少年は少女に説教される
――――中央大陸南方・馬車の中
穏やかな草原と緩やかな丘陵が広がる街道を一台の馬車が走っていた。
質素な馬車で旅路を行くのは一組の男女だ。
透き通るような金髪の少年は、どこにでもいるようでどこにもいないような、変わった空気を纏った少年だ。町民にも貴族にもない、独特の雰囲気を漂わせる。
例えるならば歴戦の騎士。幾つもの戦場を駆け抜けた戦士が持つ風格と、少年自体が持つあどけない純朴さとが歪に混ざり合い、その不思議な空気を形作っていた。
彼が身に付ける衣服にはローゼルクという大国の騎士団の紋章が刻まれている。豪華で上質なその装束は、本来なら若者には不釣り合いなもののはずだが、不思議と彼にはよく似合っている。
一方、彼の対面に座す少女は至って普通の少女に見える。
明るい栗色の髪を肩先まで伸ばした彼女は、一見すると街娘のようだ。庶民じみてはいるが、だからこそ上品すぎない。可愛らしい顔つきの彼女ならば、どこで働いても看板娘として評判となるに違いない。
彼女もまた整った身なりをしており、胸部にはローゼルク騎士団の紋章が刻まれている。
世界に大小合わせて百近く存在する国々の中でも、大国と称されるのは六カ国。その中で最も歴史が古く、中央大陸のほぼ全域を領土に持つのが『ローゼルク王国』である。
そのローゼルク王国の歴史ある騎士団の紋が、彼らがどういう立場の人間なのかを言葉よりも明確に示していた。
(良い景色だなぁ……)
窓の外を眺め、金髪の少年―――アルハ・クローバーはのん気に心の中で呟いた。
一面に広がる豊かな草原とぬけるような青空、澄んだ空気は遠くの山々まではっきりと見通すことができた。少し離れたところで草食動物の群れが緑の上を駆けているのも見える。こんな良い天気には何も考えず爽やかな風に吹かれて昼寝がしたいものだ、なんて考えてしまう。
心地良い馬車の揺れと窓から差し込む陽光の温もりが相まって、彼の瞼が下がりかけてきたところで少女の叱咤の声が鼓膜に響く。
「まったく、大臣さんが温厚な人だから良かったものを……クローバーさんは本当に自分が『白勇騎』だっていう自覚があるんですか⁉」
栗色の髪の少女―――ムース・フリージアは頬を膨らませてアルハに抗議した。
可愛らしい少女の顔は眉間に深い皺が寄り、誰が見ても不機嫌だとわかる。
「またその説教かよ、これで五回目だぞ?」
しかし、当のアルハはというと長らく続く説教に辟易しているようで、気だるそうに欠伸を噛み殺している。
『白勇騎』アルハ・クローバーと『星天従士』ムース・フリージア。
ローゼルク王国最強の騎士と、その従者の称号を史上最年少で授けられた二人は、ある事件解決のため、紅魔の森と呼ばれる辺境の地へ向かっていた。
僻地へ向かう馬車の中は半分が張りつめ、もう半分が緩み切っているというなんともおかしな空間であった。
「クローバーさんに反省の色が見えるまで何回でもしますっ!」
「そうカリカリすんなよ。てか、まだ着かないのか? さっきみたいに魔法でバヒューンと目的地に行けるもんじゃないのか?」
ローゼルクの城から魔法で近くの街まで転移してきたアルハ達は、そこからさらに馬車で目的地へ向かっていた。魔法で最初から目的地へ行くことは出来なかったのか、とアルハは疑問に思っていたのだ。
「転移魔法は使用者の魔力印がある場所へしか移動できませんからね。リアネの街までは城の転移魔導士のおかげですぐ来れましたけど、これから向かう紅魔の森まではこうして馬車で向かうしかないんですよ。その代わり帰りはわたしの魔法ですぐ帰れますけど……って転移魔法理論も知らないんですか?」
「それが俺普通の魔法はほとんど使えないんだよ。だから魔法にはてんで疎くて」
「魔法が使えるかどうか以前に一般常識の話です!」
驚きと呆れの混じった声でムースは批難する。
「ま、まぁ、いいじゃないか。それよりほら、任務の詳細を教えてくれよ」
このままでは馬車が着くまで叱られ続けることになりかねないと思い、アルハは無理矢理話題を変えることにした。
