12 休息の鐘
やっと梨星にとって大仕事が終了しました。早く恋愛に結び付けたいものですが、順々になると言うことを考えるといつになることやら…。
撮影も終盤に差し掛かり、慣れない作業とあってか梨星は疲労していた。
…というよりも眠そうな表情をカメラに向けていた。
「もうそろそろ終いにするか。
疲れてるみたいだ」
「そうね。梨星、大丈夫?疲れた?」
エアリが尋ねると梨星は相変わらずの表情。
閉じそうで閉じない、梨星の瞳。
眠気を覚まそうとぱちぱちと頬を叩くが、あまり効果がないらしい。
その次には瞬きを試みる。
…だがこれも効果はないようだ。
「大丈夫…」
「そう…?じゃあさっさと撮っちゃいましょうか―あら?梨星!?」
梨星を見ると瞼を閉じてすやすやと音を立てていた。
どうやら眠ってしまったようだ。
慣れない作業で疲れてしまったのだろうか。
「撮影中断…か。休憩するか?」
「梨星は休ませときましょ。
疲れたんでしょうよ…よくやってくれたわ。
…でも、チャンスよ!ちょっと見て」
エアリに言われて梨星の方を見る。
あどけない寝顔だ。
少女のように幼く、幸せそうだ。
寝返りを打ち、整えられた髪が崩れて乱れる。
顔に掛かる髪が作り出す陰影―光と闇のコラボレーション。
そこにはエアリが撮りたかった、自然な女性の姿があった。
「確かにお前のブランドには合うかもな」
「そうでしょう!梨星には申し訳ないけど…」
何かに誘われるようにシェリハは何度も角度を変えてシャッターを切る。
今日一番のショットだったような気がする。
撮影を終えてすっかり夢の旅に出掛けている梨星のために、メイクルームに置き去りにされていた黒のコートをかけてやった。
寝返りを打ち続けてもなお、梨星の寝顔は幸せそうなものだった。
梨星を起こすまいと、二人はできるだけ音を立てずに片付けを始めた。
重い機材はシェリハに任せ、エアリは小物を片付ける。
「さて…あとは梨星ね。どうしよう?」
エアリが膝を曲げ梨星を見遣った時だった。
重い瞼を開け、体を起こすときょろきょろと周囲を見渡した。
エアリとシェリハを確認すると、自分が眠ってしまったのだと初めて知る。
「ごめんなさい。私寝ちゃって…」
「いいのよ。無事に終わったわ。疲れた?」
「ちょっとだけ。…もう大丈夫」
遠慮がちに梨星は言い放った。
それもその筈、梨星は専門学校生で体を動かす機会が高校時代に比べてあまりない。
まだ若いといえども体力やスタミナは確実に減少していることだろう。
慣れない姿勢を長い時間保ち続けることで、疲労するのはもちろんのことだが気力も浪費する。
おまけに梨星は小柄であり、気力はこの際おいておいて体力に自信があるとは思いがたい。
そして長時間の撮影ともなると、意外にもそれらの要素が必要になってくる。
何ごとも体が資本というわけだ。
「慣れない事をすると疲れるものなんだ。
俺だって入社したての頃は疲労がひどかった」
シェリハは梨星に当時の自分を重ね、苦笑した。
第一印象から強烈だったエブミアンテの女社長。
その右腕として働く、副社長は非の打ち所がない。
仕事着に着物を選択をする同期のエアリ。
一般規格外の個性を持った社員に囲まれ、当時は外の世界を知らない無知な子供のように驚愕する毎日だった。
時が経つにつれて順応していったが、今思えばよくもまあ耐え抜いたものだ。
自画自賛するのもおかしな話だが、新入社員の精神を掻き乱す現実は社員の心にとってあまりにも過酷なものだった。
だがそれがプロの世界であり、基準値。
以後も勉強の日々だ。
同じ仕事を二度以上任されることがあっても、全く同じものはひとつとしてない。
苦しくはあるが、それがやりがいのひとつなのかもしれない。
「そうなの?じゃあ今は?」
「年々体力が落ちてくるから、どうにかしないといけないと思ってね。
毎日とはいかないけど鍛えてる」
「もう若くないもんねぇ…だからこそいつでも新人を迎え撃つ用意をしとかないとね。
若い連中には負けないわよ」
梨星の問いに、手を腰に当て胸を張りながら答えるエアリ。
シェリハとエアリに共通すること―それは無駄な肉がないということだ。
過酷な労働故かもしれないが、服の上からスマートであることがわかる。
エブミアンテはこれから成長する、まだまだ小さい会社。
デザイナーであるからといって、デザインだけをすればいいのではない。
現にラッドアークはデザインにこそ携わっていないものの、他社での実務経験を生かしたアドバイスから事務・雑用までこなしている。
…ただ単に人手不足ということもあるが。
つまり仕事はひとつではない、ということが言えるわけだ。
デザインだけではなく、パーツを含むモデルをすることもある。
勿論誰でもいいというわけではなく、イメージに合う人材が運良くいれば即起用となる。
体が資本となっているのは言うまでもないが、意外にも体を動かすことが少なくない為に、体力と気力のいずれかが欠如すると業務に対する熱意が奪われる。
そうなると気持ちが元に戻るまでかなりの期間を要する。
もしくはその気持ちが無くなってしまう。
…そして辞めてしまうのだ。
デザイナーである前にモデルとして自分に鞭を打ち、体型保持に努めることも仕事の一部だとドーリーは言う。
「デザイナーさんも大変なんだね」
「そうよ。でも社長がね、それを実行してるの。
高校時代から体型が変わってないの。
だからかしらね」
ふ〜ん…、と感心する梨星。
シェリハとエアリは時間を気にしてか、携帯を見る。
夜ではないが午後ではない―夕方の17時。
夕食にはまだ早いが、梨星への礼もある。
ここは礼と交流を兼ねて、食事でもしたいところだ。
そわそわしながら、エアリが空気を断ち切るように切り出す。
「梨星、あなた門限とかあるの?」
「ないよ。基本的に放任主義だから気にしてないみたい」
ほっと胸を撫で下ろしたエアリは続ける。
「それはよかったわ。
今から三人で食事でもどうかしら?」
「疲れてお腹も減っただろう?
梨星さえよければ…」
優しい微笑みを梨星に向ける。
梨星は笑顔のOKサインを出して、シェリハの袖をぐいぐいと引っ張る。
大仕事を終えた三人は舞台の灯を消し、先ほどまであった賑やかさも一緒に連れて階段を駆け上がるのだった。