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獣と少女と剣と

――――紅魔の森


 ムースが灰髪の男の異常さに気付くのはあまりに遅かったと言える。

 男が狩りを行う獣を思わせる奇妙な構えをとったかと思うと、みるみる殺気が満ちていった。

 その殺気のあまりの強大さに、一瞬で恐怖が心を埋め尽くし身体が硬直してしまった。


(この人やばい!)


 身体中の全細胞が危険に対して悲鳴を上げた瞬間、男がその場から消えた。


「下がれっ!」


 アルハの声が聞こえると同時、ムースの身体に衝撃が走った。

 肩に小さな衝撃を受け後方へとよろめく。

 次いで目の前にいたはずのアルハが視界から消える。

 入れ替わるようにその場に現れた灰髪の男。

 何かが壊れる派手な音。

 視界の隅では何故か太い木が倒れていくのが見える。


「⁉」


 緊急事態に脳が思考を停止して本能で飛びずさった。


「へぇ……庇ったか」


 男は振り抜いた右手を握ったり開いたりして何かの感触を確かめているようだ。

 心なしかその瞳には歓喜に似た色が伺える。

 ムースは今の一瞬の出来事を、遅れてやってきた意識でどうにか理解しようと努めた。


(まず灰髪の男が視界から消えた。多分わたしの反応できない速さで攻撃してきたんだ。そしてクローバーさんの声と肩の衝撃。クローバーさんがわたしを護るために後ろに突き飛ばしてくれたんだと思う。それでわたしの代わりに攻撃を受けて吹っ飛ばされて……って待った待った待った! いくらなんでも吹き飛びすぎじゃない⁉ ただのグーのパンチでしょ⁉ 一本の木が幹から折れるほどの勢いで人を殴り飛ばせるものなの⁉)


 自分の馬鹿げた推測を否定しようとアルハの飛んで行ったとおぼしき方向に目をやると、その向こう、さらに向こう、さらにさらに向こう……と見える限りの木々がなぎ倒されているのが見えた。


(……え? ……嘘でしょ……?)


 ムースの推測は概ね正しかったようだが、実際には何本もの木々がへし折られていた。

 現状を鑑みるに、目の前の『灰色』がそれをやってのけた怪物だと認めざるを得なかった。

 それと同時にムースは自身の不注意を激しく後悔した。

 人間の危険に対する対処は警戒の度合いで決まる。それを可能にする能力があればの話だが、警戒の度合いが危険の度合いを上回っていれば、危険を回避すべく適切な対処がとれる。

