14 終宴のはじまり
あれだけ大量にあった料理も僅かとなり、口直しにとデザートとドリンクを注文した。
料理と同じく三人を唸らせるほどの質と味に酔いしれるばかりだった。
「初めてだったけど、ほぐしてくれたから緊張しなかったの。
あんなのでよかったのかな?」
「エアリのイメージ通りだったそうだ。
初仕事にしちゃ上出来だよ」
シェリハの言葉に謙遜しながらも、真っ赤になった梨星は誤魔化すかのようにジュースを飲んだ。
その時梨星の膝にエアリの手がそっと忍び込んでいた。
梨星がふと自分の膝元を見ると茶封筒が乗っかっていた。
当然中身は紙幣である。
今回梨星がモデルを引き受けたのは金銭が欲しいからではない。
新しい世界見たさに飛び込んだだけだ。
だがエアリにとって今回の件はビジネス。
未成年相手であろうと大人であろうとそれは変わらない。
金銭を渡したのはそれに見合う仕事をしてもらったからだ。
梨星もそれを理解できないほど子供ではない。
突き返すことでもすれば、受け取るまでは手を引っ込めないだろう。
梨星はそんなエアリの気持ちを察して茶封筒を受け取ると、さっと懐にしまいこんだ。
素知らぬ顔で食事に夢中になっていたシェリハは溜め息に似た声を漏らした。
梨星ならば突き返すのではないだろうか、と思ったのだ。
両親の育て方が余程いいのか、年齢にしては礼儀正しい。
そんな親の教えを守り抜く少女が、知り合いになったとはいえ金銭を受け取ることなどしない―そう思ってしまったのだ。
だが事がうまく運んでくれたことでよかった、と胸を撫で下ろした。
「ね、ねぇ」
「ん?」
「今日の写真、今度…見たいな」
足が痺れたのか、足を崩してリラックスしながら梨星が囁くように言った。
それはシェリハとエアリにとって意外な言葉だった。
今回のモデルは頼んだから快諾してくれたのであって、写真やモデルに関心があって興味を惹くというレベルではないと思っていたからだ。
もしかしたら自分自身がどう写ったか、という好奇心なのかもしれない。
「写真に興味があるのか?」
シェリハが聞くと、梨星はこくりと頷いた。
携帯やデジタルカメラで撮った事はあるが、あくまでも自分はアマチュアの中のアマチュアの撮影であってプロの撮影ではない。
自分がプロの手によってどんなふうに写し出されるのか、一番の関心はその点だった。
「ほんと!?」
シェリハの言葉に梨星の目が星のように輝く。
瞳に陰りの色ひとつすらない、新緑のようだ。
二人のやり取りがある間にエアリは鞄の中の名刺と睨み合いをしていた。
もしまた会う時があるなら名刺を渡しておいた方が良いだろうか、と考えていた。
機会があるなら是非、梨星に続投して欲しい―その思いは変わらない。
エアリは意を決して名刺を取り出す。
「梨星、いつなら都合いいかしら?
ほら、学校もあるし…」
「うん、エアリとシェリハの都合のいいときにでも…。
あ、連絡先とか聞いちゃダメ―…かなあ?」
目元を人差し指でぽりぽりと掻きながら、照れ隠しをするように梨星が言った。
梨星の一言でエアリの心の中は曇りから、雲一つない晴天へと変わる。
取り出した名刺を梨星に手渡すと、彼女はエアリの名を指でなぞる。
名刺入れなど持っているはずもないので、財布の中に収納した。
朝まで語り明かしたい宴だったが、未成年の梨星を夜遅くまで連れ回す訳にはいかないので八時半を過ぎた辺りで店を出る事にした。
外に出ると冷たい空気と降り出す雪とでかなり温度が下がっていた。
露出した肌に突き刺さる雪と寒さは氷の槍のようだ。
エアリは家に帰る前に寄るところがあると言うので、途中で別れることとなった。
梨星を無事送るよう言付けられたシェリハは、ひらひらと手を振りながら小さくなっていくエアリを見送った後、通りに出てタクシーを拾い、飛び乗った。
疲労を蓄積した眠気眼の運転手によると、秋を越えて久し振りのお客のようだ。
だがそれは通りのせいかもしれない。
シェリハ達が戻って来た道は、酒を帯びた者が多いからだ。
オフィス街を通り抜け、人が行き交う駅前を離れると車はどんどん坂を上がっていく。
都会を離れて、広がるのは田畑ばかりだ。
ところどころに家屋があり、家屋はいずれも年代を感じさせる一戸建てだ。
「梨星、こんなところから通学してるのか?」
「うん。…あ、もうすぐだよ」
梨星に指示されるまま料金を支払い、外に出ると都会暮らしの体に澄み渡るような空気が染みてきた。
澄んだ空気。
緑と雪のコラボレーション。
ビルひとつない世界は心を穏やかにし、清水で洗われるかのようだ。
梨星の家はどこなのかわからず戸惑っていると、梨星がすっと指差した。
目の前に見えた光景は何とも不思議な家だった。
ジャングルの中にぽつんと存在する、不自然な一見ごく普通の一軒家―そんな家だ。
外観の大半が緑で囲まれ、かろうじて見えているのは表札くらいだ。
扉の境界がわからないほど、緑が生い茂り見事なまでに同化している。
最早シェリハの頭には、?マークしか浮かばない。
「梨星の家…ここなのか…?」
「そうだよ。…あ、ちょっと待ってね」
困惑するシェリハを放置して梨星が表札に触れると、出っ張りが内側へと引っ込んだ。
すると青々とした緑が銀幕のようにゆっくりと開き、扉が現れた。遠くからカツカツ、と誰かが歩いてくる足音がする。
定期的なその音は小さい物から大きい物となり、どうやらこちらへと近付いてくるようだ。
ガチャ、と扉が開かれると一人の女性が姿を見せた。
「お母さん」
「あら、わざわざ送ってくれたの?
…寒いでしょうからどうぞ?」
梨星の言葉に体を強張らせながら、シェリハは歓迎されるまま中に入っていった。