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一匹狼、飼い犬になる

――――紅魔の森


 中央大陸の南端に位置する紅魔の森は、温暖な気候によって原生林が鬱蒼と生い茂る深い森だ。ローゼルク領のリアネという街から馬車で数十分の場所にその森は広がっていた。森と言ってもその規模は小国がすっぽり収まってしまうほどに広大であり、手つかずの森には独自の生態系が息づいている。猛獣が闊歩する森にはリアネの人間もほとんど近付かず、たまに物好きな学者が訪れる程度である。


「まったく、どこなのよここはー!」


 獣のはびこる森に似つかわしくない若い女の声がこだまする。

 地図を片手に絶えず文句を言う女は、かれこれ一時間以上も森の中を彷徨い歩いていた。

 軽くウェーブのかかった艶やかな髪は、風に吹かれれば甘美な香りとともにふわりと揺れ、どこぞの貴族のような気品を醸し出す。衣服も上から下まで有名なブランドものできっちりコーディネイトされている。首から下げたネックレスに刻まれた十字と翼の紋は、彼女が聖教連の関係者であることを意味していた。

 国や民族毎に幾つかの宗教が存在するが、その中でも『創造と運命の女神アリシア』を崇める聖教連は最大規模の宗教であり、信仰国でなくともほとんどの大きな街には聖教連の教会が建てられている。そのため『教会』と言えば一般に聖教連のものを指すことが多い。

 彼女の名はフランベル・ロータス。聖教連の最高権力者である大教老の孫娘だ。

 フランベル自身の地位は高くないのだが、家柄のこともあり教会内では特別な役職に就いている。

 そんなお嬢様が不気味な森の中にいるのには勿論理由がある。


「あの情報屋ガセネタ掴ませてきたんじゃないでしょうね……ちょっと、アンタも手伝いなさいよ」


 フランベルは自分の数歩後ろを歩く一人の男に声をかけた。


「…………」


 しかし、不機嫌そうに煙草をふかす男は無言のままだ。

 やや高めの背丈にすらっとした体つき、くすんだ灰色の髪が印象的な青年だった。一見すると細身であるように見えるが、無駄な肉が一切なく質の良い筋肉で固められた身体であることが窺える。

 彼という存在を強く印象付ける要素は灰色の髪ともう一つ、その鋭い眼だ。

 猛獣のように危なげで猛禽類のように鋭い彼の眼は、いかんとも形容しがたい恐ろしさに満ちている。確実に堅気のそれではない。見て呉れは決して悪くないのだが、この強面では女性だけでなく男も寄りつかないだろう。

 フランベルと比べると彼には気品や優雅さというものは全く感じられない。むしろ彼女と並べることで、かえって低俗さや粗暴さが強調されるようだ。

 良家のお嬢様と獣のような男。悪戯好きの悪魔が気まぐれで男女のペアを選んだかのような、アンバランスな組み合わせだった。


「そういえばあの情報屋『アンタらも王子目当てか』とかわけわかんないこと言ってたわね、アンタなんか知らない?」

「…………」

「聞いてるの?」


 その風貌に反して酷く乱暴な口調で、フランベルは苛立ちと共に再び声をかける。


「……知るかよ」


 男も苛つきながら短く返す。


「あのねぇ、アンタ自分の立場ってもんをわかってんでしょうね?」

「…………」

「あらあら? このあたしにそんな態度とっていいと思ってるわけ?」


 黙してそっぽを向く男に対しフランベルは悪戯な笑みを浮かべると、男に早足で近付き……彼の耳をつまんで力任せに捻った。


「ぐ、があああああああぁぁぁぁ‼」


 稲妻のように駆け巡る激痛に男は叫び声を上げる。耳がちぎれそうなほどの痛み、と表現したのでは"足りないほどの"痛みに男は堪らず悶え苦しむ。

 解放されてからも痛みのあまり、男はしばしその場でのたうち回っていた。フランベルはそんな男の姿を優越感と満足感の入り交じった瞳で見下している。

 やがて息を切らせながら男がようやく立ち上がった。


「ハァハァ、このアマ……!」


 男は血走った眼をして吠えると、彼女の顔面目がけて思い切り拳を繰り出した。

 大の男に殴りかかられて、フランベルは反射的に眼を瞑り身を竦ませる。

 男の鉄拳が無防備な女の額に直撃し、見るも無惨に顔骨が砕け散る。

 ……はずだったのだが。


 