 だが、男は彼女の警戒を大きく超える危険であった。

 もし最初から最大限の警戒を払っていれば、不意を突かれることもなかったのではないか。そうすればアルハが自分の身代わりになることもなかったのではないか。

 白勇騎であるアルハの実力は確かなはずだが、こんな常識はずれの攻撃を食らっては無事ではないだろう。


 ―――想像以上に強いぞ。


 先刻のアルハの言葉が思い起こされ、自責の念が彼女を締め付けた。


「ぼーっとしてんじゃねぇよ!」

「ッ‼」


 男の声に我に返ったムースは咄嗟に前方の宙空へと防壁魔法陣を展開した。

 瞬間、男の蹴りが防壁魔法へ直撃しけたたましい異音を響かせる。

 ムースが前方へ発動させた防壁魔法は物理攻撃、魔法攻撃に対して使用者を護る盾のような魔法だ。

 防御のために一方向へ魔力を集中させる魔法のため、防壁魔法の中でもその守備力はかなり高い。


「ハハッ、かってぇなオイ!」


 男は自身の蹴りが受け止められたことを楽しむかのように叫ぶと、空中で身体をぐるりと回転させて今度は防壁を殴りつけてきた。

 衝撃が周囲の空気を振動させ、力の干渉を受ける魔法陣からは魔力のスパークする音が鳴り続ける。


 ピキッ。


 不意に異音の中に硝子の割れるような高い音が混じった。


「なぁ⁉」


 音のした方向を見てムースは驚愕の叫び声を上げる。

 彼女が展開した堅牢な防壁魔法の盾に亀裂が入っていたのだ。

 防壁魔法陣と言えど万能ではない。強度を超える攻撃を受ければ防ぎ切れないのは自明の理なのだが、それは高威力の大魔法を受ければの話だ。

 たった二発の生身の人間の攻撃を受けて障壁にひびが入るなど聞いたこともない。


「オラァ‼」


 目の前の現実を受け止められずにいるムースをよそに、男はさらなる殴打を防壁へと加える。

 男によって繰り出された三度の攻撃についに防壁が耐え切れなくなり、食器が割れるように粉々に砕け散った。


「きゃっ!」


 高負荷がかかり障壁が破壊され生まれた衝撃波で、ムースの軽い身体は否応なく後方へと吹き飛ばされる。


「思ったよりやるじゃねぇか。防壁魔法ぶっ壊すのに三発も必要だったことなんざ今までなかったぜ、褒めてやるよ」


 尖った歯を見せ笑うと男は地へ伏すムースへ賞賛の意を述べる。


「あなたこそやりますね……防壁魔法を殴って壊されたのはわたしも初めてです。……褒めてあげます」


 負け惜しみの言葉を口にしつつ、ムースはどうにか身体を起こす。

 吹き飛んだことが幸いして男との距離は十分離れたままだ。近距離戦闘が得意ではないムースにとっては好ましい状況と言える。

 防壁魔法を破壊された動揺と、全身を駆ける痛みに耐えながら、男へ向かって素早く攻撃魔法を発動させた。

 魔法陣が生成される特有の高い音が響き、六つの魔法陣が瞬く間にムースの前に展開された。


「……こいつは驚いた、綺麗なもんだな」


 展開された色とりどりの魔法陣を見て、男はのん気な感想を呟いた。

 殺し屋として、魔法を使う者とは数えきれないほど闘ってきた男だが、ムースのように色鮮やかに魔法陣を展開する者は初めてだった。

 ムースは少しだけ得意げに男に答える。


「驚きましたか? 伊達に星天従士を名乗っているわけではありませんよ」


 魔法を発動させるには主に『魔力』と『術式』と『魔法陣』という三つの要素が必要になる。

 『魔力』とは、魔法の源となる力のことであり、生物は勿論、鉱物や大地、大気に至るまで、あらゆるものに宿っているとされている。術者は自身の魔力を消費して魔法を発動させることになるため、発動に必要な魔力を有していない場合その魔法の発動は不可能となる。簡単な魔法ならば魔力の消費も少なくて済むが、大魔法の場合それ相応の魔力が必要になる。逆に言えば魔力さえあれば、複雑な魔法や強力な魔法も使い放題ということでもある。身に宿す魔力の大きさを意味する『魔力量』は、魔法を使う者にとって最も重要な指標であると言える。


 次いで『術式』とは、魔法の効果を決定付けるものだ。魔法を使うことで炎や水を出したり、風を操ったりと様々なことが可能となるが、どのような規模でどのように魔法を発動させるのか、その細かい特性を定める必要がある。術式を脳内で思い浮かべて魔力を作用させることで、初めて『魔力』が『魔法』になるのだ。そういう意味では魔法という概念の根幹にあたるものだろう。


 最後に『魔法陣』。これは魔力を魔法として発現させる時に、その変換のために必要となるものだ。円を基本とした図形と魔法文字によって空中や地面等に魔力の光で描かれるものであり、図形や文字はその魔法の術式を示すことになる。術式によって変換された魔力が、炎や水となって魔法陣から放たれる場合が多いが、ムースが先ほど展開した防壁魔法のように、魔法陣そのものに魔力的な効果が付与されている場合もある。魔法陣を必要とせずに発動できる魔法も存在するが、多くの魔法は発動に魔法陣を必要とするため、魔法の象徴とも言える存在である。


 この魔法陣はある特徴を持っている。炎の魔法なら赤い魔法陣、氷の魔法なら水色の魔法陣……といったように発動させる魔法の特性によって魔法陣を描く光の色が変化するのだ。

 色が必ずその魔法の性質を表すというわけではないが、『属性魔法』と称される攻撃魔法の類いはこの性質が顕著に表れる。

 そして術式の関係で同じ属性の魔法を同時に使用することは、通常では不可能とされている。二種類の炎の魔法を同時に使うことはできても、炎と水の魔法を同時には発動できないのだ。そのため複数の魔法陣が展開されることはあっても、その光は全て同じ色ということになる。

