11 メイクアップ
エアリの携帯を鳴らした犯人は梨星だったらしく、彼女の姿を見つけるとエアリは携帯をしまった。
「あら、二人知り合いなの?…まぁいいわ。
彼女は今回モデルやることになった梨星よ。
で、そっちはシェリハ。今回手伝ってくれる事になったの」
エアリはにこやかな笑みを浮かべ、営業スマイルが炸裂する。
シェリハと梨星が知り合いである事にエアリは驚かなかった。
母校を紹介したのは彼女だったからだ。
出会ったとしても不思議はない。
「さて、早速撮影しましょうか。
梨星、着替えとメイク行こうか?
シェリハはちょっと待ってて」
「なあ、俺がいなくても撮影できるんじゃないか?」
「何言ってるのよ。ちゃっちゃと済ませた方がいいでしょ?
細かい事は書類に書いてあるし、これ渡しとくわね」
大量の書類が入った袋をシェリハに押し付け、エアリは梨星を連れて着替えとメイクをするために別室へと消えてしまった。
(エアリの企画書、目を通しておくか………)
シェリハは分厚い書類を取り出して、ペラペラと捲り始めた。
エアリー・レイ。
ブランドの名は自分の名前をもじったもの。
髪や頬を撫でる優しい風。
時に自然の力となり、人工的に作られた建築物を破壊する災厄となる。 限り無く自由で気ままに途方のない旅をする…そう、まるで猫のように。
自然体の魅力と自由を掲げている。
それは元来人があるべき姿であり、最終的に辿り着く姿だ。
流行廃りに足下を掬われ、自分の好みがどれなのかわからなくなってトレンドに身を委ねる。
結果、街にはトレンド一色のファッションで身を包む人々が生み出されていく。
トレンドに染まることが悪いことではない。
ファッションとは自己主張のようなもの。
色も形も様々な服を組み合わせて自分の好みを基準にコーディネイトする。
好きなものがあるならば自らを抑制して、流行の波に乗らなければいけないことはない。
自分が満足するまで好きなようにカスタマイズすればいいのだ。
エアリのブランドは気取らない自然体だからこそ引き立つ魅力、品のある色気や女性らしさを前に押し出している。
合わせやすいモノトーンをベースに、時々冒険してみたいくっきりした印象を残すカラーを用意。
日常生活でも頻度が高そうなカジュアルで統一しているものの、基盤となるコンセプトは忘れない。
エアリー・レイは静と動。
大地にしっかりと根を張り、踏まれても力強く背を伸ばす。
例え摘まれたとしても。台風や風にも決して敗北を認めず、美しい緑をいっぱいに広げる。
とりあえずは試作段階として生産する為、アクセサリーや鞄といった小物は後回しにしている。
そもそも小物に時間を掛けるほど、エアリに余裕はない。
エアリの仕事はこれだけではないからだ。
主役級の服があればそれでいい………それが作り手であるエアリの意思。
バタン。
ため息の声を漏らすエアリと、まるで別人のようになった梨星が姿を現した。
軽やかな波を描き、毛先を遊ばせつつも元気過ぎないウェーブヘア。
瞼全体にのせられたパステルのアイカラーは潤んだ瞳を演出し、綺麗にカールされた睫毛は決して長くはないものの瞳に華を添えている。
肌に馴染んだ赤みを帯びたベージュのグロスが唇を自然且つ健康的で、僅かな色気を漂わせている。
力を抜いた白のUネックのトレーナー。
両の袖と裾にハートを象った唐草模様があしらわれている。
ゆとりを持たせながらも脚が長く見えるスキニーのジーンズにも、トップスと同じ唐草模様が付いている。
脚は何故か分からないが素足だ。
「完璧でしょ?梨星のよさを最大限に引き出せたわ!
ようやくシェリハの出番よ。暇だったでしょ?」
「そう思うなら早く用意するぞ」
シェリハはけらけらと笑うエアリを尻目に見、その横で不安そうな目をする梨星に気が付いた。
「撮影といってもね、あまり難しく考えないでね。
友達と写真撮ったりするでしょう?
あんな感じで全然いいからね」
「でも撮影って…」
エアリの笑顔につられて梨星もにっこりと歯を見せて笑う。
そして不思議そうな顔をした。
「あら意外だったかしら?
人形みたいに綺麗な表情よりも、その人の自然の表情が私のブランドには一番近いのよ。
梨星、あなたの気取らない自然で可愛い表情がね」
エアリの顔が悪戯が好きな少女の顔から凛とした女性の顔に変わる。
一瞬呆気にとられた梨星だったが、すぐに天真爛漫な明るい笑顔になった。
上手いな…とシェリハは微笑した。
仕事に一切の妥協を許さないエアリはシェリハが知る限り、モデルを怒らせたことがない。
いつも褒めて伸ばすのだ。
決して貶したりはしない。
自分に自信を持っている人間はプライドが高いからこそ、繊細にできている。
一度貶されれば自信と同時にやる気を失う。
仕事に差し支えるなら、短所を引き出さず長所を活かす場所を見つければいい。
常に前向きなエアリらしい。
そして褒められることは万人にとって嫌がられる行為ではないはずだ。
否、誰もが欲している行為なのかもしれない。
撮影スペースに移ると、エアリは梨星を白い布の上に座らせた。
一切ポージングは指示せず、リラックスさせる言葉を連呼した。
そしてシェリハにどんどんシャッターを切らせる。
「いい感じよ!…梨星、あと少しだからね。
シェリハ、枚数気にしないでばんばん撮って!」
「撮る度いい表情になるな。
モデルとはまったく別の…でも素人とは違うし…。
不思議な子だな」
「私の目に狂いがある時は業界を去る時よ。
さあ!」
梨星の目に不安の色はない。
むしろいきいきとしてシャッター音とライトを浴びている。
笑顔、まどろんだ顔…自由自在に操っているようにも見える。
シャッターを切る度にモデルさながらの、それに負けない表情を見せている。
化粧を施される事によって、内面までもがメイクされたのか?
不思議な思いを抱えて、シェリハはシャッターを切り続けた。