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ハートナイフ  作者: 蒼野 媽流
第一章 一逢一別
17/63

17 茨の通過点

数か月振りの更新となってしまいました。

「言の葉の栞」の更新ばかり優先してしまい、申し訳ありません。

なかなか話が進まず、もしかしたら止まってるもしくは終わったのかも?と思っていらっしゃる方もおられるかもしれませんね。


星凪の過去話を聞いて、自分の仕事の姿勢に不安を感じるシェリハ。

仕事の詳細はこれから度々出そうと思っています。

何度か同じ時間を過ごして、わかったことは『変わっている』ということだった。

猫のように気紛れに電話をかけてきては、挨拶もなしに会話を始める。

またある時は仕事が終わると顔を出して、食事に連れて行って家まで送ってくれる。

けれどただそれだけだった。

別に何かを期待していた訳ではなかったけれど、穏やかではいられない。

友人のボーダーラインを飛び越えたい…そう思うようになってから、その時から星凪は恋に落ちていたのだ。


だが時既に遅く、内なる恋愛感情に気付いたところで星凪は行動を起こそうとは思えなかった。

月寿は変わり者だが、女性に好かれる男性だろう。

外国人と見紛うような容姿。

普段はアトリエに籠っているが、画家のイメージを一掃するほど都会的でいつも飽きない話題を提供してくれる。

その点だけ考えても、女性に困る男ではない。

それほど彼は星凪にとって魅力的な人間だった。


星凪が恋に悩んでいることなど知らず、ある日彼からのポストカードが届いた。

どうやらまた放浪しているらしく、今回はフランスのようだった。

息抜きが目的でやってきたとの事だが、相変わらずのマイペースな文面に星凪は微笑せずにはいられなかった。

(…仕方のない人。)

国内では見慣れない風景と一緒に写る彼の伸び伸びとした表情から、彼は何にも縛られていないことが見て取れる。

当てのない旅に身を投じ、日々メタモルフォーゼを繰り返す雲のように自由な彼。

自身の心の言葉に従い、第三者の声に耳を傾けるものの、断固として意志を曲げない。

星凪はそんな月寿を羨ましく思っていた。

大人になれば環境が変わり、責任が付加される。

そして生きる為には思い描いていた自由や夢を手放さなければならない時もある。

学校を出て現職に就いた星凪ではあるが、安定は得れたものの将来の目標はこれといったものはまだなかった。

月寿のように何かになりたいだとか、何をしたいというものがないから別に構わなかったのだが。

彼といると改めて考えさせられてしまう。

無駄な時を過ごしてはいないか。

何かしなければならないことがあるのではないか…と。

彼の口からそういった言葉を受けたことは一度もない。

だが彼の存在自体が彼女に何らかの影響を与えているのは確かだった。

そうだ。あれこれ悩むよりも、彼に会おう。

後悔するのなら、行動してから後悔した方がいい。

彼からの便りによると月寿が帰国するのは一週間後。

星凪は強い決意を胸に、時を待った。




一週間後、星凪はポストカードを手に彼が住む街を訪ねた。

賑やかな都会の裏側に閑静な住宅街がそこにあった。

目と都会に疲れた心を癒してくれる少しの緑と、噴水広場がある公園がある。

人気の少ない道を進むと、ログハウスのような家が星凪を出迎えた。

木材に一切手を加えておらず、シンプルで無駄がない。

家の側には無造作に花々が植えられていて、小さな花畑のようなものが広がっている。

色鮮やかなパレットのようだ。

小動物が棲むようなサイズのログハウスは郵便受けだろうか。

凝り性なのか、ピンクゴールドの鍵は菫を象っており、花弁がリアルに再現されている。

郵便受けには『滝見』と書かれている。

重厚な木材の扉をノックすると、月寿が無言で現われた。

薄手の白いシャツに黒のカーゴパンツ。

ラフな格好でありながら、アイロンが掛けられているのか皺が見当たらない。

それは彼の几帳面さを物語っている。

「突っ立ってないで入ってくれ。

大した持て成しはできないけどな」

「別にいいわよ、気にしなくても」

天の邪鬼な返事を返した後、彼の後ろをついていく。

畳柄のフローリングされた廊下を歩いていくと現れたのは、生活するのに必要最低限の物しか置いていないシンプルな部屋。

壁際にはピンク色の大きなキャンバスが独り寂しく立てられている。

モノトーンの色調で統一された世界の中に、ピンク色だけが浮いて見える。

キャンバスの中には花弁で作られた仮面を装備した、生まれたままの姿で座り込む少女の絵がそこにはあった。

ベールを想像させる真っ白な長い髪は彼女の秘めたる部位を隠し、カーテンのように地面に広がっていた。

割れた仮面から覗く大きな瞳は磨きあげたエメラルドのような色を持ち、輝きを放っていた。

赤ん坊のように上気した肌や頬がやけに現実味を帯びていて、星凪は誘われるように手を伸ばして触れてしまった。

指先に張り付いたように残る、ザラザラとした質感。

パウダー状の絵の具か何かだろうか。

ぼーっと見つめていると、いつの間にかウェットティッシュを差し出してくれる月寿の手があった。

「速乾性の絵の具でもない、女性なら誰もが使う道具が珍しいのか?」

「これは何?」

「アイシャドウにチーク、肌はファンデーションだな。

絵具とはまた違った味わいが出てなかなかいいんだ」

「そう…こんな使い方もあるのね」

星凪は囁きに似た声で言った。

化粧品は女が自分をより美しく、飾る為に使われる物だと思っていたから、絵具の代わりに使うなどという発想は考えられなかった。

もう既に彼女の虜になってしまっていた。

正しくは彼の描く彼女、かもしれない。

美しい人は沢山いるけれど、彼女のような美しさを持った女性など見たことがない。

美しい人が高価なドレスや、世界にひとつしかない宝石を身に着けても、彼女の前ではただの布切れと石ころなんだろう。この絵は彼の精神を表したかのようだ。

自由で見る者を惹き付け、強烈な印象だけを残して風のように去ってしまう。

まるで香水のようだ。

「!」

ふと星凪ははっとする。自分は彼の作品を見る為にわざわざここに来たわけではない。

自分と彼の気持ちを確かめる為に来たのだから。「星凪、紅茶とコーヒーどっちがいい?