 だが、今こうしてムースは六色の魔法陣を同時に展開させている。

 この能力こそが、彼女が魔導士として星天従士に選ばれた理由だ。


 彼女の魔力量は平均と比べればかなり多い方だが、とてつもなく多いというほどではない。上位魔導士達の中では並より少し多いくらいだ。

 そんな彼女だが魔法のセンスに関してはローゼルクでは右に出る者はいないと言われている。

 幼い頃からレイムロットの書物に親しむうちに古い文字にも詳しくなった彼女は、魔法の古文書を労せず読むことができるようになっており、失われつつあった古代の魔法技術を習得していたのだ。

 現代では、効率のため画一化された既存の術式を使うことが一般的なのだが、彼女はあえて一般の術式に独自のアレンジを加え、『複数の属性魔法を展開する』のではなく、『複数展開した同一魔法それぞれに別の属性変化を持たせる』ことで異属性の魔法を操ることを可能にしているのである。

 灰髪の男は「綺麗なものだ」という感想を述べる程度だったが、魔法に詳しい者ならば思わず賞賛の拍手を送りたくなるような芸当だろう。 


「勿論、綺麗なだけじゃないです!」


 ムースが叫ぶと、それぞれの魔法陣から無数の光の矢が男へと放たれた。

 六色の閃光が入り乱れるように男へと高速で直進していく。

 弓兵隊の一団が射ったかのような大量の矢を生身で受けては、無事では済まないだろう。


「ハッハァ!」


 ……そう、本来ならば。

 灰髪の男は笑い声を上げるとムースの放った魔法へと真正面から向かっていった。

 迫り来る光の矢を、身をひねり躱し、無理矢理素手で弾いて防ぎ、隙間を縫うように駆けて間合いを詰める。

 最後に大きく身を屈めて跳躍すると、乱暴な着地でムースの前へと降り立った。


「な……ぁ……」


 眼前で披露された神業とも言える男の動きに言葉を失うムース。

 彼女もこの攻撃で男を仕留めることが出来るとは思っていなかったが、せめて体勢を立て直す時間ぐらいは稼ぐことができるだろうと考えていた。

 だが、灰髪の男は光の矢の猛攻をかいくぐり、平然と彼女の前に立っている。


「綺麗なだけじゃ……なんだって?」


 男の挑発の言葉はムースの鼓膜を震えさせただけで、彼女の意識には届いていない。

 目の前に悠然と立つ男が自分と同じ人間とは思えず、絶望が彼女の視界を暗く沈めていく。


(……この人、本当に化け物か何かだ)


 ムースは改めてこの灰髪の男が異常な存在であると認識した。

 圧倒的な力。自分が先ほど男から感じ取ったものの正体は、純然たる力に対する恐怖心だったと気付かされた。

 男の冷たくおぞましい殺気はさながら暴風雨のようであり、少女にはこの場に立っていることすら堪え難いことだった。


(脚……震えてる……)


 震える両脚は意識を集中して力を込めることでなんとか立っているのがやっとだ。

 星天従士となるにあたってそれなりの訓練を積んで来た彼女だったが、命のやり取りをする闘いを経験したことはなかった。

 敗北が直接死へと結びつくことへの恐怖から、この場を逃げ出したいという思いが脳内を埋め尽くす。


「おいおい、オレはまだ全然遊び足りねぇぜ? もう少し楽しませてくれよ」


 戦意を失いつつあるムースを見ても男は手を緩めるつもりはないようだ。

 壊れかけの玩具だろうが壊れるまで遊ぶ。男にとってはそれだけのことだった。

 迫り来る恐怖の塊を前に少女は心の中で祈りと共に叫ぶ。


(レイムロット様、どうかわたしに力を!)


