偶然の遭遇、必然の邂逅
――――紅魔の森
紅魔の森へたどり着いたアルハ達は馬車から降り徒歩で森の中を進んでいた。
アルハは行き先をよく知らなかったので、地図とコンパスを片手に歩くムースの後に続いていく。
途中あまりに暇だったので昆虫採集をしたり鼻歌を歌い出したりして、ムースにきつく睨まれたため、今は大人しく彼女について歩いている。
「なぁ、俺達どこ向かってんだ?」
「古い炎の神様を奉る遺跡らしいです。最近魔女の目撃情報があったのはそこで……ってこれもお城で大臣さんが言ってたんですけどね」
「遺跡? 魔女はそんなところに何の用なんだ?」
「それはわたしが知りたいですよ。なんでも昔、この一帯を燃やし尽くした火の神様の怒りを鎮めるために建てた遺跡らしいですけど、真偽のほどはわかりません。そういえばレイムロットの伝承と関連づける学者もいた気がします」
「へぇ~、火の神様ねぇ……」
「どうかしましたか?」
「俺も昔、火を吹くトカゲを見たことがあるのを思い出してさ。地元の人がこれは神様の化身に違いないって言ってたなぁと思って」
「トカゲが神様って……ちょっと笑っちゃいますね」
「だろ?」
指摘を受けてもっともな話だと笑い出す。
ムースはアルハの言動に少しは耐性がついてきたようで、この程度で頭を抱えるのはもうやめようと思うようになっていた。
馬車の中でもそうだったが、アルハには気負いや緊張といったものが全くと言っていいほど感じられない。どんなときでもリラックスして自分というものを崩さない。そういう類いの人間なのだろう。
一方、自分はというと非公式とはいえ、初めての星天従士としての任務に気張りすぎているように思える。
もしかしたらアルハのこの能天気な振る舞いは、そんな自分の緊張をほぐそうとしてくれているからなのではないだろうか?
(……クローバーさんに限ってそんなことあるはずないか)
ムースがそう思っていた矢先のことだ。
「待て」
背後からの緊張した声にムースは立ち止まる。
振り返るとアルハの表情は先ほどまでとは別人のように引き締まっている。自然とムースも周囲を警戒する。
「なんですか?」
「何か来る」
「何かって一体……」
ムースの問いかけにかぶせるようにアルハが空を見上げ叫んだ。
「上だ!」
その瞬間、とんでもない速さで何かが二人の前に降ってきた。
落下の衝撃は周囲の草木を激しく揺さぶり、重い落下音が腹の底まで響いてくる。
飛来した物体は何本もの木々をなぎ倒し、二人から少し離れたところで勢いを止めたようだ。
もうもうと立ちこめる砂煙によって飛来物の正体は視認できない。
「な、なんですか今の⁉ 大砲の弾ですか⁉」
「一瞬でよく見えなかったけど俺には人に見えた」
「……こんなときまで冗談言えるなんて余裕ですね」
冗談ではないとアルハが口を開こうとした時、土煙の奥で何かが動いた。
「クソ、あの女頭イカれてんじゃねぇのか⁉」
続いてガラの悪い男の声が聞こえてくる。
一陣の風と共に次第に晴れていく視界。
「……な?」
「ホントに人ですね……」
目を疑う二人の前に現れたのは、獣のように獰猛な眼つきの灰色の髪の男だった。
◆
先刻フランベルに文字通り突き飛ばされた元殺し屋の男は、紅魔の森の上空を砲弾よろしく吹っ飛ばされることになった。
落下の瞬間着地のために体勢を整える事には成功したものの、勢いを殺し切ることはできなかったため、だいぶ派手な着地になってしまった。
着地の衝撃で舞い上がった埃やら木の葉やらが容赦なく身体に降り掛かってくる。
「クソ、あの女頭イカれてんじゃねぇのか⁉」
それらを払い落としながら憎き暴力女への悪態をつく男。
彼女に対する怒りも勿論だが、生意気な女にいいようにやられて手も足も出せない自分自身へのやり場のない怒りが、さらに彼のストレスを肥大させていた。
フランベルへの怒りが膨らむほど自分自身への、そして理不尽な現実への怒りが膨張し、爆発しそうになっていくのがわかる。
今にも叫び出しあらゆる物を破壊し尽くしてしまいたいような衝動をどう処理すべきか、本能に問いかけようとしたところで、眼前に見知らぬ男女がいることに気付き足を止めた。
「あ?」
(誰だこいつら?)