そこに座っててくれ」

「…じゃあアイスミルクティーでお願い」

椅子に腰掛け、彼が台所に消えていくのを見送る。

カチャカチャという二つのティーカップが奏でる音を聴きながら、星凪はこの後どうやって切り出そうか考えていた。

彼との会話の中に彼の真意の片鱗すら窺えない。自分の一方的な想像だけが深くなってゆくばかりだ。

あれこれ思案しているうちに月寿がトレーを持って戻ってきた。

ひとつのティーカップの中で浮かぶ紅茶は天に向かって湯気を放っている。

もうひとつは自分が注文したアイスミルクティーが入った、グラスのコップ。

隣には一口サイズのカラフルなクッキーが皿の上に盛り付けられている。月寿の手作りなのだろうか。

作っている彼を想像できないが、所々少し焦げぎみのクッキーがあることを考えると彼の手作りに違いないのだろう。

「…自分で作ったりするの?」

「いつもだ。外食してたら金が嵩むからな。

家で作った方が安くつくんだ」

彼の言う通り外食ばかりの生活ではないことは、きれいに整頓された部屋達が物語っている。

タッパーの中に常備している米。

小分けされた調味料。

全く散らかっていないキッチン。

まるで家政婦か家庭的な彼女でも住んでいるかのようだ。

(…やめよう。)

諦めを振り払い、用意してくれたアイスミルクティーを頂くことにする。

グラスコップに口を付け、ほんのり甘いそれをごくりと飲み込んだ。

グラスコップに唇の形の薄いルージュを残し、月寿の目を捉える。

「ねぇ、月寿」

「何で呼んだの?…だろ?

別に暇潰しに呼んだわけじゃない。

話があったから…」

急に視線を逸らして、珍しく頬を仄かに染めている。

星凪の中にある月寿のイメージといえば、ポーカーフェイス。

自由で落ち着いていて、動じることはない。

そんな彼が今は幼い少年のように見える。

若干苛々していた星凪だったが、彼の新たな部分に触れたような気がして愛しささえ込み上げてきた。

「月寿、話って…」

「あぁ!わかった、言うよ。

あの日からずっと好きだったんだ。

自分の事を理解してくれる女なんていなかった。…温度差があったんだろうな、きっと」

月寿は諦めるように溜め息を吐き出した。

同じ心情でいたことに星凪は嬉しさのあまり、口許を緩める。

満足そうな笑みを生んだ張本人である月寿は、頬を染めたまま恥ずかしそうに星凪を見つめている。

「どうにか言ったらどうなんだ?

はいとかいいえとか…何かあるだろう」

「そうね。どちらか選べって言うんなら、はいかしら。

私もその用事で来たんだから」

月寿を上目遣いで捕える。

その視線が示すのは肯定のみ。

二人の間に必要以上の甘い言葉など必要ないことを、月寿と星凪は互いに理解していた。

この日を皮切りに二人は恋人同士となり、長い月日を待たず結婚の道を選択した。

不安定な職業と理解しながら、画家の道を選んだ月寿についていくことは生易しいことではなかった。

独身時代の生活を恋しいと思ってしまうほど、質素な暮らしを送る日々が続いた。

次第に元々細身であった二人の身体は、目で変化を感じるほど痩せこけていった。

このままでは二人とも共倒れになってしまう。

そう感じた彼は星凪にこれ以上ひもじい思いをさせまいと、睡眠時間を削って絵を描き、悪天候の日も彼は絵を持って歩き続けた。

もう限界かもしれないと諦めかけていたある日の夕方、一人の男が疲れ切った星凪に声を掛けてきた。

『君は絵描きか。その絵を見せてくれないか』

『はあ…絵が好きなんですか?』

『ああ、私はこういう者なんだ』

そう言って名刺を渡してきた男の名は洗名織大あらいなおりひろ

小さい出版社に勤めるデザイナーだった洗名との出会いから、月寿の生活は少しずつではあったが楽になっていった。

画家として絵を描くだけではなく、ありとあらゆる職業の人々と一緒に仕事をしていくうちに、自身の幅を更に広げた。

そして二人は女の赤ん坊をもうけた。

それが梨星である。

やがて大きくなるだろう梨星に何かを残したい―そんな気持ちから『RISE』という絵本が生まれた。

絵の才能があったわけではない。

特別な感性があったわけでもない。

彼女を動かした衝動が、星凪を絵本作家への道に引き込んだのだ。


星凪が思い出すように瞼を閉じ、最後に付け加えた。

「自分の意思を持ち続けていれば大丈夫よ。

だけどそれが一番難しいことなの。

でもあなたなら…大丈夫ね?」

その道は決して易しい道ではない。

ビジネスだけではなく、プライベートも偏見による風の冷たさをこれまで以上に痛感することだろう。

仕事の苦労ならエブミアンテの仲間達の助力があったから、彼女に比べれば自分は恵まれている。なのになぜこんなに胸が騒ぐのだろう。

ティーカップに頼りなげで不安な表情の自分が映っていた。


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