 コツン。



 何とも間の抜けた軽い音が聞こえた。

 あまりに弱々しい音に男自身、自分が女を"全力で殴りつけた"音だとはしばらくの間わからなかったほどだ。


「はい、ざ~んねん」


 フランベルは嫌らしい笑みを浮かべると、男の額目がけて片手を突き出し、親指で押さえ丸めていた中指を力強く弾いた。つまり俗にいうデコピンだ。


「がぁ⁉」


 頭部への凄まじい衝撃にその場に立っていることすらままならず、男は遥か後方に吹っ飛ばされた。額へ力を受けたものだから身体は大きくのけぞり、そのまま車軸から外れた馬車の車輪のように転がっていく。

 巨木に音を立てて激突しようやく勢いが止まった。もしも木にぶつからなければ、もうしばらくは転がり続けていたかもしれない。

 それほどの勢いで樹木に衝突した男は驚くことに無傷だった。転がり飛ばされた時に枝や小石が服を少し破いた程度で、男自身には骨折や打撲どころか擦り傷すらない。

 だが、先ほど女に捻られた左耳の焼けるような痛みと、デコピンによる額の鈍痛は未だに続いている。


(クソが……)


 男は鈍い痛みに頭を抱えながらどうにか起き上がる。

 そのまま動かずに痛みが引くのを待っていたが、気が付くと目の前にフランベルが立っていた。


「わかってるんでしょ、もうアンタはこのあたしに逆らえないの。いい加減諦めなさいよ」


 彼女は呆れ気味に言い放ち、腕組みして適当な小岩の上に腰を下ろした。


(最低だ。最低の気分だ……)


 情けない自らの姿に男は思う。


(どうして……どうしてこうなった……?)




 事の発端は今から数週間も前に遡る。




 男は殺し屋だった。

 ある巨大な裏組織に所属していた彼は、上からの命令で何人も、何十人も、何百人もの人間を殺した。

 各国の要人、某国の騎士は勿論、敵対組織を潰したことなど数えきれないし、街を丸ごと壊滅させたこともある。

 その仕事ぶりから『世界最凶の殺し屋』、『悪鬼』、『灰色の死神』などと呼ばれ、裏の世界で彼の存在を知らない者はおらず、表の世界でも都市伝説として噂になるほどに、多くの人間を殺めてきた。

 だが彼は数週間前にある失敗をした。

 街で出会った男を、「気に食わないから」という理由で半殺しにしたのだ。

 気に食わない人間に手をあげることなど、彼にとっては日常茶飯事のことだったのだが、この時ばかりは相手が悪かった。その男は彼が所属する組織の幹部だったのだ。

 組織の運営に一切関わらず、殺しの依頼だけを請け負ってきた彼が組織の構成員の顔など知るはずもなく、この事件は完全な偶然であったのだが、幹部の怒りを買った彼は罪を問われ組織から手を切られた。

 組織から追放され保護を受けることができなくなった彼は、報復を目的に世界中からその首を狙われることになった。

 しばらくして聖教連に身柄を拘束された彼は、厳重な管理下で拷問を受け続けた。

 教会側は拷問をしても男から得られる情報は皆無であると判断すると、彼の処刑を行う段取りを始めた。

 だが、死刑執行まであと数日というところで、死へと向かいかけていた彼の運命は奇妙な方向へ行き先を変えることとなった。

 聖教連の最高権力者である大教老の命とやらで、処刑が取り消されたばかりか、釈放が決まったのだ。

 しかし、条件として強制的に大教老の孫娘の護衛を務めることが言い渡された。

 彼としてはさっさと死刑にでもなんでもして欲しかったのだが、いきなり女のお守りをするはめになり心底困惑した。

 しかも彼にとってその護衛には屈辱的なオマケがついてきた。




「その首輪がある限りアンタはあたしには逆らえないって言われたでしょ?」


 大教老の孫娘―――フランベル・ロータスが男の首を指差して言った。

 彼の首には聖教連の紋が描かれた白いチョーカーが見える。チョーカーと言えばれっきとしたアクセサリーの一つなのだが、彼の首周りを飾るそれは彼自身の獣のような雰囲気と相まって首輪のようにも見えた。

