少し聞きたいわ」
「私のこと…?」
ドーリーの唇と瞳が怪しく光る。
口調は穏やかだが、梨星だけに狙いを定める狩人のようだ。
ドーリーの魅力という名の魔力に屈し、梨星は話し始めた。
専門学校でのこと。
楽しみなようで不安な将来のこと。
何社か面接に行ってはみたが、現実と理想が違いすぎて自分でもどうしたらいいかわからない、と彼女は零すように言った。
それもそのはず、そういった会社での勤務経験がないからだ。
だからといってフリーになることはあまりに危険すぎる。
そういったことで梨星は悩んでいたようだ。
「…なるほどね。
会社の立場からしてもらうと利益を生んでくれる人が欲しいわ。
それもすぐにね。
でもそんなことを新米社員に求めるのは…どうかと思うのよ」
ドーリーは頬杖を突き、表情を曇らせた。
隣のシェリハも伝染したように表情が暗くなり、眉間に皺を寄せた。
確かに会社として一番に欲しいのは、利益を今すぐに作ることができる者だ。
高度の技術と幅広い知識を持つ、できれば経験のある人材が好まれる。
あとはそれなりに協調性・順応性があれば言うことはないだろう。
だがエブミアンテ社ではそういったことは重視されない。
技術・知識の面で優れていたとしても、人間性が悪ければ不採用とすることにしている。
つまりその逆であるわけだ。
すべてにおいてど素人であったとしても、他に類を見ない個性・斬新な切り口のアイデア・仕事を愛する情熱・子供のように果てなき夢を持つ心のどれかを持っている人材を採用することにしている。
実際の仕事のマニュアルは何もない。
仕事を経験したことのある上司自身がマニュアルなのだから、手元に置いておく必要がないのだ。
上司の元で日々学ぶことにより、経験を積んでいけばいい。
そしてその経験で培った技術や知識を、新米社員に与えて欲しい。
ドーリーはそう願っている。
だから即戦力となる人材は求めていない。
長期に渡る指導の末に、力となってくれる人材を欲している。
「どうしてですか?」
梨星が不思議そうに首を傾げた。
「社会経験がない人に完璧を求める方がおかしいでしょう。
無理に決まってるんだから。
経験があったとしても、会社によっちゃやり方だって違うから、難しいところなのよ」
ドーリーの答えにシェリハは頷く。
入社した頃の自分を回想してみる。
若く幼く、知識だけが先走りして自分一人では何もできなかった。
ひとつの問題を解決しては、またひとつ問題が生まれてゆく。
時には目を瞑りたくなるような失態もあった。
今となっては笑いの種だが、当時は苦い思いをしたものだ。
だが今はそれでいいと思っている。
失敗があってこそ、成長するものなのだから。
「仕事してれば嫌でもそんなものは身に着いてくるもんだよ。
俺だって最初は何も知らなかったし、できなかった。
だから行きたい所に行けばいいんだ」
シェリハの言葉を聞きながら、梨星は何度も小さく頷いた。
彼らはそれが何を意味するかはわかっていた。
きっと拒否ではない、いや絶対に…そう思いながらドーリーは口を開いた。
「梨星、あなたうちの社員になる気はない?」
梨星は一瞬だけ目を逸らして、すぐにドーリーを捕捉したかのようにじっと見つめる。
その目は一点の曇りもなく、揺れもしなかった。