 灰髪の男がムースへ向かって拳を繰り出した瞬間、二人の間に一つの影が躍り出た。

 乱入者は手にしていた剣の腹で男の一撃をすんでのところで受け止める。


「よう、どうにか生きてたみたいだな」

「ク、クローバーさん‼」


 ムースの目の前に現れたのは、先ほど男に殴り飛ばされたはずのローゼルク最強の騎士、アルハ・クローバーであった。

 身体のところどころに擦り傷があるものの、五体満足のようだ。


「へぇ、やっぱり生きてやがったか」


 常人ならば即死であろう攻撃を受けた少年の登場に、男は少しも驚いていない。

 彼はアルハを殴った感触が、今まで壊してきた人間のそれとは明らかに違うということに気付いていた。

 肉の弾ける感触、骨の砕ける感触、臓物の潰れる感触……壊すことに慣れた男はそのどれとも違う感触から、アルハが壊れていないことを確信していたのだ。


「ったく、少しは手加減ってもんができないのかお前は。俺じゃなかったら全身粉砕骨折であの世行きだぞ?」


 軽い嫌味を言った後、少年の眼に冷徹な鋭さが宿る。


「とりあえずこれは俺の可愛い相棒を可愛がってくれた礼だ」


 言うが速いかアルハは器用に剣を回転させ男の拳をいなした。

 力の拮抗が崩れ男の拳が宙を空振って生まれた隙に、躊躇うことなく剣を一閃させる。

 その一振りは男の胴を両断するかに思えたが、男は一瞬早く後方へ飛び退いてその一撃を躱してみせた。


「やるな、お前」


 完全に回避したつもりが、切り裂かれた自らの衣服を一瞥し男は言う。


「……お前もな」


 致命傷を与えるつもりで振るった一撃を紙一重で回避され、アルハも剣を握り直す。


「良かった……無事だったんですね、クローバーさん」


 アルハのすぐ後ろではムースが安堵の声を漏らしていた。

 自分を庇ったせいでアルハが再起不能になってしまったと思い込んでいた彼女は、心から彼の無事を喜んでいた。


「なんとかな、一瞬ガードが遅かったら俺もそこに倒れてる木と同じように胴体から真っ二つだったかもしれないな」


 一応、冗談のつもりでそう言ったのだが、ムースには全く冗談にも聞こえず、顔を青ざめさせる結果となった。


「とりあえずコイツは俺に任せてお前は少し休んでろ」

「わ、わたしも闘えます!」

「怪我人は大人しくってな」

「……ッ!」


 アルハがムースの右腕を小突くと彼女は激痛に小さな悲鳴を上げた。

 先ほど防壁魔法が破られた衝撃で吹き飛ばされた彼女は、右腕を負傷していたのだ。

 幸い治癒魔法で癒すことが可能な怪我ではあるが、治療を終えるまでは右腕は満足に使えそうもない。


「そ、それでも援護くらいはできま……」


 なおも食い下がるムースを制するように、アルハは彼女の鼻先に人差し指をそっと当てる。


「俺に任せろ。『仲間を信頼することが時には強さでもある』ってレイムロットも言ってただろ?」

「……レイムロットに詳しくないのによくそんな台詞知ってますね。わたしが教えたんでしたっけ?」

「いや、そんなことを言ってそうな気がしただけだ」


 アルハの言葉と彼の頼もしい笑顔に、渋々ながら彼女は回復に専念することを決めた。

 実際、この化け物じみた男との闘いに負傷した自分が援護に入ったとしても、かえって足手まといになるだろうと彼女は理解していた。

 それ故に役に立てない自分が悔しかったのだが、目の前の少年の背中には「彼になら任せても大丈夫だ」と思えるだけの不思議な安心感があった。


