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狂気と正気

――――某国・ある湖畔の屋敷


「あの……」

「どうしたの? もしかしてウィーグ魚は嫌いだったかしら?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけれど」

「そう、ならよかったわ」


 決して大きくはないが造りの立派な屋敷。家具や調度品は上質な物で揃えられており、貴族の屋敷と言っても遜色ないほどの雰囲気である。

 静かな湖畔に建つ優美な屋敷の食堂で、小国の王子ハインスは遅めの昼食をとっていた。

 王子の眼前には豪華な食事が並んでいる。白身の高級魚であるウィーグ魚をはじめ、どれもが王宮の食事にも引けを取らない一品だ。

 彼と長テーブルを挟んで食事を楽しむのは、自らを『黄昏の魔女』と名乗る女性だった。

 魔女と名乗ってはいるが童話に登場するような骨と皮しかない老婆ではなく、グラマーで色っぽい体つきをしていた。歳の頃は二十代半ばから後半といったところに見えるが、白く美しい柔肌を見れば二十歳前後だと思う者もいるだろう。

 舞踏会でもそうそうお目にかかることは出来ない美女に、ハインスは昨晩誘拐されこの屋敷を訪れていた。

 魔女の屋敷に来てからハインスは部屋を一つあてがわれ、特に拘束を受けるでもなく、むしろ客人のように丁重に扱われていた。

 屋敷には魔女の他に召使いと思しき老婆が一人おり、彼女が自分の身の回りの世話をしてくれていた。食卓に広がる手の込んだ料理も老婆が用意したものだ。

 王子という立場上、ハインスは豪邸や王宮に数えきれないほど招かれたが、その中でもここでの待遇はかなり上位の部類に入る快適さであり、それが彼を混乱させる原因でもあった。


「えぇと……」

「まだ何かある? 紅茶よりコーヒーの方がお好みだったかしら?」

「いえ、僕も紅茶が好きなんですけどね」


 王子は紅茶を一口飲むとようやく本題を切り出した。


「いい加減教えてくれませんか? 貴女の目的が一体何なのか」


 長く細い息を吐き気持ちを落ち着けると、冷静に頭の中の情報を整理しながら言葉を続けていく。


「超一級国際犯罪者とされる狂人『黄昏の魔女』がどうして僕なんかの誘拐をしたのか、その理由をね」


 魔女の眼を真っすぐに見つめながら王子は低い声で言った。


「あら、私のことを知っているの?」

「知らないとは一言も言っていませんが?」

「それもそうね」


 苦笑する魔女をよそに、ハインスは自らの知る黄昏の魔女についての知識を淡々と語り始めた。


「黄昏の魔女が初めて現れたのは今からおよそ十年前、ベインハン王国の第一王女ルナ・カトレア・ベインハンの誘拐をしたのが最初の犯罪とされています。それ以降、国宝級の美術品の盗難、大規模な破壊活動、無差別大量殺人など黄昏の魔女にかけられた嫌疑は百を超える。常軌を逸する危険な言動故に『最狂の貴婦人』とすら称される超一級国際犯罪者……それが黄昏の魔女です」

「……博識なのね」

「知識の収集はただの趣味みたいなものですよ。僕の身分を利用すればほとんどの情報を知ることが出来ますからね」


 普通に会話をしているハインスだが魔女への警戒を怠らない。各国の憲兵団が躍起になって捉えようとしている大犯罪者が目の前にいるのだ、常人なら怯えてまともに話すらできないだろう。