森の中には似つかわしくない、身なりの整った少年と少女。
真っ先に思い浮かんだのは女の方が、フランベルの探している魔女なのではないかということだったが、どう見ても魔女という雰囲気ではない普通の少女なのでそれはなさそうだと否定した。
物好きなカップルがこんな森の中にキャンプにでも来たのだろうかと思った男だったが……。
(へぇ……)
金髪の少年を見て嬉しそうに心の中で感心の声を漏らす。先ほどから自分の様子を注意深く観察し、緊張と警戒の糸を少しも緩めていない。少年の視線の動き、警戒の度合い、張りつめた空気から彼が相当な実力者だと判断する。
(ん? ありゃあ……)
思案を続け睨むように二人を観察していた男はあるものの存在に気付いた。
二人が左胸につけている胸章、その紋がローゼルク王国騎士団のものであることに。
ローゼルクの人間がどうしてこんなところに、という新たな疑問が生まれたが、森に入ってから聞いたフランベルの言葉が頭に浮かんできた。
―――そういえばあの情報屋『アンタらも王子目当てか』とかわけわかんないこと言ってたわね。
魔女。ローゼルクの人間。そして王子。
事件の全容を把握するにはあまりに乏しいキーワードだったが、これらの言葉が深く密接に結びついているであろうことを男は確信した。
そして思う。
こいつはちょっと楽しめるかもしれない、と。
◆
「えーっと、大丈夫か? 見たとこ怪我はしてなさそうだけど……よかったら何で空から降ってきたのか話を聞かせてくれないか?」
空から落ちてきた人間が無傷ということはどう考えてもおかしな話なのだが、アルハはまず目の前の人間の情報を得ることが先決だと判断し、声をかけてみることにした。
「どうだっていいだろう。どこの誰とも知らねぇテメェらには関係のねぇ話だよ」
あえて爛々とした敵意を放ち男は返答する。
自分の挑発に対する相手の反応を窺おうという狙いだったのだが、少年はそれを何食わぬ顔でひらりと躱してみせた。
「むむ、それもそうだな」
「納得しないで下さいよ!」
神妙な顔で頷くアルハにムースがすかさずツッコミを入れる。
彼女にも男がただ者でないということはわかっていた。外見や振る舞い、纏う空気だけで彼が表の世界の人間でないとわかる。
だが、それ以上に彼を見ていると自分の中の何かがざわめく。本能的な何か、動物的と言い換えてもいい、背筋の凍るこの感情の正体は……。
「わたし達はローゼルク騎士団の者です。失礼ですがあなたの素性と目的を正直に答えて下さい。答えによってはわたし達もそれなりの対応をとらなければなりません」
感情の正体から眼を逸らすように事務的な強い言葉で質問を投げかけた。
「名乗るような名前はねぇが目的は……そうだな、強いて言えば」
男はムースの脅しとも言える問いに怯むでもなく、ゆっくりと言葉を吐き出す。聞き取りやすいようにあえてゆっくりと、はっきりとした口調で。その口元を歪めながら。
「……王子様を探しにってとこかな」
勿論、男はハインス王子の誘拐事件など知りもしない。断片的なキーワードを元に、この回答が彼らの反応を伺うのに最も効果的なものだと推測した結果の返答だ。つまりかまをかけたのだ。
「?」
男の答えにアルハは驚きこそしたが、今回の任務が極秘であるという性質上、ここで反応してしまっては事件の存在や、この場所に魔女やハインス王子がいる可能性を示唆することになりかねないと考えとぼけてみることにした。
彼の判断は正しかったのだが……。
「⁉」
男の返答にムースの顔色が一瞬で変わる。
(まさか情報にあった暗殺者じゃ……!)
