18 険しき道の心得
これで星凪とシェリハの語らいはラストです。
これから梨星とシェリハの絡みを深めていきたいと思っていますが、かなり時間が掛かりそうです。
憧れに近付く夢の為、情熱を武器に勉学に勤しんだ。
成績は中の上。
決していいものではなかったが、日々の努力の積み重ねで結果があるわけだから、原因は自分にある。
入学したての頃は溢れ返るほどの学生がいたというのに、卒業式には数えるくらいの人数しか残っていなかった。
夢に弾かれた友を思いながら、残った友たちと地獄のような日々を耐え抜いた。
就職先は思いの外、すんなり見つかった。
会社の大小に興味はなかったが、社員の過半数が外国人という点に魅かれて、入社した。
専門学校以外の学校では外国人は珍しく、好奇の目で見られていたことが何よりも苦痛だった。
それ以上に偏見を持たれたことに胸を痛めたものだった。
母親の母国で生まれ育ち、英会話に興味も何もない人間が語学堪能なわけがない。
父親が米国人というだけで誤解され、それを跳ね返せるような後付けさえ用意できない自分を恨めしく思った。
入社先は自分と同じような外国人や、ハーフ・クォーターの社員ばかりだったから安心だった。
だがそんな安心は次第に不安に変わってゆく。
勤務時間は8時間ほどだが、終電ぎりぎりになるのは珍しくなく、納期が間に合わない日は泊まり込む日もあった。
勿論それが永遠に続くわけではなく、夜になる前に終わる日もあった。
だが数えてみれば、割合の数値は小さいものだった。
希望していた職場を体験することもなく、社員となったシェリハは身体精神ともに苦痛を感じはじめていた。
あれだけ憧れていた仕事に嫌気さえ覚え、何の為に齷齪働いているのか分からなくなった。
そんな時に声を掛けてくれたのが、ドーリーだった。
「あなた…そういえば絵本が好きだったと言っていたわね。
夢と情熱だけで夢を伝えることが、こんなに難しくて辛い事だなんて思わなかったでしょう?
だけどね、どの作業もこれからのあなたを助けてくれるわ。
あなたが夢を忘れさえしなければね」
甘い考えを持っていたシェリハの心に突き刺さったその言葉が、彼を成長させるきっかけとなった。
過酷な毎日に果ては見えなかったが、仕事をやり切った時の達成感とクライアントの「ありがとう」の一言で彼は思った。
自分はきっとこの為に働いているんだ。
やるべきことをやり、知識と技術を身に付け、未来に向けて今は準備を整えよう。
やりたい事はそれからでも遅くはない。
次第に一人でも仕事ができるようになり、仕事を任せられるほどに成長した。
だが自分だけの力だけではない。
社長をはじめとする社員、幸福と不幸を分け合ってきた同僚たちがいてくれたからこそ、今の自分があるのだ。
彼らの手助けがなければ、右も左も分からず途方に暮れていたことだろい。
だからこそシェリハはもし自分が月寿のように孤立し、誰の助力も得られず、一人心を強く持って夢に向かって駆けることができただろうかと、ふと考える。
誰かに支えられ仕事をしているのに、行き詰まるようではきっと無理だったに違いない。
月寿とは親子ほど年が離れている。
年が離れていれば時代が違う。
時代が違えば環境や扱いにも変化がある。
月寿は外国人ではないが、外国の血を色濃く継いでいるその容姿のせいで、きっとそれなりの扱いを受けてきただろう。
それでも挫けず、心が折れず夢を叶えたのは、彼の信念と強い意思が生んだ努力の賜物だ。
きっとこれから月寿が味わってきた苦しみを、シェリハも体験することになるだろう。
だが誰もが通る道を避けて通ることなどできない。
ならば精一杯足掻いてみせよう。
誰に強要されたわけではなく、自分自身が茨の道を選んだのだから。
目に見えない明日のことなど知らなくてもいい。幼き日の希望だけ頼りに歩いていこう。
明るい未来を想像していたら、次第にシェリハの口許が緩みはじめた。
そして無意識に笑声が漏れる。
シェリハを静かに見つめていた星凪も、つられて笑いを零していた。
「今日はあなたに会えてよかったわ。
結婚する前の私なら、ファンに出会える楽しみを知らなかったんだもの。小さかったファンが今は成人を過ぎた大人で、夢を持ってくれたならこれ以上の報酬はないわ」
口許に手を添えながら、微笑む星凪の目尻に小さな皺達が集結する。
幼子だったシェリハが成人を過ぎたのだから、星凪が老けて見えるのも当然と言えば当然である。
だが彼女の精神はあの頃と変わっていない。
変化がないというわけではないのだろうが、気持ちの基盤は同じものだ。
子供が熱く夢を語れば、幼く静かな情熱で応えてくれる。
瞳の輝きは世界に落とされたばかりの子供のような、無垢に彩られている。
十年後、二十年後の自分も彼女と同じように、少年時代の輝きのまま、いられるだろうか。
子供の時のように壁にぶつかったとしても、守り支え包んでくれる手はない。
強かに逞しく、前を向いて生きていかなければいけない。
どの世界でも弱者が強者の食材とされてしまうからだ。
「今日はありがとうございました。
まさかまたあなたに、こんな形出会えるなんて思いませんでしたけど…」シェリハははにかみ、頭を掻きながら言った。
彼女がいくら年を取っていたとしても、シェリハにとっては少年時代に出会った若く美しい姉のような母のような、少し曖昧な存在なのだ。
だから視線を絡ませて話したり、直視したりされたりすることが恥ずかしく感じる。
「世間は広くて狭いものだわ。
私だってまさか…あなたと競い合える日がくるなんて、思ってなかったんだから。
でもこれからは特別な約束をしなくたって会えるんだもの。
シェリハ、自分に嘘を吐かないで、時々狡くなりなさい。
…少しだけね」
星凪は子供に向けて歌う子守歌のように、優しく言った。
だがシェリハは全く別の解釈しかできなかった。
この世界で生き続けることは生易しいことではない。
汚れを知らぬ純粋さだけでは、いつかは壁にぶち当たる。
そして負の迷路に迷い込み、悩み続けては自分を責めることになる。
だから時々でいい。
疲れ果てた自分を甘やかす狡さを持て、と。
シェリハの耳にはそう聞こえてしまった。