1 少年、夢と出会う
おとうさんはお月さま。おかあさんはお星さま。
なのに…
僕は銀色の猫。
みんな不思議がる。
変な目で見てるのも知ってる。
触れないけどいつもいっしょにいる──僕の宝物。
物心ついた頃から両親は共働きで家を空ける時間が多かったから、自然と妹の世話を見るようになった。
父に似て、外見からして僕は米国人だ。
妹だってそう。
金髪に青い目、長い睫毛。
けれど父と違って僕は英語を話せない。
筆記もまるっきりだめ。
外見がこんなだから、『話せて当たり前』というのは勝手だと思う。
母は日本人、父は米国人、
生まれたときからずっと住んでいる国は日本。
ただそれだけ。
妹とは7つも年が離れているから、小さな頃はよく本を読んだ。
中でも僕を夢中にさせた本がひとつだけあって、妹もその本が大好きだった。
『RISE』はシリーズになっていて、絵も文も一人の女性が描き、書いているらしかった。
その女性というのは絵本作家で、何とも優しいタッチのイラストを描く人。
それからはお小遣いを使わずに貯めて、著者であるSEINAの児童書を買い漁った。
ある日、近所の美術館でSEINAの個展が開かれていたのを知って、足早に小さな美術館に向かった。
珍しく天井が高く、壁には花をモチーフにしたステンドグラスが美しい。
準備中なのか、黒髪にTシャツ・ジーンズ姿の女性がポスターを貼ったり、絵本を並べたりしている。
スタッフの人だろうか。
「あ、あの…」
おそるおそる声をかけてみる。
目に飛び込んできた表紙に書かれてある作者の名前を見て愕然とした。
SEINA。
愛読している作家じゃないか?
「あら、坊や。一人できたの? 嬉しいわ」
想像していたよりもずっと若くて、着飾らないラフな女性だった。
きっと子育てが落ち着いた主婦が何か新しいことをやりたいと描き出した…なんてのは勝手な偶像だけれど。
想像なんてモノはあてにならないと思い知った。
「俺、あなたのファンで、個展があるってきいて…」
「最近の子供は雑誌ばかり読むっていうけど、坊やみたいに本を読んでくれる子もいるのね」
「坊やって…俺お姉さんとあんまり年変わらないように見えるけど」
そう言うと彼女は目を丸くし、次の瞬間に大きく笑ってみせた。
なにかおかしいことを言ったのだろうか?
少年ならではの稚拙で純粋な発言に女性はくすくすと笑い、口を開いた。
「お姉さんだなんてお上手な坊やね。
こう見えても私には娘がいるのよ。まあ、坊やよりは小さいけどね」
「そうなんだ? 見えないなあ…」
「ふふ、あなたの将来が楽しみだわね。で、私の作品のどれを好きになってくれたの?」
「RISE。」
言葉では難しい表現を初めて心の中で覚えた。
友達に自分はどこか人と違うことを指摘され、悲しみの底に落とされるのだ。
それが理解できないからただただ泣くばかりで。
悲しいのに美しく、残酷に思える世界なのにポジティブで希望に満ちている。
自分は兎なのに両親は兎ではなく、周囲の兎から異常であることを指摘され、兎である主人公は自分のために旅に出る。
自分を知るために。
英語が話せない日本生まれのハーフであるシェリハ少年は自分と重ね合わせ、とりこになった。
口許に笑みを浮かべ、色紙を取り出して彼女は紙の上にペンを走らせた。
彼女から見ればただの落書き、きっとスクラップの価値だろう。
月明りに照らされた兎が闇の中に立っている。
ペンの色は黒なのにひどく優しい気持ちになるのはなぜだろう。
「坊や、お名前は?」
「シェリハ」
そう言うと彼女は完成した色紙に《シェリハ》と描くと、すっと手渡した。
喜々とした声を上げ、目を輝かせる少年を見て、彼女は少年の中に自分が子供であった頃を思い出した。
そして自分の仕事は何の為にやっているのか。
まだ何色にも染まらない子供の想像力を養う手伝いをすること。
そして夢を与えること。
「シェリハ、可愛いファンに出会えて今日の私は上機嫌だから、受け取ってもらえる?」
「うん、すごく嬉しいよ!」
「あなたくらいの年ではまだわからないかもしれないけれど、大人になったら夢見ることを忘れてしまう人もいるの。
“夢”を見ることは素敵なことなのに、辛いことになってしまう…余裕がなくなっちゃってね」
眉を下げ、微笑む姿は悲しみの色を映していた。
まるで絶望の淵に立たされたように。
世界で独り残されたように。
外を見るとオレンジに染まった空が姿を見せていた。
もうじき月と星が姿を見せる頃だろう。
ずっとその場にいたかったが、シェリハが時計を気にしだしたのでそろそろ帰さなければと思った。
当の本人は帰る気はないらしく、SEINAの顔をじっと見つめている。
「シェリハ、もう夕方だから帰りなさい」
「え〜…」
「もう遅いし、妹さんがいるんでしょう?
なら早く帰らないとね」
シェリハは頬を膨らませてSEINAを上目遣いに見た。
甘えればまだいれると思ったのだ。
だがそれは叶わず、夢の瞬間となってしまった。
だが心配させたくはないので、仕方なく帰る事にした。
「わかった。また会えるよね?」
「会えるわよ。シェリハ、頑張ってね」
「うん!」
屈託のない、まるで太陽のような笑顔を浮かべてシェリハは帰っていった。
この思い出の一欠片が青年となるシェリハ少年の心に深く焼き付けられた。