どうしてそのことを。と顔に書いてあるように見開かれる少女の瞳。
場慣れしていない少女にとっては、アルハのようにとっさの判断ができずとも仕方ないことではあるが、彼女のあまりに正直な反応を横目で見ていたアルハは小さく苦笑いした。
「正直すぎるのも考えものかもしれないな」
◆
(やっぱりそうか)
ムースの表情を見て、賭けに勝利したことを確信した男。
王子という単語を出してから、少女の警戒心がぐっと跳ね上がったのが丸わかりだ。
緊迫し始める空気の中で、男の心の奥ではふつふつと熱い何かが沸き上がっていた。ギラギラと輝きを増すその眼は、獲物を前にした肉食獣のようでもあり、新しい玩具を手に入れた子供のようでもある。
「で、どうすんだ? 返答次第じゃそれなりの対応ってやつをとってくれるんだろ?」
安っぽい挑発の言葉。馬鹿正直で真面目な人間には、挑発の言葉が単純であればあるほど効果的なことを男は知っていた。
「……そうですね、詳しく話を聞かせてもらうとします」
そして単純な挑発にまんまと乗ってしまう馬鹿正直で真面目な少女。
◆
身構えるムースの隣では、アルハもまた腰に差した剣を音もなく抜いていた。
「やれやれ、俺は荒事は嫌いじゃないけど……大丈夫か?」
身を案ずるような問いかけに、ムースは自分の力量を心配されているのだと受け取る。
「心配には及びません。わたしはローゼルクの星天従士です」
自分自身を鼓舞するために語気を強めてそう返したが、アルハからの答えは彼女の予想とは違っていた。
「お前の実力を疑ってるわけじゃない。むしろ評価してるから言ってるんだ」
「どういうことですか?」
「……この男、想像以上に強いぞ」
◆
身構える二人の前で男は高揚を抑え切れずにいた。
そう、それでいいんだよ。楽しくなってきたぜ。
オレに敵意を向けてこい、オレに害意を向けてこい、オレに殺意を向けてこい。
全部全部オレがブチ壊してやる。
「ククク……それが答えか」
抑えきれない感情が溢れ、いつしか笑い出していた。
理不尽だろうがどうでもいい。今の男にとって二人は爆発寸前の感情を解放する捌け口でしかなかった。
(こっちはなぁムシャクシャしてんだよ。うるせー女にこきつかわれて、そいつに手も足も出せずにいいようにやられて、首輪で自由を奪われてよ。このオレが……このオレがだぞ?)
ふ ざ け ん じゃ ね え !!
男の高まり続けた憤怒の感情がついに弾けた。
自身へ敵意が向けられたことによって、やり場のない怒りの矛先を、目の前の無関係な人間達に向けることを正当化する。
(オレはな……何も考えずに殴って蹴って潰して折って砕いて叩いて壊して暴れて殺してぇんだよ! そうしてる時だけがこのどうしようもねぇクソみたいな現実を忘れられる! 生きてるって感じることができる! だからただそれだけのために、そうやって生きてきたんだ! まさに今みたいに!)
左半身を前に出し低く身を屈める。
前方へ突き出し獲物へと狙いを定める左手は鋭利な爪、腰の位置で構えた右手は骨肉を絶つ牙。
特徴的な男の戦闘態勢の構えは、どことなく獲物へと襲いかかる獅子を連想させた。
「なぁ、お前ら……せいぜいオレを楽しませてくれよ⁉」
叫ぶと同時に男は地面を蹴り、目にも留まらぬ速さで二人へと飛びかかった。
一匹の猛獣は、激しい苛立ちだけを胸にその拳を振るう。