 この忌々しい首輪こそが、彼に辛酸を味わわせる最大の原因であった。


「アンタからあたしへの攻撃は一切無効、代わりにあたしの攻撃はアンタに問答無用で効くっていうんだから優れものよね~」


 先ほど男がフランベルに手も足も出せずに一方的にやられたからくりは、この首輪の効果によるものだ。

 男がフランベルへ殺意や悪意のある行動をとろうとすると、どういうわけかそれが直接的であれ間接的であれ、勢いも衝撃も消滅してしまうのだ。殴る蹴るは勿論、物を投げても彼女の前で急に失速してしまう。物理法則などあったものではない。

 一方、フランベルから男への攻撃は、非力な彼女の力を何万倍何十万倍にも増幅させて、彼に衝撃を与えるだけでなく、痛覚に直接刺激を送る仕様になっているようで、とんでもない激痛を彼に与える。教会の地下で受けた拷問など比べるに値しないほどの、いや、人生で経験をしたことがないほどの痛みが彼を襲うのだ。

 そういう訳で世界最凶の殺し屋と呼ばれる男が、ただの小娘一人にいいようにやられてしまっているのだった。

 大教老お手製のありがたい宝具らしいのだが、男にとっては悪質極まりない呪いのアイテムだった。


「……何があってもアンタと一緒っていうのだけは気に食わないけどね」


 フランベルは男に聞こえるようにそう呟くと、これまた嫌そうな顔で舌を出す。

 彼女の言うように呪いの首輪にはまだ仕掛けが残っていた。

 男がフランベルを拒否することが出来ないように、そしてフランベルもまた男を拒否することができないように、二人が一定の距離離れてしばらく経つと、強制的にフランベルの元に男が魔法で転移させられてしまう。

 フランベルも殺し屋を自分の護衛にすることなど快くは思わなかったが、この制約のせいで男と行動を共にすることを余儀なくされていた。


「テメェみたいな小娘この首輪がなけりゃ指一本で頭蓋骨カチ割ってやれるのに……」

「フフン、その小娘に指一本で吹っ飛ばされる気分はどうかしら?」

「……クソッ」


 男はチョーカーを取り外そうと首に手を伸ばしたが、どう頑張っても取り外せそうにない。もう何十回と試しているのに成果が得られないので、よほど強力な呪法がかけられているのだろう。


「無駄よ、今やアンタはあたしの奴隷ってワケ。ま、おじいちゃんならそれの外し方を知ってるのかもしれないけどね。……まったく、おじいちゃんが変り者なのは知ってたけど実の孫と死刑囚を一緒にするなんてあたしも理解に苦しむわ。今度会ったらうんと文句言ってやるんだから」

「その点に関しちゃオレも同意だ。あのクソじじい今度会ったら覚えてやがれ」


 拳に青筋を浮かべてわなわなと震わせると、男は吐き捨てるように言った。


「ま、あたしもアンタみたいな大量殺人犯とこのままずっと一緒なんてまっぴらごめんなわけよ」


 フランベルもまた吐き捨てるように言う。


「それであたし達が晴れて自由の身になる条件が、おじいちゃんの仕事を代わりに片付けることなのよ」

「それがイカレたアマにマヌケな教会サマが奪われたブツを取り返してこいって話なんだろ」

「そーいうこと。盗まれたのは『緋炎ひえんの宝玉』っていう大昔の生き物の血の結晶らしいけど……って、わかってるなら協力しなさいよ」

「お前の言いなりになるのは気に食わねぇ」

「マジでなんなのコイツ⁉」


 傍若無人な男の態度にフランベルは怒りを露にする。


「それとあたしのことは敬意と忠誠を込めて『フランベル様』って呼ぶこと、わかった?」

「アホか、誰が呼ぶかよ」

「アンタ本当に自分の状況わかってんでしょうね? ホンット生意気な奴……!」

「お前に生意気だなんて言われる筋合いはねぇよ」

「だからフランベル様だって……!」


 彼女は男が一向に自分に従おうとしないので、手元にあった小石を投げつけてやろうと振りかぶった。この小石も一般人に当たれば小さな痛みを味わわせる程度の威力しか出ないが、彼に当たれば激痛で悶絶することは必至だろう。