「貴女は言いましたね、僕がレイテムリアのハインスであることを知っていて誘拐したと」

「そうね。誘拐したとは言ってないけれど、貴方がハインス王子だということを知っているとは言ったわ」

「だとしたら僕への対処があまりにずさんすぎます」

「精一杯おもてなししているつもりだったのだけれど、王子様のお気には召さなかったかしら?」

「そういう意味ではなくですね……」


 短く溜め息を吐くと、ハインスは懐から通貨を一枚取り出した。それを指で弾くと綺麗な弧を描いて硬貨は宙を舞い、魔女の背後の床へと落ちる。

 するとコインが床に落ちる小さな音が聞こえた瞬間には、彼の姿は椅子から消えていた。

 忽然とその場から消えた王子だが魔女は微塵も取り乱してはいなかった。


「僕がこういう魔法を使えるということもご存知なのでしょう?」


 背後からハインスの声が聞こえたので魔女はゆっくりと振り返る。

 するとそこには先ほど消えたはずのハインスが立っていた。


「『空間転移魔法』ね。難しい魔法なのによく覚えたわね、それに上位魔導士も顔負けの発動速度だわ」

「……争い事は苦手ですが、護身のためにこの魔法はそれなりに修練を積みましたから」


 ハインス・デルフィード・ムリアは『空間転移魔法』という高等魔法の使い手だった。対象となる人や物を任意の地点に瞬時に移動させる魔法。いわゆる瞬間移動というものだ。

 距離や術者の力量によって空間転移に要する時間は変わってくるが、一瞬にして空間転移を成功させたハインスの力量を魔女は素直に賞賛していた。

 人体の空間転移には、転移先となる場所に、転移魔法の使用者が自身の魔力によって造り出した目印である『魔力印』を必要とするのが一般的だ。ハインスは硬貨に魔力を込めることで魔力印として使っているのだろう。


「ご覧の通り僕が転移魔法を使えばいつでもこの屋敷から抜け出すことができる。それこそ今すぐ城の自室に帰ることだって雑作もない。なのに僕に封印魔法をかけるでも拘束魔具をつけるでもない……これではいつでも逃げて下さいと言っているようなものじゃないですか」

「必要ないもの」

「必要ない?」

「そうよ。だってこうして貴方は自分の意思でここにいるじゃない」


 魔女はにこりと笑ってみせた。彼女の答えを聞いて、ハインスは相手に本当に話が通じているのかと不安になってくる。


「僕がまだこの場所にいる理由……それは気になるからですよ」


 いつの間にか王子は空間転移により元いた席に戻っていた。

 まだ温かさの残る紅茶を一口すすって喉を潤すと話を続けた。


「貴女がこんな僕に一体何の用があるのか、ずっと考えていたのですがさっぱりわからない。いい加減貴女の目的を聞かせてはくれませんか?」


 回りくどい腹の探り合いなど無意味だと考え、王子は単刀直入に魔女に尋ねた。

 無論、いつ魔女の機嫌を損ねて自分が殺されるかわからないという恐怖もある。

 だが、目の前の不思議な女性がちっぽけな自分にどんな目的で近付いたのか、その理由を知りたいという思いの方が遥かに勝っていた。

 それにハインスには、魔女と恐れられるこの女性が、その時の気分次第で人を殺すような危険人物には思えなかったのだ。


「そうねぇ……」


 魔女は顎に人差し指を当てて答えを考えていたが、やがてぽつりと言った。


「友達になって欲しかったのよ」

「……はい?」


 予想外の答えにハインスは思わず聞き返す。

 どういう意味なのか問おうとしたが、今度は黄昏の魔女が王子に問いを投げかけてきた。


「ねぇ、王子様? 芸術の単位ってなんだと思う?」

「単位?」

「そう単位よ。重さや距離、大きさを表すのに人は単位を使うでしょ? それと同じよ」


 ハインスが魔女と初めて言葉を交わした時もそうだったが、彼女には会話が飛躍してしまう癖があるようだ。

 そんな彼女に呆れつつも、ハインスは前と同じようにしばしの沈黙の後に答える。


「……単位というものは万人に公平に対象物の数的な大小を表すために存在するものです。感性が人によって異なる芸術という曖昧な概念を数値化することなどできはしない。ですから芸術には単位など存在しません」

「んん~、貴方って本当に私の思った通りの答えを返してくれるのね」


 待ってましたと言わんばかりに魔女は笑みをこぼす。


「でも残念、外れよ。芸術には確かに単位があるのよ」


 彼女は手にしていた食器をテーブルに置くと静かに席を立った。

 ハインスの方へゆっくり歩み寄りながら語り続ける。


「芸術の単位、それは『人』よ」

「人……ですか?」

「そう、その芸術に心動かされる人の数、それこそが芸術の単位であり、芸術を芸術として成り立たせる定義なのよ。例えただの泥だんごでも、美しいと思う者が一人でもいればそれは確かに芸術となる。逆にどんなに手の込んだ絵画であろうと、他人の心を動かせないならそれは作者によるただの自己満足でしかない。芸術という概念を支える根幹にあるもの、それは感動というシンプルな感情なのよ」