「そもそもクローバーさんが大臣さんの話をちゃんと聞いていれば確認なんていらないんですけどね」
「だぁから悪かったって」
「はぁ……もういいです。わたしもいい加減疲れました」
諦めたようにがっくりと肩を落とし、鉛のような溜め息を吐くムース。
手にしていた荷物の中からローゼルク城で受け取った資料を取り出すと、事務的な口調で読み上げていく。
「……昨晩レイテムリア公国のハインス・デルフィード・ムリア第二王子が何者かに誘拐される事件が発生しました。王子の姿を最後に目撃したのはハインス王子専属の侍女で、執務を終えた彼が自室に戻るところを見送ったそうです。翌朝、彼女が起床のお世話をするために王子の部屋を訪れると、そこに王子の姿はなく、机の上に一枚の紙切れが置いてあったそうです」
読んでいた資料から一旦眼を離し、一枚の紙切れを取り出した。
手のひらサイズの紙には、箒に乗りとんがり帽子を被った女のシルエットの隣に、『芸術に愛を込めて 黄昏の魔女より』と書かれている。
「王子の部屋に残されていたのはこれと同様の物です。これは『黄昏の魔女』と名乗る人物が現場に残していくものだそうで、この件は彼女による仕業と断定して捜査を開始しています。レイテムリアのリーベルト第一王子は、自国の兵士団でハインス王子の捜索隊を結成し捜査にあたっているみたいです。今回わたし達が派遣されたのは、ローゼルク大臣と長年懇意にしているレイテムリア大臣から極秘の個人依頼であって、目立つことを避けるためにこうして二人で……」
そこまで言ってちらとアルハの方を見ると、彼は手に取ったハインス王子の写真をぼーっと眺めていた。
ハインス王子を一言で言い表すなら、美青年と形容するのがしっくりくる容姿の持ち主だった。その整った容姿はレイテムリアの若い女性達の間では密かに人気である。
だが、アルハは写真の中で微笑む王子に違和感を抱いていた。
彼には誰もが持つ個性というものが一切見えず、それ故に印象に残らない。しかもそれを王子自身が意図しているかのように、アルハにはその笑顔が無表情に見えた。まるで分厚い仮面を顔に張り付けているようだ。
直接会ってみないことにはなんとも言えないが、一枚の写真からアルハは王子にそんな印象を感じていた。
「クローバーさん、聞いてますか?」
アルハがまた惚けているのだと思い、若干の怒気を孕ませてねめつけるムース。
「え、あぁ、ちゃんと聞いてたぜ?」
「ホントですかね……」
「えーっと、その魔女って奴はなんなんだ? 身代金目的の誘拐犯か?」
話を聞いていたというアピールをするために、話の中に出てきた魔女について気になったことを質問してみた。
「それがよくわからないんです」
「よくわからない?」
アルハは返ってきた答えに困って聞き返したが、ムースはさらに困った顔で髪をいじっている。
「記録されている彼女の犯罪行為は、誘拐から始まり美術品の窃盗、市街地への破壊工作、時には大量殺人まで……行動に一貫性がありません。しかし、どれも犯罪行為であることは間違いないので、危険人物として国際的に指名手配されています。なので近い言葉をあげるなら『破壊活動家』ということになるかと思います」
「破壊活動家ねぇ」
「今回のハインス王子の誘拐も身代金の要求や犯行声明などはまだありませんね」
「何がしたいのかよくわからないけど人騒がせな奴ってことだな」
ムースが先ほど手にしていた紙に描かれた魔女のシルエットを見ながらアルハは呟く。
わざわざ事件の現場にこんなものを残していく人間だ、たしかに普通の人間とはずれた感性の持ち主なのだろう。
「それと会議室で大臣さんが仰っていた諜報部からの情報というのが気になりまして……」
そう言ってムースは封書から取り出した羊皮紙に並ぶ不穏な文字達へと眼を走らせる。
「レイテムリアと周辺の街で腕の立つ殺し屋達が今朝から仕事で姿を消しているそうです」
「ふーん、随分と妙なタイミングで仕事が入るもんだな」