「待ってたぜ。さっきの一撃は挨拶代わりだ」


 二人の会話中、男は不意打ちをするでもなく余裕の表情で一服していた。

 理由は単純。「この最高な玩具と思い切り遊びたい」という思いからだ。


「女に手あげるような奴には、俺がたっぷりオシオキしてやらないとな」

「生憎、オレは平等主義者でな、男も女もじじいもガキも平等に扱うことにしてんだ」

「それで平和思想の持ち主なら大歓迎だったんだけどな」


 苦笑して剣を構えるアルハだが、そのとき違和感に気付いた。

 彼が手に力を込めると、不意に手にしていた剣が刀身の中程からバキンと不快な音を立てて折れた。

 地面に落ちる切っ先を見ながら男は笑う。


「その折れた剣でどうするつもりだ? 騎士さんよ」


 先ほどムースを助けに入った時に、男の拳を無理矢理受け止めることになったため、刀身に想像以上の負荷がかかっていたようだ。

 無論、国から支給されたものとは言え決して安い剣だったわけではない。だが、防壁魔法を破壊する男の馬鹿力に耐えるにはその剣はあまりにも脆すぎた。


「残念だがこりゃもう使い物にはならないな」


 アルハは別段狼狽える様子もなく刃折れの剣を投げ捨ててみせた。


「だけどお前相手じゃ俺もこの剣で闘うつもりはなかったよ」

「あん?」

「頼むぜ、『ジーク』!」


 訝しむ男の前でアルハは空中にまばゆく白に輝く魔法陣を展開した。

 魔法による攻撃を警戒した男だったが、どうやら展開された魔法陣は攻撃魔法の類いではないらしい。


「あれは……」


 後方で治癒魔法によって傷を癒すムースが魔法陣の輝きに眼を細める。

 一つの魔法陣を中心に、幾つかの歯車のような魔法陣が重なる独特の魔法陣だった。

 アルハが右手を魔法陣の前にかざし手首を捻ると、魔法陣が重い扉の開くような音と共に形を変え、その中心から棒状の物が現れた。

 彼はそれを掴むとゆっくりと引き抜いていく。

 鮮烈な光の中から現れたのは一振りの剣だった。

 燃え上がる炎をそのまま刃にしたかのような紅蓮の剣。

 周囲の空気が揺らめいていることから、刀身がかなりの熱を帯びていると遠くからでもはっきりとわかった。


(あれがクローバーさんの『創造魔法』……燃える炎の剣)


 『創造魔法』とは使用者の魔力を元にして、架空の物体をこの世界に具現化する魔法である。

 使用者が自分好みの魔法効果を付加した道具を創造することが可能であり、強大な魔力を宿した武器は古くから戦士達の切り札として使用されてきた。

 しかし、本来この世界に存在しない物体を造り出す魔法であるため、集中力は勿論のこと、多大な魔力を必要とするという大きな欠点もある。


「へぇ、その剣で大道芸でも見せてくれるのか?」


 赤熱する刀身が虚仮威しではないと知りつつも、挑発の言葉を投げかける男。


「大道芸をするにはちょっと火力が強すぎるなっと!」


 軽口を返すとアルハは手にした炎刃を灰髪の男へ向けて振ってみせた。

 高温の剣から発せられた熱風が容赦なく彼を襲う。

 風に舞った木の葉は熱風によって燃え尽き、一瞬のうちに灰となった。


「こいつに切られたら火傷じゃ済まないぜ?」


 熱風の直撃を受けて男はしばし固まっていた。

 男の言葉を受けての軽いパフォーマンスだったのだが、思ったよりダメージがあったのだろうか?