「だから芸術は感動する人の数によって単位化することができる……そう言いたいのですか?」

「そういうこと。もっとも貴方の言うように、数値の大小だけで芸術の優劣が決まったりはしないから、厳密には違うのでしょうけれどね」


 ハインスのすぐ隣まで来た魔女はぐっと顔をハインスに近付ける。

 吐息がかかろうかという距離で魔女の紫苑の双眸に見つめられ、ハインスは思わずたじろいでしまった。

 それは犯罪者に対する恐怖心によるものではなく、一人の女性として彼女があまりに魅力的に見えたからだ。

 星屑を集めたように透き通る銀髪から醸し出されるハーブのような独特な香りが鼻孔を刺激する。瑞々しい唇に否応なく視線が引き付けられ思わず目を逸らすと、ちょうど前傾姿勢になっている魔女の胸元が視界の端で色っぽく存在を主張していた。


「……なんですか?」

「貴方、画家のメイヘン・コットンは知ってるかしら?」

「メイヘン・コットン……『純白の画匠』ですね?」


 その名前を聞いて王子はすぐに一人の画家を思い浮かべた。


「数百年前の男性画家で、詳しい経歴は不明。現在発見されている彼の絵画は非常に高い美術的評価を得ており高値で取引されている。代表作に『雪原を往く姉妹』、『大霞』、『水を飲む白馬』などがあり、白を基調とした作品が多いことから『純白の画匠』の名で親しまれている」


 メイヘン・コットンは印象派の高名な画家だ。誰でもその名を知っている超一流の画家というほどではないが、美術の教科書に必ず名前が載っているくらいには知名度がある。


「ふふ、貴方がいれば辞書いらずね」

「お褒めに与り光栄です」

「メイヘンは好き?」

「『水を飲む白馬』と『峡谷』が」

「趣味が合うわね」


 魔女はハインスの返答に微笑みで答えると、どこからともなく一本の箒を取り出した。上質な造りだが別段変わったところもない、どこにでもあるような普通の箒だ。

 取り出した箒に腰掛けると、魔女と箒は音もなく宙へ浮かんだ。


「浮遊魔法……」


 魔女が宙に浮かぶ様を見て、それが浮遊魔法によるものだとハインスはすぐに理解した。空間転移魔法と同じく高等魔法に区分される浮遊魔法を、予備動作も詠唱もなく難なく発動させていることから、魔女の魔導士としての実力が並外れていることが伺えた。

 食堂の広い吹き抜けを、滑らかに舞いながら魔女は言う。


「確認されているメイヘンの作品で一番古いものは『雪原を往く姉妹』。それ以降の作品は雪、雲、白波のように必ず白の美しさを描く内容になっているわ」

「ええ、彼の描く繊細な白は究極の白とすら称されていますね」

「その通り。でもね、メイヘンは元来純白の画匠なんて言われるような画風の持ち主じゃなかったのよ」

「どういう意味ですか?」


 魔女の言葉の意味がわからずハインスは問いかける。


「彼が雪原を往く姉妹を描く前……画家として評価される前の作品がいくつか残っているの」

「!?」


 巨匠の最初の作品と言われていたものより前の作品が存在していたという美術史を揺るがしかねない事実。

 魔女が出鱈目を言っている可能性も勿論あるのだが、もしそれが本当だったらと考えると、ハインスは純粋な好奇心から、メイヘンが一体どんな絵を描いていたのか知りたくなった。