「この件となんらかの関連があると見ていいでしょうね。魔女に買われたのか或はまた別の誰かの陰謀か……クローバーさんはどう思います?」
「さぁ? どうだっていいんじゃないか?」
「はい?」
「どんな連中が動いてようが俺達のすることは王子様の無事の確保だろ? だったら小難しいこと考えても頭が痛くなるだけだ」
とても正論とは言いがたい理論をさも当然というように言ってのけるものだから、彼の言うことが正しいことだと錯覚してしまいそうだった。
自信たっぷりにそう言い放った少年をしばし呆然と見つめていた少女だったが、呆れ果てて思わずぼやく。
「……どうしてこんな人が白勇騎なんだろう」
「どうしてって、そりゃ俺が白勇騎の選考試合で優勝したからじゃないか」
「そもそもそこからおかしいです! 通例ならローゼルク騎士団の団長が白勇騎に任命されるのに、どうしてローゼルクに縁もゆかりもない飛び入り参加の旅人が白勇騎に……」
「ま、これでもお姫様からちゃ~んと任命されてるんだ。今日の任務も一つよろしくな、ムース」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで下さい」
「おいおい冷たいなぁ、これでも一応相棒ってことになるんだしさ、仲良くしようぜ」
「はぁ……不本意極まりないですが任務の間 だ! け! は! よろしくお願いします」
先ほどよりさらに重くなったため息を吐き、ムースは苛立ち混じりに返事をする。その顔にはこの先の苦労を思っての心労が浮かんでいる。
「それにしてもあれだな、ムースは随分と白勇騎ってもんに思い入れがあるんだな」
自分に延々と説教を続ける姿を見て、アルハは彼女がただ真面目なだけではなく、白勇騎という存在に何か特別な想いがあるのだろう、と感じていた。
アルハにそう聞かれてムースは少し驚いたようだったが、すぐにいつもの真面目な態度でその問いに答えた。
「それは勿論ですよ。白勇騎の名はローゼルクの顔というだけでなく、世界的な英雄と言ってもいいくらい重いものです。ですからクローバーさんには自分の立場を理解した上で、きちんとしてもらわないと白勇騎の名に傷が付くことになってしまいますからね」
実際のところ、白勇騎の称号には『ローゼルク騎士団最強の騎士』という意味しかない。
だが、過去に偉業を成したり国を救うほどの活躍を見せた騎士は、皆が白勇騎であったことから、その名前を継ぐ事自体が英雄の証であると人々には認識されている。そうでなくともローゼルク一の騎士ともなれば、中央大陸どころか世界で最も強い騎士と言っても過言ではない。
それだけに人々は畏怖と尊敬の念を持って白勇騎という存在を讃えるのである。白勇騎に任命されたばかりのアルハのことを『勇者』と呼ぶ者も少なくはない。
そんな話を知ってか知らずか、アルハはなんてことないようにムースに言う。
「いや、そういう話じゃなくてさ」
「?」
「なんつーのかな、憬れっつーか理想っつーか、そういうもんをお前は白勇騎ってやつに持ってるなって話だ」
「なにを根拠にそんな」
「自分じゃ気付いてないかもしれないけど、俺のこと叱りながら白勇騎について話すとき、お前どこか楽しそうに話してたからさ、ちょっと気になっただけだよ」
「…………」
何も考えていなさそうな少年に図星を突かれ、ムースは少なからず動揺した。
そっとアルハの顔を見ると、嫌らしさのない子供のように純粋な瞳で自分のことを見つめていた。この眼の前では噓偽りなどできない。そんな風に思わせる澄んだ瞳だった。
「……わたし、小さい頃からずっと『レイムロット』の伝説に憧れていたんです」
ムースの口から語られた名前に今度はアルハが驚いた。
「レイムロットってあのレイムロットか?」
「そうです、数百年前に戦乱と混沌の世を納めたと言われる伝説の英雄レイムロット。レイムロットの活躍を描いたお伽話は、誰もが子供の頃寝る前にベッドの中で母親から聞かされるでしょうね」