 アルハのそんな考えは男の唐突な笑い声にかき消された。


「ク、ククク、クハハハハハッ! いいぜお前! たまんねぇなァ、オイ! 思った通り最高に楽しめそうだ!」


 男は凶暴な笑みと共に、瞳に宿す炎をさらに凶悪なものへと燃え上がらせていく。

 彼の放つ殺気はさらに凄みを増し、直接対峙しているわけではないムースでさえ、身体中に刃物が刺さるような錯覚を覚える。


「オレのためにファイアーダンスでも踊ってみせろ‼」

「踊るのは得意じゃないんだけどな!」


 力強く大地を蹴ってアルハ目がけて突進する男。彼の踏み込んだ場所は凄まじい脚力によって地面が陥没している。

 ムースにはほぼ視認できなかった弾丸のような突撃を受けても、アルハは男の動きを正確に見切っていた。

 手にしていた赤き剣で男を迎え撃つ。

 アルハの斬撃を察知した男は身を屈めてそれを回避し、間合いを詰めたところで顔面目がけて拳を放った。

 しかし、アルハはその動きを読んでおり男が殴りかかるより速く身を引き距離をとる。

 そのまま炎の剣を宙へ振り抜くと、剣から生み出された業火が男へと襲いかかった。

 だが、その炎は男を焼き焦がすことなく一瞬で霧散する。

 男が豪腕を振ることで突風が巻き起こり、炎の追撃をかき消したのだ。

 灰髪の男は再び跳躍すると、空中で身体を回転させることによって威力の増した踵落しを放った。

 受けるのは無理だと判断したアルハが飛び退くと、男の一撃は地面に命中し大地を抉り轟音を響かせた。

 着地の瞬間に狙いを定めていたアルハは剣に紅蓮の炎を纏わせ鋭い突きを繰り出す。

 男はアルハの炎の突きを避けようともせず、闘志剥き出しの笑みと共に拳で応戦する。

 二人の剣と拳がかちあい、その衝撃で両者は吹き飛ばされることになった。

 と、次の瞬間には二人は再びぶつかり合い、眼にも止まらぬ攻防が繰り広げられる。



  ◆



「……何、あれ」


 離れたところで二人の戦いを見ていたムースは、目の前で起きる凄まじい闘いに思わずそう呟いていた。

 実戦経験が皆無とは言え、それなりに戦闘訓練を積んできた彼女だが、アルハと灰髪の男の闘いはまるでついていけない別次元のものだった。

 炎剣を自在に操り、鋭い斬撃と灼熱の火炎で闘うアルハ。

 出鱈目な怪力とあり得ない反応速度で暴れ狂う灰髪の男。

 なんとか二人の動きを眼で追うことはできても、二人が何をしているのか、情報として整理し理解するための意識が全く追いつかない。

 地面が吹き飛び、木々は燃え、空気が弾ける。

 彼女にはまるで噴火する火山の火口で、巨大な竜巻が巻き起こっているように感じられた。



  ◆



(まいったね、こりゃどうも)


 一方、今まさに灰髪の男と闘っているアルハは心の中でそんな感想を漏らしていた。


(ここまでデタラメな野郎だとはさすがに思わなかったな)


 目の前の男の動きはアルハから見れば素人も同然であり、まともな武術を使う者のそれには見えなかった。

 奇妙な構え、重心の移動、腕の振りや足さばき……何をとっても武術のぶの字も感じられない。

 例えるなら街のチンピラ。効率や型など全く気にしていない、気に食わない相手をぶちのめすためだけの本能の動きだ。

 しかし、そんなでたらめな男の動きは、チンピラ共とは明らかにレベルが違っていた。

 絶対的な力、圧倒的な速さ、驚異的な反応速度。

 規格外の身体能力が、本来成立するはずもない無茶苦茶な彼の動きを成り立たせてしまっている。

 結果、大陸最強の騎士を相手にしても少しも引けを取らない互角の動きを見せている。


(『身体強化魔法』……か)


 この短時間の戦闘でアルハは男の並外れた強さの答えにすぐたどり着いた。

 この世界に数えきれないほど存在する魔法の中で、最も基本的で単純な魔法と言われるのが『身体強化魔法』だ。

 筋力、感覚能力、耐久力、治癒力、神経反応、魔力感覚という六つの身体能力を魔力によって強化する魔法であり、この六つを総称して『六式』と言う。

 さらに、炎、氷、水、風、雷、地、聖、冥の八つの属性魔法を『八系』と呼び、身体強化魔法と属性魔法を合わせた『六式八系』が魔法の基本原理であるとされている。

 男が使っていると思われるのは、まさにその六式に区分される魔法だった。

 近接戦闘において、六式の強化魔法を使うことは当たり前の話で驚くことではない。実際、この戦闘においてアルハも使用している。

 だが、男のそれは文字通り桁違いのものだ。

 放たれる一撃は暴風を巻き起こし大地を穿つ。硬く握られた拳は名剣の切れ味をもってしてもかろうじて傷を付ける程度。その傷も瞬く間に癒え、先を読んでの攻撃にも後から反応して避ける。死角からの攻撃でさえ空気の流れを感じ取って対応してみせる。

 常識の範疇を軽く超える恐るべき身体強化魔法であった。


(しかもコイツは無意識で身体強化魔法を扱えてるクチだな。難しい術式も詠唱も必要ない魔法だから、無意識に使えちまう人間がいるって聞いたことはあったけど……それにしてもこのデタラメ加減は出来の悪い冗談みたいなもんだな)


 いくら簡単な魔法であると言えど、使用や魔力の調整には知識が必要になるのは当然である。

 しかし、男が繊細な魔力の調整をして強化魔法を使用しているようには見受けられない。

 その身に宿す膨大な魔力が長い間、元々強靭であった彼の肉体に影響を与え続けてきた結果、常時身体強化魔法を発動しているかのような膂力を発揮しているのだった。

 厳密には魔法であるとも言い難い、ただ純粋な力の塊。それが灰髪の男の強さの正体であった。


(ま、つまりは超馬鹿力ってことか)