 魔女も彼の心情を察したようで満足そうに笑うと指を鳴らしてみせた。

 それを合図に何かが爆発したような軽い破裂音といくつかの白煙があがる。物体を空間転移によって任意に召喚する魔法によるものだ。

 しばらくして煙が晴れると食堂の吹き抜けには十数枚の絵画が整然と浮かんでいた。


「これが……?」

「そう、これがメイヘン・コットンが純白の画匠となる以前の作品達よ」


 自らの眼に飛び込んできた幾つもの絵にハインスは言葉を失った。

 衝撃的な絵画達がそこには並んでいた。

 うねり燃える炎の渦、焼けただれた身体で叫ぶ人々、黒炭となって死に絶えた家畜達、果てしなく広がる荒野……。

 過激な筆使いが見えるかのような荒々しいタッチで描かれたそれらの絵は、繊細な美しい白を描く画家メイヘンのものとは到底思えない。

 しかし、ところどころに見えるメイヘン・コットンの画家としての癖から、それが彼による作品であるとハインスは確信していた。


「…………」


 激情の権化とも言える真っ赤な絵画達を前にして、ハインスの心は真っ白になっていた。

 『衝撃』としか言いようのない感覚。頭を鈍器で殴られた方がまだマシなのではないかと思われるほどの衝撃が彼を襲っていた。得体の知れない熱く猛る感情が彼の中に際限なく沸き上がる。

 いてもたってもいられなくなりその場で立ち上がった。椅子が音を立てて倒れても気にもならなかった。

 とめどなく溢れて心を覆い尽くさんとする熱い何か。今すぐに叫び出したいほどの昂り。全身が、いや、心が震えているのがわかる。

 今まで感じた美への思いなど稚拙なものに思えてしまうような激震。言葉では言い表せない何かがハインス・デルフィード・ムリアという人間を再構築しているような感覚。

 同時に彼の中の理性が『それ』の存在を認めようとはせずに必死に抗おうとしている。まるで禁忌の境界線を踏み越えようとしている自分自身を諌めているかのようだった。


「どうかしら?」


 魔女の声にハインスは我に返った。彼女に声をかけられなければ、まだ固まっていたかもしれない。


「私が何年もかけて集めたメイヘンの作品よ。もっともメイヘンの名で描かれていたものではないから、これらを彼の作品と言っても信じる人はほとんどいないでしょうけどね。その証拠にどれも無名画家の絵として扱われていたわ」

「……信じますよ」


 ハインスの口から自然と心中の想いがこぼれていた。


「僕は信じますよ。間違いなくこれはメイヘンの作品であり……彼の画家としての認識を覆すものだと」

「気に入ってくれたみたいね」

「貴女はこれを僕に見せるために……?」

「そうね、正解ではないけれど外れでもないってところかしら」


 箒に腰掛ける魔女は一匹の蝶のような優雅さで宙をくるくると回ってみせる。


「『血染まりの焰』……これがメイヘンが『雪原を往く姉妹』を描く前に描いた最後の作品よ」


 魔女が指を王子の方へ動かすと、メイヘンの作品達の中から一枚の絵画がハインスの前へ移動する。

 比較的大きな額縁に入れられたその絵は、血よりも赤い紅蓮の炎によって焼き尽くされる街の絵だった。逃げ惑う人々と暴力的な炎によって崩れゆく街並が、破滅の恐怖を見る者の瞳に焼き付けてくるかのようだ。

 悲劇的でおぞましい内容の絵画に目を背ける者もいるかもしれないが、ハインスの目は狂気の真紅に釘付けになっている。


「……わからない」


 大火に包まれる街の絵を見ながら呟く。彼の意識は既に遠い昔の画家が描いた燃える街の中にある。


「荒ぶる筆使い、死と破滅を題材にした作品の数々……純白の画匠メイヘン・コットンと同一人物とは思えないほどだ……」


 もはやハインスの頭の中は疑問で埋め尽くされていた。一体何が一人の画家をここまで変えたのか、一体何があれば彼の激流のような感性を変えられるのか。

 知りたい。ただ知りたい。その理由を。

 そしてこの胸の中から溢れる感情を。今まで感じたことのないこの想いをもっと。もっと……。


「ふふっ、そうよね。知りたいわよね」


 魔女はそっとハインスの前に降り立つと彼に語りかけた。


「血染まりの焰。メイヘンが最後に描いたこの炎を見れば何かが掴めると思わない?」

「……見ることができるんですか? この死滅の赤を……?」

「ええ、貴方には特等席で見せてあげるわ」


 王子の瞳はかつてないほど恍惚に輝き、歪んだ光を放っていた。

 そして王子は気付かなかった。



 自分が今この瞬間、芸術の単位の一つとなっていることに。

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