馬車に揺られ地平線の向こうの空を眺めながら、ムースは昔を思い出すように、自分自身の想いを確かめるように語る。
「小さい頃にレイムロットの物語を聞いたわたしはすっかりレイムロットの伝説に夢中になってしまって……彼に関する本を探しては毎晩遅くまで読み耽りました。レイムロットについて知るうちに、いつしかわたしも彼のように人々を光へ導いて、温かく背中を押して、希望を与えられる人間になれたらって思うようになったんです」
「……」
「笑ってくれていいですよ、夢見がちで馬鹿な話だって」
そこまで話してムースは自嘲気味に軽く笑ってみせた。まだ知り合って間もない人間に、自分の妄想じみた想いを吐露してしまったことが急に恥ずかしくなったからだ。
「なんで?」
「なんでって……」
苦笑する少女とは対照的に少年の顔は真剣そのものだった。
「何も可笑しいなんてことないだろ。それがお前の夢なら胸を張って誇りに思うべきだし、こうして立派に星天従士になったお前のことを俺は素敵だと思うよ」
嫌味のない笑顔で微笑むアルハを前にムースはしばし固まっていた。
てっきり鼻で笑われると思っていた。英雄の伝説に憧れる少女の妄想など、誰も本気にしないだろう。そう思っていた。
だが、少年は少女の夢を笑顔で誉めてくれた。彼女の夢を真剣に聞いてくれたのは、両親を除けば少年が初めてだった。
「…………」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
アルハにじっと見つめられてムースは顔を赤らめ、ばつが悪そうに眼をそらす。
(変わった人だ)
ムースは率直にそう思った。
ずぼらで、適当で、がさつで、品がなくて……とてもではないが大陸一の騎士『白勇騎』の英名を名乗っていいような人には思えない。
でも……。
(でも、悪い人じゃないみたいだ)
ムースは素直にそう思った。
「……それに俺も似たようなもんだしな」
「え? それってどういう……」
「そんなことよりさ、俺にも色々レイムロットの話を聞かせてくれないか?」
「むぅ、ずるいですよ、わたしにだけしゃべらせておいて自分は秘密ですか?」
アルハの含みのある呟きが気になってムースは抗議の声を上げる。しかし、アルハはおかまいなしだ。
「まぁまぁ、俺あらすじくらいなら知ってるけど、ちゃんとレイムロットの話を聞いた事はないんだよ。だからいつか詳しい奴に聞きたいって思ってたんだ」
「詳しくないって、知らない方がおかしいですよ! さっきの転移魔法の話といい、クローバーさんは世間知らずにも程があります。それに紅魔の森に着くまでに、例の黄昏の魔女と今回の事件について情報の整理と入念な対策を検討しておくべきです」
「どーしてもダメか?」
「……ま、少しくらいならいいですけど」
アルハに騎士のなんたるかを語って聞かせる良い機会だと思い、ムースは彼の頼みを承諾することにした。もっとも、彼女自身誰かとレイムロットの話をしたかったという思いもあったのだが。
「ホントか⁉ ありがとう!」
喜びはしゃぐアルハを見ながら、一つ変にかしこまった咳払いをすると、講義に臨む教師のように少女はかの英雄の伝説を語り始めた。
「ではまずは軽めにレイムロットの最低限抑えておきたい逸話を三十二個ばかり……」
「さんじゅうに⁉」
「これでもかなり厳選してるんですよ」
「もっとこう簡単にでいいよ。ホラ、俺あんまり長い話は苦手で……」
「じゃあ泣く泣く割愛して三十個ですかね」
「あんまり減ってないよな⁉」
「いいですか、そもそも白勇騎の起源はレイムロットにあるんですよ。白勇騎であるならばレイムロットの伝説も熟知していて当然です!」
「それは前も聞いたけど……」
「えー、まずレイムロットの伝承の一つに白きいかずちの勇者という呼び名が出てきます。これが彼を描いた姿として最も多いもので、児童向けの童話でも……」
「……やれやれ、まぁ退屈しないのは何よりだ」
街道をのんびりと行くのは一台の馬車。年老いた御者は少年と少女の楽しげな話し声を聞きながら静かに手綱を握る。