 そんなことを考えアルハはどこか嬉しそうに口元を歪ませた。

 その姿を見て、対峙していた男は片手で指の骨をゴキリと鳴らしながら問う。


「何笑ってやがる。二度と笑えないようにその顔ミンチにしてやろうか?」

「おっと、悪気はなかったんだ、許してくれ」


 射殺すような眼光を向けられても明るく笑いながら詫びを入れる少年だが、その姿には一分の隙もない。


「普通少し手合わせすりゃ相手がどれだけ強いかある程度はわかるもんだが、お前の強さにはまるで底が見えない。こんな奴がいるなんてな」

「……そりゃこっちの台詞だ。オレとこんだけやりあってまだ壊れてねぇんだから、弱いなんてことはねぇはずだ。なのにお前からは強さってもんを全く感じねぇ。まるで空気か水と闘ってるみたいに何も感じない。強いのか弱いのかもわからねぇ、こんな奴初めてだ」


 男にとってアルハは今まで闘ってきた人間とは全く違う存在だった。殺意もなく剣を振るう少年の姿は、血塗られた世界を生きてきた男にとっては、まさに未知との遭遇だったと言える。

 だが、雲のように掴み所のない相手について、たしかにわかっていることがあった。


「気に入らねぇな、テメェの存在自体が。何より気に入らねぇのが……」


 ギロリと睨む瞳には凄みだけでなく激しい感情の昂りが光る。


「お前、まだ本気じゃねぇな?」

「……お互いにな」


 一連の攻防を通して、相手がまだ余力を残しているだろうということを男は感じ取っていた。

 相手の実力を認めているからこそ、全力をぶつけ合ってみたいという衝動が沸いてくる。

 そして男はどうすれば彼の本気を引き出せるのかを知っていた。


「お前の攻撃はどれもまるで殺気がなかった」

「殺すつもりなんてハナからないからな」

「でも一撃だけ……最初の一撃だけは心地良い殺気が込められてたな」

「最初の?」


 そう言われて男との闘いを思い返してみたアルハだが、別段変わった攻撃はしていないように思える。

 どの攻撃も防がれるか躱されるか、すぐに癒えてしまうような浅い傷を負わせる程度だ。


(いや、たしか一発あったな……本気でぶった切るつもりの一撃……)


 アルハが記憶の糸をたぐり寄せるのと、男の顔に悪戯で残酷な笑みが浮かぶのは同時だった。


「あぁ、最初のだ!」


 男が足下の地面を思い切り殴りつけると、地鳴りと共に地面にひび割れが走る。


「な……!」


 舞い上がる土煙と崩壊する足場にアルハは一瞬体勢を崩してしまった。

 その隙を突いて一匹の猛獣が駆け抜ける。

 しかし、目標はアルハではなかった。


「え……?」


 アルハの後方、二人の闘いを見守っていたムースへと灰色の獣が襲いかかった。

 完全に虚を突かれたムースは回避も防御もすることができず、ただ居竦むしかなかった。

 自分に向けてぶつけられる鋭利な殺気は生々しい死を感じさせる。

 絶望が彼女を捉え、極寒の地に裸で立たされているかのような錯覚さえ覚える。

 身体は動かないというのに、意識が覚醒して一瞬がやけにゆっくりと感じられる。

 男の硬く握られた拳が自分の顔へと放たれるのがコマ送りで見える。


「どけよ」


 男の背後から発せられた冷徹な怒りの声を、彼女は確かに聞いた。

 次の瞬間、眩しいほどに輝く赤い閃光が視界を切り裂いた。


「きゃっ!」


 直後に襲った熱風に怯んでムースは尻餅をつく。

 灰髪の男は紅の一閃を受けて吹き飛んだようで、視界の端で土埃が上がっているのが見える。

 火傷しそうな熱を受けて頬に若干の痛みを覚えながら立ち上がると、ムースの前にはアルハの後ろ姿があった。


「荒っぽくなって悪かったな、大丈夫か?」


 ムースの知るアルハのものとは似つかぬどこまでも冷めた声。

 いつもと違う彼の声に戸惑いながら、必死に首を縦に振って答えるムース。

 背後でいくら頷いてもアルハに見えるわけはないのだが、彼もなんとなく無事を察したようだ。


「ハハッ、やっぱそうかよ」


 土煙の中から男が嬉しそうに笑いながら歩いてくる。

 平然と立っている彼だが、その腕には大きな刀傷があった。

 鮮血の滴る傷口は高熱の刃による火傷と相まって、傍目にも痛々しいものに見える。

 超人的な回復力によって既に治癒が始まっているとは言え、本人には相当な痛みがあるはずだが……男に痛みを感じている様子はない。いや、感じているからこそ喜んですらいるようだ。

