殺し屋と令嬢
――――聖地ハーネンス・聖教連大聖堂
聖地ハーネンスの中心にそびえ立つのは世界最大の宗教『聖教連』の大聖堂。その美しい礼拝堂の地下深くには、地上階とは真逆の汚らしくカビ臭い牢獄がある。聖教連に仇なす危険人物や重罪人が収監されている地下牢の最奥に、その男は幽閉されていた。
手枷と足枷にそれぞれ十以上の重りをとりつけられ、身体は鎖でがんじがらめにされている。それでもまだ足りないと言わんばかりに高度な拘束魔法が張りめぐらされ、囚人の動きを封じている。厳重すぎる彼への束縛は、裏を返せば教会の人間が彼へそれだけの恐怖を感じているということでもあろう。
重々しい音を立てながら不意に牢の扉が開かれた。
「よぉ、差し入れでもしてくれんのか? ちょうどそろそろ煙草が吸いたくてな」
まるで友人にでも話しかけるように、彼は牢に入ってきた眼鏡の男へ問いかけた。
「お前にくれてやるなら物乞いのガキにくれてやった方がまだマシだ」
「そうかい、そりゃ残念だ」
囚人は心底残念そうに舌打ちする。
「差し入れじゃないなら何の用だ? 野郎の面会なんて嬉しくもなんともねぇぜ?」
「……事情が変わった」
「あん?」
そう言った眼鏡の男があまりにも怪訝そうだったので、囚人もつられて怪訝な顔になる。
「お連れしろ」
眼鏡の男の声に続いて、牢の外で待機していた兵士が一人の女を牢屋へと連れてきた。
兵士にそのつもりはなかったのだが、女が暴れるので突き飛ばすかたちになってしまった。
「んー! ん~~!」
眼鏡の男が女の猿ぐつわを取ってやると、女は堰を切ったように大声で喚きだした。
「アンタ達なんのつもりよ! このあたしが誰だかわかってんでしょうね⁉ こんなことしてタダで済むとでも思ってんの⁉ つーかそれよりレディに対してこの仕打ちはなによ! そんなんだからいつまで経っても童貞なのよ! この●●●●! いや、もうアンタ達なんか●●●●●よ!」
罵詈雑言を吐き散らす彼女を眼鏡の男はうんざりとした顔で見下ろしている。
普段はふてぶてしい囚人も、突然の来訪者とその態度にはさすがに困惑しているようだ。
「オイオイ、なんなんだこの口の悪い女は?」
つい口をついて出た彼の言葉を女は聞き逃さなかった。
「ちょっと、それあたしのこと?」
「お前以外に誰がいんだよ、とても育ちの良いお嬢様にゃ見えねぇって話だ」
「あらあら、アンタみたいなドブネズミより下品な人間には、あたしの溢れる気品は眩しすぎて見えないのかしら?」
「随分と安っぽい気品もあったもんだ、闇市でパチモン掴まされたのか?」
「な……なんですってぇー⁉」
下らない言い争いを続ける二人の間に眼鏡の男が割って入る。
「囚人番号四四。急な決定だが大教老様の命でお前の釈放が決まった」
「あ? 釈放?」
「はぁ? この男が? それどういうことよ、殺人鬼だか殺し屋だか知らないけど、この前ようやく捕まえたのに釈放っておかしいでしょ⁉」
眼鏡の男はその反論はもっともだと言うように頷く。実際、彼自身も今回の決定には納得がいっていない。
「さらにお嬢様のこの度の不祥事は、本来ならば階級剥奪の上で除籍処分になってもおかしくはなかったのですが、こちらも大教老様の決定により不問となりました」
「なんだ、お前なんかやらかしたのかよ」
「アンタ聞いてなかったの? 不問になったって言ってるでしょ? ま、このあたしが処罰なんてされるわけないし当たり前の話だけどね」
得意気な顔の女とは対照的に実に気まずそうに眼鏡の男が続ける。
「ただ……囚人番号四四の釈放とお嬢様の不問には条件がありまして、それが……」
「……それが?」
声を合わせてこちらを見る二人の顔を交互に確認すると、眼鏡の男は小さな溜め息の後に口を開いた。
「大教老様の御令孫……つまりフランベル嬢、あなたの護衛役を囚人番号四四が務めるということ。それが条件となります」
一瞬何を言われているのかわからなかった。二人は今聞いた言葉を何度も脳内で繰り返してみたが、やはり他の意味にとらえることはできない。
「護衛……ってこのうるせぇ女のか?」
「護衛……ってこのイカれ殺人犯が?」
あまりに突然で突拍子もない言葉を受け止められず、その真偽を確認する二人。
「あぁ、そうだ。お前にはお嬢様の護衛としてこれから働いてもらう。そしてお嬢様はこの男の主として彼と共に行動しなければなりません。この決定は大教老様によるものであり、両者に拒否権はないそうです」
「な……なんだそりゃあああああ‼」
一組の男女の頓狂な叫び声が地下牢全体に悲痛に響いた。