 だが、ふと気になることがあって手を止めた。


「ねぇ、そういえばアンタ名前はなんて言うの?」

「あん?」

「アンタの名前よ。こんな関係になったからには自分の下僕の名前くらい覚えておいてあげようかと思ってね」

「…………ねぇよ」

「ネーヨっていうの? 変な名前ね」

「アホか」

「……」


 フランベルは男の悪態に答えて先ほどの小石を投げつける。


「ごはっ!」


 見事頭に命中した小石は破裂音と共に粉になって消える。

 頭部を抑えてうずくまる男を見ながら、フランベルは第二の小石を手に取り投擲体勢をとってみせる。男はその様子を見て苦虫をかみ潰した表情で舌打ちすると言葉を続けた。


「っつ……ねぇもんはねぇんだよ、オレには名前がない」

「はぁ? 名前がないってそんなわけないじゃない」


 煙草に火をつけると男は静かに語りだした。


「オレには名前なんてもん必要なかった。生まれてこのかたずっと一人だった。親もいなけりゃつるむような奴もいねぇ。殺し屋をやるようになってからは必要な時はコードネームで呼ばれたし、お前らに取っ捕まってからは囚人番号で事足りてた」


 燻る煙草の煙を見つめながら男は言う。


「名前ってのは他人から呼ばれるために必要だからあるもんだろ? オレには必要がなかったからなかった。それだけの話だ」


 男の話を聞き終えたフランベルはしばらくの間、何も言わずに彼を見つめていた。

 やがて座っていた小岩から飛び降りると、男を指差し声高らかに叫んだ。


「アンタに名前がないのはよぉーくわかったわ、だからこのあたし直々に今アンタに名前をつけてあげる!」

「……はぁ?」


 あまりに突然の決定に男は口をぽかんと開け、くわえていた煙草を地面に落とした。


「どんな名前がいいかしらね~、あんまり長いと言いにくいし覚えやすい方がいいわよね」

「ちょっと待てよ、誰がそんなこと頼んだ?」

「だって名前がないと呼びにくいでしょ? 今はもう殺し屋じゃないし囚人番号もアンタの名前じゃないでしょうが」

「そりゃそうだがオレが言いたいのはそういうことじゃなくてだな」

「飼い主は飼い犬に名前をつけるものよ。……ん? 飼い犬? それだ!」


 パチン、と小気味良く指を鳴らし、フランベルは実に良い顔で頷く。


「『ウォルフ』! 今日からアンタの名前はウォルフよ!」

「あぁ? ウォルフ……? なんだそりゃ」

「ふっふーん、あたしが昔飼ってた犬の名前。初めてアンタを見たときから何かに似てると思ってたのよね~、灰色の髪が犬のウォルフの毛色にそっくりだったんだわ」

「テメェふざけんなよ、オレは犬ッコロと同じだってのか⁉」


 名付けの理由に不満を爆発させる灰髪の男。そんな彼をよそにフランベルは自らの命名に大変満足しているようだ。


「いいじゃない、首輪もしてるし犬とたいして変わらないわよ」

「この……がぁ⁉」


 男が何か言うより早くフランベルのデコピンが再度男の額を襲った。衝撃で脳が揺さぶられ視界が歪む。


「あんまり吠えるとうるさいわよ。さっさと黄昏の魔女とやらを探しましょ、ウォルフ」


 大股で道なき道を行く彼女を、男は頭を抑えながらどうにか視認する。

 足下でくすぶる煙草を思い切り踏み潰すと心の中で叫んだ。



(クソ! どうしてこうなった⁉)

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