 彼の顔を歪めるのは苦痛ではなく、滾る高揚と激しい快楽への欲求だけだった。


「こうすりゃ本気になるかと思ったんだが……思った通りだ。いい眼してるぜ、今のお前」


 既に治りかけている腕の傷を撫でると、手についた血をぺろりと舐める。


「それだけのためにムースを狙ったのか?」


 くぐもった笑い声を上げる男を睨むアルハの眼からは、普段の優しさも明るさも消え失せている。

 その眼は先ほどまでの彼にはなかった冷ややかな殺気を纏っていた。


「それだけ? オレにとっちゃ十分な理由だよ」

「……」


 対峙する二人の間で空気が再び緊張していく。その息苦しさは先ほどの比ではない。重く苦しい空気の中で、ムースは満足に呼吸をすることもできない。


「最高に楽しむには最高の玩具が必要だろ?」


 その眼に悦びを宿し男が言う。


「いい度胸だ、望み通り本気でやってやるよ」


 その眼に怒りを宿し少年が言う。


「俺の仲間に手を出したことを地獄で後悔しろ」


 アルハの手にしていた炎剣が揺らめく炎に包まれ静かに消えた。

 丸腰になった少年だが放つ殺気は少しも弱まることはない。それどころかより強く、より重いものへと変わっていく。

 それと同時にアルハの中で巨大な魔力が膨れあがる。

 とてつもない魔力の奔流が彼を中心に巻き起こり、大気を激しく揺さぶり地鳴りを起こす。


「ククク……やっぱお前最高だよ。こっちもようやく身体があったまってきたとこだ」


 アルハの魔力に呼応するかのように男の殺気も膨張していく。

 殺気はそのまま男の力をみなぎらせ、その身にさらなる破壊の力を与える。

 身体の奥底から力が溢れてくるのを感じながら、男自身はこれからの闘いに胸を躍らせる。


「……ッ!」


 紅魔の森全体を震えさせるかのような強大な二つの力を前に、ムースは意識を保つのがやっとだった。

 どうにかしてこの闘いを止めなければ大変なことになってしまうということが、嫌というほどわかる。

 だが、今の彼女は二人を止められるだけの力も術も持ち合わせていなかった。


「いくぜ、灰色野郎。覚悟はいいか?」

「上等だ、腐れ騎士が!」


 二つの巨大な力と力がぶつかり合おうかというまさにその瞬間。

 一つの声が二人の間に割って入った。


「こらああああ‼」


 突然の乱入者はその場の重苦しい空気をいとも容易く吹き飛ばした。

 アルハもムースも何事かと思わず視線をそちらに向ける。

 見ると育ちの良さそうな女が、息を切らしながら大声を上げて駆けてくるではないか。

 怒気に満ちた彼女の意識は完全にある一点に向かっている。

 彼女の視線の先……灰髪の男は全身から嫌な汗を噴き出して身体を強張らせていた。


「護衛のアンタが主人のあたしをほっぽってこんなところで何をやっておるかあああ‼」

「あぁ⁉ お前がオレを吹っ飛ばしたんだろ⁉」

「問答無用ぉー‼」

「バ……やめ!」


 男の訴えを聞くこともなく、十分な助走をつけて女はドロップキックを放った。

 あまりにも美しいフォームで放たれた蹴りは、まるでそこに向かうことを神によって定められていたかのように、芸術的な軌道で男の顔面へと吸い込まれていく。


「もごがあああああああああああ‼」


 首輪の効果がなくても相当な威力を発揮するであろう飛び蹴りを受けて、男は絶叫と共に凄まじい勢いで吹っ飛んで行く。

 森の彼方へ吹き飛んだ男は一瞬にして見えなくなった。

 この女は何者なのか? 灰髪の男との関係は? 護衛と主人とは?

 様々な疑問が頭の中に次々に沸いてくるアルハとムースだったが、ある一つのことだけは確信していた。



(あぁ、こうやって吹っ飛んできたんだ……)

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