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猛獣は縄張りに踏み入る者に牙を向ける

――――紅魔の森


「きゃああああ‼」


 森の中に響くのは若い女の叫び声。


「ガアア‼」


 そして獰猛な獣の雄叫び。


「もう! なんであたしがこんな目に遭わなきゃならないのよ!」

「ガウガァ!」

「こっち来るなって言ってんでしょうがー!」


 アルハ達が馬車を降りた頃、魔女を探して森の中をうろついていたフランベルはうっかり野獣の縄張りに入ってしまったらしく、執拗に追いかけ回されていた。

 刀剣のように鋭い牙を持つこの野獣は、熟練の猟師でも恐れるという巨大な虎の一種である。非常に好戦的な性格であり、毎年何十人もの人間が彼らの牙の餌食となり命を落としている。同種の中でも彼はかなり大きい部類なので、この森の主と言える存在なのだろう。


「なにやってんだアイツ」


 必死の形相で虎と追いかけっこを繰り広げるフランベルを、護衛役であるはずの灰髪の男は呆れながら眺めていた。

 彼の現在の立場を考えれば彼女を助けて然るべきなのだが、そしらぬ顔で煙草をふかしている。


「ウォルフ! アンタ見てないで助けなさいよ!」

「お前が勝手にそいつの縄張りに入って勝手に追いかけられてるだけじゃねぇか。あとオレはそんな名前じゃねぇ」

「絶体絶命の女の子を見てそんなこと言う⁉」

「ガアアァァ!」

「ちょ⁉ 危なっ! 今かすったわよ⁉」


 死にもの狂いで猛獣の追走を躱していたフランベルだが、さすがに体力の限界を迎えていた。

 残った力を振り絞り男に走り寄ると、息を切らしてその背に身を隠す。


「ほ、ほーら、食べるなら先にこの無愛想な男にしなさい。あたしなんか食べても美味しくないわよ」

「肉は女子供の方が柔らかくて美味いって聞くけどな。……お前は不味そうだが」

「うっさい! てゆーかアンタはさっさとあたしを助けなさいよ! この役立たず!」


 文句を言いながら男の背の肉をつねってやった。


「ぐあ‼」


 背筋から全身を駆け巡る激痛に男は溜まらず苦痛の声を漏らす。


「グルルル……!」


 フランベルを仕留めようと大虎は喉を鳴らして近付いてくる。

 元の狙いはフランベルだが、男が間に入ったことで猛獣の標的は彼に移った。


「……なんだ、今度はオレを食おうってのか?」


 殺気がフランベルから自分に向いたことを感じ取ると、言葉の通じない相手に男はそう投げかけた。


「グルル……」


 ズボンのポケットに両手を突っ込み煙草をくわえる男の姿は無防備としか言いようがない。

 しかし、猛獣は男に襲いかかることができなかった。

 飛びかかればその巨体は一瞬で男の身体の自由を奪い、首の骨を噛み砕くことができるはずだ。

 だというのに長く野生の中で生きてきた動物の勘が、目の前の生物を見て警鐘を鳴らし続けていた。姿形は人間にしか見えないが人間とは思えない凶悪な何かを感じる。


「この女を助けるつもりはねぇが……」


 煙草を吐き捨て男は獣の眼で猛獣を睨みつけた。


「オレを食おうってんなら話は別だ」


 瞬間、凄まじい殺気が周囲の空気を揺らした。

 鳥達は怯えて飛び去り、動かぬ木々さえ逃げ出そうとしているようだ。

 森の主は間近でその殺気をぶつけられ恐怖に身を竦ませていた。

 今まで縄張り争いで、時には同族と、時には自分より大きな獣と闘ってきた彼だが、目の前の生物は明らかにそれらとは別次元の強さを持っている。

 彼の野生の本能が今すぐ逃げろと悲鳴を上げる。男の放つ殺気に萎縮した筋肉もこの場から逃げ出すために勝手に動き出していた。


「クゥン……」


 密林の覇者は生涯で出したこともないようなか細い鳴き声を上げると、一目散にその場を後にした。


「ったく、猫ごときがオレに喧嘩売ろうなんて七代早ぇっての」


 殺気を引っ込めた男は敗走する猛獣の後ろ姿を見て一人呟く。


「い、行った?」


 男を盾にしていたフランベルは恐る恐る顔を出して状況を確認する。

 周囲に自分を追いかけ回していた猛獣がいないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。


「ふぅ、助かった~……。なんだかんだアンタもちょっとは役に立つじゃない」


 男を盾に使ったことについては罪悪感の欠片も感じていない様子で、フランベルは男の背を何度も叩く。

 加減がわからないため男にとっては叩かれる度にかなりの痛みがあったのだが、悶えるほどの激痛ではなかったので表情には出さずなんとか耐える。


「別に、あの猫がオレを食おうとしてたから追っ払っただけだ。お前に礼言われる筋合いはねぇよ」

「でも、結果的にあたしは助かったんだからアンタはあたしの役に立ったのよ」

「勝手にしやがれ」


 ぶっきらぼうに返して歩き始めた男の背中へ少し低い声でフランベルが言う。


