13 砂糖混じりの祝杯
外は薄暗く、烏の姿がちらほら見える。
空へと投げ掛けるような誰もが知る彼らの声が、夜の幕開けを予告する。
ぽつぽつと小さな灯がネオンとなり、街を色付けていく。
まるで空に蛍光色の大輪の花が咲いているようだ。
三人は人込みに紛れながら、波を掻き分けて足早に人気の少ない場所へと移動していく。
心配になってかそれとも興味津津なのか、挙動不審なまでに梨星の目がきょろきょろと動く。
「ねぇ…人あんまり通ってないよ?」
「この辺りは騒々しい店がないから、ゆっくりできる。
食事の味が落ちるから」
更に歩を進めると、バーやキャバクラといった夜の店が集まる通りに出た。
だがこれといって危険そうな人物は見当たらない。
そして客寄せなども行われていない。
店を出て来る客はスーツを身に纏った会社帰りの男女ばかりだ。
「スーツの人ばっかり…」
不思議に思って梨星が呟く。
夜の街のイメージが異なったのだろうか。
だがそう勘違いしてしまうのも仕方ない。
一見夜の街と見せかけてこの通りはすべてが飲食店だ。
昼間は夜に比べてネオンがない分、外観は地味だが通常の飲食店として機能し、実際に働いている学生もいる。
夜はネオンが通りを彩り、昼のメニューに夜用の品々が追加される。
大衆のレストランとは異なり、静かに食事を楽しみたい大人の男女にはうってつけだ。
入店の際には年齢確認がある為、学生が入り込むこともない。
マナーある社会人ばかりなので安心だ。
満員の際には歩行者を妨げないように専用の部屋があるので、寒空に凍えたり暑さに倒れることはない。
結果道はいつも整理され、客にとっても歩行者にとってもストレスのないようにできている。
「全部飲食店なんだ。
さ、着いたよ。入ろうか」
三人はログハウスのような建築物の前で足を止めた。
きらきらと輝く店ばかりに囲まれ、ここだけは質素で異様に感じてしまう。
木材の色は全て統一されていて、人間で言うならやや肌が白い…そんな色だ。
壁には美しい花々が掘られている。
繊細なラインで彫られた花は本物のように存在感がある。
屋根には抱き締めるような手付きをした人魚のレプリカが置いてある。
髪は長く、均整のとれた体。
人魚のようであるが、子を持つ母のように慈愛に満ちた表情は聖母のようでもある。
中へ入ると白のシャツの上に黒いジャケット、黒のスラックスを身に付けた男女がお辞儀をして出迎えた。
よく見ると胸元にワンポイントとして花が刻まれている。
それもひとつの種類ではなく、様々だ。
「いらっしゃいませ」
店員はそう言うと、シェリハとエアリの顔を見た。
そして一礼をする。
エブミアンテ社の飲み会は殆ど此所で行われるので、VIP同然のようなものだ。
シェリハは仕事の付き合いだけでなく、プライベートでは友人や家族とここを訪れることもある。
丁重な扱いを受けても不思議な事はひとつもない。
そうして三人は店員の一人に個室に案内された。ひとつのテーブルの上にひとつのキャンドルが置かれていた。
そのためか照明は僅かに暗い。
だがその暗さが淡い光をムードあるものに仕上げている。
箸置きやお品書きなどの小物にも凝っていて、花々が刻まれている。
それだけではない、壁や防音の役目を果たしている襖にも手が行き届いている。
「お飲み物はいつもの物になさいますか?」
「そうね…」
一瞬悩んで、エアリはカルピスサワーとオレンジジュースを注文した。
梨星を気遣ってのことなのだろう、いくら祝いの席とはいえ未成年にアルコールを飲ませるわけにはいかない。
それがたとえ二十歳間近だとしてもだ。
エアリは適当に注文をし、店員は注文の内容を確認してから去っていった。
襖が隔てた世界はとても物静かだ。
小さな雑音の響きが聞こえるくらいで、リラックスするには申し分ない。
シェリハと梨星が向かい合わせとなり、彼女の隣にエアリが座っている。
三人は食事をする為に上着を脱いだり、おしぼりで手を拭いたりしている。
「私ジュース?」
「だって未成年だろ?」
「そうだけど家では飲んでるよ?」
エアリがジュースを注文したことが梨星にとっては少し不服だったらしい。
梨星はねだるように唇を尖らせていたが、大人の二人には可愛い色目は通用しない。
まるで子供が新しい玩具を欲しがるような行為に、シェリハは吹き出してしまった。
「何がおかしいの?」
「いや、何でもない」
もう一度笑ってしまいそうになるのを我慢して、くだらないような雑談をしながら料理を待った。
学校の話や仕事の話。
色んな話を展開した。
それにしてもよく笑う少女だ。
シェリハが仕事で得た経験の代わりに失った新鮮さ、無邪気さが彼女の中にはある。
社会に順応するべく殺した自分の意志や意見。
彼女と対話していると、胸に閉じ込めていたものが溢れてきそうで少し怖い。
普段は頼りない妹のようなのに、時折胸を貫くような言葉を吐いてくる。
そう感じてしまうのは、シェリハと梨星が正反対の性質を持っているからだろうか。
シェリハが胸の中にもやもやを広げているうちに、華やかな料理が運ばれてきた。
大きな皿に盛られた料理を個別に与えられた小皿に取り分け、箸でつつく。
もちろん食べ物ならぬ肴は終了した仕事の話だ。
梨星にとっては初めての仕事。
エアリにとっては自分一人で手掛けたのは初めての仕事。喜びを隠せないのか、終始ご機嫌だ。
「さて、改めてお礼を言うわ。
梨星、あなたなしじゃ終われない仕事だったから助かったわ。
…あとあんたもね」
エアリはグラスを傾け、中に入っている氷を揺らしながら呟くように言った。
明らかに付け加えであろうその物言いに反応するのは、今宵はやめておこう。
元より素直ではないエアリのことは長い付き合いの中で熟知している。
何より酒と食事が不味くなってしまう。
「副社長に頼まれたからな。
ま、いいのが撮れてよかったよ」
そう言うと梨星は恥ずかしそうに俯きながら、小皿に移された料理を一口一口味わいながら食べている。
頬を膨らませている姿はまるでハムスターのようだ。
三人は酒とジュースを片手に、密閉空間に雑談という花が咲き乱れた。
そうして楽しい時間は刻々と過ぎてゆくのだった。