〔2〕
目を覚まして時計を見ると、既に午後三時を過ぎていた。
どおりで腹が空いたはずだ、昼飯も食べずに寝ていたんだからな。体温を測ってみると、三十六度八分。かなり下がったけど、お陰で関節が痛い。
のろのろと起き出し、普段着に着替えてリビングに降りた。冷蔵庫からスポーツドリンクを出し、ボトルに口を付けて飲み干す。テーブルの上には、オニギリと並んで俺の好きなパイナップル缶が置いてあった。
「ちぇっ、せめて器に入れとけよな」
文句を言っては見たが、少し嬉しい。缶切り不要の蓋を開けて食器棚に手を伸ばすと、ガラス器の反射光に何かを思い出しかけた。
「……何だっけ?」
手を止めて考えてみる。しかし、解らなかった。
諦めて器を取り出し、テーブルに置く。
「やっぱ、デザートは後かな」
オニギリを一つ頬張り、スポーツドリンクで腹に流し込んだ時に玄関チャイムが鳴った。
「ふぁ~い」
口の中のご飯粒を、急いで飲み込む。多分宅配便だろう、ハンコは確か下駄箱の上だったな。
しかしドアを開けた俺は、目の前の人物に狼狽えた。
「あのっ……こんにちは」
そこにいたのは、木ノ原瞳子だった。
消え入りそうな声の挨拶に、俺も慌てて言葉を探す。
「えっと、どうも……なんか、用?」
取り繕った言葉が不機嫌そうに聞こえたのか、木ノ原はちょっと泣きそうな顔になった。
しまった、そんなつもりじゃなかったんだけど……。
「うん、吹奏楽部の活動予定表を届けに来たの。それでついでだから、今日の宿題プリントも預かってきた。提出は来週でいいって」
木ノ原が手渡してくれたのは、吹奏楽部の来月の活動予定と英語のプリントだった。あの英語教師、容赦がないな。
「ありがとう」
「それから、迷惑でなかったら……」
プリントを受け取ると、木ノ原は怖ず怖ず小さな紙袋を前に差し出して俯いた。
受け取った白い紙袋は、表面が加工してあるのかキラキラ虹色に光っている。
昆虫の羽のような、雲母の欠片のような輝きに、また何かを思い出し掛けたけど……何だったかな。
「これ、もしかしてチョコレート?」
「……」
木ノ原は、真っ赤になって両手で顔を覆った。白くて、ちょっとふっくらした指に絆創膏が貼ってある。
「指……怪我してるの?」
「あ……、ゆうべ火傷しちゃって……」
「アルトサックス、演奏できないじゃん」
「平気、たいしたことないもの」
手を後ろに隠すようにして、木ノ原が微笑んだ。
つんとした鼻、柔らかそうな唇、少し赤らんだ白い頬、子犬みたいな黒目がちの瞳……。
心臓が早鐘を打ち、顔が熱くなる感覚に俺は戸惑った。
この感じ、覚えがある。
「まだ熱があるんだ、赤い顔してる。早く良くなってね、じゃあ……」
「待てよ」
振り返った木ノ原の、少し茶色掛かったポニーテールがクルンと揺れた。
「特効薬、もらったからもう大丈夫。ありがとう……な」
驚いたように目を見開き、それから木ノ原は嬉しそうに笑った。
その笑顔の周りに、キラキラした欠片が瞬くように散るのが見えた気がした。
おしまい