「ねぇ、ウォルフ」

「だからオレはそんな名前じゃねぇって……」

「アンタそんなに他人に関わるのが怖いの?」

「……あ?」


 何のことだ、と眼で訴えフランベルを睨む男だったが内心動揺していた。

 どうして彼女の言葉が彼の心の奥底を揺らしたのかは彼自身にもわからない。

 怖いものなど何一つとしてない男には、当然他者を怖いと感じたことなど一度たりともない。

 だが、その言葉は鋭利な刃物のように彼の心の深い深い場所にぐさりと刺さった。傷口からは生暖かい何かが染み出し溢れ続けている。


「アンタって全然他人に近付こうとしないわよね。まるでさっきの虎みたいに俺の縄張りに入ってくるなって身構えてるみたい」

「…………うるせぇよ」


 またも男の心の奥にナイフが突き刺さる。殴り合いの喧嘩ならまだしも、言葉の刺突に男はどう返していいのかわからず、稚拙な拒絶になってしまう。


「名前がないっていうのも他人と関わりたくないからなんじゃないの? 他人との間につながりが出来るのが怖いんでしょ」

「うるせぇって言ってんだよ、さっきからわけのわかんねぇことをごちゃごちゃと!」


 フランベルの一方的な解釈に我慢できなくなった男は激昂し、彼女へ詰め寄ると胸ぐらを掴んで吠えかかった。


「オレが! このオレ様が‼ 他人が怖いって⁉ 笑わせんじゃねぇ! 知ったような口利きやがって、てめぇに何がわかるってんだ‼ あぁ⁉」


 絞め殺すつもりで胸元に掴みかかっている男だが、首輪の効力でフランベルにとっては痛くも痒くもない。

 しかし、男の迫力は別だ。先ほど猛獣に追いかけられた時とは比べ物にならないほどの敵意が彼女に襲いかかる。

 それでもフランベルは男から視線を背けなかった。その気になれば男の手を振りほどくことなど雑作もないことだったが、彼女は手を出そうともしない。


「アンタのことなんてあたしにはわかんないわよ」


 男の心を見透かすかのように真っすぐに瞳を見つめてくる。

 彼女の眼差しに男は狼狽える。今まで彼の眼を、いや、彼の心を見て話をしてきた人間は一人もいなかった。

 眩しいその眼差しは今までフランベルに受けてきたどんな仕打ちよりも痛かった。


「アンタの『オレは一人がいいから構うな』って態度が気に入らなかっただけよ」

「……だったらなんだってんだ?」

「別に、ただ…………」


 フランベルが何か言いかけたところで小さな影が頭上から降ってきた。


「きゃあああああ⁉」


 その影を見たフランベルの絶叫で問答は中断される。

 男も驚いて何事かと彼女の視線の先を追うと、男の胸の辺り、ちょうどフランベルの顔の先に拳大の蜘蛛が這い回っていた。

 木の上から落ちてきたこの蜘蛛が先ほどの影の正体なのだろう。


「でかい声出すんじゃねぇよ、ただの蜘蛛じゃ……」

「いやあああああ! 離れなさいよ馬鹿あああああ!」


 蒼白な顔を引きつらせたフランベルは男の身体を力一杯押し飛ばした。


「な、ああああああああぁぁぁぁ⁉」


 力加減などない、正真正銘全力の突き飛ばし。

 それはまるでサーカスに出てくる人間砲弾のようだった。

 風を切り、重力に逆らい人間砲弾は空を飛ぶ。

 放物線を描いてなす術もなく大空を舞う男。

 紅魔の森の深緑の木々達と白い雲の浮かぶ青空とが視界の中で入り乱れる。

 鳥のように風を感じ、男は一つの決心をした。



 ―――あの女絶対ぶっ殺してやる―――。



「あ……やっちゃった……」


 男の叫び声が聞こえなくなってからフランベルはようやく冷静さを取り戻した。


「ま、まぁいいか、あいつ丈夫だし死にはしないでしょ」


 冷静になったとはいえ自身の行いを悔いているわけではないようだ。

 男とはぐれることにはなったが、どうせしばらくすれば首輪の効果でフランベルの元に男は強制的に戻ってくる。

 慌てて探しに行かなくてもここで待っていればいい。 


「ったく世話が焼けるわね」


 一人きりになって改めて森を見渡してみた。

 薄暗い森は言いようもない不気味さに満ちており、遠くからは猛獣の鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。

 男と一緒にいる時は気にもしていなかったが、虫や鳥、動物達が木陰の闇の中を蠢く様子は、うら若い乙女には堪え難いほど薄気味悪いものだった。


「…………アイツが飛んで行ったのってあっちの方角よね」


 今しがた自分が男を突き飛ばした方位を確認すると、極力周りを見ないようにして早足で歩き出した。


「ウォルフー‼ アンタ奴隷のくせに主人のあたしを置いてどこ行ったのよ! 出てきなさいよー!」


 理不尽極まりないことを叫びながら、飼い主は飼い犬を探して森を進む。

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