魔女と透明な心
世界は汚い。
そう見える私の眼は濁っているのだろうか?
世界は醜い。
そう感じる私の瞳は淀んでいるのだろうか?
世界は歪だ。
そう考える私の心は壊れているのだろうか?
答えなんてとうの昔に知っている。
世界は汚くも、醜くも、歪でもない。
私が濁っているわけでも、淀んでいるわけでも、壊れているわけでもない。
ただ合わないだけ。
水と油のように。世界と私が。
光と闇のように。私と世界が。
この広い世界で生きる私は、世界の一部ではない別の何かなのだ。
幼い頃からずっとそんな感覚と共に生きてきた。
そう思うようになった劇的な出来事があった訳ではない。
気が付いたら……そう、気が付いたらそんなことを考えていたのだ。
私は恵まれた環境に生を受けたと言えるだろう。
生活に不自由はなく、周りの人々は誰もが親切に接してくれる。
トラウマになるような嫌な思いをしたことなど一度たりともない。
それなのに、いや、それ故になのか。
私は私が生きるこの世界を愛せなかった。
理由なんてわからない。もしかしたらそんなものはないのかもしれない。
他の人も同じことを考えているのだろうかと両親に聞いたことがある。
父は「そんなことを考えてしまうことが誰しもある」と真面目な顔で答えた。
母は「それが思春期というものね」と笑って答えた。
両親の答えを聞いて、私は二人が私の心を欠片も理解していないということを悟った。
私の言葉に耳を傾け、頭の中で自分の知っている別の何かに置き換えて、わかった気になっているだけ。
多分一生わからない。おそらく一生理解されない。
孤独でないようで常に孤独。
この世界で私は一人ぼっちなのだ。
ある日、夢を見た。
まどろみの中、夢と現実の狭間でのある会話を、私は今でもよく覚えている。
何もない真っ白な場所にぽつんと立つ私の前には、私と同じ背格好の少女が立っていた。
顔は何かに塗りつぶされたように真っ黒になっていて見えなかったけれど、声は私と良く似ていた。
彼女は私に『世界』と名乗った。
世界は私に語りかけた。
「貴女はこの窮屈で、退屈で、鬱屈してしまう世界の中で生きていくしかないの。だから世界をありのまま受け入れなさい」
私は世界に問うた。
「何故、私はこの世界で生きなければならないの?」
世界は答える。
「それが人だからよ」
再び私は世界に問う。
「じゃあ私が人じゃなければ?」
再び世界は私に答える。
「その時は貴女はこの世界で生きていけなくなる」
私は世界に言った。
「なら私は人であることを辞めるわ。どうせ『私』はこの世界では生きていけないもの」
それきり世界は何も答えなかった。
私の足下は音を立てて崩れていき、深く底のない闇へと身体は落ちていく。
静寂が支配する闇の中で、私は一人歌を歌う。
楽しい歌も、悲しい歌も、知っている歌を口ずさむ。
どこまでもどこまでも落ちながら歌い続ける。
何か意味があるようで多分そんなに意味のない、そんな夢だった。
この世界に生きるには私はあまりに純粋で、私が生きるにはこの世界はあまりに雑多だった。
自分をつまらない世界という型にはめたくなかった。
そうやって生きるのが人だと言うのなら、私は人でなくていい。
夢から覚めた私は思った。
私は私でいたい。
見たいものを見たい。
聞きたいものを聞きたい。
嗅ぎたいものを嗅ぎたい。
味わいたいものを味わいたい。
触れたいものに触れたい。
私にとってはただそれだけのことだった。
そして私は―――魔女になった。




